スティーレの王女
「――――――」
目を開けると、そこに広がったのはいつもの景色だった。
時計の秒針の音も、外から聞こえてくる鳥の鳴き声も、窓の隙間からこぼれる朝日も、いつもと変わらない。
ただ違うのは、隣に藍の少年が眠っていることだ。
いや、「隣」というのは語弊があるので訂正しよう。少年は横にある椅子に腰掛け、寝息をたてている。いつでも起きてきそうな雰囲気である。
更に訂正しよう。実は彼は、少年ではなく少女だった。つまり、彼ではなく彼女だ。
いきなり何を言っているのかわけがわからないと思うだろうが、それが事実である。
そう、あれは、今から遡ること十時間ほど前の話だ。
============================
家に無事帰ってきた俺は、飯食って風呂入ってごろごろしていたわけだ。フレッドはその間、ずっと部屋にいた。
「お前、風呂に入らなくていいのか?」
「ああ、ここへ来る前にシャワーを浴びてきたから大丈夫だ」
そういえば、あの部屋で彼に起こされた時、少しだけいい香りがしていたのを思い出した。
「でも、これから毎日俺の護衛につくんだろ? そしたら、風呂だけじゃなくて、飯もどうにかしないといけないんじゃないか?」
「一応、僕はこれでも軍人だ。数日の間、風呂に入らないことなんて、たいしたことでもない。それに食料だって持ってきてある」
そう言って彼は、床に置いてある鞄から小さな袋をいくつか取り出した。
「それってもしかして・・・・・・」
「野戦食料だ」
「やっぱりか」
以前テレビで見たことあるような袋だなぁと思ったら、やはりその類のものだったか。
「ちなみに、これは日本製のものだ。この国のものはレーションであるにも拘らず、味も良くて尚且つ調理に手間と時間が掛からない。レーションとしての利点を損ねずにここまでの味を出すなんて、この国の、いや、この世界の技術力はすごいな」
力説する彼の目はとても輝いていた。
ルースから聞いていたが、スティーレは魔法と科学を掛け合わせた技術を運用しているそうな。その国の人間から見た地球の技術力は相当なものなのだろうか。
「でも、どうやって手に入れたんだ?」
フレッドがここへ来てから数日が経っているが、その間に買ったのだろうか。
しかし、彼が日本円を持っているとも思えない。買ったとしたならどうやってその日本円を手に入れたのだろうか。
「ああ、実は金を得るために短期のアルバイトをしていたんだ」
「っておい! ドディックジュエリを探してたんじゃないのかよ」
「もちろん探していたさ。だが、ここへ来る時に手ぶらで来てしまってな、それでやむなく現地調達をするために金を稼いでいた」
彼曰く、駅前でティッシュ配りをしながらドディックジュエリの反応を探していたそうだ。もしかしたらどこかで出会っていたかもしれなかった、ということだ。
「しかし、よく雇ってくれたな。履歴書とかどうしたんだ? 学歴とか資格とか書けないだろ」
「そこは履歴書なしの面接だけで合否を決めるところだったから、問題はなかった」
おい、いいのかそれで、日本の企業よ。
「まぁ、僕のことには構わず、普段どおりに過ごしてくれ。と言っても、難しいだろうけど」
「そりゃそうだ」
いきなり人が来て、今から一緒にこの部屋で過ごすとなれば、普段どおりなんて無理な話である。
「いや、そう言う意味ではなくてだな。あー、君は彼女たちのことは気にならないのかい?」
フレッドはどこか話し辛そうにした。
彼女たち、とはもちろんルースとアレスのことだ。
二人はこれからも今まで通りに活動を続けるらしい。が、まだこちらには帰ってこられないそうだ。もし、帰ってこられたとしても、今まで通り一緒にいられるかどうかはわからない。
「それだけじゃない。君は今、護衛される立場にあるが、それは監視されているのと同じだ。君が戦ったりすることはさせないし、君がやろうとしていたことはもうできない」
「それはわかってるけど、どうにもできないことならどうにもできない。今ここで俺が何かをして変わるのならそうするけど、変わらないのなら今を受け入れるしかない」
