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 そして十年の月日が経った今。


 リュスティは慌てて駆けつけてくる婚約者を、蕩けるような笑顔で出迎えた。


「リーシャ! 遅くなってごめん」


 よほど急いでくれたのだろう。イスクレムは肩で大きく息をしている。


「ううん、私こそ急がせてしまってごめんなさい、クレム」


 申し訳ないと思う気持ちとともに、溢れそうな愛しさがこみあげてくる。子供の頃の幼い友愛は今や立派に男女の愛へと進化し、リュスティはイスクレムを心から愛していた。


「今夜はシルヴェル殿の同行もないとわかっていたのに、大切な婚約者を一人ぼっちにするなんて最低だよ」

「もう、クレムったら。私の婚約者さまの悪口を言わないで。彼はとっても優しい人だから、傷ついて泣いてしまうかもしれないわ」

「大丈夫だよ。キミの婚約者はキミが目の前からいなくなること以外で泣くことはないからね」


 ──緩くうねった混じりけのない金髪に、蒼玉サファイアのような青い目。


 物語に出てくる“王子さま”を体現したような容姿の青年が、困ったような笑みを浮かべている。


「リーシャ、さっそくだけど踊ろうか? それとも、向こうで一緒にお菓子でも食べる?」


 イスクレムの視線の先には、広間の中心に置かれた大きなテーブルがある。そこには、花や可愛らしい飾りとともに色とりどりのお菓子とケーキ、数種類のお茶が用意されていた。


 王妃スミラ主催の夜会では、酒類が提供されることはない。だが世界各国の上質なお茶や有名菓子職人に作らせた“夜会専用のお菓子”が出されるため、男女問わず非常に好評なのだ。


「クレム、そんなに急がなくてもいいじゃない。久しぶりに会ったのだし、ゆっくりお話ししましょうよ。私もお菓子も逃げたりしないわ」

「嫌だ。ここ最近忙しすぎて、リーシャに婚約者らしいことがぜんぜんできていないだろう? 時間が一分一秒でも惜しいよ。これまでは月に一回は必ず開いていた二人きりのお茶会も、今は半年に一回あるかないかだからね。ほら、おいでリーシャ」


 イスクレムは両手を広げ、期待をこめた眼差しでリュスティを見つめている。


「もう、クレムったら」


 リュスティは苦笑を浮かべながら、澄ました顔で両手を広げる婚約者の腕の中へすっぽりとおさまった。


 この際、人前だということは気にしない。


「ん、クレムの香水の香り、なんだか懐かしく感じる。……ずっと、会いたかったのよ」

「僕もだよ、リーシャ。それにしても、キミはちょっと会わないだけでこうやってすぐ綺麗になる。まったく、油断も隙もないな」

「あら、どういう意味?」


 抱きしめられたまま、笑うリュスティの頬に唇が落とされる。


「そのままの意味だよ。キミは優秀だから王子妃教育もあっという間に終わらせて、今は王宮書庫で働いている。王宮書庫は司書長も男だし魔術師団の出入りも激しいし、魅力的なキミが心配で僕は気が気じゃないよ」

「あら、やきもち?」

「そう。やきもち」


 ──イスクレムの言う通り、リュスティは学校を卒業してからすぐに就職先を探した。王子妃教育は在学中に終わっていたし、実家になにも貢献することなくただ王太子妃になる日を待つだけなんて嫌だったからだ。


 そこで許されたのが、王宮書庫で古文書の整理や古い書物を新しい紙に書き換える、という作業が主な王宮書庫での仕事だった。今は百五十年前の医師が書き残した、現在の薬の基盤とも言える漢方薬の作り方を羊皮紙から魔法紙に書き換える作業を半年ほど続けている。


「クレムったら。毎日作業に追われる中で、私が考えるのはあなたのことだけ」

「嬉しいな。……でも、こうなってみるとキミの能力に僕は感謝しなくてはいけないね」


 イスクレムの言葉に、リュスティはふっと笑顔を曇らせた。


「……それは、私のような女には誰も見向きもしないから?」

「あぁ、違うんだ。ごめんよ、僕のお姫さま。キミを傷つけたかったわけではないんだ。確かにキミの力を他の貴族令息たちは恐れている。だからぼくなんかでもキミを奪われることはない、と思って」


