魔法があれば空だって飛べる
「それじゃ、行ってくるよ」
少年は机に置いてあった鞄を持つと、一匹のイヌもどきと一つの首飾りに手を振った。
「行ってらっしゃい」
イヌもどきは返すように手を振り
『お気をつけて』
首飾りはいつもの無感情な声で、少年を見送った。
『では、昨日のことについて話をしておきましょうか』
少年の足音が十分に聞こえなくなると、首飾りは話を切り出した。
「予想以上に早く来ちゃったね。まだ私の魔力も元に戻ってないし、ちょっとまずいかも」
『地球に着いてから暫く経ちますが、まだ半分ほどしか戻っていませんね。こっちは予想に反して随分と遅いですし、一体どうしたのでしょうか』
ガラシアから地球に来る際の転移で、魔力の殆どを使ったアレスだが、それも一日で元通りになるはずだった。しかし、現状は元の半分程度。原因はアレス本人にもわからない。
「なんでこんなに遅いのかはわからないけど、暫くしたら元に戻るはずだから大丈夫だよね」
アレスはルースに問いかけるよう言った。
『そうですね、それは特に問題ないでしょう。問題は彼女たちの方です。昨日現れた金髪の少女。ブイオもいましたし、十中八九ルーナの人間でしょうね』
「ルーナのゲレータ、ブイオ。と言うことは、あの子は・・・・・・」
『エリザベッタの娘、でしょうね。外見や口調は似ていませんでしたが、魔力がエリザベッタのそれと酷似していました』
ルーナの女王、エリザベッタ。天才と呼ばれあらゆる魔法に精通し、魔法に関しては他の追随を許さない。アレスの母親でさえも。
その娘である金髪の少女には一体どれ程の力が秘められているのか。昨日の戦いでも本気を出している様子は無かった。とするならば、相当の腕前であることは確かだった。
「あの子の目的ってやっぱり」
『ドディックジュエリの入手でしょう』
それはつまり、ルーナからの戦線布告ととれる。停戦状態であるソルとルーナだが、和睦が成立しているわけではない。例え二国間が友好的でも、いつでも開戦する状況であったことには違いない。
今回のソルとスティーレの共同でのドディックジュエリ捜索に加わる可能性が無いことは明白だったが、妨害してくることも予想できていた。しかし、それはソルとスティーレに対して協力を拒否し、妨害するということ。それは、ソルとルーナの間にある停戦協定を破ると同義である。
「ということは、これはもう・・・・・」
『ええ、ただの捜索から、純粋な殺し合いになります』
そう、ルーナが敵対の意思を見せた時点で、二国の停戦協定は崩れ、ソルとルーナは再び敵国同士になった。これは戦争である。アレスと金髪の少女、二人だけの戦争。
「つきクンには、もう手伝ってもらえないね」
『そうですね、彼を私たちの戦いに付き合せるわけには行きません。彼が学校から帰ってきたら事情を説明しましょう』
『―――――というわけなのです』
「はぁ」
学校から帰ってくるなり、ルースから昨日の出来事を色々と説明されたわけだが、戦争とかそういう話はよくわからない。前にルーナについてのことを渋っていたのはこのためなのか。
「つまり、昨日出会った金髪の少女には気をつけろ、ってことか?」
『それもありますが、何より、無関係なあなたをこの戦いに巻き込むわけにはいかない、ということです』
それは、この戦いから手を引けということだ。だが、アレスはまだ万全な状態ではない。そんな彼女を放っておくことは出来ない。
「でも、お前たちだけじゃ、まだ厳しいんじゃないか?」
「ううん、ドディックジュエリを探すだけなら特に問題は無いよ」
とアレスは言うが、あの金髪少女といつ鉢合わせするかもわからないのに、やはりそれは危険だと思う。
『あれほどの魔力を持った人間が近くにいれば、すぐに感知できます』
「だからすぐに逃げられる、ってか。でも、それだったら俺がやっても同じじゃないか。
