1. プロローグ
ホラー連載始めました。
――ぴちょん、
うだるような、夏の暑い夜だった。
日本のどこかで「観測史上初」や「歴代最高気温」といったフレーズが毎日のように飛び交い、熱中症で病院へ運ばれる者が急増していた。
そんな時期のある夜。
男はハッと目を覚ました。
……あっついっ……
男は、うなり声を上げながら身を起こす。
じっとりと汗を吸った肌着がまとわりつき、不快さに顔をしかめた。
そこは、男の住まいであるアパートのワンルームだ。
男が眠っている間に日付は変わり、深夜2時を回った頃だった。
――ぴちょん、
湿った生ぬるい風が室内を循環していた。
この夏の生命線であるエアコンが、突然の故障を迎えたのは昨夜の帰宅直後のことだった。男は慌てて業者に連絡したが、修理に来れるのは早くとも今日の日中になるという。
窓を開け、扇風機を回していたのだが、この猛暑の前には焼け石に水だったようだ。
――ぴちょん、
男は鈍く重い頭を軽く揺すり、水を飲もうと立ち上がった。
ワンルームの室内に、蛇口から滴る音が響く。2、3か月前からキッチンの蛇口の締まりが悪くなっていた。……が、男の感覚はもう麻痺しており、水音を自然の一部として受け入れていた。
――ごぼごぼごぼ……
男は冷凍庫からブロック氷を出してグラスに入れ、蛇口をひねって水を注いだ。箸で軽く混ぜて水を冷ましてから、ごくごくと一気に飲み干す。
ふう、と男は息を吐く。
胃へと下った水が速やかに全身に行き渡ったかのようで、やや気分が良好になった。
命の水とはよく言ったもの……男がベッドへ戻ろうとしたとき、そんな言葉が彼の脳裏をかすめた。
……キーン
ふと男は耳鳴りのような音を聴いた気がした。
急に、冷たい水を飲んだせいだろうか――
しかし、次の瞬間、それは明らかな異常に変わる。
――バリバリバチバチバリリババチヂッッ!!
「ぐあぁっ……!?」
男はいきなり激しい頭痛に襲われ、しゃがみ込んで膝に手を突く。
乾いた布を勢いよく引き裂いたような、無数の気泡が一斉に弾けたような異音が間断なく男の耳朶を打った。
――バリバリブチブヂガリガリガガバババヂヂヂッッッ……!!!!
男は痛みに耐えかね、ドンッと大きな音を立てて、フローリングの床に倒れ込む。
肘を強打したが、その痛みは全く気にならなかった。そんな痛みどころではなかった。
頭が割れるように痛い。
いや、頭だけではない。まるで全身を一斉に無数の針でグサグサと刺し貫かれたような、数多の耐え難い痛みが男を襲った。男の腕や足に、ポツポツと赤黒い斑模様の染みが広がっていた。
「ぐぎゃぎゃぎぎゃぎゃぎゃっっ……!!」
男は千々に乱れた意識の中で、フローリングの上をごろごろとのたうち回る。
しかし、痛みが収まることはない。
気づけば、男の視界は血で真っ赤に染まっていた。
「だれがっ……! だずげゲっ……で……ッ…………」
男は暗がりの中で、助けを求めるように虚空に震える手を伸ばした。しかし、その手が何かに触れることはなく。
直後に「ゴボッ!」と血を吐き出し、男はうつ伏せに倒れた。男の両目や鼻孔からも赤い血潮が溢れていた。男の頭を中心に、小さな赤い池が広がった。
ぴくぴくと痙攣を続ける彼が、二度と意識を取り戻すことはなかった。
――ぴちょん、ぴちょん、…………、
静けさを取り戻したワンルームで、蛇口から滴る水音が規則正しく響いていた。