何人目かのアンゼリカ
――何度言ったら分かるんだ!
体がこわばる。萎縮して顔が上げられない。
――なんとか言ったらどうなんだ!?
喉が詰まって声が出ない。
――「もう一度言うぞ、アンゼリカ・マーカス!」――
***
目を開けるとクリーム色の冷たい大理石の床。私はそこにへたり込み、両手を床についている。俯いている私の目の前に広がるのは、毒々しいほど赤いドレス。床についた手には黒いレースの手袋と、何重にも重なったパールのブレスレット。
「聞いているのか! アンゼリカ・マーカス公爵令嬢! もう一度言う! 聖女に害をなした罪により死罪とする!」
「……死罪……。死罪!?」
顔を上げると、壇上からやたらキラキラした男性が冷たい目で私を見下ろしている。髪の毛は金色、瞳も金色。キラッキラだ。
「そうだ。なにか不服があるのか!」
不服があったとしても聞いてもらえなさそうな圧を感じる。
さて。
ここはどこ? 私は誰?
アンゼリカ・マーカス公爵令嬢とか言っていたっけ。誰よ、それ。
ちらっと周りを見回してみると、だいたいバスケットボールのコートぐらいの広さの部屋。広い。
でも体育館とは違ってとてもゴージャス。
床と柱は同じクリーム色の大理石で、壁に沿って等間隔に置かれた台の上の金の燭台には数本の蝋燭が立っており、橙にゆらめく炎の下には蝋がどろりと溶けている。柱と柱の間には豪華な彫刻で縁取られた、淡い青を基調とした壁画がまた素晴らしい。そして壁の反対側には大きな窓が並んでおり、濃い青のカーテンがかけられている。
キラキラした男の声が反響して上に吸い込まれるように消えていくことからして天井はとんでもなく高そうだ。たぶん大きいシャンデリアがぶら下がっているのだろうな。
壁画の前には、絵にも負けない煌びやかな衣装を着た人たちが立っている。男性は眉をひそめ、女性はふわふわした羽の扇で顔を隠して私を注視している。
私はその広間のど真ん中に座り込んでいた。なにこれ怖い。
再び視線を前に戻すと、美々しい金髪の男と可憐な少女。二人を守るように取り囲む、これまた顔面偏差値の高い数人の男たち。
わあ、外国人ばっかり。外国の時代劇ってこんな感じなのかな、という雰囲気。まるでお芝居の中に放り込まれたよう。いや、訳わからなくて怖い。
はっと気がついた。
もしかして私、よくある悪役令嬢ものの悪役令嬢に転生したんじゃないかな。
えーと。
じゃあ私は死んだのか。社畜で過労死とかトラックに轢かれたとかしたっけ。
覚えてないなー。
幸せだったのか不幸だったのかも、覚えてないなー。
目を閉じて、目を開けたら上から怒鳴られていて周囲から好奇と蔑みの目で見られているこの状況。
なんの弁明も許されることなく死罪を言い渡されている、この状況。
嘘でしょ。
死んだらまた死ぬの?
あ、でも。ということは。
ここで『死罪』を甘んじて受け入れれば幸せな来世に転生できるのでは?
前世の最期を覚えていないのであれば次もまた覚えていないのでは? どんどん転生していけば、いつか幸せな人生にぶつかるのでは!?
アンゼリカとしての記憶も感慨もない今であれば、さっさと受け入れればいいのでは?
