あなたの幸せを
外へ出ると、柔らかな陽光が正面広場に降り注いでいた。
業者の馬車が門から出ていくのが見え、交代の衛兵が走っていることから滞在時間は二時間弱といったところだろうか。
「シェーリヘット!」
リュスティは足早に馬車へと駆け寄りながら、大声で名前を呼ぶ。
御者台に座ったまま、周囲を眺めていたシェーリヘットが素早く顔を引き締め手綱を握る。
「お帰りなさい、リュスティさま」
「ただいま、シェーリヘット。退屈だった?」
「いいえ。ある意味、退屈しなかったです」
シェーリヘットは苦笑を浮かべながら、視線をちらりと後方へ投げる。
「……殿下ね」
「はい。もう、馬車を出たり入ったり、そうかと思えばリュスティさまの姿が見えたかどうか数十秒に一回くらいの頻度で訊いてくる。不敬かもしれませんが、ほんのちょっぴりイライラしてしまいました。あの、ほんのちょっぴりですけど」
「ごめんなさいね、中で注意しておくわ。といっても、今ごろ屋敷ではエルスカーが同じことをしているのではないかしら」
「確かに! ではポラーリスが暴れないよう急ぎませんと。……もう、遅いかもですけど」
顔を見合わせて笑いながら、馬車の扉をノックする。
「姫!?」
派手な音を立てながら、鋼鉄の扉が開いた。あまりの勢いに、リュスティは思わず顔をしかめる。
「……殿下。我が家の馬車を、そんな乱暴に扱わないでください。壊れたらどうしてくれるんですか?」
「あ、あぁ。申し訳ない」
フードをかぶったまま、うなだれる姿を見ながらくすっと笑う。
「冗談です。公爵家の馬車が簡単に壊れるわけがないでしょう。そんなことより、エスコートしてくださらないの?」
「あっ、すまない。どうぞ、姫」
慌てたように差し出された手をとり、軽やかに馬車へと乗り込む。
「ありがとう、殿下」
「うん。それより、その……」
「えぇ。問題なく報告は終わったわ」
「そうか、よかった。じゃあ、“真実の繭”は使わなかったんだな」
「いいえ? 使ったわよ。光の繭はとても綺麗で、包まれているとすごく不思議な気持ちになったわ」
リュスティは澄ました顔で肩を竦めた。
「使った!? “真実の繭”を!? それで、どうして──」
「私がどうして無事に帰ってこられたのか。そして、どういう風に報告したのか。気になる?……クレム」
「……っ!?」
肩を跳ねさせた拍子に、フードがずれて金髪があらわになる。リュスティは手を伸ばし、フードを完全に外した。
驚愕に染まる青い目が、真っ直ぐこちらを見つめている。
「あら、どうしてそんなに驚くの?」
「い、いつ、いつから」
「最初からに決まっているじゃない。私があなたと第二王子殿下の区別がつかないとでも? 悲しいわ、私の愛を見くびられていたなんて」
大げさに泣き真似をしながら、イスクレムの隣にすとんと腰を下ろす。
「他にもあるわよ? まず、私の魔法で復活した死者は身体の一部が機能しない、と説明したわよね? これはあえて曖昧な説明をしたの。本当は心臓の筋肉が厚い側の目と耳が使えなくなるのよ」
首を傾げながら思案顔になったイスクレムが、はっとしたように青い目を見開いた。
「気がついた? 通常は左側の心筋が厚い。だから他のみんなは左側の目と耳が使えなくなっている。でも、あなたは違う。あなたはすべての内臓が、逆の位置にあるから」
それは王太子妃教育を受ける中で王妃スミラから伝えられた話の中の一つ。
「復活したあなたは、いつも私の右側にいた。それは無意識に聞こえる側の耳を使っていたから。それに、私のあだ名を“姫”にしたのも失敗だったわね。だってあなたはいつも、僕のお姫さま、って、言ってくれていたもの」
「……リーシャは僕だけの姫だからね」
「嬉しい。大好きよ、クレム」
思わず首にしがみつき、頬に口づけをする。
「まだあるわ。あなたのクセ、考える時にこめかみを指でトントンするの。逆に第二王子殿下は顎を撫でる。あ、彼のことをずっと見ていたから、なんて誤解しないでね? 同じクラスの子たちは全員知っているから」
