2. 隠れたヒント
7月μ日、火曜日。
歴史的なG7+オンラインサミットが一夜の内に開催された、その翌日のことだ。
「じーじたちと会うの、久しぶりだな〜」
「2人とも未咲に会いたがってたよ」
スバル社のレヴォーグという車の車内で、後部座席に座った未咲ちゃんと運転席でハンドルを握る宇梶慧先生が会話をしていた。
「しばらくぶりなんですね」
私――星江新葉は、この車の助手席に座っている。
私たちは今、先生の実の両親が暮らす、東京都内のD市に向かう途中だ。
このころ帝都大学は夏季休業期間に入っていたが、先生や私はAQUAチームに属しているので、災害対応のために研究室は休日返上でフル稼働していた。
――とはいえ、先生も私も人間だ。ロボットじゃない。
ずっと働き詰めでは、人は壊れてしまう。
そこで先生は、サミットがひと段落したこのタイミングで、半日ほどお休みの時間を作った。そしてその時間を利用し、ご両親に会いに行くことにしたのだ。
「星江さんも休みを取って、久しぶりに自由に過ごしてもらってもいいんだよ」
先生はそう言ってくれたが、私は同行を希望した。
「Acu-SHE」の感染リスクを思えば、どこに行っても休日を楽しめる気はしなかったし……。むしろ、せっかく先生のご両親に会えるチャンスなんだから、同行した方が自分にとって有意義だ――そう思った。
「……そうかい? 助かるよ。――ありがとう」
そう言って先生が優しい笑顔を向けてくれたとき、我知らず胸が高鳴ったような気がした。
††
今から4日前の7月θ日、先生は完成した「全球汚染シミュレーション」を通して、降雨による「Acu-SHE」の感染リスクを示唆した。
そしてそのリスクは、翌日に感染研の山田所長の死という、最悪の形で証明された。
――そのときに、私はある決意をした。
山田所長の訃報があったその日の夜、私は先生に自分の決意を伝えることにした。
このとき、先生は実験のデータ処理のために大学の研究室に居残っていた。
『――先生。このさき私は、なるべく未咲ちゃんと一緒にいた方がいいと思います』
私はこの前々日――η日木曜の時点で、先生に研究に専念してもらうために未咲ちゃんのお世話を自主的に申し出ていた。
『それはありがたい話だけど……どういう意味だい?』
私はすっと息を吸って、次の言葉を発した。
『先生のお宅でお世話になりたいと思うのですが』
『――え……?』
時間が止まった。
さすがの先生も、この私の提案には虚を突かれた様子だった。
――とはいえ、そこは頭脳明晰な先生のことだ。
硬直したのは一瞬のことで、すぐに私が言わんとするところを察した。
『なるほど……。いや、実に合理的な判断ではある。でも、しかしだねぇ……』
そう。これは合理的な判断だ。
雨が降ったら外出が難しくなる。
私が今住んでいるアパートからでは、未咲ちゃんのお世話も先生のサポートもままならない。
問題になるのはただ1点。
――外聞が非常に悪い、ということだけだ。
『私のことは気にしないでください。住み込みの家政婦兼助手とでも思ってもらえれば』
20代の独身女性が、奥さんを亡くしたばかりの男性の家に転がり込む。
昼ドラでもこんな展開はないだろう。
私もふだんなら、こんな提案はしない。
でも、私は先生を信頼している。
そういう関係になりたいとは、私も先生も全く思っていない。
だから、この提案は成り立つ――そう思った。
『――今は非常時……という言い訳が成り立つものなのかな……?』
先生が首をひねりながら、自問するように言う。
そう。今は非常時なのだ。
緊急避難(?)の適用条件は満たしていると思えた。
『さあ……きっと、誰にも正解がわからない問いだと思います』
あえて、私はこのように答えた。
物事の何が正解かなんて、見方や物差し次第だと思う。
先生はしばらく黙考した後、1つ頷いた。
『……そうだね。僕たちは科学者だ。わからないなら、合理的に実利を取ろう』
――さすがは先生だ。
先生が私と同じ結論に至ったことを、私は嬉しく思った。
『では……?』
『ああ、よろしく頼むよ。もちろん、なるべく星江さんに不利益が出ないようにする』
そう言って、先生は深々と頭を下げた。
提案が通ったことを理解し、私の胸は喜びで満ちあふれた。
『はい!』
――こうして、私は先生と未咲ちゃんと、ひとつ屋根の下で暮らすことになった。
††
「えっ、慧たちの家に住み込みで……?」
「はい。お世話になっております」
時刻は現在――μ日の昼下がりに戻る。
先生のお母様、久美子さんが発した驚きの言葉に、私は平然と応えた。
佐々木市の先生宅からD市のご両親の家までは、車で約30分の距離だった。
私たちはリビングに通され、まったりと団欒のひとときを過ごしていた。
「うーん、おいしー!」
未咲ちゃんは、久美子さんが用意した高級アイスにすっかりご満悦のようすだ。
久美子さんは、私が先生の家に住み込みでお手伝いをしていると言うと驚いていたが、降雨に伴う移動のリスクについて話すと納得してくれた。
「それなら仕方ないのかしら……。ごめんなさいね。息子と孫のために無理をしてもらって……」
「いえ。私から提案したことですから」
ややあって、お父様の誠司さんがリビングに戻って来た。誠司さんは、別室で先生と話し込んでいたようだ。
「母さん、慧が呼んでるよ」
「はいはい。次は私の番ね」
