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「何やら楽しそうな事してるじゃねえか?」 


 巨岩が口を開いた。


 野太い声である。


 無論岩などでは決してないのだが、岩と見紛う程の大男であった。


 身長は、優に二メートルを超えている。


 体重も百キロは超えているに違いない。


 白い無地のTシャツにブルージーンズと言った軽装な為、その下に隠された膨大な量の筋肉がありありと見て取れた。


 Tシャツの、胸や二の腕の辺りが有り余る筋肉でパンパンに伸び、今にもはち切れそうである。


 首の部分などは既に伸びて、襟首の形が円形を留めていない。


 顔も、身体と同じく岩の様にゴツかった。


 太く短い黒髪は、まるで洗ってそのまま乾かしただけで、何の手入れもしていない様に見える。


 肉体労働者を想わせる日焼けした肌。


 彫り深い顔には、造り物の様にゴツイ鉤鼻が居座っている。


 頑丈そうな下顎はしゃくれ、先が二つに割れていた。


 拳が楽に入りそうな程の大きな口に不敵な笑みを張り付かせ、太い眉毛の下には人懐こい瞳が、好奇心と凶暴な色の双方を滲ませていた。


 とにかく全ての造りが大きく、まさしくデコボコとした岩の様な男であった。


 その男は、扉が砕けた事でポッカリと口を開けた出入り口を、まるで塞ぐ様に仁王立ちしている。


 足元には、長方形のまるでエレキギターのハードケースの様なスーツケースを置き、両腕を胸の前で組んでいた。


 部屋の中をぐるりと見渡すと、男は再び十兵衛に視線を向けた。


 全身からは、溢れる程の生気とも闘気とも呼べぬ、不思議な気を発している。


「誰だ?」


 十兵衛は、片膝を着いた中腰の姿勢で“典太”を構えながら問い掛けた。


 十兵衛の全身に強い緊張が張り詰めている。


 幾らショウに気を取られていたとは言え、この男の接近を今まで気付けなかったのだ。


 今はこれ程の気を放ってはいるが、ここに来るまでこの男は自分に己の気配を察知させなかったのである。


 気配だけでは無い。


 物音はおろか、足音すら立てずこの男はここま来たのだ。


 容易ならぬ男であった。


 しかも、この惨状を見て顔色一つ変えていない。


 むしろ楽しんでいる様に見える。


 歳は二十歳を少し回ったぐらいにしか見えないが、実際は年齢も正体も掴ませない、何処か不思議な男であった。


「誰だって言われてもなあ……。まあオメエの敵だな! その匂い、オメエ、ヴァンパイアだろ? それは仲間割れか?」


 男は、高い鉤鼻を部屋の中の空気に潜り込ませ“ぞろり”と言った。


「貴様……」


 十兵衛は、自分を敵だと言った男の言葉に“ギリリ”と緊張を高めた。


 次の瞬間、十兵衛はふと疑問を感じた。


「貴様、下に居た者達をどうした?」


「あぁ、下に居たのはオメエの手下共か? 皆サボって仲良くおネンネしてるぜ」


 男は、唇の端を“にいっ”と吊り上げた。


「貴様っ! まさか殺したのか?」


 十兵衛は激しい怒気と共に大声で怒鳴った。


「ヒューッ、怖いねえ~。まったく凄え気だぜ……。安心しな、今は誰も死んじゃいねえ。ただこのまま放っといたら死んじまう奴も出て来るだろうがな!」


 男は楽しそうに言った。


 その不敵な態度が、十兵衛の怒りに油を注いだ。


「貴様……、許さん!」


 十兵衛は溜めた気を一気に解放すると、中腰の姿勢から男に向かって一気に跳んだ!


