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俺は俺で、君は君で

 その時は一瞬であり無限だった。

 自身の意識が身体から切り離され無の空間を彷徨う。


 ――――――。

 理解はできている。

 それが受け入れられない。


 否――――――それは……違う。

 全て理解し受け入れ、今は次の事を頭の中で考えていた。


 ――――――冷静すぎる。

 そうなのかもしれない。

 自身は自身であり、自身を愛おしく感じるのに、自身を外から動かしている。


 例えるなら、そう、テレビゲームの主人公をコントローラーで動かすようなものだ。

 実に自身らしい例えではないか。


 この身は何もおかしくはない。

 正常だ。

 正常な人間だ……。








「つきクン、大丈夫……?」

 月並みの言葉だったが、それ以外の言葉のかけ方をアレスには思いつかなかった。

「……ああ……」

 月海から返ってきたのは、気力のない生返事だった。

 無理もない。今の彼は、何も考えずただそこにいるだけ。それでも、彼の頭の中には事実がはっきりと残っている。

 治療室に沈黙が流れる。誰も口を開こうとしない。ただ彼を見つめることしかできない。彼自身が頭の中で理解し、それを受け止めるのを待つ。そう、待つしかないのだ。

「……」

 しかし、存外に早く月海はそれを受け止めたようだった。

「ありがとうございます。本当の事を教えてくれて」

 月海はヴァレンティーナに頭を下げた。それを受けた彼女は手を大きく振り、顔を上げるように言った。

「そんな、ありがとうなんて……。そんな言葉、私には相応しくない」

 ヴァレンティーナは責められる覚悟でこの話を月海にしたのだ。感謝されるなんて思いもせず、そして、その性格があまりにも高村海斗に似ていることに驚いた。

「全部聞いて、理解して、だけど、それで何か変わったのかって言われるとよくわかりません。ただ、それが事実なんだと理解しただけです。だから、その、なんて言ったらいいのか……」

 月海は髪の毛を掻き毟り、言葉を探した。

「……えっと、とにかく大丈夫です。自暴自棄になったりはしませんから」

 乾いた笑い声を出した月海だったが、それは笑い声に聞こえなかった。だが、月海本人の言っている事は事実である。自分を失うこともない。何かに当たりたい衝動に駆られることもない。

 今はただそれが事実なのだと理解しただけ。そこに何か思うところがあるのかさえも、本人にはわからない。

「ありがとう」

 今度はヴァレンティーナが月海に頭を下げた。

 目の前の少年は、云わば彼女の罪である。その少年がこうして生きて、そして、事実を知って尚彼のままでいてくれることが嬉しかった。

「顔を上げてください。俺は大丈夫ですから」

「ええ、ありがとう」

 顔を上げた彼女は月海の顔を見つめ返した。それが少しこそばゆく感じた月海は目を逸らし、フレッドの方を向いた。

「と、ともかく、今の話からするとエリザベッタ……さんの目的は、俺の父さんを本当の意味で生き返らせる、ってことでいいのかな?」

 突然話を振られた彼女は、少し思案してから答えた。

「君のその冷静さは恐ろしいほどに感心するよ。いや、むしろその情報量でどうしてその結論が出せるのかわからない」

「それ、褒めてないよな」

 勿論、とフレッドは答えてから、ファルスコールの方を向いた。

「ここからは君のことも深く関わる話だ。もう一度聞くが覚悟はいいね?」

 ファルスコールはそれに頷き返し、フレッドは話を始めた。

「ツキミの言う通り、エリザベッタ女王の目的は高村海斗を本当の意味で生き返らせることだ。理由は、まぁこれは推測になるんだが、二人が恋仲にあったことだろう」

「はぁ!?」

 月海は声をあげ椅子を蹴飛ばし、静かな治療室に騒音を撒き散らしていた。

「あ、悪い。いや、でも、それって本当なのか?」

 ベッドの脇に転がる椅子を立てなおし、月海はフレッドに問う。

 彼にとってはにわかに信じ難いことだったろう。両親である二人が当然の如く好き合っていたのだろうと想像はできたが、エリザベッタの名前を聞いたとたんにそれができなくなったのだ。

