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佐々木は、慈海と『C・V・U』実働部隊の隊長を務める男、並びに小角・大角の五人で打ち合わせをしている最中であった。
まだ午後の六時であるにも関わらず、この天候の為にかなり薄暗くなっている。
降ったり止んだりを繰り返していた雨は、つい一時間程前から上がっていた。
西から天気は回復に向かっている筈なのだが、この辺りは標高が高い為に山が壁となり、未だ雨雲が停滞している。
その為湿度は高く、そこにいる全員の気持ちを重くしていた。
先程和歌山県警の部長の報告にもあったように、高野山へ参拝に来た参拝客や宿泊客等の一般人、更には付近に店や住居を構える住民達も、この不安定な天気の中滞りなく避難を終了していた。
期待と言うより、どうしても暗くなる前に避難を完了させなければならない責任と義務があったのだが、これ程迅速かつ適切に事が進むとは、流石の佐々木も予想以上の成果であった。
これも久保の尽力や水野達の綿密な計画の立案、更には和歌山県警並びに座主や慈海達高野山の協力があったればこそだ。
佐々木は、心から感謝した。
未だ主要道路を固める和歌山県警の警らから、不審者や不審車両の報告は無い。
御山の各所に配された僧達からも、そう言った報告は受けていなかった。
「只今、各部隊の配置完了しました。主要道路で検問及び封鎖していた警らに危険が及ばぬよう、この後は検問箇所の範囲を広げ、国道370号線・371号線・480号線など主要幹線道路に限定しました。 その代わり金剛峯寺を中心とする半径約6キロ圏内の国道370号線・371号線・480号線や県道733号線・733号線、並びに地方道には、『C・V・U』の隊員数名と現場捜査官を組ませてバリケードを張り封鎖に当たらせます」
部隊の隊長を務める男が言った。
「分かった。急いでやってくれ! 日が暮れれば、いつ奴等が襲って来るか分からん」
佐々木は、厳しい表情で男に命じた。
「了解しました!」
男が、姿勢を正し佐々木や慈海達に敬礼した。
佐々木も敬礼で応じ、慈海達は頭を下げて一礼する。
男は、敬礼を直るとキビキビとした動きで背を向け、その場を足早に立ち去った。
「やはり問題は山中ですな……」
男の背中を見詰める佐々木に、慈海は手に持っていた地図に目を落としながら言った。
小角や大角も、深刻な表情で地図を見詰めている。
「はい……」
佐々木も深刻な表情で応えた。
そうなのだ。
この高野山は、入山出来る道路は限られており、山が自然の城塞になっているので一見すると護り易く思えるが、逆に護る範囲が広大である為に極めて護り難い場所と言えた。
大規模な機動部隊を送り込む事は難しいが、ヴァンパイアの様な一騎当千とも言える戦闘力を有した固体が、少数精鋭の部隊を組み密かに山側から侵入されれば防ぎようがない。
確かにその点結界は、ヴァンパイアに対しては有効な防衛策と言えるが、そうなって来るとあのゾンビ部隊の存在が厄介だ。
ゾンビ部隊は、過去自分が所属していた陸上自衛隊の特殊部隊の中でも、選りすぐりの精鋭のみを集められたエリート部隊だ。
彼等なら、重たい銃火器や装備をものともせず、警備の薄い御山の外縁からでも徒歩で登って来るに違いない。
またその様なまどろっこしい真似をしなくとも、何れかの国道や県道の検問や封鎖線を突破し、我々の部隊が応援に駆け付ける前に山中へと逃れれば、最早追撃も叶わずに最終防衛線である此処で迎撃戦を展開しなくてはならなくなる。
