7. ゲームスタート
7月ζ日、午後1時半過ぎ。
俺――比護徹心を含む調査隊メンバーを乗せた輸送ヘリは、航空自衛隊の居留間基地へと帰還を果たした。
瑞篠山での調査は確かに有意義だった。サンプルの調査はこれからだが、非哺乳動物(=カラス)の遺骸に、生還個体と思われる犬も確保できた。
真夏の炎天下に重量装備での山道という地獄の強行軍だったが、それだけの労力に見合う成果は得られたと見ていいだろう。
さて、基地に戻ったはいいが、すぐに休憩・解散とは行かない。
まずは除染、その後デブリフィーングを行って、採取したサンプルを仕分けする……という流れだ。いい加減、空腹も限界だから、どこかで食事も挟むだろう。
俺たち調査隊メンバーはまず、滅菌シャワーを含む入念な除染措置を受けることになった。
「デブリーフィングの前に食事休憩にしましょう」
約20分後、再集合した俺たちに対して遠藤1等空佐がそう告げた。
調査隊一同の空気がほっと緩んだ。誰もが疲れ切っていたのだ。
俺たちは、基地隊員向けの広い食堂の一角で遅めの昼食を取ることになった。
「――『Acu-SHE』の死の原理がわかったんだって?」
基地内の隊員向けの広い食堂の一角で。
パスタを食べかけていた俺の隣に座りながら、そう訊いてきたのは宇梶だ。
「ああ、今朝の件だな。茨城大の臨床医が見つけてくれたっていう」
「そう、それ」
茨城大の臨床医が発見した、「Acu-SHE」が罹患者を死に至らしめるメカニズム。
あいにく、連絡が来たのは早朝に家を出た後だったから、まだ携帯端末でしか情報を確認できていない。
「サイトカインストーム……だっけ?」
「ああ」
一見したところ、その論証は筋は通っていた。検証の手順・考え方は納得の行くものだった。何よりも、最前線で幾百の患者の死を見てきた臨床医の訴えだ。信頼に値する重みがある。そう思った。
俺との会話の合間で、宇梶はバクバクとハンバーグを口に運んでいた。その様子を、他の隊員らが信じられないという顔で見ていた。
職業柄、俺はスプラッタに耐性はあるが、さっきあれだけ動物の死骸を見た後で図太いやつだな、とは思う。
すると、宇梶の逆隣の席で、助手の星江という子も同じようにハンバーグを食べていた。似た者師弟か、お前らは……。
「手の打ちようはあるのかい?」
「あるぞ」
宇梶の率直な問いに、俺は間髪入れずに答えた。
「おお」と、宇梶の声のトーンが上がった。
俺は医学知識を持つ専門家として解説を行う。
「サイトカインストームってのは、要は免疫の暴走だ。だから、リウマチなんかの自己免疫疾患の治療が応用できる可能性がある」
「なるほど」
宇梶が理解したようなので、俺は説明を続ける。
「リウマチの治療は薬物療法が中心だ。ひょっとしたら、既存薬の中で『Acu-SHE』に効き目のあるものも見つかるかもな」
そう言うと、宇梶は目を大きく見開いた。
「死病が、死病じゃなくなるわけだね」
「ああ。……上手く行けば、だが」
フォークをカランと置く。
気づくと周囲が静かになっていた。どうやら、調査隊の隊員たちを含む周囲の者たちが俺たちの会話に聞き入っていたらしい。
山田所長から聞いたところによれば、内閣はもう創薬チームの立ち上げを手配している。そのトップは、なんとあのゲノム・フロンティア社の本庄社長が務めるという話だ。
彼女と俺は、COVID-█の際にそれぞれの立場で何度も直接のやりとりをした仲だ。政府筋の調整が済む前に、個人的に相談を持ちかけておいてもいいかもしれない。
宇梶はいたく感心した様子を見せた。
「その医師に敬意を表するよ。その人は人類を救ったのかもしれない」
「……かもな。ただし、――」
別に、話に水を差したかったわけじゃない。
ただ命を守る職業に就いている者として、脅威は正しく認識しておいてもらわないと困るって話だ。
「――薬は事前に飲んでおかないといけない。発作が起こってからじゃ、手遅れだ」
†
スマートフォンに見知らぬ番号から電話が掛かってきたのは、昼食の直後だった。
緊急連絡の可能性もある。俺は電話に出ることにした。
「比護ですが」
『おぉ、やっと繋がったぜ』
――なんだこの無礼な男は。
それが俺の、魚渕虎吾郎という男に対する第一印象だった。
『俺はJAMSTEC――海洋研究開発機構の魚渕だ。お前さんに俺たちが発見したものの報告と、それに関するある提案をしたい』
「はあ」
俺が気のない返事をすると、心なしか魚渕の語気が強まったような気がする。
『聞いて驚け! 俺たちは今朝届いた茨城県の海水サンプルから、異変の原因と思しき未知の粒子を発見した』
「何だって!」
驚いた。
――俺たち感染研の職員が徹夜で血眼になって探し続け、何の手がかりも得られなかったものを、この男は今朝からの高々数時間で見つけただと……?
