千草先生の剣術教室
屋上へと繋がる階段。その一番上、つまり屋上に出るための扉の前で私は立ち尽くしていた。
ドクンと心臓が跳ね上がる。手は妙に汗をかいているし、足は変に震えている。
「お、落ち着け、うん、落ち着け千草凪」
言い聞かせるようにするがあまり効果は無い。寧ろ余計に意識しすぎておかしくなる。
事の発端はついさっき。ホームルームが終わってすぐのことだった。
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「なぁ千草、今日って部活休みだよな?」
高村君に再び似たような質問をされた私は、また何かわからないことを言い出すのではないかと心配していたのだが、予想通りそれは起きた。
「ちょっと屋上で話があるんだけどさ」
「屋上? なんでまたそんなところで」
何を言い出すのだと思い身構えていたのだが、
「ちょっと人がいないところで話がしたいんだ」
と、とんでもないことを言い出した。
「そ、それってもしかして・・・・・・」
色んな妄想を頭で巡らせながら、どんな話なのか聞きだそうとすると、高村君は頑なに拒んだ。
「ああ悪い、あんまり人前だと話し難いことなんだ。だからそのときに話すよ」
なんと、そんなにも拒むのか。それは余程のことではないのか。
「じゃあ待ってるから」
と言って、高村君は去っていってしまった。
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見事に予想を裏切ってくれた高村月海。それを良い意味で捉えるか悪い意味で捉えるかは、今の私にはわからない。しかしだ、誰もいない場所で密会するということつまりそういうことなのだろう? いやしかし、それ以外の可能性も十分にありえる。いや、高村君ならばその可能性の方が高い気がする。
「高村君には入江さんがいるしね・・・・・・」
パツキン美少女の例もあるが、彼は否定し実際のところはどうなのかわからない。
「くそっ、なんて男だ」
なんてことを考えていたら、また心臓がバクバクしてきた。
「うぅ~、このドアノブを回したら最後。高村君の言葉を聞くまでは帰れなくなってしまう」
聞きたいような、聞きたくないような。しかし、呼ばれたからには聞き届けなければいけない。
私はドアノブをゆっくりと回し屋上へと出た。
「はぁ! 剣道を教えろぉ!?」
「あ、ああ、頼むよ」
昨日、家に帰ったあと色々考えたのだが、結局はあの少女ファルスコールと戦わなくてはいけないのだ。ならば、このままではいけない。強くならなければ。ということで、剣術の達人(かどうかは知らない)である千草凪に剣術を教えてもらおうと思ったのだが
「ったく、何よ。乙女の気持ちを返せ!」
という状況である。
「・・・・・・俺、何かした?」
「してない! してないからこんなことになってんのよ」
わけがわからない。
「で、なんでまた剣道なんて教わろうとしたの」
「ま、まぁいろいろあってだな」
これまた答えることのできない質問である。
「別にいいんだけどさ。何か隠してるのはバレバレだけど、どうせ教えてくれないんでしょ」
「・・・・・・すまん」
こればっかりは教えるわけにはいかないのだ。
「でも、なんで私に言うの? そんなに剣道やりたいなら剣道部に入ればいいじゃん。高村君部活もやってないんだし、ちょうどいいんじゃないの」
千草の言う通りである。剣道を学びたいだけならば剣道部に入ればいい。しかし、俺が学びたいのは剣道ではない。剣で戦う術を知りたいのだ。
「剣で戦う術、ね。だから私を頼ったと」
実家が剣道場で尚且つ剣術をやっている千草ならば何かを学べる。そう思ったのだ。
「ねぇ高村君。さっきは別にいいって言ったけど、やっぱり教えて。高村君が剣術を学びたい理由」
「・・・・・・教えないと駄目か?」
「駄目ってわけじゃない。ただ、私がやってる剣術は人と戦うためだけに造られたもの、ってこと。剣「道」ではなく剣「術」。しかも、その剣術からも少し外れた、型のないただの戦うための手段。その意味がどういう意味か、わかるよね?」
千草は問いかけた。これがわからなければ教えることはできない、といわんばかりに。
「ああ、わかるよ」
