11. 第3の災害と新たな仮説
7月ι日、土曜。午前11時過ぎ。
首相官邸地下にある危機管理センターでは、蜂の巣を突いたような騒ぎが起こっていた。
「福島県警から緊急入電! 会津若松市で『Acu-SHE』のクラスター感染の疑い有り!」
「救急搬送の数、200件を越えました!」
「稲城湖、高倉湖周辺で汚染の影響と見られる目撃情報有り! 汚染は朱野川水系に及ぶと見られます!」
官邸地上の総理執務室にて。
矢継ぎ早に寄せられる報告を聞き、総理大臣の汐崎崇元は渋面を険しくした。
「……恐れていたことが、起きてしまいましたね」
秘書官の青木が言った。
遂に発生した「Acu-SHE」の第2波。それが近々訪れるであろうことは、政府首脳では予期されていた。
「……そうだね。できれば、明後日のサミットまで持ってほしかったが……。やはり、あのシミュレーションは正しいということなんだろう」
汐崎は改めて、慧が算出した全球汚染シミュレーションの正しさを再認識した。
その計算に従えば、本日――ι日時点で福島・新潟の両県は汚染で赤く染まっていた。
「ただちに福島県、新潟県の知事に連絡を。朱野川流域の給水を停止させるんだ」
「はい」
踵を返そうとする青木に対し、汐崎はもう1つの依頼を告げる。
「それと――武田防衛大臣をこちらに呼んでくれ」
防衛大臣の武田が執務室に現れるまで、それから5分と掛からなかった。本日、彼は各種災害の対応のために官邸に出邸していたのだ。
「武田大臣。会津若松の件は聞いているね? 自衛隊の派遣について――」
「総理。まずは現状を聞いてください」
汐崎が言い終えるのを待たず、武田は口火を切った。
「これからの自衛隊派遣には、取捨選択が必要です。今なお茨城の遺体処理に給水支援、東北では鯨類の死骸処理の作戦が継続しています。加えて、そこから例の計画のために部隊を割いている状況です」
汐崎は武田の言葉を聞きながら、椅子に深く背を預けた。
「やはり、そうか……」
数秒の沈黙の間に、汐崎は考えをまとめる。
「――こうなったら、あとは各自治体で頑張ってもらうしかないな。例の『Acu-SHE対応マニュアル』を自治体に配布し、実地指導のため最低限の人員のみを派遣するというのでどうかね?」
汐崎の問い掛けに対し、武田は頷いた。
「それならば、現地の部隊で賄えるでしょう」
『Acu-SHE対応マニュアル』――その名の通り、「Acu-SHE」の予防や罹患者への救護等に関する現場対応の手順について網羅した文書だ。
被災地の病院や警察、保健所や自衛隊隊員らからの報告を元に広報チームが編集し、AQUAチームが監修を行った。
ここで、武田はもう1つの懸念を挙げる。
「……しかし、給水支援についてはどうしますか?」
朱野川の流域面積は7,000平方キロメートル以上に及ぶ。しかも、その大半が山間部だ。人口は60万人程度だが、各種支援を行き渡らせるのは困難と考えられた。
「指揮については、自治体と災害対策本部で分担しよう。自衛隊の持つ給水車は動かしてほしい」
「それはもちろんです」
給水車の支援がなければ、自治体等の備蓄は早晩底をつき、安全な飲料をめぐって奪い合いの争いが始まるだろう。被災地では井戸水の活用も進められているが、汚染されていない水源をどれだけ確保できるかは賭けになる。
即効性のある給水車の派遣を避けるという選択肢はなかった。
対応を誤れば、被災地は無法地帯と化す。
それだけは避けねばならない――これが大前提だった。
……一方で、既に茨城の那実川流域では、スーパーやコンビニなどで飲料品の盗難が相次いでいた。それがいつ略奪に発展するか……――汐崎は既に、それを起こり得ることとして危惧していた。
「水が生命線になる。アメリカにも支援を要請する」
汐崎の宣言に対し、武田は深刻な面持ちで頷いた。
†††
様々なことが起こった7月ι日の夜。
僕――宇梶慧は、3日ぶりに帰宅した自宅の書斎から、ビデオ会議のアプリを立ち上げていた。