「そうね、そこは記憶操作のことも含めて、その話もしておきましょうか」

 フレッドに代わりヴァレンティーナが話を始めた。

 端的まとめると内容はこうだ。

 まず、高村海斗と藤田千波が幼馴染であることは事実である。そして、エリザベッタとヴァレンティーナは高村海斗と出会い、訳あってガラシアの話をした。海斗の幼馴染である藤田千波に出会ったのはその後で、ガラシアのことは話さなかった。

「地球のことは何もわからなかったから、カイト君には色々お世話になったの。それで、紆余曲折あってリズとカイト君はいつの間にか惹かれ合っていたわ」

 当時の事を思い出すようにヴァレンティーナは語る。

 記憶操作で書き換えられたのは、エリザベッタが結城恵理という架空の人物になったこと。高村海斗と藤田千波が夫婦になり、その子供として月海がいること。

「私にわかるのはこれくらいかしら。まぁ、昔話はこれくらいにしておきましょう。今はもっと大事な話をしなくちゃいけないから」

 ヴァレンティーナの言葉を受け、フレッドが話の続きを始める。

「死者蘇生を完全な形で行うには、今のままでは不可能だ。今ある魔法は肉体の再構築と人格の形成。記憶のないその人間は、真の意味でその人ではない」

「真の意味でその人ではない、か……」

 月海は視線を落とし、自らの手を眺めていた。自分はいったい何者なのだろうと。

「あ、すまない、君の事を悪く言うつもりはないんだ」

「いや、大丈夫だ。続けてくれ」

 フレッドは月海のことが気になったが、ファルスコールにこの話をする事を優先した。

「肉体の形成は言葉通り身体を造る事だ。そして人格形成は意識を造る事。自分が自分だと理解できること、と言うべきかな?」

 フレッドは死者蘇生に関して簡潔に話を進めていった。

 今あるその魔法はそれが限界である。死者蘇生に一番重要な、その人をその人たらしめる記憶が存在しないのだと。

「失礼なことを言いますが、ヴァレンティーナ様は過去の死者蘇生で一番重要なそれをしなかった。死者蘇生という今ある魔法を完全にするためにドディックジュエリを使ってしまったのです」

 つまり、本当ならば欠けている記憶の部分を補うべきだった、ということである。そして、エリザベッタは正にそれをしようとしている。

 しかし、そこで問題がでてくる。死者蘇生の魔法は確立された魔法であるが、それを使用するには大量の魔力が必要になる。多人数でならそれが行えるが、禁忌であるそれに協力する人間は少ない。

 エリザベッタは一人である。娘のメイを頭数に入れたとしても不可能だ。ヴァレンティーナが過去に成功したのはドディックジュエリを使用したからであり、ある意味では、それは正しい判断だったといえる。

「そこで女王は、今ある死者蘇生の魔法に最も近い技術を用いた。それはクローン技術だ」

「クローン……」

 遺伝子構造が全く同じ生物を、別個体として誕生させる技術。それは死者蘇生に最も近いものである。

 この地球でも存在する技術。

 月海は聞き慣れた言葉を耳にして、現実世界の出来事なのだと理解した。

 エリザベッタは高村海斗の遺伝子情報をなんらかの形で入手し、それを基にクローンを誕生させるつもりだ。そして、失われた記憶を再現するという技術ではどうすることもできないことを、ドディックジュエリを使い行う。

「なんか、ドディックジュエリって何でもありだな」

 月海はフレッドの話を聞いて、素直な感想を述べた。

 確かに、ドディックジュエリならば何でも可能であると思えてしまうだろう。それこそ、理さえも超越した願望を叶える機械のように。

「あながち間違ってはいないかもしれないな。僕たちはドディックジュエリを未知なるエネルギーの塊だと考えているが、それはドディックジュエリの一面にすぎない。僕たち人間では及ばない何かがそれにはあるのだろう」

