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幕間 地獄巡り

 時は再び7月η日、木曜日の未明に戻る。


 午前4時過ぎ。陸上自衛隊員の有為(うい)安枝(やすえ)は、八戸(はちのへ)行き東北新幹線の臨時車両に乗っていた。彼女は茨城県大内海(おおうつみ)駐屯地の所属だが、この日から特別任務に就くことになっていた。

 新幹線の外は真っ暗な夜の闇に包まれており、窓ガラスには不安げな有為自身の表情が映し出されていた。


 つんつんと、有為は肩をつつく刺激を感じて振り返った。


「ぶっ」


 直後、有為は噴き出した。

 同僚の自衛隊員――五味(ごみ)(ひとし)が両手で顔を広げて変顔をしていた。


(――小学生かよ、こいつ)


 有為がそう思ったのも無理はない。



 10両編成の新幹線は、自衛隊の東部方面隊によって貸し切られていた。即ち、有為たちの周囲の席にいるのも全員が自衛隊員だ。

 新幹線が徴用されたのは、東北で前日に発生した新たな災害――鯨類(げいるい)の大量死亡座礁――に対する応援部隊を、いち早く現場に送り届けるためだ。


 有為や五味が属する茨城県の大内海駐屯地からも、彼女らを含む少数の隊員が派遣されることになった。

 「Acu-SHE(アクーシェ)」による人名損失のピークを過ぎたとはいえ、茨城県も決して余裕のある状態とは言えない。それでも、バイオハザードに対する部隊間のノウハウ共有を期待しての人員配置だった。



「……ビビってんのか、有為? 死んだクジラみたいな目しやがって」


 ――どんな目だよ、それ……と思いつつ、有為は胡乱(うろん)な目で五味を見返した。


「あんたこそ、ビビって寝れなかったんじゃないの?」

「バ、バカ! そんなことねぇよ!」


 五味が思わず高い声を上げたところ、周囲から殺気が交じった視線が集中した。

 誰かが「シッ!」と(とが)めるように声を立てる。これからの任務に備えて眠っている隊員もいるのだ。


「…………ばーか」


 ばつが悪そうに首を縮めた五味に対し、有為は呆れた声で言った。


「……チッ」


 舌打ちをした五味が目を閉じるのを見届け、有為はまた窓の方を向いた。

 ガラスに映る彼女の顔は、笑っていた。




    †††




 新幹線に乗車した700名の自衛隊員の内、仙台駅で降車したのは300名弱だ。その中に有為と五味の姿もあった。

 彼女らは速やかに迎えに来た自衛隊の車両に乗り込み、現場である三陸海岸へと移動を続けた。


 ――有為にとって、δ日から始まった茨城でのこの3日間は地獄だった。

 老若男女を問わず、「Acu-SHE」の発作が現れた者があっという間に死んでいく。

 死体の数はあまりにも多く、何十何百とトラックにそれらを積んで運ぶ間、有為はまるで賽の河原で石を拾い集めているような気持ちになった。


 有為も五味も理解していた。

 任地は変われど、これから行く先もまた地獄なのだと。



「盾、構え!」

穿孔(せんこう)準備! 突けぇーッ!!」


 現場指揮官の合図に従い、重厚な化学防護服を着込んだ隊員が槍を突き刺す。


 槍を向けられたのは、昨日この海岸に流れ着いた体長15メートルのザトウクジラだ。

 ひと晩が経過した後、その体はガスの内圧で丸々と膨れ上がっていた。

 処分場に運ぶ前に、一刻も早くガスを抜く必要がある――そう判断された。


 ブシュウウゥッ!!


 クジラの背中側に穿たれた穴から高圧のガスが噴出する。

 そのガスに混じって、赤黒い血液がシャワーのように飛散した。


「ぐっ! きっつ!」

「耐えろよ! 槍持ちを守れ!」


 槍を持った隊員の左右には大きなライオットシールドを構えた隊員が2名ずつ、計4名いた。いずれも化学防護服を着込んでいる。

 彼らは5名1組となって、この苛酷な任務に臨んでいたのだ。


「――盾隊、構えのまま待機!」


 個人防護具を着た有為は、少し離れた場所からポリカーボネート製の大盾を構えて作業を見守っていた。

 彼女を含む2個分隊ほどの隊員らは、念のためクジラの爆発に備えて隊列を作って盾を並べていた。


 どうやら爆発の危険は去ったようだが、引き続き予断を許さない状況だ。


 最前線の5名は一旦後退していた。

 槍を持っていた隊員は、新しい槍に交換していた。


 次は、クジラの腹を突いて水と体液を抜く。

 爆発のおそれは低いが、流出する内容物の量はトン単位に及ぶ。当然、「Acu-SHE」に感染するリスクもある。

 危険な作業に違いはなかった。


 そのザトウクジラをクレーン車で運び埋却するまでに、それから2時間がかかった。

 その間にも、クジラやイルカの死骸は際限なく海岸に流れ着いていた。


(――本当に終わるのか、これ……?)


