お見舞い
「結局、見つからなかったね」
走り出して少しすると、アレスは残念そうに言った。
『ええ、どうやら私の勘違いのようでしたね』
だが、ルースはどこか気がかりがあるような、そんな感じだった。
「なにか引っかかるのか?」
『はい』
ルースは短く答えた。
『先ほども言いましたが、魔力反応を感知したのは一瞬です。確かに「有る」と感じ取れたものが、突然「無い」となった。ドディックジュエリは例外中の例外ですから何が起きても不思議はありません。しかし「無い」と確信できるのに、そこに絶対に「有る」と感じ取れる』
「で、結局無かったわけだが」
『はい、ですが今もまだその感覚は拭えていません』
ルース曰く「有る」のに「無い」。実際に確認したところ「無い」ということがわかったのだが、ルースは未だに「有る」と感じている。
「どういうことなんだ?」
『どういうことでしょうね?』
オウム返しですか・・・・
『これ以上は詮索しても仕方ありませんね。事実、無かったのだから「無い」のでしょう』
とは言ったものの、ルースは納得していない様子だった。
「いいのか?」
『ええ、「無い」ものを捜すことほど無意味なことはありませんから』
「まぁそうだけどさ・・・・」
本当にこれで良いのだろうか。ルースの言うとおり「無い」ものは捜しようがない。しかし、彼女の感じる「有る」が本物だったら取り返しのつかないことになるかもしれない。だが、「無い」のだからどうしようもない。
「だぁ~もう」
頭の中で延々といたちごっこをするのであった。
「はぁはぁ、はぁ・・・・や、やっと・・・・着いた」
膝に手をつき乱れた息を整える。
時刻は七時十分。まさか商店街からここまで十分で来ることができるとは思わなかった。
「うっぷ、気持ち悪ぃ」
走ったせいで鞄が揺れたのか、アレスは気持ちが悪そうにしていた。
「大丈夫か?」
『大丈夫でしょう』
代わりにルースが答えるが、どう見ても大丈夫ではない。
「ま、いっか」
「ぁう、良くないよぉ」
悲痛な声が聞こえてくるが、俺にはどうすることもできない。
「我慢してくれ、としか言えない」
「・・・・ぅう・・・・」
住宅街にある一軒屋。似通った家がある中でここも他に漏れず似たような外見だ。
白い煉瓦の塀が家の周りを囲み、真ん中に獅子を象った門扉がある。門扉をくぐるとすぐ目の前に玄関があり、左右には芝の庭が広がっていた。庭の端には小さな花壇が訪問客を出迎えた。
箱とバスケットを持ち直し、インターホンを押した。
「・・・・」
しかし、返事は無かった。
「留守・・・・なわけないか」
もう一度インターホンを押す。
「はい、入江です」
と、押す直前に、インターホン越しに舞の声がした。
正体は舞、では無く舞の母親だ。声があまりにもそっくりで、電話や今回のような顔が見えない場合は、舞との区別が全く付かない。だが、話し方があまりにも違うので判別は可能だ。
「あ゛、えっと、高村です」
急な返事におかしな声を出してしまった。
「あら、つきちゃん?」
「は、はい、お久しぶりです、おばさん」
この人も相変わらずその名で呼ぶのか。
「あの、舞・・・・さん、の、お見舞い・・・・に来たんですけ、ど」
久しぶりなせいか、妙な緊張がある。おかげで言葉が変に詰まる。
「あら、舞の? わざわざありがとう。今、鍵開けるわね」
と、玄関に明かりが灯り、鍵の開く音がした。
「いらっしゃい、どうぞ上がってちょうだい」
おばさんは上半身を半分だけ出した形で手招きをした。
「どうも」
軽く会釈をし、家の中へと入った。
久しぶりの訪問だが、中はあまり変わっていなかった。少しだけ懐かしい感じがする。
「舞は部屋で寝てるわよ。それにしても久しぶりねぇ。少し見ない間にかっこよくなっちゃって。舞が惚れるのも納得ね」
「んな! な、なに言ってるんですか!?」
「あら、事実を言っただけよ」
うふふ、と笑みを浮かべるも、その笑みにどこか悪戯なものがある気がする。
