第十五章1:黎明
第十五章
『黎明』
1
思えば、いつの間にか夜が明けていた。
夜が明けても、依然雨は降り続けている。
俺は、再びびしょ濡れの状態で、ようやくアパートの前に着いた。
時間は午前五時を廻っている。
それ程長くは感じなかったが、どうやら三時間以上あのビルの中に居たらしい。
ーー俺様が、女っ気の無い場所で男と一時間以上も話をするなんて、全く前代未聞だぜ。
俺は、バイクのスタンドを立ててエンジンを切ると、雨に濡れたヘルメットを抱えて部屋に向かおうとした。
その時、
「恭也ーっ!」
俺の名を呼ぶ大声が聞こえた!
俺は、びっくりして咄嗟に後ろを振り返った。
振り返った俺の目に、凄まじい形相で迫る鉄二の姿が飛び込んで来る。
次の瞬間、
“ボグッ!”
とんでもねえ右ストレートが、俺の左頬を捉えた。
爆発した様な衝撃と激痛に襲われ、俺は後ろに大きく仰け反った。
“痛って~っ”
「いきなり何しやがんだ! この野ーー」
俺が文句を言おうとした瞬間、鉄二の馬鹿が俺に抱き付いて来やがった。
その為最後まで言葉にする事が出来なかった。
「馬鹿はテメエだ。心配掛けやがって……」
鉄二が感極まった声で言った。
「鉄二……」
俺は言葉に詰まった。
ーーそんな言い方されたら、殴り返す事が出来なくなるじゃねえか……この馬鹿……。
「悪かったな……」
俺は、ぼそりと鉄二に詫びた。
鉄二が身体を離した。
「恭也君……」
再び誰かが俺の名を呼んだ。
鉄二の背中越しに、甚平姿の陽子の親父が、安堵の表情で俺を見ていた。
「オッサン……」
そう呟いた瞬間、陽子の親父の後ろから禍々しい影が飛び出した!
凄まじい気を、いや殺気に近い気を撒き散らし、雨粒を弾き飛ばしながら一直線に向かって来る!
少し茶色く染まったショートヘアを振り乱し、ピンクのTシャツを纏った悪魔だ!
怯えた鉄二が、慌てて飛び退く!
お陰で、俺の正面はガラ空きになってしまった!
「キョ~ウ~ヤ~!」
妙にドスの効いた禍々しい雄叫びと共に、ショートヘアの悪魔が俺の間合い深く踏み込んだ!
“ズン!”
激しい右震脚を踏み鳴らした瞬間、俺の鳩尾に綺麗にひと突き右肘が突き刺さった!
“ぐえっ”
俺の身体が“く”の字に曲がる。
俺の鋼の腹筋じゃなきゃあ、喰ったモンを全部リバースしてるとこだ!
「いきなり何しやがんだコノ……」
「恭也! アンタねえ、黒田君やお父さんがどれ程心配したと思ってんのよう! それに学校辞めるとか部屋を出て行くとか変な事ばかり言って! いったい何考えてるのよ! 私だって……、私だって凄く……、すっごく心配したんだからね。 このバカ!」
俺が抗議するのを遮って、ショートヘアの悪魔=陽子が怒鳴った。
怒りで吊り上がっていた二重瞼の大きな瞳が、今は僅かに涙で滲んでいる。
「陽子……」
陽子の瞳を見て、俺が抗議の意思を削がれた次の瞬間……、
“ボカッ”
再び陽子が、俺の頭を殴りやがった。
ーー痛って~っ。
俺は頭を抱えた。
「まあまあ陽子、恭也君も反省してるみたいだし、その辺で勘弁して上げなさい」
陽子の親父が仲裁に入った。
ーーこのクソ親父、何が勘弁してやれだ!
ーーこの暴力娘を少しは怒れってんだ!
「ここに居ては皆風邪を引いてしまう。とにかく道場に入りなさい。恭也君は、一度部屋に帰って服を着替えてくると良い。それと黒田君の着れるシャツやズボンがあれば、ついでに持ってきてあげなさい。陽子は、バスタオルと何か飲み物を用意してくれ」
陽子の親父がてきぱきと指示を出した。
陽子は、口を尖らせたまま背を向けると、小走りに家へ戻って行った。
「恭也君、着替えが済んだら黒田君の着替えを持って道場に来てくれ」
「ああ、分かったよ」
そう言われて俺は、傷む腹と頭を押さえながらアパートへ向かった。
アパートの階段を上がる途中で何気無く後ろを振り返ると、陽子の親父と鉄二が道場へ入って行く姿が見えた。
俺は、二人の姿が見えなくなるまでの間、何故か目を離す事が出来なかった。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。