対する二人の姫
高村月海の部屋の机で、静かに金髪の少女は本を読んでいた。首には今は返事のくれない月の首飾りが掛けられている。
そんな彼女を紅髪の少女はベッドに寝転がりながら観察していた。本のタイトルは「決戦! 巌流島 ~導かれる二人の剣豪~」というものだ。昨日の帰り道で図書館に寄り、そこで月海に頼んで借りてもらったものである。
内容は宮本武蔵と佐々木小次郎という架空の剣士が、互いに剣技を競い高め合っていたのだが、いつしか命を奪うことだけに執着していくという物語になっている。
この物語はフィクションだが、互いの剣術の流派は実在するというのが凄いところである。
「しかし、互いの流派の奥義は祖である二人にしか扱えないもので、現在ではそれを再現できる者はいないのです!」
と、ファルは声を弾ませながらアレスに話していた。ファルの戦いというものに対する好奇心は周知であるが、それが日本のものに多くあるのがアレスにとって意外なところであった。侍という言葉を聞くだけでファルの表情が変わるほどだ。
そして更に凄いのが、先ほど話に出ていた二つの奥義を会得しようと試行錯誤していることだ。祖である二人が架空の人物なので、奥義自体が存在しない可能性もあるが、それを言うとファルに怒られるのでアレスは口にしないようにしている。
「この燕返しという奥義は単純に燕を斬ればいいだけの話ではありません。それならば多くの剣士ができてしまう。一振りが先手の必中必殺である必要があるのです」
「そ、そうなんだ」
アレスはファルの奥義分析を半分聞き流していたが、他にやることもないので話の内容は頭の中に残っていた。
まず、佐々木小次郎が扱っていた刀だが、物干し竿と言われかなりの長刀であったと伝えられている。リーチの長さは単純に戦いで優位に立てる。その点からも、長刀である必要性はあったのだろう。
次に、当時の死合いは最初の一振りで決まるものだったということ。つまり互いが一手目で命を狙っているわけだ。絶対に外してはならない。外せば相手の一手が襲う。
燕返しはその死合いで無敗を誇った。故に先手必中必殺なのだろう。そして、その状況での必中必殺となり得る剣技は――――――
「いったい、どういうものなのでしょうね」
「聞きたいのはそこだよっ」
アレスはすかさずツッコミを入れた。
「もぉ、剣術の話もいいけど、もっと普通の話もしようよ」
「と、言いますと?」
聞き返されるアレスは何の話をするか考えていなかったので言葉に詰まってしまった。
「……じゃ、じゃあ、つきクンの話で」
「つきみの話ですか……彼は短期間で剣技をあそこまで磨いた。次に対するのが楽しみです」
「じゃなくて! 普通の話だって言ったでしょ」
しかし、普通とはいったい何が普通なのか、ファルはアレスに問う。
「そ、それはだねぇ……」
話すのはともかく題材が悪かったのか良い言葉が出てこない。
「あなたなら、恋愛というものに興味を持っていますから、そういったものが出てくると思ったのですが」
言葉を探すアレスにファルは言った。
「アレスはつきみのことが好きですか?」
それは異性としてである。ファルからそんな言葉が出るとアレスは思わなかった。
「それは、まだわからない。たぶん今は違うと思う」
それがこれから変わるのかと問われると、それに答えることもできない。恋愛に興味を持っていても、それをしたことがないアレスにとって好きという物差しがわからないのだ。
「恋愛とは難しいものですね。母上は全てを擲ってでも死者を生き返らせようと考えている。それほどまでにその人を愛していた」
誰かを愛する。女として男を好きになる。
エリザベッタをそうさせるほどに、恋愛は人を狂わせる。否、当人からすればそれは当然の行動だった。
「誰かを愛することができれば、母上の気持ちがわかるのでしょうか」
エリザベッタの行動が理解できなかったわけではない。ただ、行動に移した彼女の気持ちを感じたいと思ったのだ。それは当人にしか感じることのできないものだから。
「だとしても、私たちは止めなきゃいけない」
「ええ、そうですね。必ず止めましょう」
間違いを正すのではない。それはある意味で正しい行動だ。
これは自身の願い。ファルが望んだ願い。そのための行動だ。
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朝日公園。芝生だけが広がり他は何もない場所。人の集まりは皆無で、何故このような場所が存在しているのか不明である。
