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トンネルの中を、何人もの人間が忙しそうに行き来していた。
既に明け方の四時を回っている。
外は相変わらず雨が降っているが、暗いなりにも少しづつ夜が明け始めていた。
湿度は高く、相変わらず蒸し暑い。
トンネルの外にはパトランプを回転させた覆面パトカーが一台と、派手なメッキパーツを台無しにして、全て艶消しの黒一色に塗られたハマーH3が二台、同様に艶消しの黒色に塗り込められた護送用のバスが一台、更にはあまり見た事の無いまるで装甲車を思わせる黒い大型の特殊車輛が三台の計七台が止まっている。
覆面パトカーを除く全ての車輛には、白文字で『C.V.U』と描かれてあった。
トンネルから少し離れた駅前の通りでは、この雨の中制服の警官が立ち入り禁止の黄色いテープを貼りまくり、一般の車や通行人を足止めしている。
この時間では、野次馬もさすがにまだ数える程しか出ていない。
トンネルの両側二ヵ所の出入口には、アメリカの対テロ部隊やSWATが着る様な市街戦用の黒い戦闘服に身を包み、H&K・MP
5のサブマシンガンを肩から下げた二名づつの計四名が、出入口の両端に立って警護している。
それら隊員の黒いヘルメットや防弾ベストにも、白文字で『C.V.U』と描かれていた。
その他には、出入口で警護している隊員と同じ戦闘服の男達数人と、白いビニール素材で出来た対ウィルス用の化学防護服を頭からすっぽり被った者達数人が、忙しそうにトンネルの中を動き回っている。
晶子と村田の遺体は、現場での検証と硝酸銀注入等の再生防止処置を終え、今は遺体袋に入れられていた。
だが、恭也の姿は何処にも見当たらなかった。
部隊が到着する前に、恭也の身柄は別の場所に運んだのである。
電話で頼んだ男が、恭也の身柄を別の場所に運んだ後で老人がこの部隊に連絡を入れたのだ。
部隊は、到着次第様々な機械や薬品を用いての検査や検証を行い、老人にも詳細な事情聴取を行った。
老人は、恭也の事以外はある程度正直に語ったが、どうしても恭也の事を隠すには矛盾が生じる為に、作り話を交えて説明する他無かった。
最も詳しい事の顛末は、老人自身も見ていないので、殆どは何も分からないままであったが……。
逃亡したヴァンパイア=ショウは、この部隊とは別の部隊が捜索に当たる事となったが、時間の経った今となっては見付からぬ公算が大だった。
「よし、後はここを洗浄及び消毒して総員引き上げるぞ!」
戦闘服や化学防護服を着た者達の中で、数少ないスーツ姿の一人が、大声で指示を出した。
低いバリトンがトンネル内に響き渡る。
男は、四十代の初めと言った所だろうか。
この蒸し暑い中でも黒いダブルのスーツをピシッと着込み、アイロンがキチッと当たった白のカッターシャツに小紋の入った黒いネクタイをしている。
髪は短く角刈りにし、エラの張った四角い顔をしていた。
浅黒い肌に、細く剃刀の様な一重瞼の目と、頬から顎に掛けて伸びる長い古傷が、この男の武骨さを物語っていた。
どう見ても尋常な職業には見えない。
異様に迫力を持つた男だった。
どうやらこの男が部隊のリーダーのようで、先程から隊員達の報告を受けたり指示を出したりしている。
老人の事情聴取をしたのもこの男だ。
老人は、この厳つい男の隣りに立っていた。
男の身長は一八十センチ近くあり、老人とはかなりの身長差がある。
体格も立派で、分厚く鍛え上げられた筋肉を有している事は、スーツの上からでも明らかだった。
隙の無い所作はこの男の常であるらしく、かなり武術を修練した独特のものだ。
また、いつもそうした危険や緊張の中に身を置いている証しなのだろう。
「今夜は本当にありがとうございました。私の勝手なお願いから老師をこんな目に合わせてしまい……。何とお詫びして良いやら……」
男は、大きな身体に似合わず申し訳無さそうに深く頭を下げた。
「いや、気にせずとも良いて……。だいたい儂が勝手にした事じゃ。それに何より、吸血鬼を一匹取り逃がし、申し訳無いのは儂の方じゃよ」
老人が言った。
「いえ、そんな事はありません。しかし老師程の方が取り逃がすなど、そのヴァンパイアはかなりの手練ですな」
「いやもうそれだけ儂が歳を取ったと言う事じゃよ。年寄りの冷や水とはこの事じゃの……ファッハハハ」
