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 贈り物を突き返した日から一か月。


 リュスティはイスクレムに会うことなく、淡々と日々を過ごしていた。。


 仕事が休みの日は窓辺に椅子を持って行き、日がな一日外を眺めている。


 イスクレムからは、ほぼ毎日のように手紙が届けられるが、一切中を見ることはない。机の上に置いてある文箱には、未開封の手紙の束が積まれその量は日々増えていく。


 手紙の中身はわかっている。


 リュスティへの謝罪が、イスクレムの丁寧な字で綴られているのだろう。


 本当は読みたい。けれど、どうしても手紙を開封することができない。


 だって開封してしまったら、中を読んでしまったら今すぐ会いたくて仕方がなくなってしまう。それでは困るのだ。それでは、彼を解放してあげられなくなってしまう。


「リュスティ。いつまで意地を張っている? 誠意を尽くしてくださっている王太子殿下に申し訳ないと思わないのか?」


 横から低い声が聞こえた。振り返ると、軍服を着た兄シルヴェルが愛犬グルドを従え呆れたような顔を隠しもせずに立っている。


「お兄さま? どうしてお家にいらっしゃるの? 今はとってもお忙しいはずでしょう?」


 兄は父の副官を務めている。こんな日中に屋敷にいることはまずないし、今はそれどころではないはずだ。


「王太子殿下から頼まれたんだよ、お前に手紙を渡して欲しいと。それから伝言もお預かりしてきた」


 兄はリュスティの手を取りぐいと手紙を押しつけてきた。相変わらず分厚い手紙。中には一体、何枚の便箋が詰まっているのだろう。


「……お返事は、書けません。だって、ずっと読んでいないのですもの」


 リュスティは手紙を無造作に文箱へ入れた。きょとんとしながら手紙の行方を見ていた兄の顔が、段々と怒りの色に染まっていく。


「いい加減にしろ、リュスティ! お前は王太子妃になるという自覚がないのではないか!?」


 普段は甘い兄が、珍しくリュスティに対して怒鳴り声をあげた。


「自覚をなくすように、しているんです」

「はぁ!? なんだって?」

「私、お父さまに言って王太子殿下との婚約をどうにか解消してもらうようにお願いしようと思っています。ですから、殿下からのお手紙なんて読む必要はありません」

「な、リュスティ、お前、なに言って」


 兄はうろたえたように後ずさった。グルドが心配そうに、鼻を鳴らしている。


「ちょっと落ち着け。待っていろ、今お茶を持って来るように言うから」

「結構です。お茶の時間にはまだ早いわ」


 リュスティは兄から顔を背け、そっけなく返す。


「……いいから、兄の言うことを聞け。グルド、リュスティを見張っていろ」


 意外にも、兄は気を悪くするどころかリュスティの髪を優しく撫でてくれた。その温かさが、リュスティの胸を激しく抉る。


 気づくと、リュスティは兄の手を振り払いながら椅子から立ち上がっていた。


「もう、私を放っておいて、お兄さま!」

「よしよし、落ち着け、リュスティ」


 兄の穏やかな声が、リュスティの胸の内を大きく騒めかせた。


 実の妹と言えど、モルゲンレード家次期当主に対して大声を出していいわけではない。そもそも公爵令嬢としてはしたない行為だ。そう頭ではわかっているのに、溢れ出す感情を抑えることができない。


「今さらどうすればいいの!? 忙しいクレムがわざわざ会いに来てくれたのに、私は自分のわがままをぶつけただけでなくせっかくの贈り物も受け取らなかった! それに、あの時は本当に大変な事態が起きていたというのに!」


 あの日、王宮から駆けつけた使者はとんでもない事件が起こったことを知らせにやってきたのだ。


 西の人狼族が暮らす町に繋がる街道で、人狼の若者が倒れているのが発見された。


 倒れているのを見かけたのは小さな商隊で、通報を受けた王国憲兵が向かったところ人狼はすでに息絶えたあとだったという。


 若者の死因は病死ではなく、不慮の事故でもなかった。左肩から右の脇腹にかけて、なにかで切られたような傷がついていたからだ。


 人狼族の武器は鋭い牙と伸縮自在の爪であり、剣や槍を使うことはまずない。ゆえに最初は、人間の関与が疑われた。


 けれど遺体からそう遠くないところに別の人狼が気を失って倒れていたらしい。その右手の爪が二本、血に染まっていたことから人間側の疑いは晴れた。


 人狼は同族殺しに厳しい。


 犯人と思しき人狼は家族もろとも処刑され、その亡骸は王都の罪人墓地の前に打ち捨てられていたのだという。その話を聞いた時にはなんと無情なのだと思ったが、単に自分たちの土地へ犯罪者を埋葬したくない、という思いがあったのかもしれない。


 事件は解決したが、人狼族との話し合いが難航している状況での由々しき事態。イスクレムはその事態を収束させるために、一体どれだけ眠れない夜を過ごしたのだろう。


「事件のことをお父さまから聞いて以来ずっと、ずっと後悔しているの! でも、もう遅いわ! こんな私がクレムの婚約者なんて、王太子妃になんてなってはいけないの! だって相応しくないもの! でもクレムは優しいから私を捨てられない! それなら、こちらから嫌われてしまえばいいんだって思って、だから……!」


 ──自分は馬鹿だ。なにもかも間違えてしまった。


 あの時、ただ贈り物を受け取ればそれで良かったのだ。


 受け取っていつものように抱き着いて「ありがとう!」と笑顔を見せて、王宮に戻るイスクレムを笑顔で見送れば済む話だったのに。


 自分は懐中時計を受け取らなかっただけではない。一時の感情で、イスクレムの思いやりも愛情も素直に受け取ろうとせずむげにしたあげく、自分の愛情を示すこともせずただ腹を立てていた。