「ほらほら、そんな顔してないで、早く舞のところへ行ってあげて」
話し方は違っても、根本的なところは親子そろって同じようだ。
おばさんに背を押され、舞の部屋のある二階へと向かった。
階段を上がった先にある二つの部屋。手前が舞の部屋で、奥は物置になっている。
小さいころに二人でこの部屋の中を探検した覚えがある。中には大量のダンボールが山済みされており、中身を探るためにダンボールを破いておばさんに怒られたのを今でも鮮明に記憶している。
さて、部屋の前まで来たはいいが、なかなかドアノブを回せずにいる。
緊張しているのだろう。自分でも分かる。
心臓の鼓動は早くなっているし、手も小刻みに震えている。毎日のように通っていたこの部屋に入ることを、今になってためらっている。
「はぁ、何やってんだか」
お見舞いなんて慣れないことをしようとするからこうなるんだ。
いつものようにすればいい。そう自分に言い聞かせ、ドアを思い切り開けた。
「よ、よぅ! 見舞いに来てやったぜ」
だん、と勢い良くドアを開けると、そこには昔と変わらない舞の部屋があった。
ベッドにテーブル、勉強机。未だに配置は変わっていなかった。窓のカーテンは淡い水色をしており、これもあの時のままだ。
一つ変わったところは、ベッドの上にあるぬいぐるみが増えたことだろう。以前はネコの大きなぬいぐるみが一つだけだったが、その隣に新しく犬が増えていた。
そして、その横には一糸まとわぬ舞の姿が・・・・
「・・・・っえ?」
「!!!」
やばい! やばい!! やばい!!!
なんだこの状況は! どうしてこうなった!
いや、待て。落ち着け、冷静に考えるんだ。理由なんかはどうでもいい。今重要なことは目の前に舞が素っ裸でいるということだ。
まだ諦めるには早い。捕まらなければどうという事はない。そう、捕まらなければどうという事はない。
「し、失礼しました・・・・」
今ならまだ間に合う。素早くここから脱出することができれば、まだ助かる!
「ねぇ、つきちゃん」
うん、間に合わないね。
「―――――ッ! は、はい?・・・・」
重く伸し掛かる威圧感。
悪寒が走る。
「アタシ、最近プロレスにはまってるんだ」
「へ、へ~、そうなんだ。は、初みm・・・・ぐべしっ!」
舞の細い腕が首にすっぽりと入り込み、ぐいと締め付ける。
「うんっ、だからっ、ちょっと、実験台にっ!」
そして更に、その細い腕からは考えられない力でぐいぐいと巻きついてくる。
「がふっ!」
ちょ、おま、首が!
「げぶ!」
ぎ、ギブ、ギブ! 無理っす、もう無理っす・・・・!
とある猛者は言った。全てを受け入れろ。さすればその先の未知なる快楽が得られると。
「・・・・あれ?」
「どうしたの、つきちゃん?」
「え、いや・・・・」
ふと何かがすっぽりと抜けた。何かはわからない。目の前のベッドには舞が寝ていて、俺はその横にいる。ただそれだけだ。
なんだろう、なにか悪夢のようなものを見た気がするのだが。
たぶん気のせいだろう。そうだ、と身体が言っている。
「うーん、なんだったんだ?」
しかし、思い出そうとすると身体が拒否をする。
「つきちゃん、思い出したくないものは無理に思い出さないほうがいいよ」
「それもそうだな」
身体が拒否をするくらいだ、よほどのことだろう。思い出さないほうが身のためである。
「ところで、つきちゃんは何をしにきたの?」
「っと、そうだった。ほら、見舞いに来てやったぞ」
と言って、果物の入ったバスケットを舞に見せた。
「わぁあ、ありがとう、つきちゃん!」
「いや、大したことしてないよ。それだって親の金で買ってきたものだし、俺はなにもしてないよ」
「ううん、アタシはね、つきちゃんがこうして来てくれた事が嬉しいの」
舞は笑顔で答えた。
そんな真顔で言われるとものすごく恥ずかしいのだが。
「ん~、でもさっきご飯食べちゃったしな~」
「そうか、ちょっとタイミングが悪かったな」