 ある面では人の助けになり、ある面では人を傷つける。それはどんなものでも言える事だが、これだけは別物であると誰もが思うだろう。全てにおいて善にもなり悪にもなる。使い方次第と言えば聞こえはいいが、それを使えないからガラシア人は人に触れないようにしたのだろう。

「もう一つ聞きたいんだけど、父さんの、高村海斗の遺伝子はどうやって手に入れるんだ?」

 月海がフレッドに質問すると、何故か彼女は溜息を吐いた。

「君は頭が良いのか悪いのかわかりかねるな。さっき話しただろう? 高村海斗は生きていると」

「……そうか、俺自身か」

 高村月海は高村海斗の記憶を持たない身体。であるなら、遺伝子構造は全く同じである。いつでも採取可能であるし、もしかしたら既に採取した後かもしれない。

「――――――話を戻そうか」

 フレッドは脱線した話を戻し、再び続けた。

 エリザベッタはクローン技術で高村海斗の身体を誕生させるつくるつもりである。しかし、クローン技術は倫理の問題で生物に対してあまり行われてこなかった。人間など、まだ一度も行われていない。

「それを女王がいきなり行うと思うかい? 何度も実験を重ね、それが確実であると証明できた時に実行に移すはずだ」

「じゃあ、他にクローン人間をつくった可能性もある、ってことか?」

 月海の問いにフレッドは頷き返した。

「ここからは僕の推測だ。しかし、メイの言葉からすると、恐らく事実だと思われる」

 フレッドはルーナについて様々なことを調べあげたことを話した。その中で特に気になったもの。それがルーナ家の家系図である。

 わざわざガラシアまで戻り確かめたもの。そこには、決定的とは言い難いが一つの仮定を導くに必要なものがあった。そしてそれは、メイの一言で確信に近付いた。

「ファルスコール、君自身に聞きたいことがあるんだが……」

 フレッドの目線を感じ、ファルスコールは彼女に向き直った。そして、彼女は一呼吸おいてから話を切り出した。

「君の体験した記憶の中で一番古い出来事を教えてくれないか? できるだけ公になったことで頼むよ」

 何故そんなことを聞くのか。ファルスコールは不思議に思ったが、答えて困ることでもないので答えることにした。

「そうですね……」

 ファルスコールは記憶を遡っていき、奥にあるそれを引き出していた。

「……」

 彼女はここで違和感を覚えたが、それが何を示しているのかわからなかった。

 そして、およそ誰もが知っているであろう出来事を口にする。

「フレッド王女の中尉進級の報……」

 自身で口にして、それがおかしいと気付いたのはすぐだった。それはここにいる皆が、月海でさえも気付くことだ。

 フレッドの今の階級は少佐である。この年齢でここまで昇級できるのは、実力もあるがやはり家の力が大きい。そのおかげで飛びぬけて進級が早い彼女だが、中尉進級が一番古い記憶というのはやはりおかしいことだ。むしろそれは、新しい出来事として皆の記憶に残っている。

 もはやそれは確信と言っていいだろう。本人も、周りの皆も、理解した。ファルスコールという人間が何者であるのか。

「……私がそのクローンなのですね」

 その口ぶりは変わらず風のようだった。最初からそれを受け入れていたような感じさえする。

「気付いていた、というのは語弊がありますが、生まれてからの記憶は妙に短く感じていました。しかし、過去の出来事は頭の中に入っていたのでそれを疑問に思えませんでしたし、人の記憶とはこんなものなのだろうと勝手に解釈していました」