「随分と物分りがいいんだな」
「そんなこと無いさ。すごい悔しいと思ってるし、そのおかげで今の自分にはできない、ってこともわかる。でも―――――」
「でも?」
「まだ終わってない。確かに幕は引いたけど、もう一度その幕をあげる事ができると思ってる。何の根拠もないけどな」
そう、まだ全てが終わったわけじゃない。今は何もできなくても、この身がある限り何かはできる。それならば、まだ終わっていない。
「やはり、君は変わっているな。ポジティブと言うべきか、それとも周りしか見ていないと言うべきか」
フレッドは苦笑にも似た声で言った。
「どちらにしろ、今はどうにもできないことに変わりはない。そして、君が危険な場所にいると言うことも変わらない。なにしろ、君はあの娘に気に入られているようだからね。襲ってくるなんてことは無いと思うが、用心するに越したことはない」
「そんなに心配することじゃないと思うけどなぁ」
と思ったが、彼女は戦いの事になると少し性格が変わる気がするので、安心はできない。
それに彼女だけではない。今、この町全てが危険であることは変わっていない。
そのためにフレッドは護衛についたのだろう。ドディックジュエリの暴走に巻き込まれないためではなく、自らそこに行くのを止めるために。
「でもあれだな。男二人でこんな狭い部屋で過ごすのは、少しむさ苦しいな」
自分の部屋なのにこんなこと言うのは何だが、あまりに片付いていない部屋なので、かなり過ごし辛いだろう。
それなら片付けろよ、というツッコミはなしだ。
「・・・・・・」
「ど、どうした?」
何故かすごい目でこちらを見てくるフレッド。
「い、いや、別にフレッドが邪魔とかそう意味ではなくてだな・・・・・・」
「そうか、君には僕がそう見えているのか」
と言うと、彼はものすごく深い溜息を吐いた。
「わ、わるい。悪気があったわけじゃないんだ」
「いや、別に君を責めているわけじゃない。初めに説明しなかった僕が悪いんだ」
彼は椅子から立ち上がり、改まるようにした。
「スティーレ国第二王女マリーノ・S・フレッドです。誤解を招くようなことになってしまい、申し訳ありませんでした」
フレッドは今までとは違う、ものすごく女性らしい声でそう言った。
頭を軽く下げるその姿は、前にも一度見た軍人としての彼とは全く違う彼女だった。
「―――――」
開いた口が塞がらないとは、こういうことを言うのだろうか。
目の前の少年が挨拶をしたと思ったら少女になっていた。
何を言っているのかわからないと思うが、つまりそういうことだ。
「つまりだな、僕はそういう人間だということだ」
フレッドは少し顔を赤くしつつ、いつもの話し方で言った。
「え、えっと、スティーレの王女様っていうのがフレッドの本当の肩書きで、特務部の少佐っていうのは世を忍ぶ仮の姿ということか?」
「いや、世を忍んでいないし、両方とも本当の肩書きだ」
国の人間は皆知っていることだから、俺に説明するのを忘れていたそうだ。
王女だとか何とかよりも、彼は男ではなく女であったことの方が驚きである。つまり彼ではなく彼女だ。
「言われてみると、顔立ちが女の子っぽい気がする、けど・・・・・・」
「なんだ? その顔は信じていないといった感じだな」
今まで男だと思って接した人間に、急に女だと言われても信じられない。
「それはアレか? 僕に女である証拠を見せろと、そういうわけか?」
少年もとい少女は顔を赤らめた。
「いやいやいやいや! そんなことしなくていいよ!」
「そ、そうか、いくら男装をしているからと言っても、男に身体を見られるのは、な」
男装していようが女である以上それは当然だと思う。
だがしかし、どうして一国の王女が男装をしているのだ、と疑問を投げかけるとこう返ってきた。
「母の趣味だ」
「は?」
いやいや、落ち着け。まさか趣味とかそんな理由で、自分の娘に男装をさせ、さらには一人称まで「僕」にしてしまうなんてありえるのか?
