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ショウは、これまでの話を全て十兵衛に語った。
「……これがその結果さ……」
失った右の手首を見せ付ける。
「ではお前の出会った『貴族』は、“御子神恭也”と言う名前だったのだな?」
十兵衛は、ショウの瞳の奥を覗き込み念を押した。
「そうだ、間違いない……」
ショウが言った。
まだ息遣いは多少荒いが、先程に比べれば随分落ち着いて来ている。
十兵衛によって貫かれた肩や太腿の傷も、決して痛みが引いた訳ではないが、出血は既に止まっていた。
やはり『屍鬼』とは言え、ヴァンパイアの再生能力には凄まじいものがある。
一方、十兵衛は困惑していた。
ーーショウの話に出て来た“御子神”と言う名の『貴族』は恭介ではなかった。
ーーだが苗字が同じな上、字は判らぬが、二人共名前に“キョウ”が付いている。
ーーどう考えても赤の他人とは考えにくい。
ーーならば恭介の子供か?
ーーしかも恭介は自分と同じ『生成り』で、条件さえ合えば子を成す事も可能だ。
ーー更にその“恭也”と言うヴァンパイアが『貴族』であったのなら、最早疑う余地が無い。
ーーだが、自分の知る限り恭介に子供が居たなど聞いた事も無い。
ーーしかし……。
十兵衛は思考の迷路に迷い込んでいた。
「何をそんなに悩む事があるんだ? その恭也って奴は裏切り者の息子に決まってるぜ!」
困惑気味の十兵衛を傍で見ていたショウは、見るに見兼ねた様子で言った。
その言葉が、迷路に迷い込んでいた十兵衛を現実の世界に引き戻した。
「それになあ、その恭也って奴は、まだ完全に覚醒しちゃいないようだ。だいたい自分が『貴族』だって事にすら気付いちゃいない様子だったぜ!」
「何だと!」
十兵衛の眉がぴくりと跳ね上がった。
「間違い無いぜ。俺達がヴァンパイアだって事にすら驚いていたくらいだからな」
十兵衛は驚愕した。
ーー果たしてそんな事があるのか?
ーーあるとすれば今までどうやって生き延びて来たと言うのだ?
ーー人間として生きて来たとでも言うのか?
ーーならば血は? どう摂取していたのだ? いや、まだ覚醒していないなら血を飲まぬ事にも確かに説明がつく。
ーーだが、幾ら何でもその歳まで、覚醒せずにいられる訳がない。
再び十兵衛は困惑していた。
それを見たショウは、ニヤリと下品た笑みを浮かべた。
「だからな、二人でそいつの血を戴かねえか?」
ショウは下品た笑みを唇に貼付けながら、したたかに言った。
「何だと!今何と言った?」
十兵衛の顔に怪訝そうな表情が浮かんだ。
「だ~か~らぁ~、その“恭也”ってガキの血を二人で分け合わねぇか? って言ってるんだよ」
「それはお前と手を組むって事か?」
「そうさ。幾らまだ完全に覚醒はしていなくても、奴は間違い無く『貴族』だ。恐らく奴の血液には、『貴族』としてのDNAや魔族の強い因子がたっぷりと詰まってるに違いねえ。それを飲めば、俺達は今よりもずっと強くなる」
「強く……、か……」
ショウは更に続けた。
「あんたは『生成り』だろ?なら幾らあんたが強くても『貴族』の魔力には勝てない。だが奴の血を飲めば、少なくとも『貴族』と同じレベルの能力を得られる筈だ」
「俺が『貴族』に……」
十兵衛は、少し酔った様な表情をした。
ーー掛かったな!