 ファルスコールが生まれたのは三年前。正確には彼女自身の身体が自由になった時、と言うべきか。

「こんなことを聞くのは酷かもしれないが、詳しく教えてくれないか? 君の生まれた時の状況を」

 ファルスコールは黙って頷く。

 目が覚めるように彼女はそこにいた。周りは薄暗く、何の機械かもわからないものが並べられ、後ろには人一人が入るには十分なカプセルがあった。

 ここはどこで、自身は何者で、なぜここにいるのか。疑問を疑問と思えず、目の前にいた女の言葉を受け入れた。

 その瞬間から女は母親となり、自身は娘になった。

 生まれた瞬間から自分を自分と認識し、記憶もそこから続いている。身体はすでに成長しており、今の身体のまま生まれてきた。身体の成長は普通の人間と変わらない、と彼女は説明する。

「考えてみれば、生まれた瞬間の記憶を持っているのも、今の身体で生まれてきたのも、おかしいと気付くべきでしたね」

「無理もないさ。君にとってはそれが普通の生まれ方だったんだ」

 フレッドの言う通りである。人生は一度しか経験できない。それがどんなものであっても当人にとってはそれが普通なのである。

「ところで、君の年齢はいくつかわかるかい?」

「年齢……ですか?」

 その質問の意図が掴めず、首を傾げるファルスコール。

 いや、そもそも答えたくても、自身の知っているものが本当の年齢かどうかわからない。しかし、母エリザベッタからは十四だと聞かされている事を話した。

「なるほど、メイと同年か。もしそれが本当だとするなら、やはり君はエリザベッタ女王のクローンなのだろうね」

 フレッドの言葉に更に首を傾げるファルスコール。

 誰のクローンであるのか、それはやはり気になるところだが、どうしてそれがエリザベッタだと断定できるのか彼女は訊ねた。

「まず、君がルーナの禁呪を扱えるという点。それだけならば、ルーナの血を引くものならば誰でも当てはまるが、既に死んだ人間の遺伝子を採取するのは難しい。墓を掘るわけにもいかないしね」

 ならば、考えられるのは二人。女王と娘のメイである。

 しかし、ファルスコールの年齢が十四で正しいならば、メイと同年と言うことになる。彼女から遺伝子を採取したとすると、まだ生まれてもいないファルスコールと同年であるのはおかしい。

「残るはエリザベッタ女王自身だけということさ」

「しかし、私は母上の容姿をあまり受け継いでいない。同じ遺伝子であるのにこれほどに似ないことはあるのですか?」

 問う彼女にフレッドは彼女の顔をまじまじと見た。

「確かに似てはいないかもしれないな。まぁ、死者蘇生とクローンの違いはそこにあるわけだし、別段不思議なことじゃないさ」

 死者蘇生は同じ人間の肉体を誕生させることだが、クローンは同じ遺伝子構造をした人間を誕生させることだ。同じようでそこはかなり違うことでもある。

 しかも、今のファルスコールは成長過程にある。成人したエリザベッタと比べて違いがあるのは当然だと言えるだろう。

「でも、なんとなくは似てると思うわよ。昔のあの子にね。目とかそっくりだし」

 ヴァレンティーナも同じようにファルスコールの顔を覗きこむように見つめた。

 それを恥ずかしがったのか、彼女は目を逸らしてしまった。

「な、ならば、魔力構成が違うのは何故なのでしょう」

 フレッドにその目線を向け、話題を変えるように質問した。

「違うと言ってもほんの僅かだろう?」

 エリザベッタの魔力構成と比べてもグラフの形は殆ど同じで、ファルスコールのものは少し小さいだけである。同じ遺伝子だからと言って、全てが全く同じになるわけではない。一人の人間として独立して生きているのだから、違いが出るのは当然である。それも死者蘇生との違いと言ってもいいだろう。

