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「ぬおぉぉーっ!」


「チェストーッ!」


 二つの激しい雄叫びが室内に響き渡った。


“ギイィィン!”


 激しい火花を散らし、鋭い金属音が鳴り響く。


 十兵衛と獣吾だ。


 十兵衛と獣吾は、切り結ぶ形で互いの体を入れ替えていた。


 今は、十兵衛が壊れた扉を背に獣吾と対峙している。


「くふぅ……」

 

「くむぅ……」


 互いに深く息を吐き出した。


 十兵衛は、再び『車』に構えた。


 身体の左側面を前に出し、両の手で“典太”を脇に構え切っ先を獣吾に向けている。


 獣吾も、膝を曲げ腰を落とした態勢で、『降魔の斧』を肩に担ぎ十兵衛を睨め付けていた。


 十兵衛は、前後一直線に揃えた足の左足を“じりり”と前に摺り出した。


 獣吾も、左右に開いた左側の足を“じりり”と前へ躙り出す。


 二人の間に緊張の糸が“ピン”と張り詰めた。


 これまでのところ、二人の実力は全くの互角であった。


 こと肉体を使った戦闘において、獣人はヴァンパイアを遥かに凌ぐ能力を有している。


 だが十兵衛も並のヴァンパイアではない。


 闘いにおいて、パワーやスピードの差は勝敗を分ける絶対条件には違いないが、技や技量も勝敗を分ける重要な要素の一つだ。


 パワーやスピードは獣吾が優り、技や技量は十兵衛が優った。


 柳生新陰流を極め、人間であった頃から修業に明け暮れて来た十兵衛の技と技量、そして幾度となく潜り抜けて来た修羅場の数は、幾らパワーとスピードに優る獣吾が相手だったとしても五分以上に渡り合えるだけの実力がある。


 またそれとは別に、二人がこの闘いに全神経を集中し切れていなかった事が、結果二人の太刀筋を鈍らせ、この闘いの決着を遅らせる要因にもなっていた。


 その要因とは、今まさに刻々とこの部屋に迫り来る禍々しい程の気だ。


 最早妖気とも殺気とも知れぬ、凄まじい量の気であった。


 その禍々しい気の持ち主が、間違いなく今この部屋に近付いているのだ。


 十兵衛は、獣吾がこの禍々しい気の持ち主に気を取られ、隙が生じるのを待っているのだが、獣吾もまた、同様に十兵衛の隙を伺っていた。


 その為互いに仕掛ける事が出来ないのである。


 獣吾は、この尋常でない気の持ち主が自分の味方でない事を十分に承知していた。


 常に一人で行動する獣吾には、味方と呼べる存在が一人も居ない。


 一方十兵衛も、この気の持ち主が己の味方ではない事は分かっていた。


 十兵衛と同行したファミリア達は全て人間であり、幾ら武術に秀でた優秀な部下であっても、この様なおどろおどろしい気を発する者など一人も居ない。


 また、この様な気を放つ者が人間である筈がなかった。


“ドドド…”


 足音がどんどん近付いて来る。


 十兵衛は自分の不利を感じていた。


 この気の持ち主が味方でない以上、敵である可能性が高い。


 目の前で対峙する、獣吾の仲間かも知れなかった。


 むしろそう考える事の方が自然だ。


 ならば部屋の廊下側の扉を背にする事は、十兵衛にとって圧倒的に不利であった。


 前後からの挟撃に合う可能性が高いからだ。


 十兵衛は『車』に構えた後ろ側の右足を、右横へ“ズリッ”と摺り足でずらした。


 獣吾は、十兵衛を見据えたまま動かない。


“ズリッ”


 更にもう一歩十兵衛は右足をずらした。


“ドドドド……!”


 けたたましい足音を響かせながら、禍々しい気の持ち主が、もうすぐそこまで近付いている。


「吩!」


 意を決した十兵衛は、鋭い気合いと共に床を強く蹴った。


 それに反応した獣吾も、斧を頭上へ振り被る!


 彼我の間合いを一気に詰めると、勢いをそのままに“典太”の切っ先を獣吾の心臓目掛け突き立てた。


 電撃の様な踏み込みは、最早“神速”の域に達していた。


 だが十兵衛の動きを読んでいた獣吾は、身体を横に捻り躱した。


「ぬおっ!」


 だが想像以上に十兵衛の踏み込みや突きが速かった分、完全に躱し切る事が出来ず再び胸を横一文字に切り裂かれた。


 獣吾は痛みを堪え、振り上げた斧を十兵衛の頭上へ一気に振り下ろした。


「ショウー!」


 その瞬間、背後の壊れた扉から大きな怒声が響いた。


“!”


