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4. 世界の危機

 ――再び時は(さかのぼ)り、前日の7月ζ日。午後4時過ぎ。


 首相官邸で、クジラ・イルカ類の大量座礁(マスストランディング)現象に対応するための緊急の閣僚会議が終わった後の話だ。


 内閣総理大臣、汐崎崇元(たかもと)は総理執務室から1本の電話を掛けていた。


「――それでは、(さかき)先生としてもサミットの開催には賛成だと?」

『はい。単純に未解明の事柄が多すぎますから、世界の科学者たちの協力が得られれば、状況の好転が見込めます』


 外務大臣の橋詰素子(もとこ)による提案を受けて、汐崎は主要国首脳会議(サミット)の開催を検討していた。そこで、その決定に大きく関わるであろう人物と意見を交わしていたのだ。

 科学対策統括室室長を務める榊征士郎は、その最たる人物と言っても過言ではなかった。


「貴重なご意見ありがとうございました。30分後にオンライン会議を行いますので、そちらで詳細を詰めさせてください」

『承知しました』


 榊との電話を終えた汐崎は、秘書官に指示を出す。


「官房長官と橋詰外相を呼んでほしい。サミットの開催について話がしたい、と」




 ――同日、夜。

 汐崎総理はこの3日間で何度目かになる、ホワイトハウスとの電話会談に臨んでいた。


『やあ、タカモト。良いニュースかい? それとも、悪いニュース?』


 汐崎はハリソン大統領の軽妙な問い掛けに苦笑しつつ、流れに乗ることにする。


「どちらから聞きたいですか?」

『……じゃあ、悪い方で』


 汐崎はこの日に勃発したクジラ・イルカ類の大量座礁問題について話す。

 太平洋沖合に数千頭の死骸が漂っている可能性があると告げると、ケネス・ハリソンは仰天した。


『それはまずい。中国やロシアにも早晩、事実が露見すると考えるべきだ』

「ええ。それで、むしろこちらから積極的に情報を開示していくしかないかと」


 汐崎の言葉を聞き、ケネスは日本側の判断を『Excellent(エクセレント)』と称えた。


『かえって良い機会かもしれない。国際社会を巻き込むチャンスだぞ』

「あなたもそう思いますか? 実は、G7+サミットを開こうと思ってるんですよ」


 汐崎が流れでそこまで話すと、ケネスは『Exactly(イグザクトリー)』と力強い賛意を示した。


『もし君が言ってくれなかったら、我々から提案していたところだったよ。サミットの開催に全面的に同意する。主催国は日本か――いや、日米共同の方が良いかな?』

「共同開催とさせてもらってもいいですか? 被招待国に本気度を示したいので」

『もちろんだとも。それで行こう』


 後にこの会談を振り返った汐崎は、「驚くほどスムーズに話が進んだ」と語った。


 その最大の理由は、米国政府側での危機意識の高まりである。

 彼らも独自の調査と検証によって、日本国内や海洋での汚染拡大の実態を把握していた。また、既に米政府からファイブ・アイズへの情報共有も進めており、国際社会を巻き込むタイミングも狙っていた。


 鯨類(げいるい)の大量座礁問題と、それに伴う汐崎総理からのサミット開催の提案。――米政府にとって、両者はある意味で渡りに船だったのである。


「ケネス、国際社会への情報発信のやり方について、日米の責任者同士で詳しく協議させてもらえませんか?」

『ああ、実務的な調整は必要だろうね。何か具体的なプランはあるのかい?』

「こちらで上がったアイディアですが――」


 汐崎は、橋詰外相や須山官房長官との打合せで検討したプランを述べた。


『それは非常に効果的な一手になるだろう。ぜひ、前向きに進めよう』


 この後、日米両国は国際的な情報戦略の立案・実行を行うタスクフォースを設立する。日本側の代表は、須山官房長官が務めることになった。




    †††




 明けて翌日――7月η日。

 日本時刻では夜の10時、イギリスの夏時間では昼の2時を迎える数分前。


 イギリスの首相であるメアリー・パーカーは、首相官邸の執務室に備えられたソファに深く腰掛け、壁際の大型ディスプレイを凝視していた。

 アメリカの放送局が配信する国際ニュース専門チャンネルでは、「日米緊急共同会見、間もなく」というテロップが流れ続けている。メアリーはその会見の模様をリアルタイムで視聴するために、こうして待機していた。