その場合、彼等が何処から現れるか目標が定め難くなるだけでなく、最初に彼等が81mm迫撃砲や84mmのカール・グスタフで砲撃戦を仕掛けて来れば、我が方の犠牲は計り知れない。
それに潜入と爆破のプロである彼等なら、山から潜入して密かに各要所に爆弾を仕掛ける事ぐらい朝飯前だ。
そして結界が破られれば、次に来る本命のヴァンパイアの部隊の侵入を阻止する事など最早不可能だろう。
退魔僧の部隊も、こうした近代戦に対する訓練は受けていない為に、ゾンビ部隊に対しては無力に等しい。
しかも一度銃撃や砲撃でパニックに陥ってしまったら、いざと言う時にヴァンパイアに対してもその力を存分に発揮する事が出来なくなってしまう。
佐々木は、深刻な表情のまま黙り込んでしまっていた。
慈海達も、戦闘のプロである佐々木が、これ程までに悩む深刻な事態である事を理解していた為、誰も口を開く者はいなかった。
佐々木達の周りでは、黒い戦闘服に同じく黒のフィリップヘルメットや防弾ベストを身に付け、H&K・MP5や5・56mm機関銃MINIMIを持った『C・V・U』の隊員達が、分隊毎に駆け足で動き回っている。
また黒い僧衣に力襷をした僧兵も、各々の配置場所へと急いでいた。
この僧兵達が、様々な武術と法力を身に付けた高野山最強の退魔僧である。
黒い僧衣の下には、編み目の細かい鎖帷子を着込み、更に僧衣の上には剣道等で着用する胴に似たタイプの防具を身に付けていた。
この防具は、強靭な鋼の板を胴当ての形に整形し、その上に牛革を貼り、更にその上に黒の漆を幾重にも塗り固めた物で、剣道の胴との違いは、剣道の胴が前面と脇腹を覆うだけなのに対し、この防具は前面と背面を防御出来る様に、革紐で前と後ろを右脇腹の位置で引き合わせる様に出来ている。
しかも形こそ剣道の胴に似ているが、動き易さを重視している為に、胴と言うより胸から鳩尾の辺りまでをカバーしているだけの物だ。
また両肩と両膝部分にも、鉄板に革を貼り漆を幾重にも塗り固めた肩当てや膝当て、脛当てが取り付けられていた。
手にしている武器は、錫杖・刀・槍・薙刀・弓、それに先が剣や槍の形状をした金剛三鈷杵や独鈷杵等様々だ。
各々が得意とする武器を持っているのだろうが、これでは個人戦ならともかく、集団戦にはあまり向いているとは言えない。
これでは、体術を用いての格闘戦技や接近戦に於いては、常人離れした凄まじい能力を持つ退魔僧も、“飛び道具”が少ない時点で銃や砲撃戦を仕掛けて来るゾンビ部隊の敵ではないだろう。
しかもゾンビ部隊の隊長は、あの権藤だ。
佐々木は、今朝から考えて続けていた非情の策を実行に移す覚悟を決めた。
「阿闍梨様、この御山を灰塵と化す覚悟はおありでしょうか……?」
佐々木は、真剣な眼差しで言った。
“!?”
“!?”
「……」
小角と大角は、驚きのあまり息を飲んだ。
慈海は、厳しい表情で無言のまま佐々木の目を見詰めている。
四人を取り巻く空気が凍り付いた様だ。
暫しの沈黙の後、慈海がゆっくりと口を開いた。
「それは、どう言う意味ですかな……?」
慈海は、沸き上がる感情を殊更圧し殺しす様に、低く訊ねた。
佐々木も、厳しい表情のまま、慈海の圧力を正面から受け止める。
「申し上げ難い事ですが、残念ながら今の戦力では、高野山全てを護りきる事は不可能です……」
“!?”
“!?”
