第二章1:覚醒
第二章
『覚醒』
1
「テメエ、シゲはどうした?」
俺は、村田に向かって叫んだ。
このトンネルの中には、どう見ても俺と村田の二人しかいない。
「テメエ、シゲをサラったって電話で言ってやがったが、シゲは今何処にいる!」
俺は、余裕な態度の村田を睨み付け、暴風の様な殺気と共に叫んだ。
触れただけで火傷しそうな程の殺気だ。
しかし村田は、憎悪に満ちた顔で、俺の殺気を正面から受け止めやがった。
俺と村田の間に激しい殺気がうねる。
気を感じる事に長けた人間であれば、凄まじい殺気が俺達の間で激しくぶつかり渦を巻くのが見えたかも知れねえ。
「あのガキの事か……。余程気になるとみえるな?」
村田が、ふてぶてしい態度で言いやがった。
「当たり前だ! 俺達の事はあいつには関係ないだろう。シゲは今何所に居る?」
「くくく……、見ての通りここには居ない。奴の居所が知りたかったら腕ずくで聞くんだな」
村田の余裕は変わらない。
「腕ずくだと? テメエ、この前俺に負けたくせにエラく余裕じゃねえか?」
「ああそうだ。だがさっきも言っただろう、今の俺はこの前の俺とは違うと……。でもまあ良い。お前が俺に勝ったら奴の居場所を教えてやる」
「俺が勝てたらだと! テメエ如きが俺様に勝てるとでも思ってやがるのか?」
「そうだ、お前はここで惨めにくたばるんだ」
「テメエ!」
俺の怒りが頂点に達した!
爆風の様な殺気を纏い、俺は全身のバネを一気に開放し村田に躍り掛かった。
肉食獣のスピードで村田に迫る。
俺は、着いた左足に力を込め、上半身の勢いはそのままで腰を回転させると、稲妻の様なローキックを村田の左足を目掛けて放った。
普通ならこの一発で勝負が着いてしまう程の蹴りだ。
だが、必殺のローキックが空を切った。
受けられたんじゃねえ。
躱されたのだ。
俺の蹴りは、村田の左足があった場所に虚しく弧を描いただけであった。
俺は驚愕した。
しかし次の瞬間、俺の背中を戦慄が駆け抜けた。
俺は、蹴りをかわされた不安定な姿勢のまま、咄嗟に身を投げ出す様に前へと転がった。
頭のあった辺りを、凄まじいパンチが音を立てて通り過ぎる。
髪が焦げそうなパンチだ。
実際に、髪の毛が何本か引き千切られた。
俺様の獣の様な反射神経だから何とか躱せた様なモンだ。
だがそのお陰で、姿勢で無理に転がった為に旨く受身を取る事が出来ず、固いアスファルトの地面で肩と背中を強打してしまった。
肩と背中に鋭い痛みが走る。
しかし痛みを気にしている暇なんか無え。
すぐ様身体を起こして膝立ちの姿勢で振り返ると、目前に村田の丸太の様な脚が迫っていた。
ーーヤベエ!
咄嗟に身体を丸め、両腕で顔や胸をガードする。
そこにバットのフルスイングで殴られた様な衝撃が走った。
俺は、両腕でガードした姿勢のまま、コンクリートの壁まで吹き飛ばされた。
“ゲフッ!”
