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第五章1:人狼

     第五章

    『人狼』

      1

 李は、暮れ行く街の雑踏を一人歩いていた。 


 昼過ぎに連絡のあった、『内調』の佐々木との待ち合わせの為である。


 かなり緊急の用向きだったらしく、先日の件で至急会いたいとの事であった。


 李は、恭也の事を隠していた後ろめたさからか一瞬返事を躊躇ったが、佐々木との付き合いや今後の事を考えれば、会わない訳にも行かなかった。


 出掛ける前に李は、全身に巻かれた包帯を全て外し、甚平の隙間から傷跡を見られないよう下にTシャツを着込んだ。


 無論頭に巻いた包帯も取り除き、髪も洗う事でこびり付いた血も綺麗に落としてある。


 後は顔と手の甲の傷であったが、それくらいなら何処かで転んだとでも言い訳するしかない。


 無論不安はあったが、拒めない以上行く他は無かった。


 駅前を通り過ぎ、待ち合わせのファミレスの駐車場には後僅かの所まで来ていた。


 恭也のアパートから少し離れたファミレスを待ち合わせの場所に選んだのは、無意識に恭也の側から佐々木を離そうとする気持ちの現れかも知れなかった。


 そんな愚にも付かぬ小細工をしてしまうのも、佐々木への後ろめたさからだったのかも知れない。


 李は、不安と自己嫌悪のないまぜになった複雑な心境のまま、既に約束の時間を過ぎた待ち合わせの場所へと急いだ。


 李がファミレスの駐車場に着くと、佐々木のニッサン・フーガが停まっているのが見えた。


 フーガは佐々木の自家用車だ。


 車内で待っていた佐々木は、李の姿を見付けると素早く車を降り一礼した。


「先日は本当にお世話になりました。その上本日もこのようなご無理を言って申し訳ありません」


 佐々木は深々と頭を下げ、低いバリトンで挨拶をした。


「いやあ、儂の方こそ遅れて済まぬ」


 李は、精一杯飄々とした態度で、白髪頭を掻きながら答えた。


「私も今しがた着いたばかりですのでお気になさらないで下さい。それより本来なら店内でと言いたいところなのですが、話が話ですので車の中で勘弁して下さい」


 佐々木は、そう言いながら助手席側に回り込むと、ドアを開き李を招いた。


「すまんのう……」


 そう言って李は、傷付いた顔を隠す様に伏せながら、素早く車内に乗り込んだ。


 佐々木は、特に何かに気付いた様子も無く、静かにドアを閉めた。


ーーどうやら傷には気付いていないらしい。


ーーしかも、今夜呼ばれた事と、恭也の事は無関係の様だ。


 李は少し安堵した。


 もし顔の傷に気付かれているのであれば、真っ先に何か聞かれるであろうし、更に今夜の話が恭也の事であるのなら、この堅物で不器用な佐々木がこの様な態度でいられる筈がない。