ショウは、心の中でほくそ笑んだ。
「あんたは今よりも更に強くなる。それに俺も 奴の血を飲めば、恐らくもう太陽を恐れずに済むし、パワーだって今よりもずっと増す筈だ! そうしてパワーの増した俺とあんたが手を組めば、偉そうにしてる闇御前の爺やその息子の光牙を倒し、奴らの金や権力を手に入れる事が出来る。この国のヴァンパイアの王になれるんだ! そうなりゃ人間共など問題にもならねえ。俺達は日本国の王になったも同然だ! どうだ、悪い話じゃないだろう?」
ショウは酔った様に……いや、実際自分の話に酔っていた。
「この国の王か……。面白い」
十兵衛もニヤリと笑った。
「だろ? もしも俺とあんたでこの国を取ったら、俺は大臣か何かで良い。だからあんたが王様だ! 国中のヴァンパイアや人間どもがあんたの足元に平伏すんだよ!」
ショウは、命が助かる為の策略を弄していた筈だったが、十兵衛の予想を超えた好反応に、いつしか自分自身が取り込まれてしまっていた。
「ふうん、確かに悪い話ではないな……。だが俺達がその“御子神”の小僧の血を飲んで強くなったからと言って、それだけじゃこの国は取れないぞ」
「俺達の社会は力が全てだ。そんな事はあんただって分かっているだろう。あの闇御前の爺や光牙さえ殺っちまえば、残った『貴族』は皆あんたに従うさ。それに『貴族』の半数はまだ眠ったままだ。そんな奴らは赤子の手を捻るより簡単な事だぜ。それになあ、俺達『屍鬼』は『貴族』の奴らに虐げられいつも不満を抱えてる。おまけにやれ協定だの、人間の生き血は飲んじゃいけねえだの、俺達ヴァンパイアから見たら、人間なんて所詮ただの餌でしかないんだ! だから俺達が蜂起すれば全ての『屍鬼』は俺達の側に付く。俺達がこの国の王になるのも夢じゃないぜ」
ショウは、興奮が押さえ切れず饒舌に語った。
「なるほどな、それはまんざら夢物語でもない様だな……」
十兵衛は、さも満足そうに下顎をつるりと撫で上げた。
「だがそれには一つ問題がある……」
十兵衛は、ショウの目前に屈み込み、息が掛かる程顔を近付けた。
ショウの心臓が“びくん”と跳ねた。
「な、何だ? 何が問題だと言うんだ?……」
ショウは、ドギマギしながら答えた。
「それは、お前が命欲しさに俺を謀ってはいないかと言う事だ」
十兵衛はニヤリと笑った。
いや、確かに口許は笑っているが、目の奥は笑っていない。
むしろ鋭い眼差しには、疑念の色が色濃く渦巻いている。
「そ、そんな事……。この期に及んであんたを騙そうなんてコレっぽっちも思っちゃいないぜ!」
ショウは慌てて首を振った。
「ならば証明して貰おうか……」
「しょ、証明だって? 何を一体……、どうやって証明すりゃあ良いんだ!」
「なあに簡単な事だ。その“御子神恭也”って小僧の居所さ。知ってるんだろう?」
十兵衛が、ショウの瞳の奥を覗き込む。
「ば、馬鹿な事を! 俺が奴の事を全て話した後、もしもあんたが俺を裏切ったらどうする? 奴の居所はその為の保険だ!」
ショウは、十兵衛に主導権を握られぬよう必死に抵抗した。
「お前の言う事も分からんじゃないが、俺とお前はパートナーになるんだろ? それなら奴の居所ぐらい教えたって構わないんじゃないのか? それとも今までの話は全部でっち上げだったのか?」
「う、嘘なんかじゃねえ! だが俺が奴の居場所を喋った後に、あんたが俺を殺すかも知れないし、例え殺さなくったってあんたは『生成り』だ! 俺が身動きの取れない昼間に奴を襲う可能性だってあるじゃないか! そうしないって保証が何処にあるんだよ!」
「保証? 俺がお前と組むと言う事は、今お前を見逃すって事なんだぜ。もしお前を見逃した後にお前が俺を騙していたと分かれば、俺は良い面の皮だ。それに俺が御前の勅命を無視したとなれば、今度は俺の身が危険になる。俺だけが損をするって言うのは俺の主義に反するんでな……」
十兵衛は、ショウの反論など気にも止めぬと言った様子で言葉を続けた……。
「それとも今までの話は無かった事にして、今ここでお前を討つ事も出来るんだぜ」
十兵衛は“ぞろり”と言い放った。
そして屈んだ姿勢のままで“典太”を上段に振り被る!
