真剣勝負
放課後、舞が教室へ来る前に千草と共に屋上へと移動した。久々、と言っても数日ぶりだが、今日は特訓の日である。
屋上に出ると西日が強くうだる様な暑さが襲った。いよいよ夏がやってくる、といった感じがする。朝は着ていた学ランも暑すぎて脱ぎ捨ててしまった。千草も今はワイシャツ一枚で、暑そうにシャツをパタパタしていたが律儀にリボンは着けたままである。
「女子のそのリボンって邪魔そうだよな」
「慣れたら気にならないわよ。まぁでも、男子みたいにボタンを外せられたらいいなぁとは思うけど」
「ボタンを外すのは校則違反なんだけどな」
校内の男子学生ほぼ全員がボタンを二つくらい外しているため、それが校則違反でも教師が注意をしなくなってしまっている。本来あってはならないことだがそれが現状だ。
「でも、注意される時はされるんでしょ? だったら最初からやらなきゃいいのに」
千草の意見がごもっともである。というか、校則は守りましょう。
「さて、特訓を始める前に一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
竹刀袋を肩から下ろし、なにやら真剣な面持ちで千草は言った。
「いいけど、どうしたんだ?」
「今、高村君はあの子と戦うために特訓をしてる。それで、この間は勝負がつかずに終わった」
「ああ、それはさっき話した通りだ」
先日の出来事は簡潔に彼女に話しておいたので、ある程度は理解してくれている。
「まぁそこはいいわ。生きてるだけで丸儲けよ。私が聞きたいのは、今度彼女とはいつ戦うのかってこと」
「いつ戦うのか、か……」
状況によっては戦う必要がなくなるかもしれないが、それはあくまで可能性だ。可能性の話ならば戦う確率の方が高い。しかし、そもそも再戦の約束はしていないので、いつ戦うのかなんていうのはわからない。もしかしたら、正に今ドディックジュエリが暴走し、そこで彼女と鉢合わせたら戦いになるかもしれない。
「ん~、それなら今日はちょっと本気でやってみようか」
「ほ、本気って?」
「別に今までが本気じゃなかったわけじゃなくて、死合いをしようってことね。あ、もちろん直前で止めるけど」
あまり大した事なさそうに言っているが、実際は大した事である。
「あの子といつ戦うかわからないんでしょ? だったら、いつその時が来てもいいように、少しでも戦えるようにしなくちゃね」
「その通りだけどさ、死合いじゃなくてもいいんじゃないか?」
殺し合いの提案を何とか取り下げようとしたが、千草は全く引き下がるつもりはなかった。
「高村君、あの子の力はかなりのものだよ。私に勝てなきゃ到底届かない」
「そりゃ生身じゃ千草に勝てないけど、でも死合いなんて」
「だから、本気でって言ったでしょ」
「本気ってもしかして――――――」
俺に変身して戦えというのか? いくらなんでもそれは無茶だ。魔力で強化した人間の身体能力は限界を超えている。どんなに千草が強かろうと、そんな力に一般人が敵う筈がない。
「本当に……」
「え?」
「本当に私に勝てると思ってるの?」
「――――――っ!」
いつもと変わらない彼女の声だった。しかし、その声に恐怖を抱いた。全身を刺す鋭い視線。全てを見透かされているようで居心地が悪い。
「いつでもいいよ」
千草は竹刀袋から取り出した模造刀の鞘を左手で持ち、とても構えとは呼べない体勢でピタリと止まった。一見棒立ちに見えるが、何度となく打ち合った俺にはそこに隙など全く無いとすぐに理解できた。
『やるしかないようですね』
「……そうだな」
ルースを握り締め身体を光に包む。右手に握ったのは白銀に輝く刀身を持つ剣。
『気をつけてください。今までの彼女と同じだと思っていては危険です』
ルースの忠告を受け彼女を構えた。
相変わらず隙がない。だが、隙がないのなら作ればよいだけのこと。どんな一刀だろうと、相手を狙ったものならばその相手は反応せざるを得ない。彼女との稽古で得たものは、彼女にとって一番の弱点だ。
「ふっ」
口から空気が漏れる。上段からの袈裟懸け。彼女ならば容易に防ぐはず。しかし、その防御は先とは違う体制。必ずどこかに隙が生まれる。しかし――――――
「……な……!」
刹那、斬られた。
いつ?
どうやって?
