4
4
李は、直ぐ様電話を掛けた。
『もしもし佐々木です』
たったワンコールで佐々木が電話に出た。
「もしもし、儂じゃ。李じゃ!」
李は慌てて名乗った。
『老師、どうされました? 恭也君に何かあったのですか?』
佐々木は、李の慌てた様子に気付き、挨拶もせずに慌てて訊ねた。
「あ、いや、あの阿呆は無事に戻ったと先程連絡が入った」
『そうでしたか。本当に無事で良かった。それで、恭也君とは話をされたのですか?』
佐々木は、安堵した様に落ち着きを取り戻すと、重ねて訊ねた。
「いや、あやつとはまだ話しておらん。ただ無事に戻ったと報告を受けただけじゃ」
李は、先を急ぐように早口になっている。
今は車の中に居る為、幾ら慌てて話そうが何も変わらない事は分かっているのだが、心に渦巻く不安と今の状況が、李の話す口調を早口にしてしまっているのだ。
『老師、何か慌てていらっしゃる様ですが、何かあったのですか?』
佐々木は、李の話し方に何かしらの不安を感じ取った。
「うむ。今からそちらへ戻り、儂と獣吾君もそちらの護りに着こうかと思ってのう」
『えっ? 恭也君に会わなくても良いのですか? それに真の天叢雲剣の在りかを探す方は、いったいどうされるおつもりですか?』
驚いた佐々木が聞き返す。
「それじゃよ。儂も先程気付いたばかりなのじゃが、儂らは最初慈海か座主殿に会えば、自ずと真の天叢雲剣の在りかが分かると思うておった」
『はい……』
「じゃが結果は、慈海も座主殿も、真の天叢雲剣の在りかはおろか、真の八尺瓊勾玉が獣人族の村に在り、今は吸血鬼共の手の内に在る事も知らなんだ」
『はい……』
「となればじゃ、儂らが知らぬだけで、真の天叢雲剣が既に奴等の手に渡っておる可能性もあるのではないかな?」
『なっ! ……た、確かに……』
佐々木は、あまりの驚きに言葉を失った。
やはり佐々木も、まだその可能性には気が付いていなかった様だ。
「もしも真の天叢雲剣が奴等の手に渡っていた場合、残るは今御山に在る真の八咫鏡のみと言う事になる」
『た、確かにそうですね……。少し考えれば気付いた筈なのに、先程の件以来高野山の護りを固める事ばかりに気が行ってしまって、その可能性にまで考えが及びませんでした』
佐々木の口調には、自らの思慮の足りなさを悔いる気持ちがありありと浮かんでいる。
「自分を責めずとも良い。儂も先程気付いたばかりなのじゃ。だが今更そのような事は問題ではない。今はその可能性を考えた上で、真の八咫鏡を奴等に渡さぬよう万全の体制を整える事の方が大切じゃ!」
『それにつきましては、先程久保に連絡を取り、今日の昼迄には『C・V・U』の二個小隊をこちらに派遣して貰う事になりました』
「二個小隊とは、どれ程の戦力じゃな?」
『隊員数六十名からなる部隊です。装備も第一級の装備で固めていますので、奴等がかなりの大部隊を投入してきても互角以上の戦闘が可能だと思います。それに高野山も、対ヴァンパイア用に更に強固な結界を張り巡らせ、全退魔僧も万全の体制で警備に当たっております』
「ふうむ……。じゃが、既に御山に宿泊しておる一般人や、今日にも参拝に来る一般客はどうするのじゃ? それに御山の麓で商いをしておる一般人の安全も確保せねばならぬじゃろう?」
『はい。そちらは、地元の警察にも協力を仰ぎ、御山への立ち入りは勿論、危険と思われる地域に住む一般市民も、急ぎ全員避難するよう指示と誘導を執り行う手筈になっております』
「じゃが御山への立ち入り禁止や、一般人を避難させる為の理由はどうするのじゃ? まさか吸血鬼が攻めてくるから避難してくれとも言えんじゃろう。それにそれ程大掛かりな事を、警察だけで出来るとは思えぬが……」
『それで今、久保が政府や自治体、それに警察等への根回しと要請を行っています。後実際の避難誘導には警察だけでは手に余るので、法力僧や退魔僧以外の一般僧にも、避難誘導を行うよう指示が出してあります。避難させる理由に於いても、水野を中心に『内調』で避難理由の内容とその根拠となる偽データを作成中です』
「ふうむ……」
李は、煮え切らぬ様子で答えた。