「ともかく、これが僕の知っている全てだ。後は……」

 フレッドはアレスの首に掛かったルースに目を移した。

「君も何か話したいことがあるんじゃないのか?」

『ええ、そうですね。ですが、今はやめておきましょう。一度に色々なことを話してしまうと、頭の中が整理できないかも知れませんから』

 というルースの言葉で、治療室に集まった皆は一度解散することになった。


===========================


 夏の夕焼け空に、心地のよい風が流れる。甲板から見える双子山の姿は、いつもとは違った景色だった。

「まぁ、違うのは当たり前か」

 二つ並ぶ山も、そこへ落ちようとする太陽も、流れる風も、眼下に見える町の景色全てが偽物である。いや、偽物というと語弊があるので訂正しておこう。

 ここは宇宙船の中なのだが、例によって俺が行ける場所は限られている。というよりは、ここ以外には今のところない。なので、一人でぼーっと景色を眺めているわけだ。

 この部屋は、外の景色をリアルタイムで写す機能を持った場所である。所謂ホログラムとか、そういった類のものだ。風の強さや気温、湿度、その他もろもろ、外と同じ条件のものが作り出せる。しかし、作り物は作り物。違和感をどこかに覚え、そしてまた、その違和感さえも慣れてしまい、本当にその場所にいるのではないかと思えてしまう。

 この部屋の良い所は、普通ならばいけないような場所の景色を見られることだ。空の上でも、海の中(息はできる)でも何でもありだ。そしてなんと、自分で仮想した空間にも造り出していけてしまう。ちょっとその機能を使ってみたいと思ったが、アレスに使うなと止められてしまった。

「……こんな風に町を見たことってないよな」

 今まで十数年間この町に住んで景色を見てきたし、空を飛んで町を一望したこともある。でも、こんな風に何も考えず、ゆっくりと眺めるのは初めてだ。

 甲板の手すりに身を預け、だらりと身体の力を抜いた。

「この町は、とても美しいところですね」

 その時、背後から風に流れるような声が聞こえた。その姿を確かめるまでもなく正体はわかっていたが、振り返り彼女を見た。

「ファルスコール……」

 彼女は静かな足音を立て、俺の横に並び夕焼けの景色を眺めた。

「その名前、呼び辛くありませんか?」

「へ?」

 突然そんなことを言うものだから、呆然と彼女を見つめ続けてしまった。

「その名前は、当たり前ですが母上がつけたものです。ですが呼びにくいと言うことで、母上はいつもファルと呼んでいました。それ以来、一度もフルネームで呼ばれたことはありません」

 彼女は小さな笑みを浮かべて話をした。それは、ごく普通の、今までの騎士やお姫様といったものではなく、少女の笑顔であった。

「そうか、じゃあこれからは君の事をファルって呼ぶことにするよ」

「はい、私もその方が良いです」

 彼女の笑顔を見て思う。ああ、この子は本当に普通の女の子なんだな、と。互いに刃を向けて戦っていたとは思えない。命を懸けて、散らすことを美徳とした武士は、ここにはいない。

 もし、クラスメイトにこの子がいてもなんら不思議に感じないだろう。流石に金髪は目立つと思うけど。

「一度、全てを忘れて世界を見てみたいものです。ガラシアだけでなく、この地球も。何も見てこなかった人生です。自分の目で確かめて、自分の足で歩いて。人というものを、世界というものを、この目でみたい」