間違いなくこの身体を鋭い一刀が通り抜けていったはずだ。だが、彼女の刀は未だに鞘に納まっており、右手は柄に触れているだけだった。
『彼女、本当にあなたを斬るつもりでしたね。殺気が本物でしたし、何より柄を握った右手がそれを物語っています』
ルースの言葉に、千草の持つ刀が僅かに鞘から抜かれているのに気付いた。それは間違いなく先程の一刀のものだ。その瞬間に引き抜く手を止めたのか。
『斬られた感触を得たということは、相手の攻撃の太刀筋を読むことができているということです。確実にあなたは進歩していますよ』
進歩している。ルースが言うからにはそれは事実なのだろう。しかし、そんなことさえ微塵も感じさせない程の力。これが本当の死合いだったならば、今の一太刀で確実に俺は死んでいた。
「――――――」
千草は柄から右手を離し、先程と同じように構えた。その構えに移行する間に彼女の間合いから離れる。
正直油断していた。身体能力が人間の限界を超えている今、ただの少女に負けるはずがないと。彼女が強いことは知っている。それが桁外れなことも。それでも、負けるはずはないとたかをくくっていた。だが、それは慢心だった。彼女は生まれたときから勝つための術を磨き、自身はついこの間剣を握ったばかり。その二人の間に絶対的な差がないわけがない。
「……っ……」
次は本気でいく。本当の本気。彼女と、ファルスコールと戦うように。
深く腰を落とし剣を横に構える。足に力を込め全力で地を蹴った。その速さはとても人間の出せる速さではない。常人ならば目で捉えるのも至難の業だ。だが――――――
「うっ……」
まただ。また斬られた。今度こそ誰にも捕らえられない一撃を放ったつもりだ。それでも彼女は、いとも容易くそれを上回る速さで斬り伏せた。
後ろに跳び退きもう一度間合いから外れる。
いったい、彼女の抜刀の速さはどうなっているのだ。それこそ常人では見ることさえ適わぬ一太刀。今まで見てきたどんな斬撃よりも速い。そう、ファルスコールのそれよりもだ。
『厄介なのはそれだけではありません。あの目で見られている以上、どんな行動さえも先読みされていると思った方が良いでしょう。もしも、先程彼女が抜刀をしていなくとも、ツキミさんの一撃は外れていましたからね』
そう、ルースの言う通りだった。今の俺の一刀。確実に彼女はその太刀筋を読んで、ほんの僅かな最小限の動きだけで、紙一重で躱せる体勢にもっていった。
今までの特訓で対峙していた彼女とは違う。違いすぎる。構えも立ち回りも全てがそれと違っていた。これが彼女の本気なのか。
――――――いや、当然ではないか。彼女はこの俺に合わせてくれていたんだ。俺の戦い方に合わせて木刀を振るい、俺を鍛えてくれていた。だが、今は違う。今の彼女は特訓の相手ではない。死合いをしている相手なのだ。
彼女は最初に言った。本気でやると。そう、これが彼女の本気。特訓で見せた俺の師ではなく、殺し合いで対峙する敵としての彼女。それが今までの彼女と同じなわけがない。
「……すぅ……はぁ」
深く息を吸いそれを吐き出す。
冷静になれ。考えろ。相手は世で最たる武人。闇雲に突っ込んで勝てるはずがない。
「……」
彼女の攻撃、抜刀術。そもそも抜刀術とは、刀を鞘に納めた状態から段階を経ずに相手を切り伏せる技。剣を構えた状態から振りかぶり斬る段階を経る一刀とは違い、相手に何の予備動作を見せることなく一撃を見舞うことができる。更に、納刀した状態からの一刀は剣筋を読むことも、その攻撃のタイミングを計ることもできない。剣道のように剣を構えた状態から始める剣術からすれば、それは不意打ちされるようなものだ。
今の自分が不利なのは言うまでもない。ならば有利な部分を考える。今の自分が彼女に対して勝っている部分は何か。
「……ルース、ちょっと聞きたいんだけど」
それは千草には聞こえない言葉だった。彼女に悟られては困る。唯一勝っているかもしれないものを知られるわけにはいかない。
「間違いないか?」
『ええ、私の見立てが正しければですが』
「ルースの記憶に入ってるんだろ? だったら俺はそれを信じるよ」
再び彼女を右脇に構えて間合いを詰める。
じりじりと少しずつ。
動いているのがわからないほどに。
その間、千草はピクリとも動かない。ただ見ているだけ。出方を見ているわけではなく、俺が動くのを待っている。
その時は永遠とも思えるほど長い時間に感じた。何度も集中力が途切れそうになったが、一か八かの勝負。二度目はなく、絶対に失敗するわけには行かない。
時がどれだけ進んだのか。
感覚が麻痺しそうなほどに疲弊している。
それでも着実に前へ進み、その一瞬に――――――懸けた――――――!