これだけの説明を聞いても、李は不安を拭い去る事が出来なかったのだ。
『後、『内調』と『C・V・U』の総力を上げて、御山を中心とする避難地域の選定や、予想される奴等の侵入経路や襲撃方法の割り出し、またそれに対する『C・V・U』や退魔僧の配置や迎撃作戦等を目下全力で検討中です』
佐々木は、心の奥底に抱き続けている自らの不安を払拭するかの様に、わざと鼓舞する様に言った。
「構えは万全と言う訳じゃな。じゃが先程慈海達も言うておったが、吸血鬼共の内通者の存在はどうするのじゃ? もしも本当に内通者がおれば、警備の配置も迎え撃つ為の作戦も全て奴等に筒抜けになってしまうではないか?」
『それに関しましては、慈海様のご命令で大角殿と小角殿が内通者の探索に全力を注いでいます』
「そうか……。早く見付かれば良いがのう……。じゃがどちらにしても、戦力は多いに越したことはない。儂と獣吾君も、急いで御山に向かうと……」
『ちょっと待ってください!』
李が言い終わる前に、佐々木が李の言葉を遮った。
『ちょっと待ってください。やはり老師達は、そのまま東京に御戻り下さい』
佐々木は、きっぱりと言った。
これには逆に李が驚いた。
「どう言う事じゃ? この様な老いぼれでは大し戦力にならぬかも知れぬが、これでも“武神”と呼ばれた男じゃ! 今でも吸血鬼の一匹や二匹、ものの数ではないわ! それに、獣吾君は獣人じゃ。獣人族の戦闘力の高さは、お前さんも知っておろう!」
李は、少し興奮して声を荒げた、
『い、いえ。そう言う意味で言ったのではありません。私の言い方が悪かったのはお詫びします。老師が未だ最強の仙道士である事は、十分承知しております。また獣人族が、肉体を使っての格闘戦に於いては『貴族』すら上回る事も戦闘力を有している事も分かっております。それでも尚、老師達には一度東京へ御戻り頂きたいのです』
佐々木は、李を鎮めようと慌てて詫びた。
「いやいや、儂も興奮して悪かった。状況が状況なので、流石に儂も気が焦ってしもうてな。じゃが、儂らに東京へ戻れとは、いったいどうしてじゃ? 先程も言うたが、今は真の八咫鏡を護る事が先決ではないのか?」
李は、落ち着きを取り戻し訊ねた。
李の横では、何やら話が纏まらぬのを察して、獣吾がイライラを隠せないでいた。
『老師が仰る通り、真の八咫鏡と御山を護る事は一番の急務です。ですが、私はまだ真の天叢雲剣は、奴等の手には渡っていないのではないかと思うのです』
佐々木が言った。
「それはどうしてじゃ?」
李が再び訊ねる。
『私も今話していて気が付いたのですが、確かに我々は、老師の仰る通り慈海阿闍梨や座主様に聞けば、真の天叢雲剣の在りかが分かると思っておりました。ですが座主様も慈海阿闍梨も真の八咫鏡以外の神器の事は、何もお知りではありませんでした。その意味では、老師が危惧される可能性を否定する事は出来ません。しかし座主様さえ知らなかったものを、奴等がそう易々と探し出せるとは思えないのです』
「じゃが実際に奴等は、十八年前に獣人族の村を襲い、真の八尺瓊勾玉を奪い去った。そして今、真の八咫鏡を手に入れる為御山を襲撃しようとしておる。つまり奴等は、真の三種の神器の在りかを突き止めていたからに他ならぬ。ならば真の天叢雲剣の在りかを突き止めていたとしてもおかしくはあるまい」
李の言う事も、最もであった。
『無論その通りです。ですが、真の八尺瓊勾玉は獣人族の村に在り、真の八咫鏡は高野山にと、真の三種の神器はどちらも他者が簡単に手には入れられない様な場所に保管されていました。ならば真の天叢雲剣も、他の者にはそう簡単に見付ける事も、また手に入れる事も出来ない様な場所に保管されていると考えるのが妥当です。それに獣人族の村も高野山も、双方共に歴史的に古来から存在し、しかもある意味それなりの力を持った集団です。その事から考えても、もしも奴等が過去に真の天叢雲剣を手に入れていた場合、それは必ず何らかの大きな事件として我々の記憶に残っているのではないでしょうか……』