再び小角と大角の二人は息を飲んだ。
「……」
慈海も押し黙っている。
「つまり今の戦力では、御山全体を護るには数が少なすぎると申し上げているのです。しかも敵が、先程のゾンビ部隊の様な“人間”のみで編成された戦闘のプロの集団であった場合、今張られている結界は効力がありません。しかも銃撃や砲撃による攻撃を仕掛けて来た場合、非礼な言い方ながら御山の退魔僧の方々では防ぐ事は難しいと言わざるを得ません。そうなった場合、『C・V・U』の部隊だけで御山全体を護るには、如何にも戦力不足です」
「……」
「……」
「……」
慈海達は、反論出来なかった。
幾ら退魔僧が、超人的な武術や法力を持っていても、銃撃や砲撃による戦闘に関しては素人同然な上に、対抗出来る武器も無い。
人海戦術で対抗すれば、最終的には敵の殲滅も可能だろうが、それでは多大な犠牲を払うだけでなく今後吸血鬼との戦いを続けて行くのは絶望的だ。
それが分かるからこそ、佐々木の言い分に対して反論出来なかったのである。
佐々木は、慈海達の反応を確認した上で更に話を続けた。
「それでこの際護る対象を、この結界を張っている法力僧達がおられる金剛峯寺と、真の八咫鏡が奉られている奥の院の二ヶ所だけに絞るのです」
「何と……」
「そ、そんな……」
小角と大角の二人が、ほぼ同時に声を上げた。
その表情には、驚きと言うより、憤りの色が濃く浮かんでいる。
慈海は、変わらぬ厳しい視線を佐々木に向けていた。
「では佐々木殿は、この高野山に滅べと仰るのか?」
慈海が厳しい表情のままで訊ねた。
「今は、真の八咫鏡と座主様を護る事が一番大事な事の筈です。それならば護る範囲を限定し、そこに全戦力を集中すれば、ゾンビ部隊だろうがヴァンパイアだろうが、絶対的な戦力差を持って有利に戦闘を行う事が出来る筈です。ただその場合、奴等は我々の戦力を分断する為に、陽動作戦として他の寺院を破壊するでしょう。その陽動に乗せられない事が、この戦闘に勝利する為の鍵だと思われます」
「ふむ…………」
慈海は、息を吐いた。
眉間に深い皺を寄せ、佐々木の言葉を反芻する様に思案を巡らせている。
「せめて……、せめて重要な建物や、仏像だけでも警護する事は出来ませんか?」
思い余った小角が、すがる様に訊ねた。
「残念ながら、それは無理だと言う他はありません。今一番の問題は、我々が高野山全てを護ろうとする事で戦力が分散してしまう事です。戦力が分散すれば、敵に各個撃破される可能性が高まり、引いては肝心の真の八咫鏡を護る事が出来なくなってしまいます。この高野山全てが皆さんにとって、いやこの国に取っても重要である事は理解していますが、真の八咫鏡を奪われれば、この国に暮らす全ての人の生命に危険が及ぶのです。それに非礼を承知で申し上げますが、建物や仏像はまた再建する事が出来ます。ですが、この国に暮らす人々は勿論、この高野山を護る為に失われる命は二度と戻らないのです。信仰とは、建物や仏像に帰依する物ではなく、それぞれの人の心の中にある御仏に帰依する物ではないでしょうか……」
佐々木は、精一杯の言葉を尽くした。
「坊主に説教ですかな?」
そう言って、慈海は悪戯な視線を佐々木に向けた。
「い、いえ……、そんな説教などと……」
佐々木が慌てる。
「冗談です。佐々木殿の言われる通りにいたしましょう。私は、永く修行して来たつもりでしたが、あの助平ジジイの周礼が言うように、まだまだ悟りを開くには遠そうですな。いっそ佐々木殿の方が、余程御仏に通じるお心をお持ちのようだ。三儀天だの阿闍梨だのとおだてられる内に、すっかり権威主義に陥っていた様です」
慈海が、悟った様な良い笑顔を見せる。
「阿闍梨様!」
「慈海阿闍梨!」
また口々に小角達が声を上げた。
