④
──死者蘇生。
それは闇魔力保持者の中でも歴史書にしか残されていない闇属性の者がごく稀に宿すという異能。
理を歪める、という観点から“神への冒涜”と言われ歴史上でも忌み嫌われている。
「姉上、もしかしてリュスティの能力を聖教会に密告するつもりですか!? やめてください、リュスティは俺とグルドのために……!」
「いいえ、密告ではないわ。真っ向からの報告よ。さすがにこれを黙っているわけにはいかないもの。シルヴェル、次期当主であるあなたなら、この件を伏せるほうが良くないことはわかるでしょう」
「そ、それは……。しかし、それでは今度こそリュスティは王太子殿下との婚約を破棄されてしまいます!」
リュスティはこれまでに一度だけ、王太子との婚約を破棄されかけたことがある。
「別に構わないのではないかしら。リュスティが生まれてすぐ勝手に王太子の婚約者にしておいて、属性が“闇”だとわかった途端に国王陛下はリュスティのお誕生日になにも贈って来なくなった。一応、王太子殿下のお名前でドレスを贈ってくださったけど、殿下本人はお誕生日パーティーに出席されなかったわ。必要? そんな婚約者」
「ですが、王妃陛下はリュスティに好意的だと聞いています」
「そうね。でも、陛下に逆らえるほどではない。なにかあればあっさり切り捨ててくるでしょうね。それが早いか遅いか、の違いではなくて?」
兄は下唇を噛みながら、しばらく黙って考えている。やがて深い溜め息を一つついたあと、渋々、といった様子で頷いた。
「わかりました。でも姉上、我々モルゲンレード公爵家はリュスティを守る。それは間違いないですよね? 俺は誰がなんと言おうと、絶対に妹を守ります」
そんな兄を見ながら、姉は満足そうに笑った。
「よく言ったわ、シルヴェル。もちろんよ。報告はするけれど、たとえ聖教会と言えどもリュスティに手出しはさせないわ」
真剣な顔で話し合う兄と姉の様子に、リュスティは少しだけ怖気づいた。話が少しわかりにくいが、どうやらリュスティはグルドを“元気にした”ことで聖教会に叱られるらしい。
「お姉さま、リュスティは怒られるの?」
「いいえ、怒られないわ。でも、グルドを生き返らせた貴女の力を黙っているわけにはいかないの。それはわかってくれるわね?」
「生きかえらせた?」
姉は少し困った顔をしながら、リュスティの頭を撫でてくれた。
「えぇ。グルドはね、本当は死んでしまったの。それをあなたが魔法で生き返らせた。わかるかしら?」
リュスティはこくりと頷く。
「ごめんなさい。リュスティは、グルドをお墓に埋めないといけなかったのね」
「違う、リュスティ! お前はなにも悪くない」
兄シルヴェルは慌てたように、リュスティを強く抱き締めてくれた。
「えぇ。シルヴェルの言うとおり、あなたが悪いわけではないのよ、リュスティ。でも、悪くないのであれば良いことである、というわけでもないの」
「はい、わかっています」
姉の言葉はいつも難しい。けれど、間違ったことを言ってはいないことだけはわかる。
「お姉さま、リュスティはもう立派なレディですよ? もし怒られてもちゃんと謝るし、悪いところは直すもの。お姉さまやお兄さま、お父さまにお母さま。みんなに迷惑はかけません。でもリュスティ、グルドをお墓に埋めるのだけは嫌よ。それだけは絶対に、絶対に嫌」
きっぱりと言い切るリュスティと、そんなリュスティをいっそう力をこめて抱き締める兄。ひしと抱き合う兄妹と姉の間に、愛犬グルドがまるで守るように立ちはだかっている。
「あらあら、困った子たちね。私が悪者になっているじゃないの。そうね、でも……」
姉は頬に手を当て、薄っすらと笑みを浮かべたままそっと両の目を閉じた。
リュスティと兄は同時にごくりと喉を上下させる。これは姉リューセンデが熟考を始める時の体勢。今、賢い姉の頭は常人には到底及ばないほど、ものすごい勢いで回転しているのだ。
「……はい、わかった」
息を殺して見守るリュスティと兄の前で、姉が目を開けぽん、と両手を打ち鳴らした。
「姉上。わかった、とは?」
姉は黙ったまま、ただ涼しい顔で笑っている。
「い、いえ、なんでもありません。姉上、俺にできることがあればなんでもお申しつけください」
