16話 「裏面」
夜の山の中を、ゆっくりと歩いていく男女の影が見える。
その二人が纏う空気は、愉しげでありながらも、異常だった。
「随分と山奥なんですね! いかにも仙人様がいそうって感じ!」
「分かりましたから。あんまり騒がないでくださいよ」
青髪の青年、獬豸が菊をたしなめる。
菊は紫色の目を、闇の中で怪しく輝かせる。
「えへへ……楽しみだなぁ……どんな人なんだろうなぁ……どんな断面してるのかなぁ……」
両手を顔に当て、頬を紅潮させながらうっとりと呟く菊を、獬豸は呆れたように眺めていた。
「久しいのぉ……獬豸。ガールフレンドでもできたのか?」
二人は動じず、ゆっくりと声のする方を振り返る。
「……お地蔵さんですか。……菊さんは先に琉琉助を。俺はこいつをなんとかするんで」
「オッケー。それじゃ、獬豸君にも後で断面、見せてあげるからねっ」
菊はさっと木々の中に行方をくらまし、消えていく。
場には、地蔵と獬豸二人になり、緊迫した空気が流れる。
「わしに勝てる気か? 『小僧』……」
「当然です。あなたに特段恨みはないですが、ここで散ってもらいます」
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時は少し戻り──
素晴らしすぎるお鍋をいただき、悠真と桜は満たされていた。
とにかく食べまくった二人の腹は、見比べればすぐに分かるほど膨れている。
琉琉助は台所で食器を洗いながら、悠真と桜に声をかける。
「お風呂も出てるから入っていいよ。なんとうちは露天風呂だからね!」
「いや、さすがに洗い物くらい手伝いますよ……」
「いいよいいよ。疲れてるんだから早く風呂入って寝な」
さすがに申し訳ないような気もするが、お言葉に甘えて先に入らさせてもらうことにした。
「悠真先入っていいよ……私もうちょっと消化してから入るから……」
「あぁ……じゃあお先に……」
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「はぁ……最高かよ…………疲れ取れるわぁ……」
温かい風呂は心と身体を癒してくれる。
芯まで温まったところで、のぼせる前に上がる。
なんと寝巻きまで琉琉助の方で用意してくれていた。
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紺色の無地の寝巻きを着て、風呂場を出る。
まだ身体がほかほかして心地よい。
「桜〜お先にどうも〜」
「はいよ〜」
桜も露天風呂にワクワクしているのが『波』で感じ取れる。
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「は〜っ……あったかぁ……」
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桜が風呂から上がるまでに、布団を敷いて、いつでも寝られるようにしておく。
ゴロゴロとしているうちに、今日の異常な運動量による疲労で睡魔が最強になり、いつの間にか寝てしまった。
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「悠真……あ、もう寝てるか。私ももう寝よ、おやすみ」
桜も風呂から出た直後のぽかぽかのまま、布団に潜り込み、やがてすぐに眠りにつく。
夜は、何事もなく明けるものだと思っていた。
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二人が深い眠りについている深夜に、琉琉助は山の中を一人、歩いていく。
その目は、かつてないほどに暗く、鋭い。
静かな夜の闇を睨みつけ、やがてゆっくりと構える。
その瞬間、闇に姿をくらませた凶刃が、琉琉助に牙を剥く。
それを軽々と躱し、蹴りのカウンターを放つ。
「おっと!」
琉琉助の蹴りを菊は刀で受け止め、少しよろけつつも地面に着地する。
「お〜……中々イケメンじゃないですか……! これはますます気になる……!」
再度刀を構え、斬りかかる。
その刃は琉琉助の隙を的確に捉え、振りかざされる。
「…………」
「黙り込んじゃって……余裕無くなってきたんじゃない!?」
ついに、刃は琉琉助の掌を裂く。
ピ/ッ……
「…………」
琉琉助は「首から」出血する。
それを見て、菊は刀を向けながら、愉しそうに語り出す。
「驚きましたか……? 私の能力は『椿落とし』。私の刀で斬ると、どこを斬ってもダメージが全て首に行くんです。つまり……」
菊は嗜虐性をはらんだ表情で、ニタァっと嗤う。
「『全身急所』……って事。響きがえっちでしょ……? じっくりゆっくり、斬ってあげるからねぇ」
頬を染め、刀を振りながら生き生きと語る菊を、琉琉助はまるで道端の石ころを見るような目で眺める。
「じゃあ……続きね……」
菊が刀を構え直すそのごく一瞬の間に、琉琉助は懐に潜り込む。