「うん、そこは誤解していないよ。ただ……」
イスクレムはがっくりと肩を落とした。
「それにしても、あー……、そこもばれていたのか。僕とイスカルドはたまに入れ替わって遊ぶことがあったから、なり代わりは完璧だと思っていたんだけどな」
「私の愛を甘く見ないで。……もう、何回言えばわかってもらえるのかしら。でも私、ちょっとだけクレムに気づいていることを示してあげていたのよ?」
「え……?」
リュスティは悪戯っぽく笑いながら、イスクレムの鼻先をかぷっと噛んだ。
「……吹雪」
「あ、うん。かっこいい名前をつけてもらったな、と思っていたよ」
「あなたのお誕生日は十二月でしょう? だから婚約式もそれに合わせて十二月に執り行った。その日は雪がたくさん降ったのを覚えていない?」
──真っ白な雪が舞い散る中、見つめ合いながらダンスを踊った。一生忘れることのない、素敵な思い出。
「……ごめん、ぜんぜん気づかなかった。僕はイスカルドと違って鈍いから」
「そうね」
ここで『そんなことないわ』というのは逆効果だ。それに実際、イスカルドならすぐに気づいただろう。
「ねぇ、クレム。私が、どんな風に陛下へ説明をしたのか知りたい?」
死者になってからイスクレムの後ろ向きな部分に拍車がかかっている気がする。リュスティはひとまず、話をそらした。
「そうだね、ぜひ教えて欲しい。だって本当に死んだのは僕……イスクレムだって、言っていないんだろ? リーシャがどこまで推理しているのかわからなかったし、どう説明するつもりなのか、気が気じゃなかった」
そう言うと、イスクレムはリュスティを膝の上に抱き上げてくれた。体温のないイスクレムの身体。それでも、全身が幸福な温かさで満たされていく。
「私は陛下に“第二王子殿下の殺害犯は存在しない”と報告したの。これは嘘ではないわ。だって第二王子殿下は生きているもの。そして“殿下は自らの存在を消した”と伝えた。これも嘘じゃない。そうよね? 彼は今後一生、“王太子イスクレム”として生きていかないといけないのだから」
「……うん」
一瞬だけ、イスクレムの眉がひそめられた。リュスティはそれに気づかないふりをする。
「自分からはあえてなにも口にしなかったの。陛下の推測には曖昧な表現で返した。そうそう、陛下に第二王子殿下に“死者蘇生”を使用していないか、と訊かれたわ。これは“使っていません”と正直に答えた。だって、私が復活させてしまったのは第二王子イスカルドではなく、王太子イスクレムだもの」
「なるほど。僕のリーシャは、本当に賢いな」
イスクレムは苦笑を浮べながら手を伸ばし、自身の左耳から耳飾りを外した。
「……ようやく外せた。これ、なかなか慣れなくて」
「知ってる。だって、ずっと弄っていたじゃない。これまでは右耳についていたものね」
「あはは、そんなところも見破られていたのか」
リュスティはイスクレムの手に、己の手を重ねた。
「私も色々とぼろを出してたのよ。ほら、みんなに言われたじゃない。“死んじゃった王子さまのほうが好きなのかと思った”って」
口先では「第二王子殿下」と言いながら、相手がイスクレムだと思うだけで気持ちが溢れ出してしまったのだ。思い返しても、あれは本当に油断だったと思う。
「あれか。リーシャは気づいていなかったかもしれないけど、あの時はすごく傷ついていたよ。やっぱり僕なんかよりもイスカルドのほうがいいんだ、ってね」
イスクレムは複雑そうな顔で頬をかいている。
「……クレム。今回の真相を突き止められたのは、逆から考えたから。つまりクレムが命を落とすには、双子の王子はどう動いたのだろう、って」
だいたいの答えはもう、リュスティの中にある。それだけイスクレムのことを理解しているからだ。でも、聞きたい。イスクレム本人の口から、すべての真相を。
「蘇ったあなたの姿を見た時、また一緒にいられる、という嬉しさよりも悲しみが先にたったわ。当然でしょ? 愛する人が亡くなったんだもの。えぇ、悲しかった。私、悲しかったのよ、クレム……!」