 メアリーは、この3日間で同盟国であるアメリカから受け取った〝危機〟に関する情報を思い起こす。


 始まりは2日前の7月ε日。

 米国のNSC(国家安全保障会議)から、強い警戒を促す情報がもたらされた。


 ――日本発の海洋汚染が太平洋に広がっている。貴国にも厳重な注意を求める。


 その汚染の正体というのが、「虚潮(うつしお)」――米政府が「暗黒潮(ダーク・ストリーム)」と仮称したもの――植物プランクトンの激減現象だった。


 その次は昨日、7月ζ日の夕方だった。

 この日も尽きせぬ業務をどう切り上げようかと考えていた頃、ケネス・ハリソン米大統領からホットラインによる電話が掛かってきた。


『昨日、連絡した日本の件は覚えているかな?』

「ええ。海洋汚染の件ですね」

『まずいことになってる。汚染の実態が誰の目にも(・・・・・)明らかな(・・・・)形で発覚しつつある』

「……他国にも、という意味ですか?」

『ご明答。――――』


 その後もメアリーとケネスの会談は続いた。


 電話会談の後、再びイギリスの国家安全保障会議(NSC-UK)宛にアメリカのNSCから詳しい状況のレポートが送られてきた。

 その主な内容は、「暗黒潮(ダーク・ストリーム)」の拡散に関する更に詳しい予測、日本で流行している「Acu-SHE(アクーシェ)」という恐ろしい死病の実態、そして日本の東側の海で発生したという鯨類の大量死亡現象だった。


 メアリーが世界の危機を実感するには、十分過ぎる情報が揃っていた。


 そして今日、日本の海上保安庁による大規模調査によって、クジラ・イルカ類のほぼ正確な被害状況が判明した。


 死骸の数は――――およそ1万頭。

 その中には、既に日本の東海岸に漂着したものも含まれる。


 〝脅威〟が地球の生態系を破壊しつつある。

 メアリーは、その事実を戦慄と共に受け止めた。



 時計の針が2時を示し、日米の緊急共同会見が始まる。

 縦に2分割された画面の左側に日本の首相官邸が、右側にホワイトハウスの会見室が映し出される。


 日本の須山官房長官とホワイトハウスの報道官が、それぞれの母国語で全く同じ内容の声明を発表する。


『――昨日、日本の東北地方の沖合で海洋生態系に異常が観測されました。これまでに日本の海岸に漂着した鯨類の死骸の数は2,000頭近くに上っています』


『――日米はこの異常現象を国際的な海洋生態系の危機と捉え、両国で緊密に連携して対処することで完全に合意しました』


『――この合意に基づき、両国は本事象の調査分析を円滑に行うために、日米合同のタスクフォースを設置いたしました。人工衛星や船舶・航空機など、両国が保有するあらゆる資産を有効に活用し、原因の究明に全力を注ぎます』


『――更に、来たる4日後のλ日、日米は緊急のG7+オンラインサミットを開催します。このサミットの場において、それまでに判明した全ての事実を参加国一同と共有し、国際社会一丸となってこの危機に立ち向かうことを、ここに表明します』



 ――時間にしてわずか10分。

 短いながらも、情報密度の高い声明発表だった。


 会見が終わり、メアリーはディスプレイの電源を切った。

 その直後、自身の首席秘書官に連絡を取る。


「これから執務室に来てくれるかしら? ああ、国家安全保障担当顧問と内閣書記官長も一緒に。――そうね。じゃあ、20分後に」


 サミットの招待は、既に英国政府に届けられていた。

 イギリスの参加は決定事項だ。メアリーは首相として、事前のケネス大統領との電話会談でそれを内諾していた。


 残り4日――それまでに、準備を整えておく必要がある。


 ――海洋汚染のアリューシャン列島到達まで、あと6日。

 ――日本国外での最初の大規模な被害発生まで、あと3日。


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