 先日の件には違いないだろうが、少なくとも恭也の事が『内調』や『C・V・U』にバレていないのは間違いなさそうであった。


 佐々木は、助手席のドアを閉めた後、再び運転席側へ回り自分も運転席に乗り込んだ。


 エンジンが掛けたままだった為、車内はひんやりとエアコンが効いており、外気と比べれば極上の天国であった。


「ここは少し目立つので場所を変えましょう」


 そう言うと、佐々木は車を発進させた。


 ゆるりと駐車場を滑り出ると、車の流れを確認して駅前通りに合流する。


 夕方を過ぎた駅前通りは、通行する車の台数は多かったものの、意外と流れはスムーズであった。


「先日は本当にありがとうございました」


 ハンドルを握りながら、佐々木は再び礼を言った。


「何の。それより儂が取り逃がした吸血鬼の居所は分かったかの?」


 李は、佐々木の武骨な横顔を見詰めながら尋ねた。


「いえ、あれからローラーを掛けて捜索しているのですが、以前有力な情報は得られないままなのです……」


 佐々木の横顔が苦渋に歪んだ。


「あの時儂があ奴を始末しておけば……。本当に済まなかったのう」


 李は頭を下げた。


 目には後悔の色が色濃く浮かんでいる。


「いえ、とんでもない! 結局老師にご迷惑をお掛けてしてしまったのですから、こちらこそ本当に申し訳ないです」


「あれから既に三日か……、心配じゃのう……」


 李は、前方を左右に流れる街並みを眺めながら言った。


「同感です。ですがもっと別の問題が持ち上がりまして……」


「別の問題?」


ーー李の心臓が“ドキリ”と音を立てた。


「実はあの夜、あの場所で死亡した二匹の第三種ヴァンパイア、高木晶子・村田浩平二と同じく、第三種ヴァンパイアで逃亡中の飯沼彰二の他に、もう一匹居た事が確認されたのです」


“!!”


ーーやはりバレていたのか?


 李は半ば覚悟した。


 恭也の事がどうして分かったのかは分からないが、少なくとも今日呼ばれたのはこの話の為であるには違いない様だ。


 李は、全身から汗がどっと噴き出るのを感じた。


「どうしてもう一匹居た事が分かったのじゃ?」


 李は、動揺する自分を精一杯律した。


「あの現場から、高木晶子・村田浩平・飯沼彰二の三匹とは別の毛髪や血痕が確認されたからです」


“!”


ーーそうか、血痕か!


 李は愕然とした。


 恭也の覚醒で動揺していた為、地面に残された血痕の事まで考えが及ばなかったのだ。


 しかも科学捜査に疎い事が、更に拍車を掛けていた。


 残された毛髪や血痕から、その主が恭也と断定出来るものなのかどうか、李には分からない。


 ただこの佐々木が、わざわざ自分を呼び出した事を考えると、全てバレている可能性も否定出来なかった。


 李は自分から先に全てを告白し、逆に佐々木に助力を申し出るかどうか迷った。


ーーしかたあるまい……。


 李は覚悟を決めた。


 だが李が口を開こうとしかけた瞬間、佐々木の方が先んじて口を開いた。


 李は、思わず口をつぐんだ。


「今朝入った『C・V・U』の科学検査班からの報告によると、その血液はヴァンパイアとは別の……、未知の生物の物らしいのです」


「な、何じゃとう!」


 あまりの衝撃に李は助手席のシートから跳び上がった!


 驚愕のあまり開いた口が塞がらない。


 目一杯見開かれた目の瞳孔さえ、開き切ってしまった様だ。


「な……馬鹿な……」


 李は、次に続く言葉が出て来なかった。


 全身を硬直させ、ただ佐々木の横顔を見詰めるしかなかった。


「驚かれるのも無理はありません。私も最初報告を受けた時は信じられませんでした……。ですが事実の様です」


 佐々木の表情は堅く真剣であった。


 李にとって佐々木の話した内容は想定外であり、あまりにも衝撃的な内容だった。


「じゃが……そんな……」


「科学検査班からの報告によると、この血液の持ち主……、我々は『魔獣』と呼称していますが、『魔獣』の血液にはヴァンパイアと、この国では既に絶滅した筈の獣人双方の特徴が見られるとの事なのです」


「そんな……馬鹿な……。ならばキョ、いやその『魔獣』は、吸血鬼と人狼の混血だとでも言うのか?」


「はい。ここでは詳しい検査内容や具体的な専門用語は省略させて頂きますが、鑑定の結果『魔獣』の性別はオスで、ヴァンパイアと獣人の間に生まれた混血なのだそうです」


ーー知らなかった……。


 いや、知る筈もなかった。


 恭也の父親が恭介である事は間違いないだろうが、恭也を託された時に母親は既に死んだと聞かされていたのだ。


 それがまさか人狼であったとは……。


「じゃが、今まで吸血鬼と人狼の混血など聞いた事も無い。現実にそんな事が可能なのか?」


「私も、ヴァンパイアと獣人の間に子供は出来ないと聞いていたので正直言って驚きました。確かにヴァンパイアは勿論の事、獣人も変身していなければ見た目は人間とほぼ同じなので、一見生殖は可能かとも思えますが、ヴァンパイアと獣人では全く別の生き物です。当然染色体の数も違う為、今まで生殖は不可能だと思われていたのです。しかし……」