 どこからどう見ても言い訳の一つも許されない、子供じみた所業。


「お兄さま、私、もうクレムに顔向けできない……!」


 両目から大粒の涙がこぼれ、まるで幼い子供のようにしゃくりあげてしまう。こらえようとしているのに、嗚咽を止めることができない。


「そんなに泣くくらい後悔しているのなら、謝ればいいだろう。王太子殿下ご自身は謝られたいと思っていらっしゃらないと思うが、謝罪をすればお前の気も済むだろうし素直になれるのではないか?」

「でも、クレムはもう、私のことを好きじゃなくなったかもしれない! ずっと嫌われるようにしていたんだもの……!」


 王太子妃になれないというのはどうでもいい。リュスティは“王太子妃”になりたいわけではなく“イスクレムの妻”になりたいだけだからだ。


「まったく、困った妹だ。心配するな。殿下がお前のことを嫌うなど絶対にあり得ない。殿下は慎重すぎるくらい慎重な性格だが、お前のことになると驚くべき行動力を見せる御方だからな。なにも心配することはない」


 兄は溜め息をつきながら、大きな手でリュスティの頭を優しく撫でてくれた。先ほどは後ろめたさから、わずらわしさすら覚えた兄の手の温もり。今は、凝り固まった心を段々とほぐしてくれるような気がする。


「“永遠に、愛している”」

「え、な、なに、お兄さま」


 いきなり、なにを言い出すのだろう。


「殿下から伝言を預かっているといっただろう。手紙をお預かりした時、今の言葉をお前に伝えてくれと言われた」

「やだ、クレムったら……」


 みるみるうちに、頬が熱くなっていく。なにも兄に伝えなくとも、と思わなくもないが、それを上回る嬉しさがある。


「私、ここで素直にならなくてはいけませんよね。お兄さま、明後日はクレムに会いに行こうと思います。申し訳ないですけれど、クレム……いえ、王太子殿下に面会の約束を取ってくださいませんか?」


 リュスティは濡れた目元をハンカチで押さえながら、兄を見上げて微笑んだ。


「あぁ、そうしろ。……ん? 明後日? 明日じゃ駄目なのか? 謝るなら早い方が良いと思うが」

「ううん、まずはずっと目を背けていたお手紙のお詫びを書きたいの。それに、少し落ち着かないとみっともない言い訳を並べ立ててしまいそう。言いたいことがきちんと伝わるように、考えてまとめておいたほうがいいと思います。ですから、明後日のほうが」

「普通に“ごめんなさい”でいいと思うけどな」


 兄は愛犬と顔を見合わせ困ったような顔をしている。やがて、仕方がないというようにゆっくりと首を縦に動かした。


「わかった。では、王太子殿下にはそのように伝えておく」

「はい、よろしくお願いいたします。……ありがとう、お兄さま。それからグルドも」


 グルドは嬉しそうに尻尾を振っている。一度は命を落としたものの、リュスティの能力によって蘇った兄の愛犬。彼は“真の主”と言えるべきリュスティよりも変わらず兄とその妻オランシュに忠誠を誓っている。


「……リュスティ」

「はい、お兄さま」


 兄シルヴェルは目線を横に向けながら、しきりと銀の髪を手で弄っている。


 これは言いにくいことを口にしなければならない時に兄が無意識に行う、なだめ行動のようなものだ。


「お兄さま。リュスティは大丈夫です。お気遣いなく、思うことあればどうかはっきりとおっしゃってください」


 リュスティは兄の腕にそっと触れた。


「……わかった。リュスティ、俺はお前の兄だから、お前が殿下を愛するあまり感情を上手く制御できなかった気持ちもわかっている。それに、あの時はまだお前は事件のことを知らされていなかった。だが周囲がそのあたりの事情をよくわかっていないせいで、今回のお前の態度について否定的にとらえている者は決して少なくはない」

「はい。よくわかっています」


 むしろ、非難の声のほうが多くあがっていることだろう。


「実は、お前があれこれ画策するまでもなく“人狼事件”のあとから婚約解消の動きはあった。それを懸命に押しとどめているのが王太子殿下ご本人なんだよ」


 一国の王太子が、次期国王が“懸命に抵抗しなければならない相手”と言えば、一人しかいない。


「婚約解消を進めたいともっとも思っていらっしゃるのは、国王ご夫妻ですね。特に陛下は私のことを昔からよく思われていません。無理もないです、なんと言っても私は“屍操令嬢”ですもの」


 清廉なイメージを保ちたい王家としては、王太子妃が『闇』の属性を持っているだけでも外聞が良くない。それなのに、よりにもよって理を歪める力を持っているのだ。


 リュスティが生まれる前から、要は属性魔力を確認しない状態で王太子むすことの婚約を結んだことを、国王が密かに後悔していることはなんとなく知っていた。


「そんな言いかたをするな。俺の大切な妹を貶める者は、誰であっても許さない」


 物言いはぶっきらぼうながらも、兄の眼差しは優しい。


「……ごめんなさい」


 せっかく涙が納まったのに、また目頭が熱くなってくる。


 そうだ。


 自分にはこんなにも大切にしてくれる家族と、愛してくれる婚約者がいる。その思いに応えるためにも、自分は過ちを認め動かなくてはならない。


「お前の後悔も殿下にお会いすればすぐに消える。だいたい、お前と殿下の絆は誰にも断つことなどできやしないのだからなにも心配することはない」

「えぇ、ありがとう、お兄さま」


 力強い兄の言葉に頷きながら、リュスティは大量の手紙に目を通すべく文箱をひっくり返した。


 ──兄の言葉は正しかった。


 半分だけ、ではあったが。




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