そして、鳩尾目掛けて拳を叩き込む。
(『層合気・練武』)
骨が砕けるような「ギャリッ」という鈍い音が、拳が当たった少し後に響く。
菊は刀を落とし、地面にうずくまり、痙攣する。
「…ぁ゙っ……がっ…………」
琉琉助は倒れ込む菊の首を掴み、ゆっくりと持ち上げる。
「ぉ゙…ぅ゙…………な゙、ゃ゙……め゙……」
琉琉助は、菊の顔を直視できなかった。
それでも、じたばたと藻掻く菊を押さえ込むように、琉琉助の指が首を握りつぶさんばかりに食い込んで行く。
「ぇ゙ぁ゙……っ……」
泡を吹きながら震える菊から、琉琉助は手を離した。
そして、自分の掌を眺め、浅いため息をついた。
直後、背後から琉琉助に向け、拳が振り下ろされる。
それを軸足をずらすだけの最小限の動きで避ける。
「おい……てめぇ……何してんだよ……」
「……獬豸か」
「うるせぇよ。クズ野郎が……」
「お地蔵さんはどうした?」
獬豸の怒りを押し潰すような威圧感を放ちながら、琉琉助は問う。
獬豸は額に血管を浮きあがらさせ、黙ったままただ琉琉助を睨みつける。
「……そうか」
獬豸は拳を強く握りしめる。
「能力『壊雲』」
獬豸は手を開き何かを撒くような動きをすると、掌から『霧』のようなものが散り、獬豸の周囲に薄く留まる。
(あの『霧』は、触れた物質を破壊する力を持っている。迂闊に攻めればこっちが砕け散る)
(琉琉助の『未来視』は、童子様から聞く限り完全無欠じゃない。手堅くペースを掌握して、奴のリソースを増やせば、勝てる)
二人は互いに間合いを保ち、相手の出方を伺う。
その静寂は、『霧』が宙に融けた瞬間、破られた。
「ドン!」という地面を割るほどの凄まじい踏み込みが、二人の足から響く。
(『壊雲』)
獬豸が手を振りかざし、『霧』を撒く。
琉琉助はその懐に入り込み、一撃を叩き込む。
カウンターを端から警戒していた獬豸は、それを躱すと空中で身を翻し勢いを付け、右足で蹴りを繰り出す。
琉琉助はそれを鼻が掠めるほどギリギリで回避すると、獬豸の鳩尾目掛けて拳を打ち込む。
「っ……!!」
獬豸は琉琉助の一撃に直ぐに反応し、腕でガードして身を守るも、その威力を完全にいなし切る事はできず吹き飛び、ゴロゴロと地面を転がる。
倒れる獬豸に容赦なく琉琉助は距離を詰め、踏み潰すように追撃を仕掛けるも、獬豸は地面に両手を着けバク宙し、飛び上がりざまに蹴りを撃ち込む。
それを琉琉助は軽々と避けると、瞬時にステップを踏み獬豸から距離を取った。
「チッ……!」
獬豸は蹴りの直後に『壊雲』を放つが、それを予知していた琉琉助に避けられる。
また、二人の間に近いようで凄まじく遠い、『壁』が作られ、睨み合う。
「……なんてね」
「!?」
唐突に琉琉助は両手を掲げる。
それを見た獬豸は何かに気づき、咄嗟に後ろを振り向く。
「石狩スマッシュ!!」
「ッ…チッ……!!」
背後から飛び掛り拳を繰り出す地蔵に、獬豸は驚きつつも、咄嗟に『壊雲』で反撃する。
「っ……」
『霧』に触れた地蔵が、パラパラと音を立てて粉々に散っていく。
(何故だ……!? 先ほど確実に破壊したはず……!)
「……しまっ……」
獬豸が琉琉助の姿を追って振り返った時には、既にそこには居なかった。
(『層合気・風月・極』)
「ぐっ……!!?」
琉琉助の渾身の一撃が、獬豸の腹に叩き込まれる。
「ごめんな、獬豸。お前は『まだ』要らない」
「てめっ…………!!」
山の中に「ドッ!!!」という鈍い爆音が響き渡る。
─────
(は……?)
獬豸は、真っ暗な空間に飛ばされた。
いや違う。ここは『空の上』だ。
あの一撃、一瞬で、空の上まで打ち上げられた。
「ごぼぁ゙っ!!」
空中を舞いながら血を吐き散らす。
暗い夜空に、獬豸の紅い鮮血が消えていく。
『落下死』という言葉が脳裏をよぎる。
「……クソがぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ…………!!!」
菊を置いたまま死んでたまるか。
絶対に琉琉助をぶち殺してやる。
様々な事が走馬灯のように駆け巡り、やがて空中で意識を失う。
圧倒的な『殺意』を抱いたまま。
─────
「地蔵、未来がズレた。不味いかもしれない」
「なんじゃと……?」
一戦を交えた後も、琉琉助は冷淡な雰囲気を崩さなかった。
「お地蔵さんは悠真をよろしく。桜はキュピーに任せる。俺は……」
「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!!」
自身に対する意識が完全に消えた隙を狙い、菊は琉琉助に刃を立てる。
バギ/ィ゙ン…………
「……え゙っ……」
琉琉助は振り返ることなく菊の刀を拳で振り払い、叩き折る。
振り返ったその目には、微塵の光も宿っていなかった。
「俺はこいつ『仕上げとく』から」
その言葉を最後に、菊の意識は途絶えた。
事が終われば、山にはまた、静寂が戻った。