それに、昨日会った時だって襲ってこなかったじゃないか。向こうは俺たちを敵視していないんじゃないか?」
初めから彼女の目的がアレスたちと戦うことならば、あの場で襲ってきたはずだ。それの絶好の機会を見逃すはずが無い。
『だとしてもです。すでにこれは殺し合いなのです。彼女にその意思が無くとも、今の状況はそういうものです。そこに危険の可能性が少しでもある限り、一つも油断できない。そんな状況に一般人のあなたを巻き込むわけにはいかない』
「いや、でもさ」
「つきクン、私はつきクンに助けてもらって、手伝ってもらってすごく助かった。すごく嬉しかった。でも、ううん、だからこそ、つきクンを危険な目に会わせるわけにはいかない」
アレスは今までに無い真剣な眼差しだった。それだけ俺のことを心配してくれているということか。だが、それは俺も同じだ。
「俺だって、お前のことが心配だ。だから、せめてアレスが元通りになるまではやらせてくれないか」
「・・・ぅ・・・、そこまで直球で言われるとちょっと恥ずかしい。どうしようルース?」
『はぁ、私は反対したいのですが、どうせ言っても聞かないのでしょう?』
と、ルースは呆れるように言った。
『わかりました。アレスの魔力が元に戻るまではあなたに手伝っていただきます。ただし、絶対に無理をしないこと。彼女に出会ったらすぐに逃げてください。でないと命の保障はしません』
「ああ、わかってる」
彼女の助けになるということ。それは彼女たちの戦争に首を突っ込むということだ。戦争に命の保障なんて、はなから存在しない。
『では、いつもどおり日課に戻りましょうか。たとえ状況が変わってもやることは変わりません。いいですね』
「おう、今日も駅前探索か?」
『いえ、今日は別の場所です』
そう言うルースにしたがって、部屋を後にした。
『このあたりで良いでしょう』
彼女に言われてきた場所は、あのドーナツ型の公園だった。初めて二人に出会った場所。いつもならば子供たちが走り回っている時間帯なのに、今は人っ子一人いない。
「ここで何するんだ?」
『空を飛んでもらいます』
「へ・・・・・?」
今この人は何と言ったのか。
空を飛ぶ。魔法というものを全く知らない俺だが、それは可能なのだろうか。いや、彼女が言うのだから魔法で空を飛ぶことも可能なのだろう。
「どうやって飛ぶんだ?」
『魔力を地面に押し付けるようにするのです。イメージとしては「飛ぶ」というよりは「浮く」という感じです』
「よくわからん」
『実際にやってみるのがいいと思いますよ。変身したほうがやり易いと思います』
ということなので、変身してやってみたのだが。
「のわっ!」
危うく顔面から地面に突っ込むところだった。
何度も挑戦してみるが、少し浮いたかと思うと地面に激突である。
「なんかコツとか無いのか?」
「さっきもルースが言っていたけど、浮いている自分をイメージすると飛びやすいよ」
と、アレスはその背中に生えた羽をパタパタしながら飛んでいた。
「お前みたいに羽を生やして飛べたり出来ないのか?」
「これはこれでコツがいるんだよ。あと、いちいち羽を動かさないといけないから面度だし。そのことを考えたら、普通に飛ぶほうが楽かも」
ということらしい。
『少しでも浮けるということは、すでに飛ぶだけの力があるということ。慣れればそのうち飛べるようになりますよ』
しかし、先ほどから何度も少し浮いては地面へ激突を繰り返している。一向に慣れる気配がない。
「教えられることも全然ないんだよね。私も最初は出来なかったけど、いつの間にか飛べるようになったから。こういうのは、できるまでやり続けるしかないよ」
と、アレスは言うので何度も何度も繰り返しているわけだが、これっぽっちも進歩しないのである。
これ以上続けても無駄なのでは、そう思った瞬間であった。
「あれ?」