「物心ついた時からこれだったから気にしたことはないが、おかしいと気付いたときには時すでに遅かった」
しかし、男として育てられたわけではなく、普通に女の子として育てられたので、格好と口調以外に男の要素はないらしい。所謂ボクっ娘である。
ちなみに、姉はオレっ娘らしい。
「ま、まぁいいや。人の趣味をとやかく言うつもりはない」
「僕の趣味みたいに言わないでくれないか」
少し顔を膨らませ怒るようにする彼の仕草は、少女とわかった途端に何故か愛らしく感じた。
「そ、そんなつもりはないぞ。たとえフレッドの趣味だとしても、俺はそれを受け入れる」
「いや、だから、そういう意味ではなくてだな・・・・・・」
と言うと、いつものように溜息を吐いた。
「ともかく、僕は女だ。それをわかってくれるだけでいい」
「あ、ああ、わかった。フレッドは女だ」
と、口では言うが、外見も口調もいつも通りなので、接し方が変わるわけではない。
しかし、女性という正体を知っている今、どこか心持が変わっているのも事実である。それに下手なことはできない。そう、色々と。
===========================
「ああ、目が覚めたのか」
昨日のことを思い返していると、ふとフレッドに呼びかけられた。
「なんだ、起きてたのか?」
掛け布団を払い除け身体を起こし、彼女の座るほうを向いた。
「いや、僕も今起きたところだ。君の起きる気配がしたからね」
「起きる気配って・・・・・・」
寝ながらも意識があるというのか、この人は。
それにしても、フレッドが女だということが未だに信じ難いことである。信じ難いだけであって、信じていないわけではない。
そして、女だとわかっている今、こうして同じ部屋にいるとやはり意識してしまう。
「ところで、今日は何か予定はあるのか?」
フレッドはギッと椅子の音を立て身体をこちらに向けた。
「何かって、特にないけどなぁ」
もともと日曜日に予定なんて入っていない。だからと言って、何もしないというのもどうかと思う。だが、やることはない。
しかし、やはりというべきか、考えてしまうのである。
「お前たちはどうするんだ?」
「僕ではなくて、僕たちのことについて聞きたいのかい?」
「ああ」
「話すと思うかい?」
予想はしていたが、話してはくれないようだ。
アレスとルースはこれからもドディックジュエリを探す。だが、それ以外は何をするのか知らない。
何か状況は変わったのだろうか。ルーナとのことも、今の段階では平行線のままだが、それをどうにかする方法は見つかったのだろうか。
頭の中では、気になって仕方がないのである。
「たしかに、君の言う通りになれば丸く収まるのかもしれない。ソルもルーナも、そしてスティーレも、いざこざなんて無くなって共に歩む事ができるかもしれない。でも、君の知らない何かが、裏で起きているとしたら?」
「・・・・・・?」
それはまるで、本当に裏で何かが起きていると言いたげだった。
「僕だって全てを知っているわけではない。知らない事だってある。ルーナが何故ドディックジュエリを求めているのか、その明確な理由を知らない。それは君だって同じだ。そして、それ以外にもまだ、僕たちが知らない何かがあるかもしれない。それなのに、目の前にある問題だけを片付ければ丸く収まるなんて、虫のいい話しだと思わないか?」
「そうだけどさ、それを片付けなくちゃ始まらないだろ?」
「そう、始まらない。だからこうして僕がここにいる。その話を片付けるのは君の役目じゃない。僕たちの役目だ。君のやろうとしていることを否定するわけじゃない。それを君がしなければいけない理由が無い、ということだ。まぁ、君の性格上、聞いてはくれないだろうけどね」
「結局、何が言いたいんだ?」
今は何もできない、ということはわかっているのだ。それ以外に何かを言いたい事があるのだろうか。
