太陽のお姫様
「今日はありがとうね、またいつでも来てちょうだい。舞も喜ぶから」
「はい、お邪魔しました」
一つお辞儀をし、玄関を出る。外はすっかり暗くなっていたが、月明かりが眩しいほどに輝いていた。
「随分、遅くなっちまったな~」
「くふ、くふふふふ」
すると突然、アレスは鞄の中から顔を出し変な笑い声をあげた。
「初めてあの子に会ったとき、まさかとは思ったけど予想以上に幼馴染してるんだね」
なんだよ、幼馴染してるって。
「自分では恋愛話は期待するなって言ってたけど、ちゃっかり恋愛してるじゃんかぁ」
「アレを恋愛と呼べるかどうかはともかくとして、世間一般的な幼馴染の関係は築けているのではないかと思う」
「じゃあ、やっぱりそれは立派な恋愛だと思うよ」
「ん~、そうか?」
自分の知る限りでは、あの程度では恋愛と呼べない気がする。
俺たちは幼馴染と言う特殊な関係なのだ。世間で知られている恋愛が俺たちの関係に告示していたとしても、それは所詮幼馴染なのである。
『恋愛とは人それぞれです。マスターたちの関係をただの幼馴染と捉えるか、はたまた恋愛関係にあると捉えるか、それは本人次第です』
ルースの言葉に同意するように俺は頷いた。
『但し、幼馴染から恋愛感情に発展する場合も多々ありますから、アレスの言うような関係にお二人がならない、とは言い切れませんね』
今度はアレスが強く頷いた。
『どちらにしろ、私にとってはどうでもいいことですけどね』
ルースは言うだけ言って黙ってしまった。
結局どっちでも良い、ということだ。恋愛ってのは、それくらい曖昧なものなのだろう。
「いいなぁ、私も恋したいなぁ~」
「アレスには好きな人とかいないのか?」
「好きな人? ・・・・う~ん・・・・」
アレスはしばらく考えて
「今はいないかな」
と、小さな声で呟いた。
「もし、好きな人ができたら、つきクンみたいに色んなことがしたいなぁ」
「例えば?」
「一緒にお喋りして、ご飯食べて、買い物に行って・・・・とにかく一緒にいたいな」
「ふ~ん、そんなんでいいのか?」
あまりにも普通すぎたので思わず聞き返していた。
「なんかこう、もっとやりたいこととかないのか?」
「・・・・私は好きな人と一緒に居れたらそれだけでいいかなぁ、って」
アレスは空を見上げ星を仰いだ。
考えてもみれば彼女は一国のお姫様なのだ。自由な恋愛というものはできないのかもしれない。
王族の婚約とか恋愛とか、そんなものは全くわからない。しかし、それがとても複雑で限られたものだと容易に想像がつく。
アレスが恋愛に興味を持っているのはそれが理由なのだろうか。初めて出会ったときも執拗に聞いてきたし、普段の会話も恋愛がらみが多い気がする。年頃の女の子ならこんなものだと思っていたが、やはりそういった事情があったのかもしれない。
「じゃあ、あれだ。この機会に恋してみる、ってのはどうだ?」
「この機会に・・・・?」
アレスは首をかしげ、聞き返した。
「そう。いま、地球にいるのはアレス一人だけなんだろ? だったら、ややこしいお家の話とかは抜きにして、自分の好きなようにやってみたらどうだ。向こうでどんな生活を送っていたかは知らないけど、少なくともここにいる間は自由なんだ。誰からの制約も受けない。今だけでも自分の好きなように生きてみるのも悪くないんじゃないか?」
「いい・・・・のかな?」
「ああ、全然オッケーだぜ。もちろん恋だけじゃなくて、色んなトコで遊んで、飯食って、友達と喋って、目一杯遊ぶんだ。俺の友達紹介するからさ、もちろん舞も。変なやつばっかだけど、みんないいやつだぜ」
「・・・・でも、私にはやらなきゃいけないことがあるから」
「そのやらなきゃいけないことってのは、今は俺がやってるんだ。自分の思うように、自分のやりたいように、ちょっとの間だけでもそういう経験してみないか」
「・・・・」
だが、アレスは俯いたまま答えなかった。
「まぁ、別に今のままでいいならそれでもいいけどさ。無理にする必要もないし。ただ、いわゆる普通の生活ってのを経験して欲しいかなぁ、って思っただけだからな。ま、結局はアレスがどうしたいか、だよな」
「私が・・・・どうしたいか・・・・」
アレスがどうしたいのか、それは聞かなくてもわかる。それでも彼女がそうしない理由は、やはり自分の立場という問題だろう。自分が一国の姫であるということ。それが自分の気持ちを抑えてしまうのだろう。
「別に今じゃなくてもいいからさ、考えておいてくれよ。しばらくは地球にいるんだろ? ここにいる間しか出来ない事、やってみようぜ」
「・・・・ん・・・・」
返事をしたのかどうかわからない小さな声でアレスは答え、鞄の中へと潜り込んでしまった。
『ありがとうございます』
「何だよ、突然」
アレスが鞄に引っ込むと、彼女に聞こえないようにルースが言った。
『あれであの子は素直な子ですから。文句こそ言えど、アレスは国の一番上に立つ者としての責務を全うしていました。自分の立場を理解して、理解しすぎて、普通の女の子として過ごすことを自ら止めていました』