 ファルは夕焼けのその先を、本物の景色を眺めていた。硝子の瞳に映るのは虚像だが、その瞳には確かに本物の世界が写っている。

「いつでも見に行けるさ。君が思えば今でも行ける。だって君は、もう本当の世界に立っているんだからさ」

「そうですね」

 ファルは微笑しながら言った。それは先ほどまでの笑みとは違い、何かを可笑しく感じたようなものだった。

「いえ、まるで詩人のような言い回しだったので、つい」

 更に彼女は笑みを零した。

「な! そんなに笑わなくてもいいだろ」

「すみません、ですが……」

 彼女の屈託のない笑顔が夕焼けに染まる。

「何故でしょうか。笑いが止まりません。笑うという行為を、こんなにも純粋に感じたのは初めてです」

 彼女はひたすら笑い続けた。可笑しくて、嬉しくて、そんな気持ちが純粋に彼女の顔を笑顔にさせた。ずっとずっと、笑い続けた――――――。


 とても静かな時。

 交わした言葉は少ない。

 でも、二人でそこにいた時間は、とても居心地がよかった。

 太陽がゆっくりと動く様を、雲のゆったりとした流れを、森の木々のざわめきを、静かに見つめていた。

「私は私で、あなたはあなた。それ以上でもそれ以下でもない」

 そんな時に彼女がゆっくりと口を開いた。

「使い古された言葉ですけど、まさしく私達に相応しい言葉ですね」

 俺は黙って彼女の言葉を聞き続けた。

「私は確かに母上のクローンなのかもしれない。あなたは確かに高村海斗の記憶を待たない身体なのかもしれない。でも、私は私の意思を持ってここにいる。私は私であると自覚し、私の望んだようにこの身体を動かしている。あなたは違いますか?」

「ああ、俺もそうだよ」

 俺は俺であると自覚している。確かに高村月海なのだと。そして自分の望みを持ち、それを成そうとするために動いている。それは確かに自分である証だ。

「正直言うと、全てを受け入れたわけじゃないと思う。そもそも、話を理解しただけで、それが自分自身のことだなんて思えなくてさ」

 確かに自分の中の全てが崩れた。でも、まるで他人事のように感じられる。非現実的だからではなく、実感として感じられない。自分の認識が変わっただけで、現実世界で何かが変わったわけではない。だからだろう、こんなにも平常心でいられるのは。

「私もそうです。何かが変わったわけではない。自分がそういう存在なのだと認識しただけです」

 ファルは手すりに預けていた身体を離し、俺に向き直った。

「存外に、単純な話なのかもしれませんね」

 そう言う彼女はうっすらと微笑む。そんな彼女に対して、俺も向き合った。

「そうだな、俺は俺だ。それ以外の何者でもない」

「勿論です。あなたがあなたであると私が保証します」

「そうか、じゃあ俺も保障するよ。君は君だと」

 俺たちは互いに認識しあった。

 彼女はファルだ。それ以外の何者でもない。

 民を想う優しい少女。騎士の誇りを持つ強い少女。まだ知らないことは沢山ある。でも、ファルはファルだ。俺はそれを知っている。

「ありがとうございます」

「これって礼を言うものなのか?」

「きっと、そういうものですよ」

 零す笑みは、もう珍しいものでもなんでもなくて、その笑顔こそが彼女なのだと思えた。

 美しく黄金こがねに輝く、絹のような髪。硝子のように澄んだ瞳。いつだったか目の前に現れた彼女は、ただ美しいものだと思った。今、目の前にいる彼女も美しいけれど、それは以前とは違う人間的な美しさだった。