そこは窪みのようになっており、その窪みの周りを囲むように木でできた柵が並べられている。所々でこぼこしているが、ここまで広い芝生の広場も珍しい。少し前までは遊具と呼べるものが存在したが、今は全て撤去されてしまったようである。
「あった。あそこだね」
アレスとファルはドディックジュエリの反応を感知しここまでやってきた。月海もやってくると言っていたが、それには時間が掛かる。できればその前に片付けておきたいところだ。
「何故でしょう。まだ別段変わったところがないのに、まるで暴走したように魔力の反応が大きくなっています」
ファルはドディックジュエリの魔力反応を探りながらそこへと近付く。そこは広場のちょうど真ん中辺り。凸凹の凹の部分だ。
暴走しているはずならばこんなにも静かなのはおかしい。今までならばその瞬間からは異形のものになったり、周りに大きな影響を及ぼしたりするはずだ。
警戒しながらファルはそこへと向かった。そして、そこで見たものは二つのドディックジュエリだった。
「同じ場所に二つのドディックジュエリが……」
それは可能性としてはあり得ることだが、確立で見るなら限りなくゼロに近いだろう。いや、そもそもドディックジュエリが飛散しこの日本に、しかも一つの市に集まることだけで確立はとんでもないことになる。このドディックジュエリの飛散は、何者かの手によったものだと考えた方が自然だとさえ思えてくる。
「今はそんな事を考えている場合ではありませんね」
ファルは目の前で起きている異変に頭を切り替える。しかし、その異変は今までのそれとは異なっているように感じられた。今までの全てが同じだったとはいえないが、この二つは全く毛色が違う。
「互いに向かって魔力を放っている?」
そう、その二つは無差別に何かに向かって敵意を見せるのではなく、まるで互いを攻撃し合うかのように魔力を放出していたのだ。それに何の意味があるかは想像がつかないが、今のうちに確保しておいた方が良いのは言うまでもない。
「それじゃあ、私が持ってくね。ルース頼んだよ」
アレスはその場にしゃがみ込みその二つに手を触れようとしたが、
「きゃっ!」
それを拒むように放電のようなものが起きた。それに対し二人は身構えたが、襲ってくる様子はない。
『これは……結界ですね。ランクで言うなら最低の一ですが、確保するためにはこの結界を解かなくてはなりません』
ルースはその二つのドディックジュエリを観察しながら言った。
「結界を解くのか~。壊した方が早いんだけどなぁ」
『結界の種類がわかりませんし、何よりドディックジュエリの造る結界を壊そうとは思いませんけどね』
全く以ってルースの言う通りであり、アレスは「言ってみただけ」と言い二つのドディックジュエリを囲むように指を滑らせ円を描いた。すると、その円をなぞるように赤光の如く光があふれ出す。
「私はこういう作業は苦手なんだよな~」
「ならば私が代わりにやりましょう。これくらいしか役に立てそうなことがありませんからね」
ファルはアレスの展開した魔法陣に手を触れ入れ替わるようにした。アレスは魔法陣を預けると立ち上がりポンポンと自らの腰を叩く。
「ありがとう、助かるよぉ」
などと言っているアレスにルースが溜息を吐く。
『苦手だからと言って他人任せだと、いつまで経っても成長しませんよ』
「で、でも、今回はドディックジュエリが相手なんだし、安全にやるためにもファルちゃんの方がいいって」
『確かにそうですけれど……』
と、ルースは再び息を吐く。
『仕方がありませんね、今回だけですよ』
アレスの言うことも事実であるので、ここはやはりファルに任せるべきだとルースも判断するのであった。
そして、ファルが作業に取り掛かって数分。アレスはファルを見守りながらも暇を持て余していた。彼女の邪魔をするわけにもいかないので、話しかけることも躊躇われる。
どうしたものかと空を見上げると、小さな黒い影のようなものが伸びるようになっているのを見つけた。
それはものすごい勢いで……否、それは――――――
「くっ!」
構える暇もなかった。その影を見つけた瞬間には拳が目の前にあったのだ。
一瞬にして膨れ上がる魔力。攻撃の瞬間にそれを感じ、辛うじてアレスは拳に間に合った。
防護服を身に纏い、取り出した炎槍の柄で受けるとその拳を弾き返す。影はその反動で大きく後ろに跳躍した。音もなくそこに着地すると、だらりと腕を下げる。
「アレス、姉上!」
「どうしてここにいるのか。不思議みたいだね」
影…メイは構えもせずに続ける。
「目的の達成には全てのドディックジュエリが必要。でも、それはあんたたちが勝手に集めてくれるから、私たちは待つだけでいい」
ならば何故来たのか。アレスは炎槍を構え直して問う。