「だぁ!」
横薙ぎの一刀。それは彼女の胴を僅かに掠める一刀。しかし、彼女は鞘でそれを往なした。剣は弾かれ胴ががら空きになる。千草は踏み込みそこを鐺で鳩尾を一突きにした。
「んぐッ!」
今にも倒れそうな激痛が走る。だが、まだだ。これは死合い。ならばまだ終わりではない。
弾かれた剣をそのまま振り下ろす。が、千草は身体を右に傾け紙一重で躱した。そのまま彼女は鞘を後ろに引き、抜刀の構えに移る。
本来ならば見えない刀。しかし、身体を傾けた彼女のその体勢からは、その太刀筋が見えていた。
この一刀を防げば彼女は抜刀した状態になる。なんとしても防がねば。
「――――――」
刹那、首筋にピタリと冷たい刃が触れる。
「惜しかったね」
「……っ……」
速すぎた。太刀筋が見えていても、それがあまりにも速すぎて追いつけなかった。
千草は刀を引きそれを鞘に収めると、ふと周囲の空気が軽くなったように感じた。彼女が殺気を解いたのだろう。鋭い視線も感じなくなっていた。
「刃渡り八十センチの長刀。この模造刀より十センチ長い。抜刀で届かないぎりぎりのところから一太刀放たれれば抜刀は僅かに遅れる。それを防ぐには退くか流すしかない」
「気付いてたのか?」
「そりゃあれだけ慎重に来られれば気付くわよ。それに、今の高村君が勝っていることといえば、馬鹿みたいな筋力とそれくらいだけだからね」
つまり、最初からお見通しだったわけである。こちらも、槍を出して得物の長さの有利を更に突こうとも考えたが、それでは千草に気付かれると思い諦めたのだ。しかし、それも意味がなかったようで、それならば最初から槍で戦えばよかったと心から思う。そうすれば、あんなに神経を使わずに距離をとれたのだから。
「いい経験になったんじゃない? 最後の判断は、もしも高村君が私より速く剣を振り抜けたら勝敗はわからなかったからね」
だとしても、ようやく千草の切り札のひとつを使わせただけだ。抜刀状態の彼女がいつも相手になっている彼女とは限らず、そこから勝てる見込みがあったわけでもない。
「それに、結局は負けたんだ。良い判断をした、じゃ意味ないさ」
「そうね、本当なら「負け=死」だから、善戦したとかそんなものに意味はない。どんなに見苦しくても卑怯でも、生き残ることに意味がある。そして高村君は、勝負をつけたうえで互いを生き残らせようとしている」
それは勝負で生き残ること以上に難しいことだ。彼女の言うように敗北は死と同義。自身が勝てば相手は負ける。それを互いに生き残らせるのは至難の業。成す為には力が必要で、それでもできるかどうかはわからない。
「それでも俺はやるって決めたんだ。だから、なんとしてでも力が欲しい」
「そう。まぁ、それには協力するわよ。私も高村君には生きていて欲しいからね」
「ああ、ありがとう」
「礼なんて言わなくていいわよ。私だってやりたくてやってるだけなんだから。それに、そんな話をしてる暇があるなら特訓しましょ」
千草は今までの緊張感からはかけ離れた笑顔を見せ、もっていた模造刀を鞘から引き抜いた。その姿はある意味で先程より恐ろしいと感じた。
「あれ? いつもの特訓に戻るのか?」
構えが先程とは異なり、いつも特訓に付き合ってくれる彼女の構えだった。
「まぁね。あの子と私じゃ戦い方が全然違うでしょ?」
確かに、ファルスコールとの戦いは今のような一太刀で決めるような攻防ではなく、何度も剣を交えその隙を突くといったものだ。
「だから今のは、速い攻防の中でどうやって戦うか、っていうのをやりたかったわけよ」
「なるほどなぁ」
「って、感心してる場合じゃないでしょ。それに、言ってしまえば、彼女と戦う時はその攻防を常に繰り返してるってことよ」
「でも、あんなに速くはなかった気がするけどなぁ」
それは彼女が負傷し本調子ではなかったからだが、それを踏まえても千草の速さは彼女以上だと思えた。
「例えそうだとしても油断大敵よ」
正にその通りである。油断も慢心もできるような力を持っていないのだ。慎重になれこそ油断などできはずもない。
「ああ、わかってる。それじゃあ特訓の続きを頼むよ」
