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「しょ、晶子じゃねえか!?」
俺は、驚きのあまりその場で固まってしまった。
「恭也……くん……」
晶子は、気まずそうに目を伏せた。
「ふうん、やっぱり知り合いだったんだな」
黒ずくめの男はニヤニヤと笑って言った。
「誰だ? テメエ」
俺は、男を睨み付ける。
「俺の名はショウ……」
黒ずくめの男が言った。
「さっき村田が君に電話をしてから、どうも晶子の様子がおかしいとは思っていたんだが、全く世間は狭いものだな」
ショウは、隣りで気まずそうに目を伏せている晶子の方へちらりと目を向けた。
「晶子、どうしてお前がここに……」
俺が話し掛けても、晶子は目を伏せたまま合わそうとしない。
「お前、こいつらの仲間なのか?」
「わ、私……」
晶子は言い淀んだ。
「言い難いなら俺が言ってやろう。そうだ、この女は、我々夜の眷属の一員になったのだ。もう貴様ごとき下等な人間の仲間では無い!」
俺は怒りに震えた。
「テメエーッ! テメエが晶子やこの村田をヴァンパイアに変えたのか?」
「その通りだ」
「何故、何故だ! 何故晶子を!」
俺は、激しく首を振って叫んだ。
晶子の表情が更に沈む。
「愚かな事を聞く……。生きる為だよ。お前達人間が、他の生き物を食べるのに理由があるか?我々ヴァンパイアも飢え、渇く。だから血を飲む。当然じゃないか」
「くっ……」
俺は言葉に詰まった。
「だいたいこの村田は、自分から懇願したのだよ。ヴァンパイアにしてくれと。何故だか分かるか?」
満身創痍の村田に目をやると、耳が聞こえないのに拘らず、村田は憎悪の籠った視線を俺に向けていた。
「お前に復讐する為だよ」
ショウは言った。
「なっ……、馬鹿な……」
俺は、一言洩らすのが精一杯だった。
「この晶子は違うが、村田は自分の意思で我々の眷属となったのだ。そんな事より、御子神恭也だったかな? 一つ聞きたい事がある」
「何だ?」
「たかが人間の分際で、例え成りたてとは言え、ヴァンパイアとなった村田をここまで追い込むとは、貴様まさかハンターか?」
「ハンター? 何の事だ?」
「そうか、ハンターでは無いのか……。ならば尚更素晴らしい。どうだ? お前も我々の仲間にならないか?」
「何だと! 俺にテメエらの様なヴァンパイアに成れって言うのか?」
「どうだ? その強さが更に増すんだぞ。それにその若さのまま永遠に生きられるのだ。悪い話ではあるまい」
「馬鹿言え、俺は別にこれ以上強くならなくたって構わねえし、永遠の命なんてまっぴらゴメンだ。それに、何より俺は、仲間だとか誰かとつるむってのは大嫌いなんだよ!」
「愚かな……。我々の眷属の一員となれば、警察もヤクザも誰も恐れる事無く、何でも好きな事が出来るのだぞ!」
「余計なお世話だ! それに俺は別に何んも怖えモンなんて無えし、今のままで十分自由だ。それに……、それにテメエだけは許さねえ!」
俺は、再び気を練った。
ショウは、涼しい顔で俺の気を受け流していやがる。
「全く馬鹿な奴だ。せっかくのチャンスを……。お前が仲間になると言うなら、そこの村田を処分してやっても良いと思ったんだがな……」
ショウはさらりと言って退けた。
その表情には毛程の感情も無え。
晶子は息を飲んだ。
だが村田には何も聞こえていない。
「テメエ、村田は使い捨てか?」
「くくく、その男はこの晶子の渇きを潤す為に我々の眷属に誘ったのだ。本当はただ血を貰うだけでも良かったんだが、餌が暴れると初めての晶子には少々大変だからな……。それに、血を吸った後でゾンビになられても後々面倒だからヴァンパイアにしてやっただけの事。代わりに良い駒が手に入るのなら、余計な駒は捨てるに限る」
ショウは、冷徹そのものに言った。
「じゃあ晶子も使い捨てか!?」
思わず俺は叫んだ!