音を立てて背中からコンクリートにぶつかり、一瞬息が止まる。
俺は、次の攻撃に備え再び痺れる腕で顔をガードすると、壁に背を預けたままよろよろと立ち上がった。
鼻から大きく息を吸い込み、何とか呼吸を回復しようと努める。
だが、予想に反して次の攻撃は無かった。
村田の野郎が、余裕の態度で俺を見下して笑ってやがる。
見た目や印象だけではなかった。
ここに居る村田は本当に別人の様だった。
俺のローキックを受けたのならまだしも、あそこまで完璧に躱すなど素人技じゃ考えられねえ。
あの時村田は、俺の放ったローキックを人間とは思えぬ反射神経とスピードで、身体ごと横に移動して躱しやがったのだ。
俺も相手の攻撃を体捌きでかわす事ぐらいは出来るが、それは相手の攻撃が大振りだったり、動きが読めていて初めて可能な事だ。
だが俺が放ったローキックは、K―1選手でも躱す事は困難な筈だ。
しかもローキック自体、躱す事が非常に困難な技だ。
無論、蹴りを放つ瞬間目と肩でフェイントもしっかり掛けている。
だが村田の野郎は躱しやがった。
しかも、その後村田の放ったパンチや蹴りもトンでもねえ威力だった。
まともに喰らってれば、如何にタフが売り物の俺様と言えど、勝負は一瞬で着いていたかも知れねえ。
「よく躱したな。さすが御子神恭也と言ったところか……」
喘ぐ俺を見下したまま、村田は余裕の表情で言った。
ーーヤバイ、コイツはヤバイぜ。
俺は思った。
だが今は、この与えられたチャンスを有効に使う他無え。
何故村田が、短期間でこれ程化け物じた強さを身に付けたのか訳が分かんねえが、現実は現実だ。
それよりも奴は今己の力に酔い、勝ち誇って余裕を見せている。
ならばこのチャンスに呼吸を整え、受けたダメージをチェックする事が肝要だ。
ーー頭は……大丈夫だ。
ーー呼吸も整って来ている。
ーー腕はかなり痛むが、折れてはいない。
ーー肩も背中も打撲程度だ。
ーー脚のふら付きも治まって来ている。
直撃の無かったのが幸いだった。
これも獣並みの反射神経の賜物だ。
だが今ひとつ時間稼ぎをして、相手の隙を伺うに越した事は無え。
「おいテメエ、凄えーじゃねえか。一昨日とはエラい違いだぜ。一体何があったのか勿体振らずに教えろよ」
俺は、両腕のガードを崩さず、油断無く村田の気配を伺いながら訊いた。
「お前が知る必要は無い。……が、もうすぐお前は死ぬんだ。冥途の土産に教えてやろう。俺はなあ、最強の生き物になったんだよ!」
「最強の生き物だと?」
「そうだ! 俺は夜の眷属、ヴァンパイアになったんだ」
村田の勝ち誇った声が、トンネル中に響いた。
黒い顔に喜悦の色を浮かべている。
「ヴァンパイアだと? テメエ気でも狂ったのか?」
「くくく、信じられぬのも無理はないな……。では見るが良い!」
そう言うと、村田はTシャツの襟を引き下げて首を横に伸ばす様に回らせた。
見ると、太い首筋に完治した傷跡の様な痣があり、その部分の肉が異様に盛り上がっている。
しかも盛り上がった肉の中心には、確かに映画で見た様な二個の穴を穿った傷跡が見て取れた。
「これで分かったか?」
村田が言った。
俺は、あまりの驚きに一瞬攻撃する隙を見逃してしまった。
「……」
「くくくく、怖くて言葉も出ないか? そりゃそうだろうな。俺は何と言っても最強の生物へと進化したんだからな!」
村田はさも満足そうに笑った。
「へえ、凄げえじゃねえか!」
村田が、下卑た高笑いをして俺から目を離した一瞬を、今度は俺も見逃さなかった。
俺は、渾身のバネを込め村田へと大きく一歩踏み込んだ。
村田が恭也の動きに気付いた瞬間、俺は村田の目の前で左手を開いた。
「喰らえこのクソバカ!」
村田が俺の手に気を取られた隙を狙って、村田の股間を下から思い切り蹴り上げる!
“グジャ!”
鈍い音を立て、村田の睾丸が潰れた!
「オゲゲゲェ!」
村田が、大きな目を更に見開いて悶絶した。
眼球が飛び出そうな程に目を見開いている。
黒い顔が更にどす黒く鬱血していた。
「ざまあ見ろってんだ、この馬鹿!」
思わず俺は叫んだ。
完璧な攻撃だった。
慢心した村田が、気を緩めて俺から視線を反らせた一瞬を突いたのだ。
しかも、俺の動きに反応して視線が戻る所へ、左手を拡げる事で視界を奪い、同時に拡げた左手に意識を向けさせる完璧なフェイントだ。
更に、意識を上に集中させておいて股間への必殺の蹴りを放つ。
これでは、幾らヴァンパイアと言えど生物学的に男であれば効かない筈が無え。
村田は、両手で股間を押さえ膝を折った。
あまりの激痛に呼吸も満足に出来ないらしい。
村田の股間に赤黒い染みが広がって行く。
だが俺は、攻撃の手を休めなかった。
膝が折れて少し低くなった村田の顔を、左右から挟む様に両手で叩いた。
“パン!”