「でやーっ!」


 裂帛の気合いと共に、十兵衛は必殺の突きを男の心臓目掛けて放った。


“典太”の切っ先が男の胸に吸い込まれるかと思った瞬間、十兵衛の突きは男のTシャツのみを切り裂いただけで、見事なまでに躱されていた。


 男は、獣の様な反射神経と身体に似合わぬ俊敏な動きで、十兵衛の突きを紙一重で躱したのだ。


 十兵衛は、突きを躱され床に着地すると、そのまま勢いを殺さず腰を回転させ“典太”を横一線に薙ぎ払った。


 通常であれば、この一撃で胴を真っ二つにされてしまうところを、男は凄まじいバネで後方へ飛び退いた。


 だが、男は驚愕していた。


 今の二撃、完璧に躱したつもりだった。


 しかしこの隻眼の男の攻撃は、自分の予測を裏切り何処までも伸びて来る。


 その為に躱したつもりが躱し切れておらず、Tシャツの胸と腹の部分を切り裂かれたのだ。


 斬られた部分には血が滲んでいた。


 片目ではどうしても見切りが甘くなる。


 それはヴァンパイアも人間も同じだ。


 だが、この隻眼の男は、彼我の間合いを完璧に見切っていた。


 しかも幾らヴァンパイアとは言え、剣を奮う速度が尋常ではない。


 今まで屠り去ってきたヴァンパイアとは、桁違いの腕前であった。


ーーこのヴァンパイア、並ではない。


「やるなあ、オメエよ」


 男は野太い笑みを浮かべた。


 一方、十兵衛もまた驚愕していた。


ーーこの動き、この反射神経、人間のものではない。


 幾ら崩れた体勢からの攻撃であっても、このヴァンパイアである十兵衛の攻撃、そうそう躱せるものではない。


 なのにこの男は、一度ならず二度までも躱して退けたのだ。


 人間であろう筈がない。


「貴様……、何者だ?」


 十兵衛は、“ギロリ”と男を睨んだ。


 そして、片手で“典太”を横に凪いだ体勢からすっくと立ち上がると、両手で柄を握り直し正眼に構えた。


「凄えな、オメエ。今まで何匹もヴァンパイアをぶっ殺して来たが、オメエみたいな奴に出会ったのは初めてだ」


 男は、割れた下顎をポリポリと掻きながら言った。


「貴様……、もしやハンターか?」


 十兵衛は、油断無く男の様子を伺いながら聞いた。


「ハンター? 何だそりゃ。オメエらは俺の事をそう呼んでるのか? まあ確かにオメエらの仲間を何匹かぶっ殺してるからなあ。オメエが俺をハンターだって言うならそうなんだろうよ。だが俺がそのハンターならどうする?」


「斬る!」


 十兵衛の気が“ぐうん”と膨らんだ。


 触れたら火傷では済まない程の妖気だ。


“ゴゴゴゴゴゴゴゴ……”


 建物全体が震えている様であった。


「こりゃスゲエ! こんな妖気は初めてだ。オメエ、その隻眼からしてただの『屍鬼』か『生成り』かとも思ったが、これ程の妖気を操るとは、まさかオメエ……『貴族』か?」


 男は、オドケているとも ただ驚いているとも取れる態度で言った。


 だが実際には、内心驚愕にその身を緊張させていた。


 これ程の妖気は、『貴族』でなければ発する事が出来ぬ筈だ。


 だが生来のヴァンパイアである『貴族』は、幾ら傷を負っても再生してしまう為に傷跡が残る事は無い。


 相手が隻眼だと言う事は、ヴァンパイアに転身する前……、つまり人間であった頃に片目を失ったと言う証だ。


 男は、警戒心から気の内圧を高めた。


「俺は『貴族』では無い。だが修業を積めばこれぐらいの事は出来る……」


 十兵衛の気が更に膨れ上がった。


「むう……、これ程の気は……。なら俺も本気にならせて貰うぜ!」


 そう言うと男は、内部に溜まった気を一気に解放した。


「こっ、これは……」


 十兵衛は思わず顔をしかめた。


 それは、十兵衛と同等の凄まじい気の暴風であった。


 十兵衛の気と男の気がぶつかり唸りを上げる。


「つあぁっ!」


「うおぉぉぉ!」


 互いの口から激しい気合いが迸しった。


 十兵衛は、正眼に構えた“典太”を振り被り、男に向かって左上段から袈裟斬りに斬りつけた。


 男が身体を右横に捻って体捌きで躱す。


「チイィィ!」


 十兵衛の振るった一撃を躱し様、男は岩の様な拳を握り締め、十兵衛の顔を目掛けて鋭い右ストレートを放った。


「ぬおぉぉぉ!」


“!”