剣術。それは剣を扱い戦うもの。そして、それがただ人と戦うためだけの手段ということは、即ち殺し合いを意味する。
「他の剣術から外れるっていうのはね、本当にそれだけの意味しかないから。戦いの手段。いかに自分を守り、いかに相手を倒すか。ただそれだけ。礼儀作法も存在しない。他の剣術家が見たら、たぶん怒るかもね」
「戦うだけのもの・・・・・・」
「そ、だから聞きたいの。何で剣術を学びたいのか。そして、それをどう使うのか」
それは当然の問いだった。千草の剣術がただの戦うための手段であるなら、それを使う為には理由が要る。
「俺はみんなを守るためにその剣術を使う。細かい理由とかは言えないけど、とにかく誰かを傷つけるためじゃない」
「・・・・・・守った相手は?」
「・・・え・・・・・・」
「守るということには三つのものが存在する。一つは守られるもの。一つは守るもの。そしてもう一つは犯すもの。守ることは即ち、犯すものから守られるものを守るということ。それは誰かを傷つけることじゃないの?」
千草の言う通りだ。俺はそれで悩んでいた。でも、もう答えは見つけた。いや、千草に教えてもらった。これでいいのだと。
たぶん、千草もわかって聞いたのだろう。ここで決意が揺らぐのなら、教えるわけにはいかないと。
「俺はそいつも守る。そいつも助ける」
そう、俺はそのために戦う。守るのはこの町だけじゃない。アレスもルースも、ファルスコールもブイオも。ソルとルーナが傷つけ合わなくていいために戦う。
「・・・・・・はぁ、結局、詳しいことは教えてくれないんだね。まぁでも、高村君の気持ちはわかった。んでもって、またあのパツキン美少女が絡んでるんだね」
相変わらず鋭い。これまた女の勘だろうか。
「察するに、この間はぶん殴りに行ったけど返り討ちにされた、って所かな」
「一応、善戦はしたつもりなんだけどな」
実際のところ、彼女はアレスと戦った後でかなり体力を消耗し、身体も相当な傷を負っていた。いい勝負をしたとは言い難いし、何よりあれは俺の負けだった。
「わざわざ剣術を学びたいって言うくらいだから、やっぱりあの子は相当な手だれだったってことね」
「見ただけで相手の強さとかわかるのか?」
「まぁなんとなくだけどね。身のこなしっていうのかな。あ、この人戦いを知ってるな、って感じで」
そんなことがわかってしまうとは、やはり千草は只者ではない。
「じゃあ早速だけど練習しましょうか?」
「え、良いのか?」
「良いも何も、高村君が教えてくれって言ったんじゃない」
「そうだけどさ、意外にあっさりしているなと」
自分で理由とかを聞いてきたわりには、最初から教える気だったような感じだ。
「高村君が剣術を使って悪さするような奴なら逆にお仕置きしてたところだけど、高村君は違うってわかってたから」
「じゃあ、俺を試したってことか?」
「そういうこと。勿論、半端な気持ちなら教えなかったし、本気だってことを知りたかったから」
千草は笑顔で答えた。どこか悪戯な笑みを浮かべて。
「さぁさぁ、高村君覚悟してね。戦うってことがどれだけ厳しいことか教えてあげるから」
なんで千草はこんなにも笑顔なのだろう。サディストの気があるんじゃないだろうか。
「じゃあまずは基本的なことから」
と言うと、千草はクイズ形式に問題を出した。
「戦いで一番重要なことはなんでしょうか?」
ここでの戦いというのは、一対一、一対多の白兵戦のことだろう。
これまでに何度か戦いをしてきたわけだが、そういうことは一切考えなかった。
「はい、時間切れ」
「はやっ! もうちょっと考えさせてくれよ」
「時間の無駄だからやっぱりいいや」
なんだこの人。
「正解は相手の攻撃を見極めることです。単純なことだけどすごく重要なことだよ」
と言うと肩にかけていた竹刀袋から竹刀を取り出した。
「さぁ実際にやってみよう」
「え、ちょ、待って・・・・・・うわっ!」
問答無用といわんばかりに竹刀を振り回す千草。
「本気は出さないから大丈夫だって」
その割にはブンブン唸っているのですが。
「さ、ちゃんと見ててよ」
千草は竹刀を上段に構えると勢いよくそれを振り下ろした。
「いっ!」
後ろに跳んで何とかそれを避ける。
次は胴、脛、腕。身体のありとあらゆる場所を様々な攻撃方法で狙ってくる。
「いいじゃんいいじゃん、その調子」