 うろたえるイスクレムの青い瞳を見つめながら、リュスティは苦笑を浮かべた。


「クレムのそういう素直で不器用でほんのちょっぴり無神経なところ、私は大好きよ」

「え、ま、待って、無神経!? ……いや、今の流れだとそうなるよね」


 ──リュスティの『死者蘇生』の力は、貴族のみならず世間にも公表されている。


 聖教会と王族は秘匿しようとしたが、モルゲンレード家は公表を強硬に主張した。長女リューセンデの夫であるレヴ・スクムリング将軍、そしてその父であるハーヴ・スクムリング海軍総督も後押ししたこともあり、王家は渋々公表を認めた。


『王家はイスクレム殿下とリュスティの婚約をなかったことにするつもりだったようだが、そうはさせるものか』


 公表する際に“王太子イスクレムの愛は婚約者リュスティ・モルゲンレードの属性と能力を知っても変わることはなかった”という文言がさりげなくつけ加えられていた。


 公表した当初、世間はリュスティの理に逆らう力に畏怖を示した。中には嫌悪も混ざっていたのではないかと思う。しかし未来の王妃を守り愛する姿勢を見せたイスクレムへの支持率は急上昇した。そのおかげで、王家は王太子とリュスティの婚約を破棄することができなくなってしまったのだ。


 当然だが貴族よりも庶民のほうが圧倒的に数が多い。


 その庶民が王家の“選択”に好意的な眼差しを向けている以上、貴族と言えど無駄に騒ぎ立てることはできない。ゆえに貴族たちは父オスカの手腕に舌を巻き、苦々しく思いつつもなにも言い出すことはなかった。


 けれど、リュスティはきちんと理解している。


 ここまでの流れは、すべて十年前の姉が練った策のおかげであることを。


 リュスティの身柄を聖教会に預けるのもそれを公表したのも、王家との繋がりを断ち切ることなくむしろこちらが主導権を握るため。ここで世論を上手く操作したことで、王家はモルゲンレード家を簡単に敵に回すことができなくなった。


(……でも、それだけじゃない。姉さまは、なによりも私の心を守ってくれた)


 王家との繋がりを強固にする、というだけなら他にもっとやりようはあったはずだ。賢い姉リューセンデなら、いくつもの策を描くことができただろう。


 けれど今回この手段を選択したのは、リュスティがイスクレムを愛しているからだ。


 もちろん『死者蘇生』の力に目覚めた時リュスティはまだ子供だった。けれど、婚約者イスクレムを心から慕っていた。姉はそんなリュスティが成長するにつれ、婚約者イスクレムを男性として深く愛することになると見抜いていたのだろう。


「本当にごめん、リーシャ。でも僕はキミを愛してる。誰にも渡したくないと思うくらい」

「私もよ、クレム。それに、そんな心配はいらないわ。私はなにがあってもクレム以外のものにはならないもの」

「……本当? 絶対だよ?」

「えぇ、絶対に」

「よかった。僕、キミに捨てられたらと思うと夜も眠れないんだよ。キミさえいれば、僕はなにもいらない。本当だよ?」


 リュスティは苦笑を浮かべながら、愛する婚約者の首にいっそうしがみついた。


「そんなことを言っていいの? 王太子殿下」

「いいんだよ、王太子妃」


 イスクレムは啄むような口づけを何度もしてくる。


「はぁ、早くリーシャとゆっくりしたいな」

「相変わらず、第二王子殿下はなにも手伝ってくれないの?」

「……イスカルドも色々と忙しいんだよ」


 手を繋ぎ、広間のあちこちに置いてある休憩用の長椅子に移動しながらリュスティはわざとらしく頬を膨らませた。


「女性と遊ぶのが、でしょう? どうしてあの振る舞いを陛下はお許しになっているのかしら。亜人種との同盟はどこの国も苦労しているのよ? 取り組むなら一人より二人のほうがいいに決まっているのに」