 突きを放った男の背中に“ぞくり”と冷たいものが走った。


 一度袈裟斬りに振り下ろされた切っ先が床に届く寸前に反転すると、そのまま下方から上方へと跳ね上がって来たのである。


 男は、咄嗟に突きに行った腕を軸に、身体を右斜め前方へ捻り反転させる事で迫り上がって来る刀を躱すと、同時に宙に浮いた左脚で回転する勢いをそのままに十兵衛の顔を蹴りに行った。


 信じられぬ反射神経と身体能力だ!


 十兵衛は、振り上げた刀と同じスピードで迫り上がって来る蹴りを、顔を捻り上体を反らす事で何とか躱した。


 紙一重で蹴りを躱した十兵衛の目前を、男の左脚が凄まじい勢いで吹き抜けて行く!


 だが一瞬の攻防は、これで終わりではなかった。


「まだだ!」


 男の蹴りを躱した十兵衛は、振り上げた刀の切っ先を下に向け、蹴りを躱され体勢の崩れた男に向けて、叫ぶと同時に鋭い突きを放った!


 男に“典太”の切っ先が迫る!


 躱せぬと瞬時に悟った男は、咄嗟に左腕で身体を庇った。


“典太”の切っ先が、男の左腕を刺し貫いた。


「ぐおっ!」


 男が低い呻き声を上げる。


 だが次の瞬間、十兵衛は驚愕に目を見開いた。


 男の腕を貫通し胴に潜り込む筈だった刀が、胴に達する寸前で止められたのだ!


 男の左腕の筋肉が異常な程盛り上がり、筋肉の束がまるで万力の様に締め付けて刀を絡め取ってしまったのである。


 柳生新陰流にも白刃取りなる無刀の技があるが、これはもっと凄まじい。


 十兵衛は突きに行った姿勢のまま、刀を抜く事も押す事も出来なくなっていた。


「くふぅ」


「くむうっ」


 二人から呼気が洩れた。


 男は、激痛に歪む顔で唇を吊り上げて無理に“にいっ”と笑うと、左足で十兵衛の腹を蹴った!


 左腕に絡み取られた刀がすっぽりと抜け、十兵衛は“典太”を握ったまま、身体を“くの字”に曲げ後ろへと吹っ飛んだ!


 十兵衛は、両足を床に踏ん張る事で何とか転倒するのを避けた。


 男もその場に立ち上がった。


 見ると、男のTシャツが先程の袈裟斬りで、丁度胸から腹に掛けて斜めに大きく切り裂かれ、赤く大きなシミを作っている。


 完全には躱し切れなかった様だ。


 しかし十兵衛もまた、男の蹴りを躱し切れず頬に鋭い裂傷を負っていた。


 男は、彼我の間合いを取ると、左腕の傷をぺろりと舐めた。


 出血の量が多い為、男の口元が赤く染まった。


「やるなあ……」


 男が感嘆する様に言った。


「何の貴様こそ」


 十兵衛も愉しくて堪らぬと言った様子だった。


「もう一度聞く。貴様何者だ? その動き、まさか人間ではあるまい」


 男はにやりと笑った。


「当ててみろよ」


 男が言った。


「人間でも我が眷属でも無い。最初は強化人間かとも思ったが、強化人間が我らを襲う訳が無い……」


 十兵衛は言葉を区切った。


 男は、不敵な笑みを浮かべながら十兵衛の話しを聞いている。


「まさかとは思うが……、貴様獣人か?」


 十兵衛は、相手に探る様に言った。


 男の口元が更に吊り上がる。


「そうよ、そのまさかよ。俺は十八年前、貴様らヴァンパイアと、欲に目が眩んでヴァンパイアの言いなりになった馬鹿な人間共に滅ぼされた、獣人族唯一人の生き残りよ!」


 男は、笑みから一転怒りに満ちた表情で、怒気を込めて叫んだ。


「やはり……。まさかとは思ったがやはり獣人か……。だが何故今になって我が眷属を襲う?」


「オメエ馬鹿か? 復讐に決まってるだろう。俺は、俺の一族を滅ぼした貴様らや人間共を決して許さねえ。貴様らをこの手で全員ぶち殺し、その後は貴様らに手を貸した政治家や強化人間共を血祭りに上げてやるんだ」