===========================


『ここからの話は、今後の行動をどうするかを決める重要なものです。それを頭に置いた上で話を聞いてください』

 治療室に戻るなり、開口一番にルースは言った。

 すでにアレスとヴァレンティーナさんは戻ってきており、俺とファルが最後であった。フレッドは相変わらずベッドの上である。

「僕自身も異例だが、ファルスコールも異例なんだよ」

 とフレッドは語る。異例と異例が重なり、二人の違いが顕著に現れたのだとか。

「とにかく話を進めよう。頼むよルース」

『わかりました。では、お話しましょうか、彼女たちの行動の意味を』

 フレッドの言葉を受けルースは話を始めた。皆の目線が彼女に集まる。

 彼女たち、つまりエリザベッタさんとメイのことであるが、何故あの場に出てきたのかということである。

 単純に考えれば、これから敵になる可能性のあるファルを排除しに来た、と思うだろう。事実、メイはそのような台詞を吐いていた気がする。

 しかし、ならばどうして止めを刺さなかった。目的を達するためならば犠牲を厭わないと言った彼女が、どうして二人を生かしたのか。

『どうしてなのか。それは生かすことに意味があったからです』

「生かすことに……?」

 目的とは反対の、言わば障害となるものを生かす。その意味とはいったい何であるのか。

 その問いをすると、ルースは淡々といつものように、しかし、どこか苛立ちの様なものを見せながら言った。

『結論から言いましょう。エリザベッタは国を捨てるつもりです』

「国を捨てる? 母上が……まさか……」

 ルースの言葉は誰もが驚く言葉だったが、一番はファルだった。隣で話を聞いていた彼女は、どういうことなのか更に問う。

『言い方が悪かったですね。彼女は国をあなたに任せて、自分は国を出て行くつもりです』

 ファルに国を任せて自身は国を出て行く。それは一体何故なのか。ファルも同じくその疑問をぶつけていた。

『死者を蘇らせるという行為は禁忌であること。そして、私たちを妨害してまでドディックジュエリを手に入れ、あまつさえそれを利用しようとしている。国を治める彼女がそれを犯したと知れれば、どうなるか想像できますよね』

 それは俺でも想像できることであった。国のトップが不祥事を起こした末路は、この国でも見られることがある。だが、今からエリザベッタさんのしようとしていることは、不祥事なんてものではない。倫理だけでなく、世の理さえも崩しかねないものを使おうとしている。国の顔であり名前と言ってよい彼女がそれを犯したとき、罪と罰は彼女のものだけではなくなる。

「しかし、どうしてそんなことがわかるのです?」

 ファルはアレスに、いや、アレスの首に掛かったルースに詰め寄った。

『……あなたを捨てた理由は何だと思いますか?』

「捨てた理由……」

 それはファルが一番聞きたいことであったはず。しかし、あえてそれをルースは聞いた。

「必要でなくなったから。害のあるものだと判断されたから……」

『いいえ、逆ですよ。彼女はあなたを頼りにしている。国を治める器があると理解している』

 だからファルを捨てた。道を外れる自分から、いるべき場所へと。

『彼女はあの場を去るときに言ったのですよ。あなたを頼むと』

「私を……?」

『ええ』

 あの海の上で交わした言葉。俺には聞こえなかったが、ルースには届いていた。

 ファルを頼む。それは、これからのルーナという国を任せるということだ。自分はもう、そこには帰れないから。

『ですが、そんな頼みを聞き入れるほど、私は人間ができていません。そんな無責任なこと、許せるはずがない』

 珍しくルースは怒りをあらわにしていた。

 彼女の行為が無責任だから。確かにそれもあるのだろう。しかし、それ以上に思うところがあるようだ。

『ファルスコール、あなたはどうしたいですか?』

 ルースの珍しく出した感情も、それを押し殺してファルに問う。ルーナという国をどうしたいのか。母である彼女をどうしたいのか。決めるのは彼女だ。

「……」

 だが、答えは既に決まっていた。ファルはあの時、俺の手を掴んでくれた。今のように全てを知っていたわけじゃない。それでも、彼女の望みが、やりたい事が、変わることはない。

「母上を、止めます」

 ファルは短くはっきりと答えた。その瞳に決意を写し。

『そうですか。では、皆さんはどうですか?』

 それはここにいる全員に向けた問い。しかし、答えは皆同じであった。

「これは私の罪でもある。それに、あの子は親友ですもの。友が間違った道を行くなら、それは止めなきゃね」

 ヴァレンティーナさんは優しく笑っていたが、そこには友への罪悪感も感じられた。

 アレスもフレッドも、そして俺も。皆が彼女を止めるべきだと言った。

 禁忌を犯すからではなく、ただ単純に助けたいと思った。その間違った道は決意の先にあるのかもしれない。自分を犠牲にして、全てを捨てて、それを求めたものかもしれない。でも、例え達成しても、そこにいる二人に笑顔が見られない気がした。

『わかりました』

 ルースは機械的いつもどおりに発する。

『では、彼女を止めましょう。国ではなく、友として、彼女を元の道に引き戻す』

 全員の意見は一致した。

 彼女を、エリザベッタさんを、止める。


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