軽い音を立て、俺の平手が村田の両耳を塞ぐ形で当たった!
村田の身体が弓反りにのけ反る!
俺は手のひらを僅かに窪ませ、そこに溜めた空気ごと村田の両耳を叩いたのだ。
村田の鼓膜が破れた!
ーーチャンスだ!
ーー今殺らなきゃ後が無え。
「まだだテメエ!」
俺はそう叫ぶと、開いた両手を拳に握り変え、凄まじい勢いで連突きを放った。
ーー水月。
ーー檀中。
ーー咽喉。
ーー顎。
ーー人中。
まず水月には左正拳突きを、檀中には右手中指を突出して折り曲げた中指一本拳を、咽喉には左の中指一本拳を、更に顎には手首の甲の部分を使った右孤拳で下から打ち上げ、そのまま右手人差し指で一本拳を作ると、鼻と口の真ん中にある人中を突いた。
空手の正中五段突きとは全く違うが、必殺の正中線への連撃だ。
“ズズーン”
村田は悲鳴を上げる事も出来ず、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
手足がひくひくと痙攣している。
さすがのヴァンパイアでも、急所まで変化する訳では無いようだ。
例え対人間用の技でも有効であるに違いなかった。
俺の全身に、歓喜が駆け抜けた。
だが俺は、最後の止どめを刺すべく倒れている村田の後頭部へ更に鋭い蹴りを放った。
“!”
しかし俺の踵は、村田の後頭部には当たらなかった。
踵が村田の後頭部を踏み抜く寸前、村田のごつい手が足を掴み取っていたのだ。
今度は、俺の全身を戦慄が走った!
村田は、俺の足を握ったまま、ゆっくりと身体を起こした。
凄まじい力が、足を完全にロックしている。
まるで万力の様な力だ!
「テメエ、離せこの馬鹿!」
俺はそう叫ぶと、今足を掴んでいる左手の肩と腕の付け根の部分を、もう一方の足で思い切り蹴った!
この部分をピンポイントで蹴られると、一瞬腕の力が抜ける。
村田が足を離した。
俺は、蹴った勢いそのままに後ろへ飛んで村田との間合いを取った。
着地した瞬間、村田に握られた足首に痛みが走る!
どうやら手を離す瞬間、村田は足首を捻って捻挫させた様だ。
村田は、まるで幽鬼の様に満身創痍の身体でゆっくりと立ち上がった。
黒い顔は更にどす黒く歪み、口や耳から血を垂れ流している。
喉も、今の攻撃で喉仏を潰され青黒く内出血していた。
肩で大きく息をするが、満足に酸素を取り込む事が出来ないらしい。
股間はブラックジーンズの為多少分かり難いが、それでも明らかにその部分に赤黒い染みが広がっていた。
村田は、俺の蹴りで痺れた左手腕をだらりと垂らし、足腰を震わせながら憎悪の目で恭也を睨み付けきやがる。
ーー何て奴だ。
これには流石の俺も舌を巻いた。
今の連撃は完璧だった。
人間であれば、当然死に至る程の攻撃だった筈だ。
しかし村田は、ダメージこそ受けたものの、反撃をして今また立ち上がって来たのだ。
ーーったく何て野郎だ……。
村田は何か話そうとしたが、喉を潰された為声が出ないらしい。
“パチ、パチ、パチ”
その時、トンネル内に惚けた拍手の音が響いた。
“!”
驚いて視線を向けると、俺達が入って来たのとは反対側の出入口に、二つの人影が立っていた。
一人は男、もう一人は女の様だ。
今拍手をしたのはどうやら男の方らしい。
「素晴らしい。たかが人間にしては見事なものだ」
男は言った。
黒いシャツに黒の皮パン。
ーーこの野郎も全身黒ずくめか?
ーー村田の仲間か?
俺の身体に更なる緊張が走った。
鼓膜が破られ音の聞こえない村田は、表情を強張らせたままその黒ずくめの男を見ている。
二人(二匹?)の男女は、トンネルの中をゆっくりと歩いて俺達に近付いて来る。
だがその時、歩み寄る女の顔を俺ははっきりと見た!
「しょ、晶子じゃねえか!」
俺は、あまりの驚きでその場に凍り付いた。
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