晶子の身体が“びくん”と震える。
晶子は、恐る恐るショウの顔を見上げた。
ショウの表情は変わらない。
「大丈夫だよ。晶子は村田とは違う。俺はお前を使い捨て何んかにはしないよ」
ショウは感情の無い顔で言った。
本心が分からない。
晶子は喜んで良いのか悪いのか分からず、引き吊った笑みを浮かべた。
晶子は、ヴァンパイアに成ってしまった。
もう後戻りは出来ない。
幾らショウが自分をヴァンパイアにした憎い男であっても、もう縋って生きて行く他に選択肢は無い。
晶子はそれを自覚している筈だ。
無言の晶子の表情から、俺にもその気持ちが痛い程分かった。
「テメエだけは許さねえぞ!」
俺は、煮えたぎる憎悪を、吐き出す様に叫んだ。
「そう熱くなるな。俺を拒否した以上、お前はもう不要な存在だ。口封じの為にもお前には今ここで死んで貰う。俺が処分してやっても良いのだが、お前は村田の獲物だからな」
そう言うとショウは、隣りに立つ晶子を肘で突ついた。
晶子は、“ハッ”として手に持っていたカゴ風のバックから、何やら化学の実験で使う試験管の様なガラスの瓶を二本取り出した。
どうやら本物の試験管にコルクの栓がしてあるらしい。
見ると、透明な瓶の中にはどろりとした赤黒い液体が入っていた。
それを見た瞬間、俺はそれが何であるのかすぐに理解した。
血だ!
何の生き物の血かは見ただけでは分からないが、相手はヴァンパイアだ。
それが人間の血であろう事は聞くまでもなかった。
ショウは、村田に視線を送った。
村田はフラつく身体をコンクリートの壁に預け、耳こそ聞こえないがショウや晶子をじっと見詰めていた。
その村田に歓喜の表情が浮かぶ。
ショウは、村田と視線を合わせ何やらアイコンタクトを取ると、晶子から受け取った二本の試験管を一本づつ投げた。
村田は、フラつきながらも何とか二本共無事にキャッチした。
村田は、徐に試験管のコルクを抜き取り、自らの血で紅く染まった口を大きく開けると、試験管の中のドロリとした液体を一気に流し込んだ。
あっと言う間に二本の試験管が空になった 。
「テメエ……、いったい何を……」
俺は、ショウと村田を交互に見詰めた。
「見ていれば分かる……」
ショウが言った。
見ると、村田に変化が生じていた。
村田の全身が震えている。
最初は小刻みに、そして徐々に震えが大きくなって行く。
村田の目が裏返った。
裏返った白目が、血の色で紅く染まって行く。
その間にも、村田の震えはピークを迎えていた。
身体が一回り大きくなった様だ。
ただでさえも瘤の様な筋肉が、今ははち切れそうな程張っているのが見ているだけで分かる。
次の瞬間、潰した筈の喉が、“ぼこっ”と膨れ上がった。
再生した喉仏が上下に動く。
「グルルルル……」
何と、喉を潰されて声を出せなかった筈の村田が、飢えた獣の様に喉を鳴らした。
何と言う再生能力だ……。
「グオーッ!」
村田が吠えた。
コンクリートの壁がビリビリと震える。
トンでもねえ殺気だ。
こんな気は、今まで感じた事が無え。
村田は、その膨れ上がった身体を歓喜に震わせた。
大きく開いた口から、二本の長く伸びた犬歯が見て取れる。
口の端には泡を溜めていた。
不意に、裏返っていた目が元に戻る。
白目の部分を紅く充血させたまま、不気味に小さくなった黒目が、“ギロリ”と俺を睨んだ。
村田の眼は憎悪に満ちていた。
どうやら完全に復活しちまった様だ。
いや、パワーも妖気も先程より圧倒的に増している。
恐らく再生した喉仏と同じ様に、蹴り潰された睾丸も、破られた鼓膜も再生しているに違いねえ。
「ミ~コ~ガ~ミーッ」
村田が唸る様に言った。
「どうだい? 気分は……」
ショウが声を掛けた。
「あっ、ああ……助かったぜ……」
村田は口許に付いた泡を太い腕で拭うと、罰の悪そうな表情でショウに視線を向けた。
「村田……、幾らその男が想像異常に強いとは言え、たかが人間に…不様だぞ!」
ショウは冷酷な色を浮かべて言い放った。
「す、すまない……。少し油断しただけだ。今度は、今度は必ず殺すから……」
村田は少し怯えながら言った。
「ならさっさと始末しろよ。今度は油断するなよ」
ショウが強い口調で戟を飛ばす。
「分かってます」
村田は短くそう応えると、再び俺に視線を戻した。
「御子神~、さっきは油断したが、今度はそうは行かないぜ!」
村田は少し腰を落とした。
「まっ、待て! そいつは、そのショウって奴はお前の事を……」
「殺す!」
先程ショウが言った事を村田に伝えようとしたが、村田は最後まで聞かなかった。
村田は、凄まじい形相で俺に襲い掛かってきた。
「チィィィィッ!」
俺も、咄嗟に腰を落とし身構えた。
しかし復活した村田のスピードは、俺の想像を超えていた。
村田が駆け寄り様に鋭いパンチを放つ!