いそいそと立ち上がる久美子さんと入れ替わるようにして、誠司さんがソファに腰を下ろす。
「いやあ、こんな美人の助手がいるなんて、慧のやつが羨ましいなあ!」
大きな声で明るく言う誠司さんだったが、その目にはうっすらと涙がにじんでいた。
先生はご両親と1人ずつ、時間を取って大事な話をしているようだ。
この国はいま、未曾有の危機にさらされている。
――きっと今、このタイミングでしかできないような積もる話があったのだろう。
私はただ漠然と、そんな風に想像していた。
†
「――星江さん……ご家族とは連絡を取ってる?」
佐々木市に帰る車の中で、ふと先生からそんな質問をされた。
「そうですね。このご時世ですし、こまめに連絡は取ってますよ。私から伝えられることもありますし」
AQUAチームの一員である私は、一般の人が知らない多くの情報を得る立場にある。
もちろん守秘義務があるので明かせないこともあるが、実家の両親には頼りにしてもらえている……と思う。
「もし会いに行くなら、早めの方がいい。今後は簡単には行かないだろうから」
……確かに、降雨による移動リスクもあれば、今後、国内で厳しい移動制限が課されるようなこともあるのかもしれない。
先生の立場なら、その辺りの政府の方針について、何か知っていても不思議はなかった。
「……ありがとうございます。ちょっと難しそうですけど、考えてみますね」
私はそんな風に答えた。
――うん。直接会うのは難しくても、せめて両親とビデオ通話ぐらいはしておこうかなぁ。
ご両親のことを大切にしていた先生の姿を見て、私はそう思った。
「僕にできることがあれば、協力は惜しまないよ」
「先生にそこまでしていただくわけには……」
私は苦笑して、軽く首を横に振った。
先生のお手伝いに来ているのに、その先生に手を焼かせていては本末転倒だ。
「――ねえ、パパ」
「ん……どうした? 未咲」
そんなとき、後部座席に座っていた未咲ちゃんが声を上げた。
彼女は祖父母の家ではしゃぎ疲れたのか、少し気だるげな様子だ。
「新葉お姉ちゃんは、〝家族〟になるの?」
その無邪気な問いかけに、私の心臓がどきりと大きく跳ねた。
――か、家族!?
……そ、それはどの立場で……!?
子供らしい問いと言えるのかもしれない。
先生も少し答えに詰まったようだったが、沈黙はほんのわずかな間だった。
「そうだなあ……。家族の定義によるかもしれないね。未咲はどう思う? 例えば、星江さんがお姉さんだったら嬉しいかい?」
……ああ、そういうことか。
先生の言葉によって、私は未咲ちゃんの質問の意図がなんとなくわかった気がした。
子供の頃って、覚えた単語の意味や定義が妙に気になったりするのだ。私にもそんな時期があった。
――一緒に暮らしているお姉さんは「家族」に入るのかな? ……きっとそんな疑問が、つい口を突いて出たのだろう。
先生に問い返された未咲ちゃんは、明るく大きな声で答える。
「うん。うれしい!」
……未咲ちゃん……!
ジン……と、温かな気持ちで胸がいっぱいになり、私は後部座席を振り返る。
「ありがとう、未咲ちゃん。私も未咲ちゃんみたいな妹がいたら嬉しいな」
「でしょ?」
未咲ちゃんは得意げな笑みを見せた。……うーん。あざとかわいい!
「――まあ、法的な『家族』の定義はさておき、」
先生がハンドルを切りながら、穏やかな声で言う。
「家にいる以上、星江さんも家族の一員だ……ってことで、どうかな?」
私がその問いかけに肯定の返事をしようとしたとき、後方から待ったの声が掛かった。
「ブッブー。パパ、間違えてるよ」
「……え?」
思わぬ不正解の合図に、先生は戸惑いの声を上げた。
「星江さんじゃなくて、新葉さんでしょ?」
確かに。
家族だとしたら、苗字で呼ぶのは変よね。
――未咲ちゃん、グッジョブ!
「あ、ああ。確かに……家族だもんな。星江さん、下の名前で呼んでも?」
それは私にとっては光栄なことだ。でも、問題はもう1つ――
「あ、はい。私は全然構いません。……あの、先生のことは何と呼べば……?」
それを問うと、先生も困ってしまった。
「あ、あぁ……そっか。家族で『先生』は変か。うーん、これは困ったぞ。未咲、どうしたらいいと思う?」
「え? パパはパパでしょ?」
「「パパ!?」」
即答する未咲ちゃんに、先生と私は揃って驚きの声を上げた。
……さすがに、パパはちょっと……
「……あ、ママは『ケイ君』って呼んでた」
ママ――亡くなった陽菜さんのことだ。
それを聞いて、1つ頭の中に閃くものがあった。
「……じゃ、じゃあ、『慧さん』とお呼びしても?」
「『慧さん』か……うん。アリだね」
こうして、私は先生のことを「慧さん」と呼ぶことになった。
「新葉さん」「慧さん」と呼び合う姿を想像し、私はやや気恥ずかしくなった。
……やだ。なんだか、顔が熱くなってきた気がする……
その直後――
「……なんか、新婚夫婦みたいだね〜」
「えぇっ!?」
「こ、こらっ! 未咲!」
無邪気な爆弾発言が放り込まれ、私と慧さんは慌てた。
それでもハンドル操作を誤らなかった慧さんは流石だと思う。
……夫婦だなんて、さすがに不謹慎すぎるわよ!
そんな、楽しい会話のひとときに気が紛らわされたせいか――
私は、このときの慧さんの言葉や行動の意味を全然理解していなかった。
――それを後に、最悪の形で思い知ることになるのである。