「さぁなんでだろうね? こっちも聞きたいくらいだよ」
「は?」
聞いたアレス本人が何か質問を間違えたのではと思ってしまう。というか目的がないなら帰ってくれ、と言いたいアレスであった。
「まぁなんでもいいさ。どの道あんたたちは邪魔になるんだから、ここで戦力を削いでおくのも手だ」
言うとメイは拳を構えた。瞬間、彼女の拳を魔力が薄い膜のように覆う。
「さて、ソルのお姫様の腕前はどんなもんなんだろうね」
「……」
アレスは背後で結界の解除を行うファルをちらりと見た。
彼女は今の状態では動くことはできない。なんとか守りながら戦わなければいけないが、果たしてその役が務まるだろうか。
メイの実力はあの海上での戦いで見ている。魔力による身体能力の強化はアレスよりも上だ。そして、その攻撃方法も、魔法を主に戦うアレスにとって厳しいものとなる。
だがしかし、だからと言って諦めるつもりなど彼女にはさらさらない。
「いいよ、相手になってあげる」
アレスは炎槍を短く持ち直す。
二人の姫の戦い。
ガラシアに現存する魔法使いで最強に最も近いとされる二人。
まだ、槍も拳も打ち出していない。それでも、この空間に流れる魔力、そして闘志が尋常のそれを遥かに上回っていた。まるで静寂の中に暴風が溢れているよう。
「さあ、はじめようかっ!」
暴風を突き破る一声。
メイの一撃。
一足飛びで近付くと、その右拳を胸へと捻じ込むように打ち出した。
踏み込みなしでの接近にテンポをずらされ僅かに防御が遅れる。
ギッと柄を金属が掠めるような音を鳴らした。拳は紙一重で脇の間へと外れる。
「っ!」
だが、拳を覆う魔力が掠め、衝撃が内臓を貫いた。
風圧……ではない。肺を直接握り潰されたような感覚がアレスを襲う。
「うっ……」
上手く息ができない。空気を吸い込むと肺が引き裂けそうな痛みが走る。
要因はわかりきっている。
ならば、とアレスは脇を絞めて腕を掴み、炎槍の柄を間に入れ梃子のようにして腕を折りにいった。
「――――――っ」
しかし、その拘束ではあまりにゆるく、メイはすぐに抜け出した。
肺の掴まれた感覚はなくなったが、すぐさま反撃がくる。
二撃目。
それは炎槍の柄を。
三撃目。
それは炎槍の切先を。
連撃によりバランスを崩したアレスの身体は無防備である。再びそこへメイの拳が入り込む。
「――――――武具変化」
しかし、その拳は阻まれた。
「旋棍、だと……」
アレスが作り出した武器。腕部分を覆うように構える。
そも、速さで適わぬと言うのに、長物で拳を迎えることが無謀であった。どれだけ受け流しに徹しようと、それに間に合うはずもない。ならば同じ土俵で戦うのみ。
「はっ、いいじゃないか。それじゃあ、殴り合いで勝負といきますか!」
だが、速さで敵わぬことに変わりはない。攻撃に転じられる隙を作れるほど、それは甘くはなかった。
「ほらほらどうした。守ってばっかじゃ勝てねぇぞ!」
受けと流すことしかできないアレスを更に拳が襲う。
「――――――ッ。こなくそ!」
突き出した拳。だが、あまりにも無謀だ。身体ががら空きで、反撃を受けるのは必至である。
しかし――――――
「ちっ」
トンファーを反転させる勢いで範囲外のメイへとそれが襲う。
「ちょこざいな……!」
範囲、そして攻撃法方が瞬時に変わる武器。それを捌くことは至難の業であるが、それでもメイは捌ききる。
更にそこから反撃にさえも転じるが、防具としても機能するそれに攻めあぐねる。
「さすがだ。ここまでやるなんて思わなかったよ」
「どうもありがとうっ!」
二人は拳を弾きあい間合いをとる。
一転してアレスが優勢になったように見た。だがしかし、当の本人は未だメイが本気でないことを知っている。目に見えてではなく、肌で感じ取れるものとして。
メイの目的はアレスたちを倒すことではなく、疲弊させること。ならば手を抜いているのも頷ける。
だがしかし、それは本気の彼女には今のままでは敵わぬということ。白兵戦、魔法戦ならまだしも、あの魔法全てを無効化してしまう魔力の直接的な攻撃。フレッド曰く精霊と同等の力。それと相対すれば勝つ手段が限りなくゼロになる。
この状態で最後のその時を迎えてよいのか。
二人を止めることは可能なのか。
アレスの頭に不安がよぎる。
「――――――」
しかし、今はそんなことを考えている暇はない。現状を何とかしない限り、先はないのだから。
「いくよ! ウーノ!」
アレスは上へ飛び上がりそのまま急降下する。右手に持ったトンファーを反転させ刺すように狙い打つ。しかし、それは奇襲にもなりはせずひらりと躱される。
地面へ落ちると紅い閃光が走り、火花のように弾けた。