気持ちが高ぶっていくとともに、リュスティの両目から涙がとめどなくこぼれ落ちる。もう二度と、彼の体温を感じることはできない。そして人としては機能しない死者の身体であるイスクレムとは、愛はあっても肉体的に繋がることは不可能なのだ。
「どうして、あなたが死ななくてはいけなかったの!? あなたの胸の傷は、波打ったような不思議な形をしていたとノールが言っていた! 第二王子殿下に贈った特別製の剣が、そんな形の刃だったわよね? ねぇ、どうして!? どうして、こんなことになってしまったの!?」
ずっとこらえていた思いが、一気に溢れ出してきた。これが甘えだということはよくわかっている。以前も抑えきれない感情をぶつけ、それで後悔する羽目になったというのに。
反省を生かせず、相変わらずイスクレムを困らせてしまう自分にひどく腹が立つ。けれど、感情が入り乱れて自分でもどうしたらいいのかよくわからない。
「ごめん。ごめんね、リーシャ。泣かないで、僕の……いや、僕たちの真実を話すから。わかっていたかもしれないけど、死んだ時の記憶がないというのは嘘だ。他のみんなと同じで、僕も記憶はきちんと持っている」
「うん……そうかなって思ってた」
イスクレムの指が優しく涙をぬぐってくれる。その指の冷たさが、とても愛おしくて悲しい。
「どうして、気づいていることを僕に言わなかったの?」
リュスティはぐすん、と鼻をすする。
「入れ替わりまでするくらいだもの。なにか考えがあることは明白だったわ。でも、それを私にすら話してくれないということは、相当な覚悟があると思ったの。だから、しばらくは黙っていようって」
「……そうか。ありがとう、リーシャ。たくさん気をつかってくれたんだね」
「いいの。ほら、クレム。続けて?」
シャツの胸元を引っ張り、話の続きをうながす。
「……僕たちの運命が変わったあの日。イスカルドから相談を受けたんだ。婚約者のモーネ・シルシャン嬢への贈り物を採りに行きたいけれど護衛を連れて行くのは嫌だ。自分が守るから、ある場所まで同行してくれないか、と。でも、僕はどうしても外せない会議があって断ってしまった。ただ、思ったより早く終わったからイスカルドのあとを急いで追った」
やはり、イスカルドは婚約者のために“眠りの小道”へ向かったのだ。
「僕が到着した時には、イスカルドはすでにレキス・ガーヴェを切り捨てたあとだった。混乱するイスカルドを宥めていたら、遠くからエルスカーくんが来るのが見えた。目撃されたら困ると思って、とっさに眠りの魔法をかけた。……まさか、そのあとでエルスカーくんが一家ごと処刑されるなんて思ってもみなかったんだよ」
リュスティは思わず目を閉じた。エルスカーが感じたという“急激な眠気”の正体が、イスクレムの魔法だったとは。
「予想以上に事が大きくなり、僕たちは本当のことを言えなくなってしまった。そのころからイスカルドは様子がおかしくなっていき、ほとんど眠れていないようだった。僕たちは間違ったんだ。この時点で真実を報告していれば、こんなことにはならなかったはずなのに」
「クレム……」
確かに、イスクレムが命を落とすことはなかっただろう。だが人狼側がイスカルドの身柄を要求してきた可能性は高い。その場合、イスカルドの命の保証はない。
「僕が死んだあの日。時間ができたからイスカルドの部屋を訪ねた。部屋はもぬけの殻で、僕がイスカルドに贈った剣がなくなっていた。魔力を探ったら、あの日の場所に向かっているのがわかって戦慄したよ。だから急いであとを追った」
イスクレムはリュスティの肩口に顔を埋めた。震えるその体を、リュスティはそっと抱き締める。
「追いついた時、イスカルドは剣で自分の胸を突き刺そうとしていた。腕力ではかなわないのはわかっていたけど、とにかく止めないと、とそれだけを考えていた。ようやくイスカルドが大人しくなったと思ったら、剣は僕の胸に突き刺さっていたんだ」