「……実際には双方の間に子が生まれた……。そう言う事じゃな」


「そう言う事です……。生物学的に不可能であっても、この『魔獣』は現実に存在します。科学検査班の鑑定に誤りが無い以上、今も何処かで棲息しているのです」


ーーいったい何と言う事じゃ……。


 李は大きく溜息をついた。


 だがこれが事実なら、恭也は恭介と人狼の間に生まれた子供だと言う事になる。


ーー信じられぬ。


ーーだがこれが事実なら、今まで疑問に思っていた幾つかの事に説明が付く。


ーーまず幼い頃に施した呪の効果が薄れている事はともかく、今朝闘った際にあれ程の呪術を駆使したにも関わらず、いとも簡単に打ち破った恭也の魔力……、あれは今まで闘ったどの吸血鬼よりも凄まじいものであった。


ーーしかもあの時使用した結界や禁呪は、かなり齢を重ね魔力の高まった『貴族』と言えど、そう簡単に破れる代物では無い。


ーーなのに『貴族』としてはまだ覚醒仕切れていない、言わば赤児の様な状態であの様な魔力を発揮出来るとは、ただの『貴族』では考えられない事であった。


ーーそれが吸血鬼と人狼との混血であれば、その魔力が絶大である事も想像に難くない。


ーーそしてあれ程の魔力を使い、しかも尋常では無い再生を行っておきながら血を飲まなくとも“渇き”が起こらぬのは、ひとえに恭也が吸血鬼以上の、いや生物学的に吸血鬼とは別の魔物として突然変異したものだと考えれば納得が行く。


ーー恭介、お主は……。


 李は深い溜息と共に、心の中で恭也の父恭介の名を呟いた。


 助手席の窓ガラスには、あの夜の恭介の顔が浮かんでいた。


「……うし、老師!」


“!”


 李は“びくん”と反応した。


 自分の思考の世界に入り込んでいた李は、佐々木からの呼び掛けが、最初耳に入らなかったのだ。


「老師、どうされたのですか?」


 佐々木は前方に注意を払いながらも、李の顔を心配そうに覗き込んでいた。


「ん、んん? あ、いや済まぬ。ちと考え事をしておってのう」


 李は慌てて答えた。


「どうなさったのですか? 顔色があまり優れませんが……」


「いや、その『魔獣』とやらがどんな化け物で、今頃何処で何をしておるのか気になってのう……」


「そうですか……。実は今日御呼び立てしたのもその事なのです」


“!”


 再び李の心臓が“ドキリ”と鳴った。


「あの夜老師が現場に到着された時、あの三匹の他に何か不審な物とか人影とか見ませんでしたか?」


 李は、緊張で身体が強張って行くのを感じた。


「何も見なんだが……何でじゃ?」


 李は咄嗟に嘘を付いた。


「そうですか……。我々が老師に呼ばれ、現場検証を行った際には何もおっしゃられてなかったので、怪しい物は何も見ておられないとは思ったのですが、その『魔獣』に関する手掛かりとなる物が僅かでもあれば、どの様な情報でも欲しいのが今の我々の現状なのです」


