やりたいこと、やるべきこと
カチカチと時計の秒針の音が部屋に響く。ベッドの上で仰向けになり、目の前の白い天井をぼーっと見つめていた。
もう、このまま動きたくない。このまま眠りにつきたい。
そう思い、重い瞼を閉じかけたときだった。
『それでは、特訓を始めましょうか』
ルースは静かに言った。いつもと変わらないその声で。
「やるのかぁ?」
変わらず天井に顔を向けたまま、気の抜けた声で話す。
『当然です』
「だよなぁ~」
だからといって、この身体はもう指一つ動かない。というのは冗談だが、全身鉛のように重い。
そう、いつだったか、魔力の使いすぎでぶっ倒れたときのように。
「あ~、本当にぶっ倒れるまでやるなんて思わなかった」
あの後の千草家での特訓は、本当に身体が動かなくなるまで続いた。正確にはたった数時間(一昨日の千草との特訓と同じ位の時間)で、身体が動かなくなるほどの特訓をした、ということだ。
ルースの言ったように、彼らの動きに合わせようと魔力を使って無理やり動いていたのかもしれない。
良く言えば、魔力を使えば彼らの動きについていけるということ。悪く言えば、たった数時間で魔力を使い果たしてしまうということ。
身体強化のみでこんなにも早く魔力を消耗してしまっては、肝心の魔法戦で全く役に立たなくなってしまう。とルースは言う。
身体強化に使う魔力と自然から取り込む魔力の供給は、同類項で結べなくてはいけない。それは当然である。だからこうしてぶっ倒れるようなことになっているのだ。
『ツキミさんの成長は、私の目から見ても凄まじい早さです。しかし、今の状況ではそれでも遅い。ツキミさんにはもっと頑張ってもらわなければいけません』
そんなことは当然わかっている。ちょっとやそっとでは追いつけない相手を、止めようとしているのだ。頑張る、なんて生易しいことを言っている場合ではない。
ただそれをやる。強くなるために。彼女と対等になるために。
残された時間は数えるほども無い。その時間の内にやらなければいけない。不可能だろうと可能にしなければいけない。それが、自身の望むものに必要なことだから。
『あなたにとって酷なことであるのは知っています。今でもやめるべきだと思っています。それでも私はあなたを鍛えます。あなたの望みに答えるために』
「ルース・・・・・・」
ルースは人を守るために作られた。だから今彼女のしていることは正しくもあり、間違ってもいる。それでも俺に付き合うと言ってくれたのだ。ならば答えるしかないだろう。
「そうだな、お前の望みもそこにあるんだからな」
道は他にもあった。でも、選んだのはこの道だ。この道以外、選びたくなかった。
だから止まらない。止まってはいけない。止まる選択肢など無い。
「やろうぜ、特訓。ぶっ倒れようがどうしようが、この身体が無事ならやり続けるよ」
『そうですね、やりましょうか特訓を』
重たい身体を起こし、ベッドから立ち上がった。
この身体でどこまでできるのか不安だが、やるしかない。
「ところで、その特訓してくれるアレス先生はどこに行ったんだ?」
家に帰ってきてから晩飯を食べてベッドに倒れこむまでは一緒にいたのに、いつの間にか姿が見えなくなっていた。
『アレスなら屋根の上で準備中ですよ』
「屋根の上?」
なんでまたそんなところで準備なんかしているのだろうか。
『部屋の中で魔法を使うわけにはいきませんからね。まぁ、結界を張ったり衝撃を吸収するクッションを用意すれば、部屋の中でも問題はないのですけど』
「悪いけど、これ以上身体を動かすのは辛いぞ」
立ったり座ったりはいいが、屋外というか屋根の上に上るのは肉体的に無理だ。
『そうですね、でしたらやはり部屋の中でしましょうか』
とルースは言うと、念話でアレスにその旨を伝えた。
「え~、折角作ったのにぃ~」
「悪いな、俺も動けたらそっちに行きたいんだけど、どうにも無理そうだ」
「ううん、つきクンは悪くないよ。それじゃあしょうがないな。今からそっちの部屋で準備するから、待っててね」
アレスは言うやいなや部屋に現れ、着々と魔法教室の準備をしていった。
そして数分後・・・・・・
「ふぅ~、よし、これで完成っと」
アレスは見えない何かと格闘していると、最後になにやらスイッチらしきものを押した。すると、カチッと音がし、薄い赤色をしたマットらしきものが、ボンっとどこからともなく何枚も飛び出した。
「なんだこれ? というからどこから出した」
「屋根で準備してたものを魔法で簡易封印して、それをここで開けただけだよ。それで、これは超底反発マット。このマットさえあればどんな衝撃も吸収できるよ」
「簡易封印?」
「うん、マットだけならそのまま持ってこれたんだけど、結界も張っててそれも一緒に持ってきたかったからね。その空間にある魔法で作ったものを封印してここまで持ってきたの。簡易封印っていうのは、簡単に言うと魔法で作った箱だね」
「へぇ~」
魔法って便利だなぁ、とつくづく思う。
「それで、そのマットはどれくらいの衝撃なら耐えられるんだ?」
「えっとねぇ、じゃあちょっと見てて」
と言うと、アレスは掌に光弾を作り出し、それをマットにぶつけた。
だが、光弾は爆発せずに床に落ち、空気中に霧散していった。
「まぁこんな感じかな? 初級魔法くらいならこれで防げるよ」
「おお、それって何気にすごくないか?」
初級魔法とはいえ、コンクリートの壁に穴を開けるほど威力があるのだ。それを防いでしまうとは、かなりの衝撃吸収率なのではないだろうか。
「それも元々は何か別の用途で使うものなのか?」
「うん、これはね、引越し屋さんが荷物を運んだりするときとかに使うものなんだ。割れ物注意とかね」
なるほど、それは納得の使用方法だ。地球でも同じような物があった気がする。
「よいしょっと、これでいいかな」
アレスはそのマットを半円を描くように部屋の隅から隅へと置いた。
「これで部屋の中で魔法を使っても大丈夫だよ。もちろん初級魔法のみだけどね」
「ああ、わかった。それじゃあ、早速やりますか」
と、重たい腕を上げ、昨日アレスに教わった万能ネットの魔法を掌に作り出した時だった。
『アレス、少しいいでしょうか』
ルースが止めるように間に入った。
「ん? どうしたの?」
『結界がまだ起動していませんが、大丈夫ですか?』
と聞くルースに、アレスは慌てるように何かを始めた。
そして、何かが部屋の中を覆う感覚がした。恐らくアレスが結界を張ったのだろう。
「だ~もう、気付いてたのなら早く言ってよね!」
『いえ、わざとかと思いまして』
「そんなわけないでしょ!」
アレスはフンッとルースから顔を背けた。
「それじゃあ気を取り直してやるよ」
なんだかんだありながら、この二人は相変わらずである。
「あ、ああそうだな」
夜はまだ長い。
今はただひたすら特訓するのみだ。
少しでも理想に近付くために。