今まで何度やっても同じことの繰り返しだったのが、浮いた身体を支えられるようになっていた。
「お、お、おお!」
浮いている。今明らかにこの身体は宙を浮いている。僅か数十センチだが、地面に激突することなく空中に留まっていられる。
「すごいよ、こんなに早く出来るなんて。私はもっと時間が掛かったのに」
何度やっても同じだったのに、ふとした瞬間に出来てしまった。例えるなら、初めて自転車に乗れた時のような、そんな感じだ。
『コツさえ掴めば簡単ですからね。問題は自由に飛ぶことができるか、ですが』
ルース曰く、高度が上がると風やその他もろもろで、空中でバランスを取ることが難しくなるとか。
『これも慣れですから、一気に高度を上げましょう』
「よし、それじゃあ・・・・・・」
ルースに言われた通り、勢いよく高度を上げた。
風を切るようにどんどん空へと上がる。木を超え、山を越え、本当に一気に空まで飛んできてしまった。
眼下には街の全貌が見渡せる。さっきまでいた公園が、いつも通う学校が、あんなに高いビル群が、全て小さく見える。
「すげぇ・・・・・・」
言葉が出ない。すごいとか、そんな単純な言葉しか。
『どうやら、ちゃんと飛べているみたいですね。では、少し移動してみましょうか』
と、今度は「浮く」から「飛ぶ」の練習をするらしい。
『あの山の頂上付近まで移動してください』
言われるままに、この付近では一番大きな山、双子山の一つの頂上を目指した。
「最初は全然ダメだと思ったけど、出来たら出来たで呆気ないな」
「そういうものだよ空を飛ぶって」
アレスは言ったが、出来ない人はどんなにやっても出来ないらしい。
センスとかそう言うものではなく、単純に魔力の性質で飛べる人と飛べない人がいるらしい。風の属性が少しでもあれば飛べるが、無い人は飛べない。が、そんな人は極稀らしい。
「でもさ、何で急に空を飛ぼう、なんてなったんだ?」
『先日、「有る」のに「無い」と言う話をしたのは覚えていますね』
と聞くルースに頷いて答えた。
『それと同じものが、いま向かっている所にあるのです』
「なるほど、だから空を飛べと」
納得し、その「有る」のに「無い」場所を目指すわけだが、そうこうしているうちに山の頂上まで着いてしまった。
「結構距離があると思ったけど案外早く着いたな」
時間にすると15分位だろうか。車で来ても相当な時間がかかると記憶していたのだが。
『魔力を使っているのに、歩行や走行と同じスピードでは困ります』
ルースは言うと何やら調べているような感じだった。
辺りを見回してもドディックジュエリは無い。そもそも、空の上に石がある、ってのもおかしな話だが。
「いったい、どういうことなんだろう? 反応がちょっとでもあったのなら、何かがここにあった形跡でもあってもいいのに」
アレスの言う通りだ。この不可思議な魔力反応はともかくとして、ここにあるという事実が存在していたのなら、何かしらの痕跡が残っていてもいいはずだ。しかし、ここには何も無い。
『いえ、無いわけではありません。確かに存在していて無いわけですから、ここには「有る」のですよ』
もう何を言っているのか訳が分からなくなってきたが、ルースの言う事は正しいのだろうと思う。彼女の「有る」のに「無い」というのは完全に「無い」わけではなく、「有る」と感じるのに「無い」わけだから、「有る」ということになる。
「やっぱり、訳がわからない」
『そうですね、本当に・・・・・・。何らかの魔法が干渉している形跡もなし。一体どうなっているのでしょうか』
俺は勿論のこと、アレスもルースもお手上げ状態である。
『―――――やっぱり、姉さんにもわからないのかい?』
「・・・・・・!」
唐突の背後からの声。瞬間、背後を振り向く。
そこにいたのは昨日の少女。黄金色の髪をなびかせ、硝子の瞳を向けていた。
『まったく、何だってんだいこれは』