 佐々木は渋面を作って言った。


「……済まぬ、あの夜話した事以外には何も見ておらぬよ……。力になれなくて済まぬのう……」


 李は痛む心を堪えた。


「そうですか……。いえこちらこそ申し訳ありません」


 残念そうではあったが、佐々木は特に表情を変える事無く前方を見たまま答えた。


 佐々木は、李の話を全く疑っていない様子だった。


「そう言えば喉が渇きましたね。難しい話も終わった事ですし、本部の方には遅れると報告も入れてあるので、何処かでお茶でも飲んで行きますか?」


 そう言うと佐々木は、左前方に見える喫茶店に入ろうとウインカーを出した。


 スムーズな車線変更の後、フーガは喫茶店の少し狭い駐車場へと入って行った。


 狭い駐車場には車が三台しか止まっておらず、佐々木は一番奥の駐車枠へとバックで止めた。


「さあ着きました。お酒で無いのが残念ですが、私はまだこれから勤務なので、今夜はコーヒーで我慢して下さい」


 佐々木はにっこりと笑った。


 そしてエンジンを切りるとすぐさま車を降り、澱みない動きで助手席側に回り込んだ。


 素早く助手席のドアを開く。


 佐々木に促され、李は車を降りた。


 既に辺りは暗くなっている。


 やはりエアコンの効いた車内と違い、外はまだ噎せ返る様な暑さが続いていた。


 だが、空には久し振りに月や星が煌めいていた。


「今年の梅雨は本当に雨ばかりで嫌になりましたが、さすがに今日は晴れたお陰で月や星が綺麗に見えますな。梅雨の晴れ間の何とかってやつですかな?」


 佐々木は、雲が切れ久し振りに顔を出した月や星達を眺めて言った。


 佐々木の言葉に誘われ、李も夜空を仰いだ。


「雨ばかりだったので忘れていましたが、今夜は満月だったのですねえ……」


 佐々木は、何気ない表情でさらりと呟いた。


“!”


ーー今宵は満月か……。


ーーもしや……、イ、イカン!


 李は、ある事に気付き動揺した。


「済まん、そう言えば急用を思い出した! 悪いが茶はまた今度にしてくれ!」


 李は、今にも駆け出しそうな勢いで言った。


「ど、どうされたのですか急に?」


「いや用があったのを思い出しただけじゃ!」


 李は、答えるのも煩わしそうに駆け出した。


「老師、そこまで送ります。乗っていって下さい!」


 佐々木が、背中を見せる李を呼び止める!

「いや構わぬよ。幸いここからはすぐ近くじゃ!」


「しかし……」


「野暮は言いっこ無しじゃよ!」


 李は声を掛ける佐々木に振り向きもせず、左手の小指を立てて後ろ手に合図を送ると、今来た方角へ急ぎ走り去って行った。


 置き去りにされた佐々木は、李の姿が見えなくなるまで見送っていた。


 李の姿が建物の死角に入り見えなくなった時、佐々木はスーツの胸ポケットから携帯電話を取り出すと、慣れた手つきでボタンを操作しある番号を呼び出した。


 視線を李の向かった方角に向けながら、相手が電話に出るのを待った。


 すると間髪を置かず相手は電話に出た。


「はい、杉本です」


「佐々木だ。今何処に居る?」


 先程までとは打って変わって、佐々木の表情は固く、低いバリトンにも鉄の固さが篭っていた。


『はい。現在車で対象を尾行中です』


 電話の相手は何かに気を配りながら、押し殺した声で言った。


「不破はどうしている?」


『不破は徒歩で対象を追ってます』


「そうか……。相手は“武神”と呼ばれた御方だ。気を読む術は人知を超えておられる。幾ら注意しても足らぬくらいだぞ! 気を緩めずくれぐれも慎重にな。私もすぐに合流する」


 佐々木はぴしゃりと言った。


「はい、分かっています。しかし尾行の対象があの李老師だなんて、いったい何が目的なんですか?」


「今は俺にも言えん。正直尾行した先に何があるのか俺もしっかり分かってないんだ。だが責任は俺が取る。お前達は老師に気付かれぬ様、慎重に尾行しろ。分かったな!」


『分かりました。主任を信じます』


「すまん、頼んだぞ」


 そう言って佐々木は電話を切ると、急ぎフーガに乗り込んだ。


 再びエンジンを始動させる。


 シートベルトを“カチリ”と締め、ポケットから取り出したロングピースを口に咥え火を点けた。


 一息吸い込むと、紫煙を深くゆっくりと吐き出した。


「老師……」


 佐々木は“ぽつり”と呟くと、遠い目で窓の外を眺めた。


 望んでもいないのに、次々と湧き出てくる疑問や不安を打ち消す様に、口の端にロングピースを咥えたまま、佐々木は喫茶店の駐車場を後にした。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

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