「良いのだ。佐々木殿の仰る通りだ。人の命より尊い物は無い。例え歴史ある建物や仏像を失おうと、御仏は我らの心の内におられる。かつて御大師様が、この地に高野山を開かれたのも、全てこの国の安寧と人々を救う為だ。それを弟子である我らが疎かにしては、御大師様だけでなく、御仏の御心にも背く事になる。この事は、座主様も快く御納得されるであろう。今我らがすべき事は、真の八咫鏡と座主様の御命、そして御仏の教えを護る事だ。分かるな、小角、大角……」
慈海は、穏やかな口調で二人を諭す様に言った。
「分かりました」
「慈海阿闍梨の御判断に従います」
そう言って二人は、慈海に頭を下げた。
「そう言う事ですので、佐々木殿は、早急に金剛峯寺と奥の院を警護する為の配置や作戦を御指示下され」
慈海の瞳に、再び生き生きとした精気が蘇ってくる。
何処か悟りを開いた様な、清々しさすら感じる程だ。
そしてそれは、小角達も同じであった。
「では、今バラバラに配置されている全ての退魔僧に、金剛峯寺に集まるよう指示を出して下さい。そこで退魔僧の部隊を二分し、金剛峯寺で結界を張っている法力僧を護る部隊と、奥の院で真の八咫鏡を護る部隊を別けて下さい」
佐々木は、慈海達にてきぱきと指示を出した。
「分かりました。それで『C・V・U』の皆様はどの様に配置されるおつもりですか?」
慈海が訊ねる。
「国道や県道で検問や封鎖を行っている者達は、応援に来た現場捜査官のみを残し、実働部隊の隊員は全員呼び戻し、金剛峯寺と奥の院周辺の警護に当たらせます。残った現場捜査官も、奴等の目に触れぬ様に身を潜ませ、敵の通過時の報告だけをさせるよう徹底させます。これで敵が何処から来ようが、我々が奴等の陽動にさえ乗らなければ、奴等は真の八咫鏡を手に入れる為に最終的に奥の院まで来るしかありません」
そう言って佐々木は、慈海達に同意を求めるべく三人に視線を送った。
「確かにその通り」
慈海が同意して頷く。
それを聴いて佐々木も頷くと、更に話を続けた。
「そこで我々は、まず金剛峯寺と法力僧を死守する為に、この辺りに第一次防衛ラインを敷きます。これによりヴァンパイアの部隊の襲撃を阻止出来れば、後はゾンビ部隊だけです。金剛峯寺と奥の院を中心に二つの強固な防衛ラインを張り、ゾンビ部隊の襲撃に備えます。ゾンビ部隊の隊員はおよそ十五人前後、退魔僧の御力もお借り出来れば、彼我の戦力差は圧倒的な物と言えましょう。我々が法力僧を護り切れば、後から来るヴァンパイアの本体は、強力な結界により侵入する事は出来ません」
佐々木は、広げた地図を指で指し示しながら言った。
「なる程……。つまり奥の院を護る一方で、金剛峯寺の法力僧を護り切る事が出来れば、座主様や真の八咫鏡を護る事に繋がる訳ですな。確かに理に叶っている」
慈海が深く頷いた。
「更に小角殿が、御山の内通者を倒された事で、内側からの情報漏洩や破壊工作の心配は無くなりました」
そう言って佐々木は、小角に目を遣った。
先程慈海からの報告で、小角の倒した内通者が、元三儀天の一人で小角の師匠であった事を耳にしていたからだ。
小角は、悲痛な表情を浮かべていた。
やはり慈海も、かつての三儀天の同志が内通者であった事と、そしてその浄玄が死亡した事実を重く受け止めている様であった。
「では座主様には、速やかに金剛峯寺から奥の院へ移動されますよう御伝え下さい。そして退魔僧の方々には、一度金剛峯寺に集結するよう伝えて下さい。私は、『C・V・U』の全隊員に早速指示を出します」
佐々木は、焦る気持ちを落ち着かせながら言った。
「小角、大角、急ぎ皆にこの事を伝えよ!私は、座主様にこの事を報告し、急ぎ奥の院へお移り頂くよう進言してくる。急げ!」
慈海が力強く命じると、二人は急いで駆け出して行った。
「では私も、座主様の所へ行ってきます。奥の院でお会いしましょう」
そう言って慈海も、強い決意と覚悟を胸に座主の居る金剛峯寺へと向かった。
佐々木は、無線機のレシーバーを握り、厚い雨雲が覆う空をふと見上げる。
夜は、足音を忍ばせ直ぐそこまで迫っていた。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。