……いや、待て。
俺たちが主に見ていたのは、患者から採取・摘出した血液や生体組織だ。海水との違いは――
「……まさか、植物プランクトン?」
『お、なんだよ。今から言おうと思ってたのに。――まあ、いい。その通りだ。俺たちは植物プランクトンに付着した直径約1μmの謎の粒子をまず光学顕微鏡で発見し、次にそれを電子顕微鏡で拡大して見た』
魚渕が観察した画像データは、既に彼の上役であるJAMSTEC理事の六津氏を通じて、俺も属するAQUAチーム――科学対策統括室に共有されているという。
俺はそのデータを後で必ず確認することにした。
『次に提案の方だが、お前さんのとこにも同じ海水のサンプルがあるんだろう? どうだい、この未知粒子を〝培養〟してみるってのは?』
「……興味深い実験ですが、なぜウチにその提案を?」
この未知粒子の特性や正体を明らかにする。
それは今後のAQUAチームにとって至上命題となるだろう。
特にこれが生物なのかどうかということは、真っ先に確かめるべきことだ。
――培養したいのなら、勝手にすればいい。その代わり、こっちはこっちでやらせてもらう。
俺は漠然とそんな風に考えていたが、この魚渕という男の考えは少し違っていた。
『もちろん、こっちでも海水に色々と条件を加えて培養を試みるつもりだ。だが、せっかく同じサンプルが2箇所にあるんだ。競い合った方が面白いだろう?』
「…………ゲームか何かだとでも思ってるんですか?」
思わず、低い声が出た。
脳天気な提案に若干の苛立ちを感じたが、ヤツは悪びれもしなかった。
『ゲームさ、これは。ただし、人の命が懸かったやつだ』
俺は深々と息を吐きたいのをぐっと我慢した。
……好意的に解釈するならば、彼なりに事態に真正面から向き合っているのかもしれない。
――――もしもこの脅威との戦いがゲームなら、俺はこの先何度も「クソゲーだ」と叫んでコントローラーを投げ出したくなるのかもしれない。
……だがそれと比べれば、この魚渕との勝負は比較的マシなもののようにも思えた。
「……いいでしょう。こっちでは、血液成分と混合しての培養を試みますよ」
『いいねえ。結果を楽しみにしてるぜ』
電話越しだったが、俺は魚渕がどんな表情をしているか目に浮かぶような気がした。
ただ1つ、気になったことがあった。
「――ところで、例のサンプルはBSL-3相当の施設で取り扱うようお願いしていたはずです。私が知る限り、確かJAMSTECの本部には――」
『ぎ、ぎくぅ〜! じゃ、じゃあ俺は実験に戻るぜ! またな!』
ポロン、という音とともに通話は一方的に切れた。
俺はスマートフォンを眺めて溜め息を1つこぼし、直後に感染研の部下に電話を掛けた。
「……お疲れ。――科捜研から、海水のサンプルは届いてるか?」
 