「やあ、2人とも。今日はありがとう」
僕は英語であいさつをした。
ビデオ通話の相手の1人は、カリフォルニア工科大の友人であるルイズ・シーカー博士だ。
『ケイ、ハルナのこと聞いたわ。本当に何て言ったらいいか……』
「ありがとう、ルイズ」
ルイズは眉間にしわを寄せ、涙をこらえるような表情を浮かべていた。
僕が陽菜を連れてカリフォルニアに留学していた頃、2人はとても仲が良かった。彼女が悲しむのも無理はない。
『……空気をぶち壊すようで申し訳ないが、先にこの会合の趣旨をはっきりさせよう。感傷に浸るのは後でもいい』
言いにくいことをズバリと言ってきたのは、もう1人の通話相手である比護徹心だ。
さすがに彼も英語はペラペラだ。
「その通りだ、比護。よく言ってくれた」
このときの僕の心情は、どちらかと言えば比護寄りだった。
陽菜の死を悼んでもらえるのは嬉しく、ありがたいことだ。しかし、嘆いていても陽菜は帰って来ないし、「GRIM」もいなくならない。
いま必要なのは「GRIM」への対抗手段であり、そのヒントとなる情報だ。
僕と違って宇宙生物学を専攻するルイズであれば、きっとまた違う角度からの見解が得られるのではないか。そう期待してのこの会合だった。
僕がそのような趣旨を述べたところ、2人とも納得して頷いた。
『――公開された論文はすべて読んだわ』
ルイズはそう言った。
よく見ると、彼女の目の下には濃い隈があった。きっと、夜遅くまで論文を読み込んでいたのだろう。
『……でも、あれで全部じゃないんでしょう? さあ、わかってることを残さず教えてちょうだい』
ルイズの目は爛々と輝いていた。その輝きは僕にとっても馴染み深い、知的好奇心が刺激されてドーパミンが分泌されているときのものに違いなかった。
僕と比護は主にそれぞれの分野で発見され、まだ公開できていない情報についてルイズに包み隠さず共有した。
その中には、僕が見つけた地球外に由来する物質的特徴や、亜鉛やヘモグロビンの代謝、真球構造体の驚異的な耐久性といった情報が含まれていた。
『テッシン、遺伝子解析の状況は?』
『メタゲノム解析を回しているが、まだ結果は出ていない。PCRなど通り一遍の検査にはまるで反応がないから、今のところは「正体不明」としか言えない』
比護がこの2日前――η日に開始したメタゲノム解析の結果が出るまでには、少なくともあと3日は掛かる。僕はそう聞いていた。つまり、G7+サミットには間に合わない、ということだ。
しばらく無言で考え込んでいたルイズは、やがて何かを思いついたように顔を上げた。
『――1つ、突拍子もないような仮説があるわ』
そんな前置きから告げられるルイズの発表を前に、僕はごくりと唾を呑んだ。
『「GRIM」の正体。それは「古細菌」かもしれない』
〝古細菌〟――それは僕にとって、全く馴染みのない単語だった。
『古細菌か! なるほど……』
比護には、思い当たる節があったらしい。
「……なんだい、古細菌っていうのは? ふつうの細菌とは違うのかい?」
僕が素朴な疑問を口にすると、2人が先を争うように説明してくれた。
『古細菌は、形態としては細菌に似た原核生物だが、生物の系統としては全く別だ。地球上の生物は細菌、古細菌、真核生物の3つに大別されるんだ』
「! そんなにメジャーな生物なのか」
『古細菌の中には極限環境微生物と呼ばれる、極めて環境耐性の高い種も存在するの。宇宙環境を生き延びて地球まで到達したこととも辻褄が合う』
……なるほど。
2人の話を聞く限り、確かに有力な仮説のようだ。
ルイズが次のように話をまとめた。
『宇宙からやって来た「異星性古細菌」。今のところ、「GRIM」の様々な性質を説明できる最も確からしい仮説じゃないかしら』
〝異星性古細菌〟――その言葉は、暗黒に包まれた「GRIM」の不気味な正体を暴くためのキーワードになり得るかもしれない。