ーー躱せねえ!
村田のパンチを躱せぬと判断した俺は、反射的に両腕を交差し顔面をガードした。
村田のパンチがガードした腕に当たる!
爆発した様なショックが腕に響いた!
“ビキィッ”
前にしていた方の腕にヒビが入って様だ。
ただ振り回す様に放ったパンチだったが、ヴァンパイアのスピードと威力は想像を超えていた。
更に村田は、ガードしているにも構わず、再びパンチを繰り出してきやがった。
“バキィィッ”
ヒビの入った腕が嫌な音を立てる!
ーーチッ、折れたか……。
俺は、ガードした腕ごと後ろに弾け飛んだ。
村田が、一気に間合いを詰め、下からボディブローを突き上げた。
必死でブロックしようとしたが、村田のパンチの方が速い!
折れた腕のせいで、思うように反応出来ねえ!
「グエェェッ」
村田のパンチが腹部に突き刺さった!
俺は“くの字”身体を折り曲げ、赤い吐瀉物を地面に撒き散らした。
ーー肋骨をやられたか……。
村田が拳を引き抜くと、俺の身体は支えを失って地面に倒れそうになった。
しかし、村田はそれを許さなかった。
倒れる寸前に、俺の頭をまるで猛禽類の様に鷲掴みにして、そのまま自分の顔の位置まで持ち上げた。
顔には、満足そうな笑みの色を浮かべてやがる。
「惨めだなあ、御子神。あの自信満々な態度はどうした? ええっ、何とか言ってみろよ」
村田が、勝ち誇るように言った。
“今だ!”
俺は、 村田の一瞬の隙を突いて、指で奴の右目を抉ってやった!
「ギャーッ!」
村田は、凄まじい絶叫を上げた。
俺の頭から手を離し、右目を手で押さえ苦痛に呻いている。
俺は、その場に崩れ落ちた。
今が千載一遇のチャンスなんだろうが、もう反撃する力なんて残っちゃいねえ。
ただ地面で身体を折り曲げたまま、苦痛に呻く事しか出来なかった。
「貴様ー!」
怒り狂った村田の叫び声が聞こえたが、もう見上げる事すら出来ねえ。
すると突然、目の前に村田のデカイブーツの先が迫ってきた。
“ゴフッ!”
鋭い蹴りを喰らい、俺はサッカーボールの様に蹴り飛ばされ壁に激突した。
“!”
あまりの衝撃と激痛に声も出ない。
村田は、狂った様に何度も蹴った。
今度は、壁がある為に吹き飛ぶ事も無い。
何度も蹴られ、俺の身体が壁にめり込んで行く。
ーーくっ……そう……。
意識が遠退いていく……。
ーーこりゃあ死ぬ……かな……。
俺は、薄れていく意識の中で、死を覚悟した。
「もう止めてー!」
その時、晶子が悲鳴に近い叫び声が聞こえた。
力を振り絞って目を開けると、晶子が狂った様に蹴り続ける村田の身体に飛び付いた。
「晶子!」
ショウが叫んだ。
しかし晶子は止めない。
「もう、もう止めて!」
晶子は泣き叫びながら村田にしがみついていた。
「離せー!」
村田は、しがみつく晶子を力づくで引き離した。
「オンナー! 邪魔をするなー!」
村田は、バックハンドで晶子の頬を殴った。
殴られた晶子が向こう側の壁に激突する。
「しょ……晶……子……」
俺は、必死で晶子の名前を呼んだが、最早蚊の鳴く様なか細い声しか出せなかった。
「馬鹿なオンナが……」
村田は“ぼそり”と呟くと、再び俺に向き直った。
「何だあ? 御子神……。あの女はお前のオンナなのか?」
村田は下卑た笑みを浮かべた。
そして俺の襟首を“むんず”と掴むと、腕力だけで俺の身体を持ち上げた。
「そろそろ終わりにしてやるぜ。貴様の心臓を掴み出して、心臓から直接生血を吸ってやる。そうすりゃあ貴様をゾンビにしなくて済むからな……」
村田は、そう言うと空いている手で手刀の形を取った。
いつの間にか爪が長く伸びている。
「死ねー御子神ー!」
激しい怒声と共に、村田は俺の心臓目掛けて手刀を打ち込んだ。
ーーもう指一本動かねえ……。
ーーここまでか……。
流石の俺も死を覚悟した。
次の瞬間、何かが俺に激しくぶつかった!