「えぇ。頼りにしているわ、次期公爵」
──麗らかな陽光に照らされ、優雅に微笑む姉。なぜかこめかみに滝のような汗を流す兄の横顔を見つめながら、リュスティはどうやら大好きな姉兄や両親を困らせずに済みそうだ、と安堵していた。
幼いリュスティは知りもしなかった。
その時、まだ成人すらしていない十四歳の少女でしかなかった姉が一瞬にして編み上げた“策略”によりモルゲンレード公爵家の地位もいっそう揺るぎないものとなったことを。
それは見方によっては家のことしか考えていないように思われるかもしれない。けれど、リューセンデの卓越していた頭脳はそれすらも見越していたものだった。
この姉のおかげで、リュスティはのちに訪れる人生最大の危機を救われることになるのである。
◇
姉の判断によりリュスティの能力『死者蘇生』は聖教会に報告された。
「まさか、リュスティさまの能力が“死者蘇生”とは……」
最高司祭ローシネールは額に汗かきながら、リュスティと一緒に連れてこられた兄の愛犬グルドを見下ろしている。
「司祭さま、またよろしくお願いします」
リュスティはぺこりと頭を下げる。ローシネールは貴族ではないが、最高司祭という立場は父オスカ・モルゲンレード公爵に決して劣らない。けれど決して高圧的でも高慢でもないこの司祭に、リュスティは預けられた時から信頼を抱いていた。
「こちらこそ。では、リュスティさま。さっそくですが……」
そして、リュスティは能力の詳しい調査に協力する日々が始まった。
聖教会には毎日のように、亡くなった人間や動物が運ばれてくる。死者の国へと旅立つ前の、祝福を授かるためだ。そしてローシネールが口の堅い遺族や飼い主を選び、亡くなった“彼ら”の肉体を借りて色々と実験をさせてもらった。
「……ある意味、この能力を持って生まれたのがリュスティ・モルゲンレードさまでよかったのかもしれない。公爵家が故人や亡くしたペットを無下に扱うことはない、という信頼がある。だからこそ理に反する魔法にかかるとわかっていても、黙って任せてくれたのだろう」
ローシネールの言いたいことは、リュスティにもなんとなくわかった。リュスティは今、グルドとともに聖教会へ泊まり込んでいる。
基本的に外部の人間を教会の奥に入れることはできないため、モルゲンレード家のメイドを連れてきてはいない。リュスティの面倒は修道女がみてくれるのだが、厳しい規則により“雄”のグルドはリュスティと一緒に部屋で過ごすことはできず、犬好きの修道士が預かってくれている。見ず知らずの他人だと絶対に預けないところだが、聖教会の修道士ならなにも心配することはない。
つまり、そういうことなのだろう。
そして様々な実験を試みた結果『死者蘇生』の能力が次第に明らかになった。
一つ目。蘇生させた“死者”は、亡くなった直後の見た目で復活する。刺し傷や切り傷などはそのままだが出血などはせず傷も湿った状態ではない。焼死などで負った皮膚の損傷もそのままになるが、致命傷以外はリュスティがある程度“修復”することは可能。
二つ目。死者は左側の耳と目の機能がきかない。
「基本的に心臓は左側の筋肉が分厚い。だから心臓はほとんど身体の中央にあるにもかかわらず拍動は左側から感じる。左側の機能が働かないのはそのためでは」
これは聖教会所属の医師による見解だが、おそらくその見立ては間違っていないと思われる。
三つ目。リュスティが魔法をかけた者がすべて復活するわけではない。蘇生できた人物に話を聞くと、強い心残りがあった者に限局して蘇生できるのではないか。鳥獣に関しては不明だが、グルドの一件を考えるとこの説もあながち間違っていない可能性が高い。
四つ目。蘇生させた死者はリュスティが片手を振るだけで元の物言わぬ亡骸に戻る。ただし、リュスティが死者を“還す”行動をとらなければ、リュスティ本人が命ある限り蘇生した状態を保てる可能性は高い。
五つ目。死者たちの性格や感情は生前と変わらない。しかし睡眠も食事も排泄も必要とせず、生殖能力はない。肉体に傷がついても、出血はしないが治りもしない。
ここまで判明したところで、ようやくリュスティはグルドとともにモルゲンレード家へ戻ることができた。