「またそんな事をおっしゃる。ヴァンパイア一匹処理するのに、我々なら完全武装した三個分隊は必要なのですよ。それをたったお一人で、しかも銃火器も無く奴らと対等に渡り合えるのは、世界広しと言えど御山の三儀天か老師位のものです」
「御山か……、そう言えば久しく顔を出しておらんのう……」
老人は、遠い目をして呟く様に言った。
「そう言えば、先日慈海阿闍梨様が、三儀天の円角殿と共に、本部にお見えになってましたよ」
「ほう、慈海が……」
「はい、近くまで所用で来たからと……。その時に老師の事を話してみえました」
「何じゃ? また儂の悪口でも言っておったのじゃろう?」
「いえそんな……。ただ最近御山に顔も出さぬと嘆いておられました」
「ふん、自分も会いに来ぬ癖に良く言うわ! じゃが他には何か言うておらなんだか?」
「さすがは老師、相変わらず勘が鋭いですな。実は或る件で老師お話ししたい事があると仰せでした」
男は、急に声のトーンを落とし、真面目な顔付きで言った。
「何じゃ? 慈海が儂にわざわざ話があるとは……?」
老人も、先程までの笑顔とは違い神妙な面持ちで言った。
「最近、ヴァンパイア達の統制が弛んでいるのはご存知ですよね……」
「ああ知っておる。それはお前さんも危惧しておったでは無いか」
「はい。ですがどうやらそれとは別に、何やら近々奴らに大きな動きがあるらしいとの事で……」
「何じゃと? 大きな動きとな! それは具体的にどう言った物だと慈海は言うておったのじゃ?」
「さあ? 私にはそこまで詳しくはお話になりませんでした。ただ、この国を根底から揺るがす事になるやも知れぬと……」
「むう……。今は想像も付かぬが、そこまで言うからには余程の事なのじゃろう……。しかしお前さんにも内容を話さぬとはいったい……?」
「阿闍梨様は事の真偽と詳細が分かり次第、我々は勿論総理にも話さねばならぬとおっしゃっておいででした」
「ふむ。それで儂に話があると言うのじゃな?」
「はい」
「分かった。ならば近い内に御山へ出向くとしよう」
「宜しくお願いします」
男は頭を下げた。
二人が話してる間にも、トンネル内の洗浄と消毒の作業は終わりを迎えていた。
壁や地面に残された夥しい量の血痕も特殊な洗浄剤で洗い流され、防護服の男達が数人係りでホースになった噴霧器を使い、霧状の消毒液をそこらじゅうに撒いている。
トンネル内に、鼻を突く様な消毒液とニンニクの香りが広がった。
かなり醜悪な匂いだ。
これは抗ヴァンパイアウィルス用の特殊消毒液で、中性だが強力な殺菌作用を持つ消毒液に、少量の硝酸銀とニンニクの成分、更には人間には無害な特殊ウィルスを化合した消毒液なのである。
見れば、いつの間にか晶子と村田の遺体もトンネル内から運び出されて、装甲車に似た大型の特殊車輛に収納されていた。
この特殊車輛は、ヴァンパイアの生死を問わず安全にヴァンパイアの移送する為に設計された車輛らしい。
「老師はこれからどうされるおつもりですか? もし宜しければ我々と車にご同乗戴き、その後少し早いですがご一緒に朝食でも……」
男は言った。
しかし老人は首を横に振った。
「いや、この近くに知人がおってのう。今夜はそこに厄介になる約束をしておったから、こんな時間じゃが行ってみるわい」
老人は嘘を言った。
「こんな時間に大丈夫なのですか?」
「儂と同じジジイじゃから朝は早いんじゃよ」
「分かりました。ではそこまでお送りしましょう」
「いや、それも結構。ここから歩いてもすぐじゃし、コンビニで買い物もして行きたいからの!」
「そうですか。では雨も降っていますのでくれぐれもお気を付け下さい。今夜は本当にありがとうございました。事後の報告は追って致しますので、またご連絡致します」
そう言って男は再び頭を下げた。
すると防護服の男が、計った様に男の下に駆け寄り、作業の終了を報告した。
男は頷くと、右手を高く上げて合図した。
「撤収!」
男が叫ぶと、防護服や戦闘服の隊員が足早にトンネル内を出てそれぞれの車に乗車した。
男は老人に再度深々と頭を下げ、艶消しの黒いハマーに乗り込んだ。
各車共けたたましいエンジン音を轟かせて、雨の中を走り去って行った。
老人は、一人トンネル内に残された。
エンジン音が徐々に遠ざかり、トンネル内には雨音のみが届いてくる。
「さて……、儂も行こうかの……」
老人は溜め息混じりにそう洩らすと、雨の降る外へとゆっくり歩き出した。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。