あっ。でも、次の人生で覚えていないにしても死に方にもよるわね。
「質問です」
「は?」
顔を上げ、美々しい金髪男の冷たい水色の目を見る。
「死刑の方法は、どのような?」
小首を傾げた私の質問に男がたじろぐ。後ろの面々も壁沿いに立っている人たちもざわついている。
「こ、高位貴族の死罪は毒にんじんの毒を入れた酒を飲むと決まっている!」
「それって、どんな効き方をするんですか?」
「足先から麻痺して心臓に達したら死ぬ。人により七転八倒す……」
「チェンジで」
「チェンジ?」
じわじわも七転八倒もイヤだ。
「即効性のある物がいいです。今、ここで」
「今、ここで?」
「たとえば、その腰につけた剣で心臓をブスッと」
「心臓をブスッ……」
美々しい男は思わずといった感じで剣の柄に手をやる。
装飾が施された美しい剣だ。アクセサリーかもしれない。けれど、例えば傘でも力を込めればぶっ刺さるから、きっと大丈夫。
私は床についていた手を上げて膝に置き、姿勢を正してわずかばかり胸を張った。あらアンゼリカったら豊満なお胸。前世でそれほどでもなかった私は嬉しくなって「ほれほれ」と更に胸を突き出す。
ほら、刺しやすいでしょ。
「あ、床が汚れちゃいますね。シートでも敷きます?」
男と少女が一歩後退り、壁際の人たちから悲鳴が上がる。
やんごとなき貴族さまたちは、人が糾弾されているのは面白いが、目の前で血が流れるのは嫌らしい。
「お、お前。いかに私を愛していたとはいえ私に殺してほしいなどとっ」
「ん?」
アンゼリカはこの男を愛していたのか。
あー……。
たぶん、男の横に立っているのが聖女とか健気な男爵家の娘かなんかでアンゼリカは嫉妬して彼女を害し、この断罪を受けているのだろう。
よくある話。でも。
可哀想ね、アンゼリカ。
よし、彼らに一生忘れられない罪悪感を植え付けてあげようね。
私は少しだけ首を傾げて目を伏せた。気分は女優である。
「そうですね。ですのであなたに殺されることであなたの心に少しでも残ることができれば本望です」
哀しげに微笑み、再び姿勢を正して目を閉じる。
しんとした空気の中、震えていた美少女が叫んだ。
「あなた、おかしいわよアンゼリカ! 急になんで平然と罪を受け入れているのよっ!?」
「ルナ!?」
「さっきまで違うって言っていたじゃない! あなた、なんにもしてないじゃない!」
ああ、やっぱり可哀想なアンゼリカ。でも私、罪を認めているわけではないのよね。そんなことは一言も言ってない。
ま、どうだっていいけど。
私は目を開きルナと呼ばれた少女に顔を向ける。
「いいのよ、ルナさま。私がいなければ皆が幸せになるわ」
私もね。
次は幸せな人生を歩みたいわ。
剣で貫かれることによって、私とアンゼリカの不幸は断ち切られる。来世で幸せになりましょう。
あなたたちのこれからなんかは知ったことじゃないけど、断罪されたアンゼリカを忘れて幸せになるんでしょう? そういう物語なんでしょう?
冷たい床の上でじっと待っていたら、美々しい男が顔を蒼白にしてルナに問いかけた。
「ルナ……? どういうことだ?」
「内務大臣に言われたの! 王太子を誘惑してアンゼリカを孤立させて、二人の婚約を破棄させろって。まさか死罪になるなんて……。アンゼリカが罪を認めるなんて……」
「……おじいさまが?」
目の前の男から表情がなくなる。この人、王太子だったんだ。で、アンゼリカは婚約者でこの男を愛していたと。
見る目がないわよ、アンゼリカ。
それと、私は罪を認めてはいない。
「じゃあ……、アンゼリカは冤罪だったのか? ルナ、君が嘘をついていたのか……?」
「内務大臣が……っ、言う通りにすればうちの借金を肩代わりしてくれるって」
「借金……?」
王太子が力なく問うが、ルナはわんわんと泣いている。美少女は顔をぐしゃぐしゃにしていても可愛らしいわね。
それよりぼんやりしてないでよ、王太子さま。ルナを慰めてやって。愛する人なんでしょ。その娘を愛しているから話を鵜呑みにしてアンゼリカを断罪しているんでしょ。
そしてその剣で私の不幸を断ち切って。じゃないと、このままだと体面丸潰れでしょ。彼女の発言はなかったことにしたらいいんじゃない? 王子さまならそのぐらいできるんじゃないの?
知らんけど。
王太子が苦渋に満ちた顔で声を絞り出した。
「……改めて沙汰を言い渡す。アンゼリカ・マーカスは無罪放免。私との婚約は継続の上、後日王家から相応の賠償金を払い名誉回復を約束する。聖女ルナ・アダン男爵令嬢は……、今後王宮への出入りを禁じ、処遇は教会に委ねる」
わあ。この人、自分の発言をなかったことにしたわ。てか、彼女は聖女で男爵令嬢だったのね。設定盛り盛りね。
でも、無罪放免……。えー、どうしよう。このままこの世界で生きていくってこと?