 イスクレムは今、亜人種と同盟を結ぶべく国中を奔走している。


 魚人族や竜人族、羽毛種の鳥人族とは円滑に話が進んでいったらしいが、抜きんでてプライドの高い人狼族との話し合いが遅々として進まないのだという。


 おまけに人狼族は一枚岩ではない。国内で東西南北に分かれて町を作り、それぞれに族長がいる。現在、北と東の族長とは同盟の調印を交わしたが、西と南がまだ攻略できていない。


 イスクレムは話し合いのたびに西と南の地に向かう。そのせいで、二人で会う機会は激減している状況なのだ。今日の夜会にイスクレムが出席できたのも、王妃の主催だから、という理由にすぎない。


「父上は僕の手腕を見たいのだと思う。……イスカルドだったら、こんなに苦労はしないのだろうけどね」


 胸がひっそりと痛む。隣に座り情けなく笑う婚約者の頬を、リュスティはそっと撫でた。


『王太子殿下は優しすぎる。為政者たるもの、時には非情にならなくてはいけない時があるというのに』


 久しぶりに実家へ顔を出してくれた姉に会うため、急いで応接室に向かった時に聞こえてしまった父と姉の会話。父オスカの発した溜め息交じりの声が、脳裏に蘇ってくる。


『王太子殿下のいいところは、リュスティを愛し大切にしてくださるところですね。ただ、いいのだか悪いのだかなんとも言えないですけれど、あのかたは妙に運がいい。これといった試練が振りかかって来ず、それゆえに挫折もない。だから成長をしないし、かといって努力が報われているわけでもない』


 姉はリュスティが扉のすぐ向こうにいると思っていなかったのだろう。柔らかな声音で、ばっさりと己の国の王太子を切り捨てていた。


 ──そう。リュスティにもわかっている。


 イスクレムは決して無能ではない。勤勉だし努力家だ。しかし、未来の国王になるには足りないものが数多くあるのも確かだった。


「私は、どんなクレムでも大好き。あなたの微妙に王道を外すところとか、可愛くて仕方がないわ」

「か、可愛いって……。ん? 王道を外す? どういう意味?」

「ふふ、あててみて」


 悪戯っぽく笑うリュスティの前で、イスクレムは中指でこめかみをとんとんと叩きながら難しい顔で考えている。だが一分も経たないうちに、お手上げだ、とでもいうように困った顔で肩を竦めた。


「ごめん、リーシャ。考えてもまったくわからないよ」

「仕方がない人ね。いいわ、教えてあげる。クレムはどこからどう見ても完璧な王子さまなのに、実際は寂しがりやの甘えんぼうさんでしょう? そういうところよ」

「……どうせ僕は完璧じゃないよ。かっこいいところは全部、イスカルドに持っていかれたからね」


 整った顔に、不貞腐れた表情が浮かぶ。リュスティはくすくすと笑った。


「それはクレムが優しいからよ。全部持っていってしまえばよかったのに、第二王子殿下のために色んなものを王妃陛下のお腹の中に置いてきちゃうんだから」

「僕は優しいわけじゃなくて、ただ臆病なだけだよ。でも、リーシャを愛する心を置いてこなくて本当によかったと思う。それだけで僕は満足かな」


 この言葉も次期国王としては相応しくないものと言える。少なくとも、イスカルドであればこのようなことを口にすることはないだろう。


 双子の片割れである第二王子イスカルド。


 リュスティ含め、イスクレムもイスカルドも学生の時は王侯貴族専用の学校に通っていた。


 けれどイスカルドはほとんど授業へ出てこない。当然、成績は下から数えたほうが早い。

 だがリュスティは知っている。軽薄に見せかけているだけで、実はイスカルドが相当優秀だということに。だからこそ、彼のことが気に入らない。


 悔しいがイスカルドなら、もっと早くこの事態を収めることができるはずなのだ。


「……本当に、あなたたちは正反対なんだから」

「ん? なにか言った?」

「いいえ、なんでもないわ。見てクレム、温かいカスタードクリームが出てきたわ。焼きたてのパイ皮につけて食べるのが今、王都でものすごく流行っているの。行きましょ?」


 婚約者の手を取り長椅子から立ちあがりながら、リュスティはイスカルドの消えた方角を見つめひっそりと溜め息をついた。


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