「じゃが獣人族の一件は、つい先日まで奴等の仕業とは儂も『内調』も気付かぬままであったではないか? ならば儂らが気付いておらぬだけで、過去に奴等が真の天叢雲剣を手に入れる為に起こした事件があったやも知れぬのではないかな?」
李が訊ねる。
『ですが、奴等の関与を知らなかっただけで、獣人族が滅ぼされた件は我々も知っていました。この十数年の間、私が知る限り歴史的に古来からある建造物や集団が、何者かの襲撃を受けたと言う事件は起こっていません』
「うむ。確かにそう見方も出来るやも知れぬが、だからと言って奴等が、まだ真の天叢雲剣を手に入れていないと言う根拠にするにはちと弱い気もするが……」
佐々木の言う事にも一理ある。
李は、思案に耽った。
『それに、既に真の三種の神器奴等の手に渡っていた場合、奴等はもっと違う手に出てくるのではないでしょうか?』
「違う手とは?」
『奴等にとっては、真の三種の神器が全て揃えば、後はどのようにも奴等の思うままに因果を操る事が出来るのですから、もう自分達の存在を隠す必要もありません』
「うむ……」
『既に奴等は、古来から政・財・官に隠然たる権力を持っており、十八年前の時の様に政府を裏で操る事も可能な筈です。奴等が真の三種の神器の二つを手に入れているのであれば、それを根拠に政治家共に脅しを掛けるなり、飴玉をしゃぶらせるなりして、御山や我々『内調』に対し政治的圧力なり実力行使なりを仕掛ける事も出来た筈です』
「確かにのう……」
『政府の職員である私が言うのもナンですが、政治家の多くは、自分達の権力や保身にしか興味がありません。もしもヴァンパイア共が真の三種の神器の二つまでを揃えていて、この日本を支配するのも時間の問題だと分かれば、全ての国民を裏切ってでも自らの保身を図る為に、奴等に取り入る事は目に見えています。ですがその様な政治的圧力も今のところは行使された気配はありません』
佐々木は、自らの考えを述べた。
「う~ん。情けない話じゃが、お前さんの言う通りかも知れぬのう……」
李は、思案げに呟いた。
幾ら佐々木の意見に一理あろうが、今一つ納得が行かないのだ。
『もしもまだ、真の天叢雲剣が奴等の手に渡っていなくても、いつか我々より先に奴等が手に入れたならば、今度こそ政治家達を利用して我々に圧力なり表立った攻撃を仕掛けて来る事でしょう。もしも政府が奴等の側に付けば、所詮政府の一部局でしかない我々には打つ手が無くなってしまいます。まだ真の天叢雲剣が奴等の手に渡っていない可能性があるのであれば、今は真の天叢雲剣を見付け出し速やかに確保する事も、真の八咫鏡を護る事と同じくらい重要な事だと思います。御山も真の八咫鏡も、私が命に変えても必ず御守り致しますので、どうか老師は真の天叢雲剣の探索をお願いします』
佐々木は、頑として言った。
「分かった。儂らは東京へ戻り、円角殿と落ち合った上で、一刻も早く真の天叢雲剣を見付け出すとしよう」
李も、自らの迷いを吹っ切った様に声を張った。
『どうか宜しくお願いします。では、まだ準備もありますので、これで失礼します』
「命だけは大事にの……」
電話を切ろうとした佐々木に、李は、精一杯の言葉を掛けた。
『ありがとうございます。老師もお気を付けて……。では失礼します』
そう言い残して佐々木は電話を切った。
李も、万感の思いを込めて携帯電話をゆっくりと閉じた。
「済まぬが、やはり東京へ向かってくれぬか……」
李が、隣でハンドルを握る獣吾に声を欠ける。
「ああ、分かってるよ。佐々木のオッサン、死ぬ気だな……」
獣吾が、前を向いたままぼそりと言った。
「聴こえておったか……」
「ああ、獣人だからな……」
獣吾が低く答えた。
「儂らは、儂らの為すべき事をしよう」
李も視線を真っ直ぐ前に向けて、自分に言い聞かせる様に言った。
「そうだな。佐々木のオッサンや慈海の爺さんを信じてな……」
それが分かる獣吾も、前を真っ直ぐ見据えたまま万感の思いを込めて言った。
二人を乗せた車は、間も無く豊田JCTに差し掛かろうとしていた。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。