 有為がザトウクジラの処理に携わっている間、五味はひたすらイルカの死骸を納体袋に入れ、トラックに積む作業に従事していた。

 無数の死骸による悪臭が充満する劣悪な作業環境だったが、2人とも嗅覚はとっくに麻痺していた。


 有為も五味も、暗澹(あんたん)とした気持ちで作業を続けた。




    †††




 有為と五味は、翌日も丸一日、同じ任地で鯨類の死骸の処理に従事した。


 7月θ日の夜。

 2人は、海岸付近に構築した野営地で夕食を取っていた。エアロゾル吸入のリスクを避けるため、海際からは十分に距離を隔てている。


「あー、今日も疲れたなー!」


 五味は、折りたたみ式の椅子に腰かけたまま大きく伸びをした。ぎしぎしと椅子が悲鳴を上げたが、幸い壊れることはなかった。


「……ねえ、五味」


 缶飯を口に運ぶ手を休め、有為は五味に話しかけた。

 五味はのけぞった姿勢で目線だけ有為に向ける。


「ん?」

「クジラ埋めるのって……なんかおかしいと思わない?」


 それは雑談の延長というには、やや不穏な響きを帯びていた。

 五味は上体を起こし、椅子の上で姿勢を整えた。


「……なんでだ?」

「いやだってさ、どう考えたってその場しのぎじゃん。あんなの埋まってたら近くで生活できないよ。消毒はしてるけど、完璧とは思えないし」


 現場の下士官が上層部が立てた作戦を批判するのは、軍隊としてはタブーである。

 しかし、有為の疑問はもっともなものだった。


 漂着したクジラは穿孔処理を施した後、ブルーシートを敷き詰めた大穴に放り込み、大量の消石灰と共に埋却されている。


 この日の記者会見で既に、鯨類の死因は「Acu-SHE」だと公表されていた。その汚染は、クジラを埋め立てた場所からも徐々に広がっていくのではないか……。有為はそれを危惧していた。


「そりゃあな……。じゃあ、有為はどうしたらいいと思うんだ?」


 五味は、ぼりぼりと頭を()きながら有為に応えた。

 五味は頭を使うタイプではないが、有為の懸念はわかるような気がしていた。


 有為は、手に持った缶飯に視線を落としながら答える。


「――焼却すべきだと思う。もちろん、時間も人手もかかるだろうけど……」


 それは確かに、十分な期間と人員が確保できるのであれば、最善の対処法だっただろう。


「……うーん……」


 五味はその有為の意見に対し、どう返事をすべきか考えあぐねた。

 有為の言うプランを実現するためには、何が必要なのか。それに対して、上層部はどう考えているのか。彼には全く見当がつかなかった。


「――2人とも、ここにいたか」


 有為たちがちょうど食事を終えた頃、人影がその場に通りかかった。

 発言からして、有為たち2人を探していたようだ。


「そ、曹長!」

「お疲れ様です!」


 2人は缶飯をその場に置き、慌てて立ち上がって敬礼をした。


 その人物は2人の直属の上官にあたる、同じ大内海駐屯地から派遣された陸自の曹長だった。


「ああ、食事時にすまない。楽にしてくれ」


 曹長が少し申し訳なさそうに両手を前に上げたのに合わせ、有為たちは休めの姿勢を取った。


「2人には新しい辞令が出ている。つまり、異動だな」

「え……?」


 有為は思わず声を上げた。

 明日も当然、今日の作業を続けると思っていたからだ。現場にはまだ多数の死骸が残っていたし、明日もまたきっと沖から多数の死骸が漂着するだろう。


 しかし曹長は、有為の疑問に答えることはなかった。


「新しい任務は、東部方面総監部直属の特別任務だ。詳細は現地で聞いてくれ。明朝0600時、ヘリが迎えに来る。出発の準備をしておけ。以上だ」

「はい!」

「了解です!」


 自衛隊員の(さが)で威勢よく返事をしたはいいものの、2人とも何が起こっているのかさっぱりわからなかった。


 辞令を伝え終えた曹長は他にも用事があるようで、2人の前から足早に去って行った。


「……どういうこと?」

「……さあ?」


 取り残された2人は、互いに顔を見合わせて首を傾げた。


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