「やっぱそうだったのか。俺にはそういうの何もわかんねぇからさ、ちょっと出すぎた真似かもって思ったんだが」
『いえ、あの子にとってはこれくらい言った方が良いのでしょう。あの子は自ら気持ちを押さえ込んでいますから。ですから、今のマスターの言葉があの子の心を動かしてくれるきっかけになればと・・・・』
そんな大それたことをやったつもりではないのだけれど、結果的にそうなるのであればそれは良いことである。
「そうだな、そうなるといいな。・・・・・・にしても、普通に過ごすことを止めていた、か。なんか、全然想像つかないな」
『そうですね、普段の振る舞いを見ればそんなこと思いもしないでしょうね』
「それもそうだけど、そのお姫様としての生き方ってのがよくわからん。普通の暮らしとそんなにも違うものなのか?」
テレビやマンガに出てくるような、例えば乗馬や狐狩りなど、漠然とした絵面を思い浮かべ俺は聞いた。
『特に変わったところはありません。ただ、アレスは貴族としての生き方を全うしているだけです。普通の暮らしというものが衣食住のことを指すならば、マスターの言う普通の暮らしと何の変わりもないのでしょう。ですが・・・・』
「それ以外は無い、ってことか」
『・・・・』
しばらく黙ったかと思うと、ルースは急に切り返した。
『無かったわけではありません。マスターの想像する貴族の暮らしがどんなものかはわかりませんが、少なくともそれに近いものはあったと思います。しかし、あの子はそれを何一つしませんでした』
つまり、俺で言うところのゲームやアニメといった娯楽を一切しなかったということである。そんなこと俺には想像もできない。
『アレスはいつも一人でした。自分の立場を理解し、そうあろうと自分の欲を抑えていました。ですから、あの子はいつも一人でいました。何も考えないようにと』
「・・・・・・」
言葉を失っていた。アレスの生き方に。アレスは自分であることよりも、一国の姫であることを優先した。故に常に一人でいた。そこに自分の感情が滲み出ないように。
「そんなの、間違ってるよ・・・・」
『ええ、そうですね』
こぼれた言葉にルースが短く答えた。
『「普通」なら間違っています。ですが、あの子は「普通」ではなかった。一人の人間としてではなく、一国の姫として生を受けた。そして、あの子の生き方はそれに相応しかった。誰もが国を背負うに相応しい人物だと思ったでしょう。しかし、あの子の本当の気持ちを知る人は極僅かでした。ですから、できれば友達としてあの子と付き合ってほしいのです』
「ああ、言われなくてもそのつもりだよ。ってか、お前も含めてすでに友達みたいな感覚で話してたんだけどな」
出会ってすぐはその珍妙な姿に戸惑ったけれど、そんなアレスの姿にもすぐに慣れてしまった。人はどんな環境でも慣れてしまえるもので、人間の順応性の高さに自分の事ながら驚きを隠せない。
「友達ってそんな改まってなるようなモンじゃないしな」
『そうですね・・・・そうでした』
ルースはまるで忘れていたものを思い出すように言った。
『しばらくそういったことを考えていなかったもので、疎くなっていました』
「いや、考えるものではないと思う」
『・・・・そうでしたね。確かに、もっと曖昧なものだったと記憶しています』
ものすごく機械的な言葉だった。そんな言葉に思わず笑いがこぼれる。
『どうしたのですか?』
「いやいや、やっぱりルースって機械なんだな、と思って」
話している分には普通の人と変わらないのに、どこかで見せる機械的、客観的な口調がやはりそうなのだと思わせるのである。
『・・・・当然です。私は・・・・機械なのですから』
ルースは確認するように言った。それは自分に言い聞かせているようでもあった。
『――――― マスター、あの子のことよろしくお願いします』
「ん、ああ。お願いされるよ。さっきも言ったけど、もう友達みたいなもんなんだし、それに・・・・」
『それに?』
「俺もお前たちともっと仲良くなりたいと思ってる」
ただ単純に、周りにいる友達のように、この二人とも普通の友達になりたい。
『・・・・その言葉とても嬉しく思います』
と言った彼女の言葉には、ほのかに笑みが含まれている気がした。
『やはり、千草凪の言っていたことは正しいのではありませんか?』
「な、なんだよそれ。千草の言っていたこと?」
ルースの言う千草の言葉が何かはわからないが、彼女の口調からして明らかに良いことではなさそうだ。
「まぁ、何でもいいけどさ・・・・。とりあえず、もう一度言ってみるよ。せっかくこんな遠い星に来たんだから、友達くらい作っておかないとな」
ただ、やはり気になってしまう。普通の女の子として生きてこなかった彼女が、素直に頷いてくれるのだろうか、と。
「・・・・・・」
静かに星を見上げ続ける彼女はどこか儚げで、ルースの話したお姫様を見るようだった。普段は見せない彼女の顔に、俺は言葉を掛けることが出来なかった。