少女の剣(ブイオと言ったか)は同じくお手上げといった風だった。
『何をしにきたのですか?』
『何って、姉さんたちと同じさ。まぁでも、今回も空振りだったけどね』
ルースの問いに答えたブイオ。その答えが意味するものを彼女は考えてないのか。それとも、自分など相手にもならないと考えているのか。
「私たちはあなたに危害を加えるつもりはありません」
心の中を読み取ったように少女が答えた。
『そうそう、アタシたちの目的はドディックジュエリの回収、それだけさ。そこの地球人には手は出さないよ』
『ということは、アレスと私には手を出すということですか?』
『さぁ、どうだろうね。少なくとも、今はそんなつもりは無い、とだけ言っておくよ』
ブイオは飄々とした口調で続けた。
『まぁ、それは置いておくとして、姉さんたちがコレに気付いたのはいつだい?』
コレ、とはこの「有る」のに「無い」というもののことだろう。最初に見つけたのは二日前の夕方。昨日この二人に出会った場所の近くだ。そのときも今と同じで、「有る」のに「無い」ものがあった。
『そっか、ならアタシたちが見つけたものと時間は変わらないか。とすると、少なくとも影響が出始めてから二日が経った、てことか』
『ええ、そうなりますね。あなたはコレをどう見ますか?』
『さぁ、どうだろうね。さっきも言ったけどお手上げ状態さ。でも、気をつけた方がいいのは確かだね。これだけの時間ドディックジュエリの影響が続いているということは、ロクなことは起きないね』
結局のところどちらも何もわかってない、ということである。この状況が何かの前触れなのか、それともすでに起きているのか。
「私はこの地球にいる人たちを傷つけたくはありません。それは何よりも優先すべきことだと思っています」
少女は表情を一切変えることなく語った。
『そうですか。ならば、今は休戦ということでよろしいですか?』
「もとより、私はあなた方とも戦うつもりはありません。が、時と場合によります」
『つまり、今は手を出さないと?』
ルースの問いかけに、少女は頷いて答えた。
『わかりました。では、私たちは私たちでこの件について調べます』
少女はもう一度頷くと
「では、今度会うときは敵でないことを祈ります」
と言って静かに去っていった。
『・・・・・・はぁ』
彼女たちが去っていくと、ルースは安堵のため息を吐いた。
「どうしたんだ?」
『いえ、なんでもありません。私たちも行きましょう。彼女の言うように今度出会ったときに敵でないことを祈りながら』
赤く染まる夕日を背に、彼女の言うとおり家路に着いた。
「ルース、どう思う?」
アレスは少年には聞こえないように相棒聞いた。
『・・・・・・』
「ルース?」
しかし、アレスの声には答えなかった。
気配の消失、魔力反応の消失。人間の成せる業なのか。いや、確かに可能ではある。だがそれはルースの知る限りで一人だけだ。気配も魔力の反応もある程度抑える事は出来る。しかし、それはあくまである程度だ。完全に消すなんてことは常人、いや、超人であろうとも不可能だ。
―――――なんてことはないではないか。彼女は超人を遥かに凌駕する天才と称される者の娘だ。ならば、何もおかしいことはない。天才の子供は天才。すでに彼女は人の域を超えているということ。それだけだ。
『いえ、彼女の言うことは信じていいでしょう。ですが、気をつけるべきです』
「そうだね、私に魔力が戻るまでは絶対につきクンを守ろう」
彼女の存在に気付けなかったのは誤算であった。そして、今の彼女自身に戦う意思がないことも。一つは深刻な問題だが、もう一つは嬉しい誤算だ。
少なくとも高村月海がいれば、彼女たちは襲っては来ないということだ。
これは戦争だ。いずれ勝敗は決する。今の段階でそれがどちらに転ぶかは一目瞭然。今は、その時が来るまでにアレスが回復していることを願うしかない。