笑ってるよこの人。
「ちゃんと避けられてるね。意外に身軽なんだ」
そりゃ、この何倍もの疾さの攻撃を何回も受けたのだ。避けるだけならまだ何とかできる。
「よし、じゃあ次の質問」
千草は攻撃の手を止めずに続けた。
「この練習に意味は有るか無いか。はいどうぞ」
「え!? えっと」
「はい時間切れ。正解は・・・・・・」
「―――――!」
身体が凍りつく。一瞬にして全身の血の気が引いていった。
この感覚は間違いない。あの少女と戦ったときにも感じた。
「・・・・・・っ」
のど元に突き付けられた竹刀の切っ先。まるで磔にでもされているような感覚に陥る。
「勿論、無い。今までのはただ高村君がどれくらい動けるのか見てただけ。見える攻撃を避け続けても意味ないからね。重要なのは最後の攻撃。高村君さっきの攻撃見えた?」
見えなかった。いや、それどころではない。
最後の一撃。その攻撃に移る動作がまるで見えなかった。最後のそれだけが、まるで時間がすっぽりと抜けたかのように存在しなかった。
「攻撃を見極めるって言うのは、目で見るだけじゃできない。感じることも必要」
千草の鋭い眼光が身体を刺す。今になって恐怖を感じた。身体が震えているのがわかる。
「そして何より、今高村君が感じている恐怖が一番重要になる」
「恐、怖・・・・・・?」
千草の言葉が頭に入ってこない。あまりの恐怖に考えることを忘れてしまっている。
「・・・・・・」
千草はふっと目を閉じた。すると、金縛りが解けたかのように、身体の緊張が解ける。
身体中から汗が吹き出す。カッターシャツがべっとりとへばりつき、ズボンもベトベトで気持ち悪い。
「ごめんごめん、大丈夫だった」
再び目を開いた千草は、いつもの隣の席にいる千草だった。
「はぁあぁぁ、すっげー嫌な汗かいた」
「だからごめんってばぁ。ほらジュースあげるから」
千草が持ってきたペットボトルのジュースは、飲みかけのスポーツ飲料水だった。
「い、いや、大丈夫」
「そう? 飲んどいたほうがいいと思うけど」
女の子が口にしたものを飲むということが何を意味するのか、この人はわかっていないのか。
正直に言おう。俺は飲みたかった。飲みたかったのだ。だがしかし、それはイケナイことだと脳が察知した。クラス中の男子の顔が浮かび、そいつらがやってはいけないと諭してくれた。
「俺は誘惑には負けないよ、みんなっ」
「・・・・・・? まぁいいや。それじゃあさっきの続き。相手の攻撃を見極めるってやつね」
千草は手に持った竹刀を再び突き付けた。
「高村君、この竹刀は見えるよね」
「あ、ああ、見えてる」
「じゃあこのまま前に突き出すと・・・・・・」
千草はその竹刀をゆっくりと前に突き出した。
「うわっと」
思わず飛び退ける。
「今のは目で見てぶつかると思ったから避けた、でしょ? じゃあ今度は・・・・・・」
千草は横に回り込み
「っ!」
瞬間、鋭い何か、刃物か何かで突き付けられたような感覚を右腕に感じた。
反射的に横に飛ぶと、元いた場所の右腕部分を竹刀が通り過ぎていった。
「今のが感覚的に攻撃が来るって感じたから避けた」
「それが見極めるってことか?」
「う~ん、見極めるってのとはちょっと違うかな。これはただ、攻撃が来るってことを察知して避ける、っていう回避の基本みたいな感じだから。見極めるっていうのは、まだまだ先の話だよ」
回避の基本。戦いの基本の中の基本ということか。
「本当はこの感じるってやつも普通の人はあんまりできないんだけど、高村君はなんかできてるみたいだね」
なんか、でいいのだろうか。
「それじゃ最後」
と言うと、千草は再び横に回り込み
「わっ!」
と、大きな声をだした。
「うわっ! ちょ、なにすんだよいきなり」
「はは、ごめんごめん。そのビクッてなるやつが最後に言ってたやつ。人間の反射っていうのかな。それが一番重要だったりするの」
「反射、か」
身体が危険だと感じたときに、脳までその情報が行く前に身体が勝手に動くこと。例えば水だと思って指を突っ込んだら熱湯だったときにビクッとなること。この反射がなければ脳までの情報伝達に時間が掛かり、熱湯の中から指を取り出すのが遅れてしまう。いわば人間の防衛本能のようなものだ。
「これを使えば結構疾い攻撃も避けることができるんだよ」