かなりの衝撃だったが、俺には何が起きたのか理解出来ねえ。
俺は、跳ね飛ばされた勢いで地面に叩き付けられながらも、必死で目を見開いた。
俺の胸に突き刺さる筈だった村田の爪は、別の物を貫いていたのだ。
“!?”
村田の爪は、何と晶子の胸の、丁度心臓の辺りを貫いていた。
“ゲフッ”
晶子が大量の血を吐き出す。
晶子の背中から、指先を揃えた村田の爪が、晶子の血肉を絡めながら外へ飛び出していた。
“グァハッ”
再び晶子は大量の血を吐き出した。
「村田ーっ!」
ショウが大声で怒鳴ったが、今となっては遅きに失した。
晶子は、俺の身体が刺し貫かれる寸前、横から俺に体当りを食らわせ、自ら身代りになったのだ。
村田は、慌てて晶子の身体から手を引き抜いた。
晶子の身体が音を立てて地面に崩れ落ちる。
「し、晶子……、な……何故……だ……」
俺は、消え入る様な声を無理矢理絞り出した。
「ご……ごめん……なさい……、恭……也……くん……」
晶子も、消え入る様な声で息絶え絶えに応える。
晶子の目からは透明な涙が溢れ出ていた。
涙が地面に零れ落ちて黒い染みを作る。
「しよ、晶子……」
「本当……に……、ご……めん……なさ……い。恭也くん……に伝えて……おく……事が……ある……の……」
「も、もう喋るな……、喋らなくて良い……」
俺も必死で声を絞り出した。
「良い……の。私……は……、もう……ダメ……。貴方の……友……達の……」
「シゲ? ……シゲの事か……?」
「そう……、貴……方の……友……達は……、し、死んだ……わ……。殺……して……、血を……飲んだの。さっ……き、村田……が……飲ん……だ血も……彼……の血よ……。私も……飲んだ……わ……。本当……に……、本当に……ごめんな……さい……」
晶子の瞳に更に涙が溢れる。
晶子の瞳は、既に焦点を結んでいなかった。
「晶……子……、シゲ……」
俺の頬を温かい物が伝った。
「わ、私……、人……として……、も……もっと……生き……た……かっ……た。お父……さん、お……母……さん、ごめん……な……さい……。陽……子、貴……女にも……う……いち度、会いた……かっ……た。恭……也……くん、陽……子は……貴方の……事……を……」
晶子は最後まで言葉を言い終える事無く、そのまま息を引き取った。
“ドクン”
「しょ、晶……子……」
俺は、血の涙を流し泣いていた。
嗚咽する力すらもう残っては無えが、溢れ出る涙だけは止まらなかった。
しかしそれと同時に、俺の全身を激しい怒りが全身を貫いた。
まるで感情が爆発したみてえだ。
“ドクン”
村田は、後悔の表情も見せず、地面に横たわる俺に歩み寄った。
「御子神、女なんかに守られやがって……」
村田は、蔑んだ目で俺を見下げると、再び下から思い切り蹴り上げた。
「グアッ!」
俺は、そのまま頭から壁に激突した。
頭が割れて、夥しい量の血が噴水の様に吹き出すのを感じた。
“ドクン”
ーーこれで俺も終りか……。
俺は、遠のく意識の中でそう思った。
“ドクン”
だが不思議と悲しくなかった。
ただ怒りと憎しみだけが、心の中で激しく渦を巻いていた。
“ドクン”
その時、何故か陽子の顔がふと浮かんだ。
陽子はいつもの怒った顔で俺を睨んでいる。
“ドクン”
ーーくそーっ、こんな死ぬ間際にまでアイツの顔を思い出すなんて……。
“ドクン!”
“!?”
ーー何だこの鼓動は?
“ドクン! ドクン!”
消えゆく意識とは反対に、俺の心臓は力強く鼓動を打ち始めた。
“ドッドッドッドッドッ……”
身体が熱い。
全身が燃える様だ。
それと同時に、負った傷や骨折、破裂した内蔵、そう言ったものの痛みとは別に、かつて経験した事の無い痛みが全身を襲った。
ーー何なんだこの痛みは?
痛みがピークに達した。
“!!“
ーー…………。
あまりの激痛に、俺の意識は完全にブラックアウトした。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。