 男は怒気に顔を赤らめながら言った。


「復讐か……。だが貴様一人で何が出来る!」


「やっぱり馬鹿だなオメエ……。出来る出来ねえじゃねえんだ。やるんだよ! その為には命なんか惜しくもねえし、復讐の途中で死んだって構やしねえ。ただ俺は復讐したいからする。それだけよ」


「愚かな……。ならば我が眷属に仇なす貴様は、この柳生十兵衛三厳が斬る!」


 十兵衛は、左足を擦り足で前に運び、左右の足を前後一直線に揃えると、流れる動作で“典太”を脇に構えた。


「柳生十兵衛……? オメエ、時代劇とかに出て来るあの柳生十兵衛か!?」


 男は目を丸くして言った。


「ならば何だ?」


「驚いたぜ! まさかオメエがあの有名な柳生十兵衛とはな。通りで強い筈だぜ!」


 男は、さも愉快そうに言った。


「貴様……名は何と言う?」


 十兵衛は、男を睨み付けながら尋ねた。


「俺か? 俺の名は当麻……、当麻獣吾だ」


「ふん、獣吾か……。如何にも獣人らしい名前よ」


 十兵衛は鼻を鳴らした。


 それを見た男=獣吾もニヤリと笑った。


「相手が柳生十兵衛となれば、俺もいよいよ本気にならねえとな!」


 そう言うと、獣吾は十兵衛の動きに細心の注意を払いながら、扉の側に置いたままであったケースへとにじり寄った。


 そして立てたままのケースを持ち上げると、フックを外し中から大振りな斧を取り出した。


 その斧は、長さ一メートル以上はある巨大な斧で、しかも左右両側に斧刃を備え、長く伸びた柄の先にある斧頭の尖端には、鋭く尖った槍穗が取り付けられていた。


 日本の斧と言うよりは西洋の戦斧に近い。


 しかもその斧は全て金属で出来ているらしく、全体が鈍い黄金色をしていた。


 重量は、かなりの重さに違いない。


 しかし獣吾は、そんな重さを微塵も感じさせぬかの様に片手で持っているのだ。


 凄まじい腕力であった。


「これはなあ、俺達一族に代々伝わる『降魔の斧』よ! 実戦でこれを使うのはオメエが初めてだ。それに今夜は満月だしな、せっかく有名人と会えたんだが、これで終えだ!」


 そう言うと、獣吾は腰を落とし、両手に斧を持ち替え腰溜めに構えた。


 見ると先程受けた腕や胸の傷も既に出血が止まっている。


 ヴァンパイア並、いやそれ以上の治癒能力だ。


 十兵衛も『車』に構えたまま、体内で気を練っていた。


 獣人族は、ヴァンパイアの『貴族』の様な超能力や魔力こそ持っていないが、こと身体能力に於いては『貴族』すら凌駕する程の高い戦闘力を有している。


 しかも今宵は満月だ。


 獣人族は、満月の下では最高の力を発揮出来る。


 だがその不利な状況の中、この獣吾と互角に渡り合える十兵衛も、やはりただのヴァンパイアではなかった。


 人間であった頃から今日まで絶やさず続けて来た修練こそが、十兵衛をただのヴァンパイア以上のものにしていた。


 両者は互いに構え、体内の気を静かに練り上げた。


 部屋の密度が変わり、風景さえ歪んで見える程の気が辺りに充満し、火を点ければ炎を伴って破裂しそうな程張り詰めていた。


「……」


「……」


 張り詰めた空気の中、両者は自分の気が最高頂に高まるのを待った。


 まるで時間が止まっているかの様であった。


 次の瞬間、ビルの外から猛々しいバイクのエンジン音が、張り詰めた緊張のガラスを打ち破った!


 二人は、音に弾かれる様に動いた。


「キエェェェー!」


「うおぉぉぉ!」


 静寂を裂き、二人の雄叫びが轟いた。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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