 その声に、十兵衛は思わず気を取られてしまった。


 その零コンマ何秒の気の揺らぎが、獣吾に決定的な隙を与えてしまったのだ。


「チイィィィィ!」


 十兵衛は、咄嗟に“典太”を頭上で横に構えると、振り下ろされる獣吾の斧を受けに行った。


 幾ら獣吾の筋力やスピードが凄まじくても、武器が斧である以上振り下ろす速度は刀より落ちる。


 相手からの反撃が読めている上に、本来の十兵衛のスピードであれば決して躱せぬ速度ではなかった。


 しかし背後からの怒声に気を取られた為、躱すだけの余裕が生まれなかったのだ。


“バキッ!”


 鈍い金属音と火花を散らし、十兵衛の“典太”は真ん中から真っ二つに叩き折られた。


 それにより頭部への攻撃は逃れたものの、十兵衛の胸は縦に大きく切り裂かれた!


「ぐあーっ!」


 十兵衛は、胸を切り裂かれた衝撃と激痛に顔を歪め、後ろに大きくのけ反った。


ーー勝機!


 獣吾は後退する十兵衛に更に追い撃ちを掛けるべく“ずん”と前へ踏み込んだ。


 十兵衛は、のけ反った態勢のまま後ろへ下がると、折れた“典太”を獣吾の顔目掛けて投げ付けた。


 だが獣吾は、首を振ってそれを躱した。


 再び『降魔の斧』を振り上げて、更に大きく踏み込んで来る!


 しかし、投げ付けた刀を躱した際に生じた零コンマ何秒の隙を、今度は十兵衛が見逃さなかった。


 十兵衛は、ヴァンパイアのパワーを総動員して背中から後ろへ跳ぶと、背後の壁を後ろ向きのまま体当たりで突き破った。


 凄まじい破砕音と共に後ろにの壁が砕け、十兵衛は背中から廊下へと転がり出た。


 夥しい量の埃と粉塵が宙に舞い上がる。


 獣吾は踏み込んだ勢いを殺さず、壁に空いた穴へとそのまま突っ込んだ! 


 しかし、獣吾の巨体には十兵衛が空けた穴は小さ過ぎた。


“ドォーン”


 再び激しい破砕音と共に穴の周りの壁が吹き飛び、更に夥しい量の埃と粉塵が舞い上がった。


 二人の視界が遮られる。


 廊下に出た瞬間、十兵衛は後ろへと転がりながらも、空いた両の手を後ろに廻し、腰のベルトから先程ショウに使った兜割りと飛苦無を数本抜き取っていた。


 そして埃や粉塵により視界が遮られた瞬間を狙って、先程自分が空けた穴へと飛苦無を投げ放った。


 獣吾の背中に、“ぞくり”と冷たいモノが走る。


 獣吾は、思わず足を止めて『降魔の斧』を縦に持ち替えると、咄嗟に持ち上げた斧刃で顔を隠し、柄を握った腕で胸の辺りをガードした。


“ギィン!”


“ギィン!”


 十兵衛の投げた三本の内、二本の飛苦無が左右の斧刃に当たって乾いた金属音を立てる!


 残りの一本は、獣吾の左肘に深々と突き刺さった。


 獣吾の顔が、一瞬苦痛に歪む。


 十兵衛は、この隙に獣吾と彼我の間合いを取り、廊下の窓際へと移動していた。


 青ざめた顔で、肩で大きく息をしている。


 先程胸に受けた傷に因るダメージが、思ったより大きいのだ。


 だが、十兵衛であればこそ致命傷に至らずに済んだのである。


 十兵衛は、“典太”を折られた際に上半身を後ろに反らす事で、間一髪致命傷になるのを避けたのだ。


 幾らヴァンパイアだとは言え、驚異的な反射神経の持ち主と言えた。


 十兵衛と獣吾は、彼我の間合いを保ちながら再び向き合っていた。


 十兵衛は、苦痛に顔を歪めながら何とか笑みを作ると、廊下の腰高の窓に手を掛けた。


「獣吾とやら、“典太”の礼はいずれする。また会おうぞ!」


 十兵衛はそう言い残すと、廊下の床を強く蹴り体当たりで窓を突き破った。


“ガシャーン”と派手な音を立て十兵衛は外へ飛び出すと、既に暗くなった宙空へと身を躍らせた。


 獣吾は、あえて後を追わなかった。


「フン、やるじゃねえか!」


 獣吾は、ぶ厚い唇に太い笑みを浮かべた。


 そして、右の太腿に深々と突き刺さった兜割りの柄を握り、力任せに“ぐいっ”と一気に引き抜いた。


 一瞬獣吾の顔が苦痛に歪む。


 何と、十兵衛は三本の飛苦無を投げると同時に、もう一方の手で兜割りも投げていたのである。


 夥しい埃と粉塵、そして三本の飛苦無すらフェイントに使い、見事兜割りで獣吾の動きを封じたのだ。


 何と言う闘い、何と言う化け物達であろうか。


 恭也は、この二匹の化け物の闘いを、ただ茫然と眺めていた。


 この部屋に飛び込んだ時の荒れ狂う様な気も、今では完全に消え失せている。


「ところでオメエ、いったい何者だ?」


 獣吾が、後ろを振り返り尋ねた。


 思わず声を掛けられ、ふと恭也は我に返った。


「あの妖気、オメエ人間じゃねえだろう?」


 獣吾は更に訊ねた。


「あ? 何だとテメエ!」


 恭也が顔を顰めた。


「十兵衛の仲間かとも思ったが、どうやら違う様だな」


「十兵衛……? ああ今の奴か。知らねえなぁ」


 恭也は、惚けた様に頭を振った。


「じゃあオメエはアイツらの仲間か?」


 そう言って、獣吾は顎をしゃくって室内を指した。


「何だと……?」


 獣吾に言われ、恭也は改めて室内を見渡した。


“!”