「わ、分かった! は、話す。話すよ!」
ショウは震えながら叫んだ。
「では話して貰おうか」
十兵衛は“典太”を振り被ったまま言った。
ショウは力無く頷いた。
「奴は……、“御子神恭也”は、この辺じゃ超が付く程の有名人で、駅前の飲み屋街でバウンサーのバイトをしているらしい」
「バウンサー?」
十兵衛は首を捻った。
「用心棒だよ。二年程前に横浜から引っ越して来たらしく、今じゃ学生やりながら裏では飲み屋やクラブの用心棒をしているらしい」
「学生で用心棒か。面白い男だな」
「ああ、中国拳法か何かやっているらしく、化け物みたいに喧嘩が強いらしい。ま、それは俺もこの目で見た事だが……」
「中国拳法を使うのか?」
「ああ。しかもかなりの腕前だ。さっきも言ったが、俺が眷属の一員に加えてやった村田って言う『屍鬼』と、まだ完全に覚醒し切ってもいないままで五分以上に渡り合っていたんだからな」
「ふうむ……。幾ら『貴族』とは言え、覚醒前に『屍鬼』と五分以上に渡り合えるとは恐ろしい小僧だな。それで今は何処に住んでいる? 通っている高校の名前は?」
十兵衛は矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「おっと、ここまで話したんだ。今それ以上は言えないな……」
ショウは首を振って答えた。
「そうか……、まあ致し方あるまい。それにここまで聞けば十分だ」
そう言うと、十兵衛は“典太”を上段に構えた姿勢のままで、その場に“すっく”と立ち上がった。
ショウに怯えの色が走った。
「な、何だ! 何だってんだ? あんたやっぱり俺を騙したのか!」
「騙した? まあそう言われれば確かにそうだな……」
「汚えぞ! 俺を殺して奴の血を独り占めする気か!」
ショウは怒気に顔を紅らげ叫んだ。
ショウから凄まじい妖気が迸しる。
だが、十兵衛はその暴風の様な妖気を、まるでそよ風の如く軽く受け流した。
「お前は三つ間違いを犯した……」
「間違いだと?」
「そうだ。一つ目は、お前が人間を餌だと言った事だ。先程も言ったが、確かに俺達は人間の血を飲まねば生きて行けぬ。だが無差別に…あの様なまだ年端も行かぬ子供まで殺しても良いと言う事にはならない。それに人間は種族が違う他者であって餌などでは断じてない。その為の約定であり法なのだ。それをお前は破り、我が眷属を危険に晒したのだ。そして二つ目は、俺はただの兵法者で、権力なぞ望んでもいない。それに御前は我が主君。それを害そうとする者は、俺が御前の剣となり切り伏せるのみ……。三つ目は、お前が裏切り者と罵っていた“御子神恭介”は、俺の最大の好敵手であり親友だった男だ! その友を、お前はその汚い口で罵ったのだ。その罪、己の血で償え!」
言い終えた瞬間、裂帛の気合いと共に、十兵衛は、神速の速さで“典太”をショウの頭上に振り下ろした。
“ザグッ!”
ショウは、頭頂部から下顎まで一刀の下に断ち割られ絶命した。
即死であった。
顔を真っ二つに断ち割られ、灰色の脳と血まみれの脳漿をドロリと溢れさせたショウは、左右に離れた目で、恨めしげに十兵衛を見上げていた。
「そう恨めしそうな目で見なさんな。言ったろう、俺は時代劇で言われる様な善人でもお人好しでもないってな」
十兵衛は、無表情にショウの屍を見下ろしていた。
その後、十兵衛が床に置いたままだった鞘を拾いに戻ろうとした次の瞬間、激しい炸裂音と共に部屋の廊下側のドアが粉々に吹き飛んだ!
十兵衛は、千切れ飛んだドアの破片を横に跳んで躱すと、片膝を着いた中腰のままの体勢で“典太”を中段に構え、吹き飛んだドアの方を注視した。
そこには、まるで岩と見紛う様な大男が、ドアの入口を塞ぐ様に仁王立ちで十兵衛をじっと見詰めていた。
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