アンゼリカの魂、アンゼリカの意識、帰ってこい。
婚約継続って無理だから。私、この王太子の名前が未だにわからないのよ。私に毒を飲ませて処刑しようとした人と添い遂げろってなんの冗談よ。
それに、この世界で生きていく自信ないわ〜。
そこへ、静かな広間に扉の開く音が響き、三人の男女が私に駆け寄ってきた。三人はぎゅっと私を抱きしめる。
「アンゼリカ! よかった!」
やつれたイケオジの男性と涙を流す綺麗な女性。そして王太子と同じ年ぐらいの美青年。
イケオジと美青年がすっと立ち上がり、王太子に向かって静かに話し出した。
「殿下。このことについて国王陛下に対し厳重に抗議をさせていただきます。また、バイエ内務大臣による『聖女』捏造についても調べがついております」
「捏造……? 聖女を捏造?」
王太子が小さく呟き、俯いているルナを見る。イケオジは頷いて再び口を開いた。
「内務大臣は教会に多額の寄付をして、その娘を『聖女』と認めさせました。これは神への冒涜であり国を騙した大罪でもございます。大臣は王后陛下の父君にあらせられますが、国王陛下に更迭を奏上することになりましょう。また我が家からは正式に婚約の解消を申し入れます。そしてこの場においでの皆さまがた」
イケオジが周囲をぐるりと見回す。
「我が娘を貶めた各々方。このマーカス公爵家を敵に回したこと、ゆめゆめお忘れなきよう」
王家は軍を掌握するマーカス公爵家と王妃の実家であるバイエ侯爵家の後ろ盾を失うことになる。さらに聖女を信じて落ちぶれるアンゼリカの見物をしていた貴族たちも震え上がることになった。
次に、美青年が王太子とその後ろに並んだ側近たちを一瞥した。王太子が「フェルナン……」と縋るように名を呼んだ。フェルナンと呼ばれた美青年は目を閉じて小さく息を吐いた。
「君たちとは幼い頃から切磋琢磨し、いずれ殿下が王位を継承したあかつきにはともに支えようと誓い合ってきた。しかし、その女が現れてから君たちは変わってしまった。……その女、あろうことか私にまで擦り寄ってきてアンゼリカを中傷する言葉を言っていたのだぞ。私は警告したはずだ。いかに聖女といえど心根は賤しいから気をつけろと。聖女ですらなかったがな。それから殿下。かつてあなたはアンゼリカをあれほど大切にしていたのに……。義弟と呼べる日を楽しみにしていた。……幼馴染として親友として、残念でならない」
フェルナンの言葉に王太子はぐっと唇を噛んで下を向いた。
話の流れからフェルナン(兄確定)もルナの攻略対象であったらしい。でも最後まで妹を信じていたのね。もしもルナの言葉を信じていたら、フェルナンも王太子と一緒に私を糾弾していたのかも。それはへこむ。
大切にしてくれていた婚約者が聖女の言葉を信じて冷たくなっていき、アンゼリカはどんなに苦しかっただろう。私だったら本当に嫌がらせしちゃう。
頑張って我慢したのね、アンゼリカ。偉いね。だから勝利したのよ。今だったら帰ってきても大丈夫よ。家族が守ってくれるわ。
でも、きっとあなたは帰ってこないわね。王太子に対する恋心が消えるまで、あなたは帰ってこないでしょう。
なぜかしら。同じ体を使っているからかしら。だんだんとアンゼリカのことを理解できるようになった気がする。
アンゼリカはまだ王太子に恋をしている。だからこそ失望し、絶望している。
家族が信じてくれていたとはいえ婚約者の優しさが聖女に奪われ、それまで親しくしていた友人たちから冷たくされ、『死ね』と裁かれるのはどれほど辛かっただろう。
小さなアンゼリカが心の奥底で涙を流しながら眠っている。
アンゼリカの心が癒えるまで、彼女が戻ってくることはない。
涙を流しながら私を抱きしめ続けていた女性が「アンゼリカ、立てる?」と優しく声をかけてきた。
どうやらこの女性はアンゼリカの母親でイケオジは父親らしい。