刀を構える彼女に対して同じく剣を交え、特訓を続けるのであった。
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「さて、今日はこの辺までにしておきましょうか」
最後の一太刀、千草の持つ刀が目の前で止まる。これで今日の勝率ゼロが確定した。
「あれ、やけに早く終わるんだな」
刀を納める彼女に向かって言うが、息はかなり上がっている。
まだ日は高く、いつもならまだ半分といったところだ。
「あの子といつ戦いになるかわからないんでしょ? だったら、いつその時が来てもいいように、無理はしないようにと思って」
「ん~、その方が良いんだろうけどさ」
千草の言うことは分かるが、自分としてはもっと力をつけたいわけである。まだまだこの程度では彼女に届かない気がして不安なのだ。
「じゃあ聞くけど、例えば今の高村君が十の力を持っているとする。でも、特訓で疲れ果てて五の力しか出せない。どっちが良いと思う?」
「そりゃもちろん十の力を出せた方が良いだろ」
「でしょ? それに、仮に今から更に特訓して十一の力を得たとしても、実際にその力を引き出すには時間が必要になる。練習したその瞬間に力が上がってる、なんて事ありえないでしょ?」
全く以ってその通りだ。スポーツ選手にしろ格闘家にしろ、常に百パーセントの力を出せるわけではない。彼らは試合のその一瞬に合わせて練習と休息を調整している。その休息が今ということだ。とてももどかしい気分だが、休息をとることも特訓の内なのである。
「ちゃんと休んで、いつその時が来てもいいようにすること。分かった?」
念を押すように言う千草に渋々頷き返す。
「よろしい。それじゃ、やることもないし、ちゃっちゃと帰りましょ」
言うが早いか、千草は鞄と竹刀袋を肩に掛け既に帰る準備を終えていた。
「あ、そうそう、ちょっと気になったんだけど……」
こちらも帰る準備をするために変身を解いたり、脱ぎ捨てた学ランを鞄に詰め込んだりしていると、既に屋上の扉の前で待っている千草が呟くようにいった。
「え、どうしたんだ?」
あまりはっきり聞こえなかったので聞き返したのだが、
「ううん、やっぱりいいや。今これを言うとちょっとあれだから」
と答えてくれなかった。
「何だよ、気になるだろ」
「だから何でもないって。いつかは言うからその時まで待ってて」
今度ははぐらかされてしまった。
そのいつかはいつやって来るのだろう、と疑問に思いつつ帰路につくのだった。
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「じゃあな千草」
「うん、気をつけてね」
校門前で千草凪は高村月海と別れ、彼と反対方向に歩き始めた。
先程、彼女自身が言いかけたこと。それを頭の中で思い返していた。
高村月海は普通の中学生。自身の様に幼い頃から刀を握っていたわけでもなく、戦う術を学んでいたわけでもない。そんな素人が真剣を握り他人に斬りかかる。常人なら恐怖が先行して上手く扱えるものではない。例えできたとしても、人を斬ったという事実をその人自身が受け入れられるのか。いや、無理だ。千草自身でさえ覚悟はしていても人を斬った事はないのだ。
常に恐怖を抱いている。手に持つ刃は簡単に人を斬ってしまうもの。触れれば皮膚を裂き、力を込めれば筋を断ち、振り下ろせば骨さえも斬り落とす。そんな凶器を持つ手が震えないわけがない。
だと言うのに、高村月海にはそれがなかった。まるで迷いがないように。それが簡単に人を斬ってしまうことを理解しているのに、臆すこともなく剣を振り下ろした。
感情と身体を切り離しているのか? いや、そんなはずはない。確かに高村月海の剣からは意思と感情を感じ取った。そして、そこにあったのは恐怖ではなかった。相手の力に対する恐怖は感じるくせに、自身の振るう力には恐怖しなかった。
「高村君、あなたはいったい……」
常人ならば感じる感情を持たない。いったい何が彼をそうさせるのか。
千草凪はそんな彼に恐怖し、哀れみ、悲しんだ。