11. 決意
陽菜を失った忌まわしき日から、一夜明けて――。
今日は7月η日、木曜日だ。
未明の今、僕はまだ帝大病院の観察室にいた。隣のベッドでは未咲が静かに寝息を立てている。
ベッドサイドに置いたスマートフォンの振動に気づいたのは、そんなときだ。
取り上げてみれば、AQUAチーム――科学対策統括室で利用しているセキュアチャットアプリの通知だった。
――送信者は、比護だ。
内容は……昨夜から「Acu-SHE」患者の検体を改めて解析し続けていた結果が出たらしい。
『――群山庁舎の解析班から報告有り。患者の検体からも例のアメーバ状の微小物体が発見されました。情報を総合すると、これが患者の体内で爆発的に増殖して致死性の発作を引き起こしている疑いが濃厚です』
AQUAチーム全メンバーが参加するチャットルームでの速報だった。
――やはり、あの物体が……。
昨日の様々な発見から、そのシナリオが最も疑わしい可能性と考えられていた。それがこの発見によって確定した――そう見なしていいだろう。
もちろん、まだ未知の事柄はたくさんある。サイトカインストームが具体的にどうやって引き起こされているのかや、患者の体内での免疫細胞の働き、この物体が何をエネルギー源として動いているのか、などなど……。
いずれにせよ、全ての鍵を握るのはこの微小物体。僕がかつて心の中で〝X〟と仮称したものだ。
僕がやるべきことは決まった――〝X〟を丸裸にする。
「……お前たちの正体と原理、必ず暴いてみせる」
静まり返った病室の中、僕はこの決意を妻の死に誓った。
†††
朝の検査においても、僕と未咲の健康状態には何の問題もなかった。
ただし、自宅の除染にはまだまだ時間がかかるそうだ。
僕は昨晩から考え続けてわかった内容を榊先生に報告した後、学内のカフェで未咲と共に朝食を済ませた。それから、研究室がある宇宙工学研究棟に向かった。
「パパって、こんなきれいなビルでお仕事してたんだ……」
そういえば、新しい研究棟は見せたことがなかったかな?
未咲は物珍しそうにきょろきょろと周囲を見回していた。
……こんな些細なことで、少しでも元気が出てくれるならいいのだけど。
今朝からずっと未咲は口数が少なく、浮かない表情をしていた。昨日の今日だから、当然だよな……。
エレベーターで4階に上がる。
研究室の鍵は開いていた。ということは――
「あ、新葉お姉ちゃん!」
研究室に入ると、中にいた星江さんが立ち上がって出迎えてくれた。
未咲は僕の手を離し、星江さんに向かって突撃した。そのまま彼女の胸にひしっと、顔を埋めるようにして抱きつく。
「未咲ちゃん、大きくなったね」
星江さんはそんな未咲の背に片手を回し、もう片方の手でやさしく頭を撫でていた。
2人は学内のイベントや、過去に僕が催したホームパーティーで面識があった。その間に、未咲はすっかり星江さんに懐いていたようだ。
「陽菜さんのこと、お聞きしました……」
星江さんは僕に近づくと、沈痛な面持ちで話を切り出す。
妻が亡くなったことで迷惑を掛けるかもしれない、ということを僕は研究室とAQUAチームの面々に連絡していた。星江さんはそのどちらか、あるいは両方を見たのだろう。
「未咲ちゃんのことは、私に任せてもらえませんか? 先生のお力は、私たちがこの難局を乗り切るのに欠かせないと思いますから」
「……いいのかい?」
その申し出は、なんとも僕に都合が良かった。
研究を進めるに当たって、その間に未咲をどうするか。それが最大の気がかりだったから。
未咲はちょっとした先天性の遺伝子疾患を抱えており、食べていい物とそうでない物が決まっている。アレルギーのようなもので、日常生活に支障はない。僕はその情報を後で星江さんに共有することにした。
研究室の中は、9時前ごろから人が増えて活気づいてきた。僕の娘という珍客はいるものの、みんな好意的に応対してくれた。
「――宇梶先生、守衛室からお電話です」
午前中に来た内線電話を取り次いでくれたのは、僕の研究室で唯一雇っている事務員の方だ。
「はい、宇梶です。――わかりました。すぐに向かいます」
足を向けて寝られない方々に、足を運ばせてしまった。
僕は未咲を連れて正門に向かう。星江さんには、研究室に残ってもらった。
†††
「慧君、陽菜はいったい――」
「お義父さん、お義母さん。立ち話も何ですから、こちらへどうぞ。キャンパス内にカフェがあります」
複雑な表情をした義理の両親――永里夫妻が問いを発するより早く、僕は今朝も未咲と訪れたカフェに2人を案内することにした。言うまでもないが、2人は陽菜の実の両親だ。
カフェまでの道中、義両親と僕たちの間にはぎこちない会話と重い沈黙の時間が続いた。
2人には陽菜の死に顔すら見せることができなかった。僕は改めて自分の不甲斐なさに恥じ入った。
「――それじゃあ、陽菜は涼里でその『アクーシェ』に感染して……?」
「ええ。そうです」
カフェのテーブルを挟んで義両親と向かい合った僕は、昨日の陽菜がたどった足跡と発症に至る経緯をかいつまんで説明した。
今朝から涼里では警察や感染研らの合同調査が行われているが、まだ汚染源の特定には至っていないようだった。
「未咲ちゃん、良かったらお祖母ちゃんたちと一緒に暮らさない?」
義母のその言葉は、単に娘を失った寂しさからだけでなく、善意からの言葉でもあったのかもしれない。
「お義母さん、それは――」
しかし、僕にとってその別離は耐えがたいものだった。
星江さんに世話を任せておきながら、我ながらワガママだとは思う。だが、陽菜を失った直後、更に未咲からも引き離されたら、僕は自分がどうなってしまうかわからなかった。
「――やだ。パパと一緒にいる」
「未咲……」
未咲がそう言ってくれて、心からほっとした自分がいた。
「くれぐれも気をつけてください。静岡ももう安全とは言い切れません」
「ああ……」
別れのとき、僕は義両親に警告をした。
既に昨日の時点で、東京や神奈川でも食中毒によって「Acu-SHE」を発症したと見られる犠牲者が出ていた。静岡でいつ発症者が出ても不思議ではなかった。
僕は2人に可能な限りのアドバイスを送ったが、果たしてどこまで信じてもらえたかはわからない。目に見えない脅威が迫っていると人に理解してもらうことは難しい。僕は改めてそれを実感した。
義両親を見送った後、僕は再び研究室に戻る。
那実川と三陸沖。立て続けに日本を襲った2つの災禍。
〝X〟による汚染は様々な経路で山を越え、海を渡り、やがてはこの星を覆い尽くしてしまうかもしれない。
僕はそれをもたらした火球の最初の観測者として――そして1人の科学者として――、この絶望に抗い続ける。
お読みいただきありがとうございます。
2章の本編はこれで終わりです。登場人物紹介を挟んで次章へ進みます。
本章終盤までのたった数日で、宇宙から来た災厄が日本という国に大きな影響を与えた様子を描けていたでしょうか。
人類はただ蹂躙されるだけではなく、科学者たちは本章でいくつかの目覚ましい発見をしました。
一方で、この災禍は次章以降、日本や世界にとってますます大きな脅威となっていくでしょう。
彼らは、慧は、この災禍に抗い切れるのでしょうか――。
続きが気になる、応援したいという方は、★評価やブックマークをいただければ幸いです。
【改稿履歴】
(2025-10-11)朝、慧から榊への報告について追記
 