私はふっと息を吐いた。
アンゼリカ、愛されてるね。家族は信じてくれていたんだ。嬉しいね、幸せだね。
私たち四人は俯いている王太子の前を頭を下げることなく通り過ぎ、出口に向かった。
大きな扉が開き、明るかったホールから何枚かの扉をくぐって夕闇が迫る外に出た。
あ、そういえば王太子の名前、最後までわからなかったなあ。
***
アンゼリカはおとなしく物静かな少女だった。
優しい両親と兄がいて、優美な屋敷と広く美しい庭が世界の全てで、それで十分満足できる、内気な普通の少女だった。
アンゼリカと王太子の婚約が成立したのはアンゼリカが七才の時だった。
軍の総司令官である父マーカス公爵を抱き込むための純然たる政略結婚であったが、当然それに不満を持つ者はいる。その急先鋒であったのが王太子の母である王妃の父、内務大臣バイエ侯爵であった。
せっかく外戚として孫の王太子が国王となった時に影響力を発揮できると踏んでいたのに、その妃が国随一の権力を持つマーカス公爵家の出ではその目論みも水の泡である。
未来の王太子妃であるアンゼリカの教育係は内務大臣の息がかかった者たちが揃えられた。教育係たちはすぐにアンゼリカがどういう性質なのかを見抜き、効果的にアンゼリカを追い詰めた。
アンゼリカの心が折れるよう、自ら王太子の婚約者の座を諦めるようじっくり厳しく指導した。
「なんとか言ったらどうなんだ!?」
「もう一度言うぞ、アンゼリカ・マーカス!」
毎日一時間以上にも及ぶ叱責をアンゼリカは耐えた。至らないのは自分のせいだと思い、優しい家族に心配をかけたくないと思い、ひたすら耐えた。
そのうち、上から降り続く怒声を浴びているアンゼリカの顔からふっと表情がなくなったことを、教育係たちは気づいていなかった。
「お帰りなさいませ、お嬢さま。今日はいかがでしたか?」
「うーん、よく覚えていないから今から復習するわ」
「無理をなさらないでくださいね」
「ええ」
それを皮切りにアンゼリカは何度か記憶が途切れるようになった。
それでも、週に一度の王太子とのお茶の時間で話す時はとても楽しいものだった。「勉強、だんだん難しくなって大変だよね」と話す王太子に、アンゼリカは『大変なのは自分だけではないのだ』と思い、優しく励ましてくれて真摯に努力している王太子を尊敬した。
そして、恋をした。
狭い世界で、同じように頑張って、それでもなお優しい王太子を、ただ一つの光だと思うようになった。
だがルナ・ビクス男爵令嬢が現れ、聖女として教会と王宮に保護されるようになってから、頻繁に記憶の途切れが起こるようになった。
アンゼリカが気がついた時には王太子の態度は冷たくなり、周囲の視線も厳しいものになっていた。
ある日、自分の好みとは全く違うドレスを身につけていることに気がついた。艶のある黒に金とイエローダイヤをあしらったものであったり、深い紫にルビーを合わせたものであったり。
無意識のうちに強くあらねばと選んだのだろうかと自分でも怖くなる。
そうして、あの断罪の場に引き摺り出された。
*
あの後、屋敷に戻る馬車の中で子供のようにしゃくりあげて泣いたアンゼリカは三日寝込み、意識が回復した時には当時の記憶を失っていた。
けれど、すっきりした顔をして両親が提案した王太子との婚約破棄を淡々と受け入れた。
そして明らかになったこと。
あの日、王太子は国王夫妻がいない時を狙って断罪の場を設けたらしい。アンゼリカを呼び出し、心配して追いかけたマーカス公爵家を締め出した上で聖女を崇める貴族を集めて証人とした。
その場にはいなかったものの、すべての段取りをしたのは内務大臣であった。
***
それで『婚約継続』なんて笑っちゃう。
ね、アンゼリカ。
【終わり】
死ぬ役目を請け負ったアンゼリカは、何人目のアンゼリカでしょう?