 恭也は驚愕した。


 既に真っ暗になった室内には、十数体のゾンビ達が動かぬ屍となり横たわっている。


 そのどれもが頭や胴を鋭い刃物で断ち割られ、内臓や脳をどっぷりと床にぶち撒けていた。


 このビルの外にまで漂う腐臭や異臭の原因は、正しくこれであった。


“ゲエェェェ”


 思わず恭也は吐いた。


 この数日、まともに何も食べていない為に胃液しか出ない。


 部屋の中の腐臭に混じり、饐えた臭いが立ち込めた。


 ひとしきり吐いて涙目となった恭也の目に、見覚えのある顔と服装が飛び込んで来た。


 それは横たわるゾンビ達の屍の中にあった。


「シゲ? シゲー!」


 恭也は、思わず大声で叫んだ。


 恭也はシゲの遺体に駆け寄ると、その身体を両腕で抱き上げた。


 手や服に赤黒く粘り気のある血がべったりと付着する。


 しかし恭也はそんな事を気にも留めず、シゲの身体を強く揺すった。


「シゲ……シゲよ……。すまねえ、すまねえ……」


 恭也は消え入りそうな声でシゲの名を呼び、懺悔の言葉を繰り返した。


 無論シゲは何も答えない。


 シゲの遺体を抱いたまま、何気なくもう一度室内を見渡した恭也は、部屋の一番奥の壁を見てそのまま固まった。


「ま、まさか……」


 恭也の視線の先には、脳天から下顎までを一刀の元に断ち割られ、壁にもたれたまま死んでいるショウの姿があった。


 もう一度目を凝らして見たが、黒いシャツに黒い皮のパンツ、間違いなくショウであった。


「テメエか……」


 シゲの遺体を抱き抱え、俯いたまま恭也は“ぼそり”と呟いた。


 だがその焦点は、シゲを捉えてはいなかった。


 ただ床を見ている。


「あ? 誰に言ってんだ?」


 先程来黙って恭也の行動を見ていた獣吾が、不快そうに声を上げた。


「ショウは……、ショウの奴だけは、俺がぶっ殺す筈だったんだ……。シゲは俺の…それに鉄二の大切なツレだった……。そのシゲを殺し……晶子や村……」


 恭也は下を向いた姿勢のまま、“ぶつぶつ”と声にならない声で低く怨嗟を漏らした。


「おい、オメエ誰に言ってんだって聞いてるだろうが! だいたいシゲだのショウだの訳が分かんねえぜ!」


「……ンパイアになって死んじまったんだぞ……。その原因を作ったショウを……、ショウだけは俺の手でカタを……」


 獣吾の言葉を無視して、恭也の怨嗟はまだ続いていた。


 その時、今まで消失していた筈のあの禍々しい殺気が、再び恭也の全身から溢れ出した。


「ん?」


 獣吾の眉がぴくりと上がった。


「お、オメエ……」


 思わず獣吾は声を掛けた。


 だがその間にも、恭也の気はどんどん膨れ上がって行く。


 割れたガラスや窓枠、床に散乱した扉や砕かれた壁の瓦礫などが、“ガタガタ”と音を立て始めた。


 ついには、窓を塞ぐように積み上げられた机や棚までが、“ガタゴト”と震え出した。


“ゴゴゴゴゴゴ……”


 建物全体が震えている。


「なっ、何だコイツは……?」


 獣吾は、あまりの驚きに目を丸くした。


 この様な凄まじい気に出会ったのは初めてだ。


「テメェが……、テメエがショウを殺ったのかー!」


 恭也の気が爆発した!


 最早これは暴風などではない。


 まさしく爆風だ!


 獣吾は、思わず両腕で顔を庇った。


 紅蓮の炎を纏った爆風の様な殺気から、己の身を守ったのである。


 実際髪の毛が“チリチリ”と音を立てた気がした。


 恭也は、シゲの遺体を床にそっと置き、凄まじい気を全身に纏いながら、ゆっくりと立ち上がった。


 恭也が獣吾を“ギロリ”と睨む。


 普通の人間であれば、見ただけで恐怖に竦み、気を失う程の憎悪に満ちた目であった。


「オメエ、危ねえ奴だな……」


 獣吾は“ぼそり”と呟き、腰を低く落とした。


「ガアァァァァー!」


 獣の咆哮を上げ、恭也は獣吾に躍り掛かった! 

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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