「いいや、本当にそれが言いたかっただけさ。今の君は何もできないとね。僕は君の護衛のためにここにいる。君を守るためにはじっとしていてもらうのが一番なんだ」
「・・・・・・お前、意地が悪いな」
まだ終わっていないと言ったそばから、何もできないと追い討ちを掛けるなんて。
そりゃまぁそんなことは知っていることだが、何度も言わなくてもいいだろうに。
「悪いね、これが僕の仕事だ」
「とても王女様とは思えないな」
「い、今は関係ないだろ! それに、例え僕が王女としてここにいたとしても、君を巻き込まないように諭すさ」
散々言われてきたことだが、彼女たちは関係のない俺を巻き込まないようにしてくれている。それはありがたいことで感謝すべきことなのだが、どうにも自分でやらなければ気が済まないようだ。
フレッドが言うように、俺が関わる理由は無い。関わったところで足を引っ張るだけ。そうならないように特訓をしてきた。自分自身の力で解決できるように。
それでも彼女たちは俺を巻き込まないようにするだろう。
ルースも俺の考えに同意してくれたけど、それでも俺を守るように事を運んでいた。
彼女は彼女自身で俺の考えを成そうとしている。
「それが腹立たしいかい?」
「腹立たしい? ・・・・・・そうかもしれないな」
俺に付き合うと言ったのなら、どうして俺を守ろうとしたのか。
「それが、ルースの望みでもあるからさ。彼女が君を特訓させたのも、ファルスコールに勝たせるためではなく、負けないようにするためだろう。自分の身を自分で守れるようにする。君にとっては一番の「守る」だったのだろうね」
「最初から、そのつもりだったのか?」
「どうだろうね? 僕は何も聞いていないからわからないが、少なくとも君を守るつもりだったのは言うまでもない。そして、君と一緒に全てを守る方法を見つけようとしていたのも事実だろう」
それでいて、彼女は今、別の場所にいる。
彼女と一緒にいないことを不満に思っているのか、それとも今の自分にはできないことを不満に思っているのか。
「君はどうあっても自分で事を進めたいみたいだね」
そんなつもりはない、とは言い切れない。
結局、彼女たちのことを知って、今この町に起きている事を知って、それを何とかしようとしたかった。
誰かが解決するのを待つのではなくて、自分で解決しようと。
最初は、できるのが自分しかいないからと思っていたが、今は自分でやりたいと思っている。
「まぁいいさ。君が何を思おうと、何をしようと、僕のやる事が変わるわけではない」
フレッドは言い直ると付け足すように言った。
「僕の仕事は君の護衛だ。言葉通りの意味でね」
また含みのあるような言い方をするフレッドだった。
「う~ん、お前のことがよくわからん」
「別にわかってもらわなくていいよ」
言うと彼女は椅子から立ち上がった。
「君は君のやりたいようにようにすればいい」
できないと言ったり、やりたいようにすればいいと言ったり、いったい何がしたいのだろうか。
「――――――とりあえず、着替えて飯を食うか」
時計を見ると、いつもは朝食を食べている時間だということに気がついた。階下で朝食を作り終えたであろう母が待っているかもしれない。
と、着替えるために上着を脱ぎ捨てた時だった。
「――――――っ!」
フレッドが顔を背け、バッと後ろを向いた。
「ん・・・・・・ああ、悪ぃ、忘れてた」
彼女が女であると言うことをつい忘れてしまう。頭で理解していても、彼女の姿が男である以上、彼女を男として認識してしまうようだ。
「俺は別に見られても平気なんだけどな」
「ぼ、僕が平気じゃないんだ! き、君にはデリカシーというものがないのか!?」
「一応、持ってるつもりだけど、男女の認識の違いから生まれるものはどうにもならん。これからは気をつけるよ」
と言いつつ着替えを済ませる。
「よっと、それじゃあ飯食ってくるから、適当にくつろいでいてくれ」
扉を開けて外に出るときに、フレッドがいつものように溜息を吐いたのがわかった。