「ドゥーエ!」
すぐさま二撃目を放つ。
身体を軸に左に回転し肘打ちを繰り出した。それは僅かにメイを掠めたが、服を裂いただけでかすり傷にもならない。
「トゥレ!」
三撃目。
回転した身体の遠心力でそのまま右手に持つトンファーを叩きつける、が腕に纏った魔力で防がれる。
「クアットロ!」
四撃。
両のトンファーを回転させその拳を同時に放つ。
それは間合いから離れ届かないかと思われたが、まるで空間が爆発するような衝撃を起こしメイを襲う。
「――――――」
硬直する二人。
アレスは四連撃の反動。
メイは最後の一撃を受けた衝撃。
だがそれもほんの一秒の出来事。次の瞬間には再び互いに攻防に移った。
拳と拳の連撃。互いに放ち受け流す。
「はあっ!」
メイの放った拳。先と同じく受けられたのだが、
「武具変化」
「――――――なに……扇、だと……!」
そう、それは正しく扇だった。それ以外に形容しようがない。ただそれは、身体半分ほどを覆う巨大なもので、骨組み、扇面まで鋼のように強固であった。
アレスはその扇を閉じると、続いてまるで剣技の如くそれでいて踊るようにそれを振るった。扇を持つアレスは正に舞うようである。
不意をつかれ受けにまわるメイ。本来ならばどうでもない一撃だが、アレスの多種の攻撃に翻弄される。
しかし、その攻めをアレスは止め、大きく後ろに飛び退いた。
「ヒューリッシェ・フィアンマ」
扇を開き踊りを締めるかのように高く掲げる。同時に四方向から炎が溢れるように燃え上がる。
「これは……さっきの攻撃はこのためかっ!」
そう、その炎は先ほどアレスがトンファーで打ち放ち、紅い閃光を散らした場所から溢れていた。
メイを囲むように印されたそれは、逃げ道を断つように渦を巻き上がる。
言葉通りそれは花が咲くよう。
美しく舞上る炎は、それとは裏腹に囲んだ獲物を逃がさず焼き尽くす。
はずだった。
「――――――」
舞う炎花が急激に静まる。
まるで酸素をなくしたように、その勢いは消えていった。
「ようやく本気ってわけだね」
炎花の後には煙さえ残らず、それが普通に打ち消したわけではないことを物語っている。
そう、それは魔力による魔法の打ち消し。魔法を組み立てる魔力そのものを消し、魔法を強制的に解除する。
「あんただって本気って訳じゃないくせに何言ってるんだ」
メイの腕に巻きつく四色のリボンチョーカーが、炎花によって生じた風になびく。
「一応本気のつもりなんだけどな」
アレスの言葉に偽りはない。今の戦いで彼女が手を抜いていたならば、勝敗は既に決していた。
「ふん、そのゲレータの変化使用は誰でも知ってるってんだ」
アレスは本気を出していないわけではない。そう、技を出し切れていないだけである。
ルース・ド・ソルというゲレータの武器変化の使用は、およそ人間の手に扱える武器全て。現存したものならば夢想し作り出せる。数にするならば無数と言っても過言ではない。そして、そこから生み出される攻撃手段は変化数の数倍。それこそ無数に近いものだ。
だが、強さはそこにあるわけではない。いくら武器数が多くとも扱えなければ意味がないのだ。
そう、アレスは無数とも言える武器のおよそ自らの実戦に扱える全てを、技術として会得している。
「でも数えるほどしかないからね。あんまり多くないかもよ」
「はっ、それこそ何言ってるんだ。あんたの異名はガラシア中に知れ渡ってるんだよ、百装姫ってね」
百装姫。
アレスの武器を扱う姿を見て名付けられた二つ名。百の武装を持つ姫。
あまりにそのまますぎるが、単純な命名ほど強さを表すものでもある。
「百だって数えられるじゃん。無数に比べたら全然少ないよぉ。それに、その名前は可愛くないから好きじゃないんだよ。だからその名前で呼ばないでね」
アレスのそれは本心だ。故に恐ろしい。
百の武器を扱える。即ち、その数だけ戦い方を知っている。それは自らの技だけでなく相手の技も知り尽くしているということだ。
「なんだっていいさ。要は全部消しちまえばいいってことだ」
「そういうことだね。でも、私はあと九十七の武器とそれだけの攻撃手段を持ってる」
メイのリボンに溜め込まれた魔力の源も無限ではない。
アレスの攻撃数がそれを上回るか、それともメイが全ての攻撃を消し去るか。
「そこまで単純な話じゃないが、いいね、乗ってあげるよ」
メイの腕に巻きつくリボンが輝きを放つと同時に、周囲の魔力が不自然に流れる。
どろっとした、まるで身体中に纏わりつくような感覚。それを肌で感じられるアレスたちは居心地の悪さを覚えた。
「さあ、第二ラウンドといきますか――――――!」