と、千草は簡単そうに言ったが、そもそも反射は無意識に行われるものであって、自分からどうこうできるものではない。
「そこで、さっき言ってた恐怖だよ。恐怖を感じることは即ち反射に繋がる」
「ん~、よくわからん」
「ほら、よく漫画とかで顔面パンチで寸止めして「なかなかやるみたいだな」みたいなやつあるじゃん? それってそのパンチに恐怖を感じなかった、ってことでしょ。もし、恐怖を感じたらさっきの高村君みたいにビクッてなる」
「つまり、攻撃に恐怖を感じることによって常に反射をつかって避けろと」
「そういうこと」
だが、本当にそんなことができるのか。反射を使って避ける。人間に可能なことなのだろうか。
「まぁ、これは深く考えないでいいよ。たぶん出来ないと思うから」
「っておい。できないのかよ」
「私はできるけど、高村君は難しいかな。でも、殺気を感じることができるみたいだから、そういう攻撃を見切ることはできるかもね。ってことで「攻撃を見極めろ! 第二弾!」デデン」
どうした千草。なんか少しずつ壊れていってる気がする。
「今までのは回避に関することだったけど、今度は正真正銘「見極めテスト」です」
「テ、テスト?」
「さて問題、今からする攻撃を避けてください。よーいドン」
「うわっ、だから待てって」
再び竹刀を振り回す千草。先程と同じように感じたが少し違う。攻撃のメリハリとでも言おうか。確実に狙いを定めている攻撃と、全く狙っていない適当な攻撃。その二種類が無作為に繰り出される。
「いてっ」
「ほらほらどうした。しゃきっとせんかい!」
ノリノリで攻撃してくる千草に、必死でそれを避け続ける俺。
結局、全てを避けることはできず、何度か当たってしまった。
「全部で五回か。うん、いいんじゃないかな」
五回というのは俺が攻撃を避けられずに当たった回数である。
「な、なぁ、今のが見極めってやつか?」
「そう、相手の攻撃がどういうものなのかを見極める。まぁ見極めたところで避けれなきゃ意味無いんだけどね」
なるほど、それで先に回避の何たるかを伝授されたわけだな。
「今のは割と簡単だったんじゃない?」
「簡単かどうかはともかく、千草の攻撃がどんなものかはわかった」
「それが見極めってやつだね。よし、それじゃ次いってみようか」
「え、ちょっと休憩を・・・・・・」
「よ~いドン!」
「だから、待てって!」
その後も延々と千草の攻撃を避け続けて数時間。なんと完全下校時刻まで続いた。
そのころにはすっかり辺りが暗くなり、部活をやっている生徒たちも殆どが帰宅していた。
「よし、今日はここまで」
「はぁぁ~、やっと終わったぁ」
終了の合図と共に大の字に倒れこんだ。
「はい、ジュース」
「ああ、サンキュー」
受け取ったペットボトルを開け中身を一気に飲み干した。
「っぷはぁ~、生き返る・・・・・・」
しまったぁ! 飲んでしまった。あまりの喉の渇きに、つい無意識に飲んでしまった。すまん、みんな。こんな形で裏切ってしまうとは。
「それじゃあ帰ろっか。早く学校から出ないと怒られちゃうし」
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「明日は部活があるから無理だけど、明後日からまた特訓だよ」
と、笑顔で言う千草。
彼女の笑顔が少しずつ怖く感じてきているのは気のせいだろうか。
「よかったら、私の家で練習してもいいんだけどどうする?」
千草の家、ということは道場で本格的に練習するわけだ。しかも、鬼のようなじいさん(千草の言)もそこにいるのだ。想像を絶するような特訓が待っているに違いない。流石にそこまでの力は俺には無いので遠慮させてもらおう。
「もう少し千草に教わってからにするよ。その方が効率がいいんじゃないか?」
と、もっともらしく言ってみた。
「う~ん、それもそうか。うん、わかった。じゃあ高村君が私と打ち合えるようになったら道場で練習しようか」
千草と打ち合えるようになる、って一体どれ程の力なのだろうか。少なくとも今では到底無理だ、と先程思い知らされた。
「そ、そうだな、その時がきたらよろしく頼むよ」
「うん、頼まれました。それじゃあ、また明日」
「おう」
千草は笑顔で手を振って去っていった。
果たして、彼女と打ち合える日が来るのだろうか。