仕方ない、果物は冷蔵庫で冷やしておいてもらおう。
「ねぇ、そっちの箱は何が入ってるの?」
舞は興味心身にケーキの入った箱を指差した。
「ああ、こっちはほら、ケーキが・・・・」
しかし、そこにあったものはケーキと呼ぶには難しい、見るも無残な姿があった。
「・・・・ケーキ?」
思い返すと、こいつはには色々とあった気がする。原型を留めていないのも頷ける。
「えっと、ケーキ・・・・だったもの・・・・?」
「・・・・うん、見なかったことにしてくれ」
これは家に持ち帰って処分をしよう。
「あ、待って」
だが、舞はケーキの箱を持って帰ろうとする俺を止めた。
「それ、勿体無いから食べよ?」
「いや、でも・・・・こんなに崩れてるし、食べられないだろ」
「ううん、こうやってフォークですくえば・・・・ほら」
ほら、ってどこからそのフォークは取り出したのだ。
「うん、美味しいよ」
舞はフォークでケーキをすくい、パクリと一口食べた。
「そ、そうか?」
「ほら、つきちゃんも・・・・はい、あーん」
おもむろにケーキを差し出す舞。
「いやいや、自分で食べられるから」
「えー、つまんなーい!」
と言われても、そんなこと恥ずかしくてできるわけがない。
「むー、そんなこと言うと一人で全部食べちゃうよ」
「もともとお前に買ってきた物だからな、別にいいぞ」
「・・・・つきちゃん、それは夢がないよ」
舞は深くため息をついた。
「幼馴染という関係にこの特殊な状況。利用しないと損だよ」
何を言っているのだこの人は、と言いたくなるような言葉だが、悲しいかな俺には分かってしまう。
「そりゃ確かにそういうシチュエーションにはロマンがあるけど、何でもかんでも二次元のものを現実に持ってきてはいけないんだ。二次元で起こる現象は二次元であるからこそ輝く。現実にそんなものを求めてはいけない、いや、あってはいけないんだ!!!」
「そ、そうなんだ・・・・・・。ん~、それでもさぁ、アタシはこうやって一緒に食べたいなぁ~。つきちゃんがアタシの部屋に来てくれたのも久しぶりだし、やっぱり楽しくいかないとね」
「ま、それには俺も同意だが、それとこれとは話が別だ。それに、例えそれをやるとしても立場が逆だろ。今はお前が病人なんだからさ」
「つきちゃん・・・・」
「当然、やらんがな」
舞の持っていたもう一つのフォークでケーキをすくい、一口放り込んだ。
「む、つきちゃんの意地悪!」
と言うと舞はケーキの箱ごと取り上げてしまった。
「ふふん、これはアタシのものだからねぇ、つきちゃんにはあげないよ~」
「はいはい」
心配して来てみたが、どうやら風邪はすっかり治っているようだ。舞のいつもの笑顔を見ることができたし、もう問題ないのだろう。
「ん、どうしたのつきちゃん、アタシの顔に何か付いてる?」
「ああ、ケーキのクリームが付いてる」
「ウソっ! え~どこぉ、つきちゃん取ってぇ~」
お前は子供か! というツッコミは今日は無しにしておこう。少しくらいこいつのわがままに付き合うのも悪くない。
「ほら、右のほっぺに付いてるぞ」
舞の右頬に付いていたクリームをティッシュで拭い取ってやった。
「え? あ、ありが・・・・とぉ・・・・」
何故か声が尻すぼみになっていく舞。
「どういたしまして」
「・・・・ぁ・・・・ぅ・・・・」
「どうした?」
「な!・・・・なんでも・・・・ない・・・・」
心なしか顔が赤くなっているような気がする。治ったと言っても病み上がりだ、しばらくは安静にするべきだろう。
「そんじゃあ、そろそろ帰るとするか」
「ふぇ!? あ、うん・・・・ごめんね、わざわざ来てもらって」
「気にすんなって、それにこういうときは「ありがとう」って言うんだぜ」
「う、うん、ありがとう、つきちゃん」
舞は笑顔で頷いた。それは俺が見た今日一番の笑顔だった。
「じゃあな、ゆっくり休めよ」
「うん、バイバイ、つきちゃん」
ベッドの中から手を振る舞に対して手を振り返えし、部屋を後にした。