リュスティは目を閉じ天をあおいだ。傷口の形状を聞いた時からわかっていたが、それでも死に際を本人から聞くというのは非常につらい。
「入れ替わりを提案したのは僕なんだ。幸いにして即死はしなかったからね。あぁ、もちろんイスカルドは嫌がったよ。でも王太子命令で黙らせた。だって、僕より国王に相応しいのはイスカルドだから。でも、事故とはいえ王太子の命を奪ったとなるとイスカルドは周囲から白い目で見られる。臣下もついてこないかもしれない」
王子が二人しかいない以上、イスカルドは罰せられることなく王太子にならざるを得ない。けれど、それでは他国から反感を買う可能性はじゅうぶんにあった。
「入れ替わったあと、“イスクレム”はこっそり王城に戻り、手勢を連れて“イスカルド”を探しに来るよう伝えた」
「……そう、だったのね」
──双子の王子は保身のためではなく、お互いを思ったがゆえに真実を歪めてしまった。間違いか間違いでないか、の二択で言うなら彼らの行動は間違っていたと断言できる。けれど、同じようなことが起きたらリュスティだって“正しい行動”ができたかどうかわからない。
「クレム。私のことは考えてくれなかったの?」
死にゆく王太子より、生きた第二王子を守りたい気持ちはわからないでもない。けれど、その時リュスティのことはなにも考えてくれなかったのだろうか。
「……考えていたよ。すごく醜く、身勝手にね」
「え、どういうこと?」
リュスティは首を傾げる。
「イスカルドに頼んだんだ。リーシャとの婚約を解消して欲しいって。王太子に成り代わったイスカルドとリーシャが結婚するのはどうしても嫌だった。どんな理由にせよ、王族との婚約を解消された令嬢に新しい縁談が来ることはまずない。僕はリーシャの未来を犠牲にすることを承知の上で頼んだんだ。……それなのに、揉みあった時に懐中時計を落としていたなんて。それでリーシャが疑われるなんて、思ってもみなかった」
髪をかきむしるイスクレムの手を、リュスティはそっと押さえる。
「よかったわ、そうしてくれて。だって私はすぐに“王太子”の正体に気づく。クレムじゃない人と結婚なんかしたくないのに、クレムのことを思えば我慢するしかない。そんなの、辛すぎるもの」
そう言えば、いつか兄シルヴェルが言っていた。
『お前と殿下の絆は誰にも断ち切れやしない』
──望んでいた形ではないが、これからはずっと一緒にいられるのだ。
「……僕は勝手なだけじゃなくて、器も小さいんだよ。僕があんなに時間をかけても西の人狼族を落とせなかったのに、イスカルドはあっさりとやってのけた。すごく情けなかった」
それはきっと、イスカルドが死に物狂いになったからだ。イスクレムのために、イスクレムとして生きていかなければならない彼は今さらながら全力で取り組んだのだろう。
それでも事が上手く進んだのは、それまでのイスクレムが築きあげてきたものがあったのだと、リュスティは信じている。
「あなたたちは本当に正反対。まさか、性格だけじゃなくて内臓までだったなんて」
「母がそこまで話していたとは知らなかったよ。結婚したら僕から話すつもりだったのに」
微笑むイスクレムは、リュスティの薊色の髪を指にくるくると巻きつけている。
──物語では、“相応しいほう”が命を落として“そうではないほう”が生き残り、試行錯誤しながら“相応しく”なるよう努力していく、というのが人気の展開だったりする。
でも、こんな風にある意味王道を外すイスクレムだからこそ、自分はすべてを捧げることができたのだと思う。
「ねぇクレム。これからのことなんだけど、まずはベル商会について調べていこうと思うの」
「あぁ、彼女も訳アリなんだよね。いいよ、僕はどこまでもついて行く。リーシャさえいれば、他になにもいらないからね」
馬車の中で、リュスティはイスクレムと静かに見つめあった。血の巡りはないはずなのに、熱っぽくすら感じる眼差しに胸が激しく高鳴っている。
「愛してるわ、クレム」
「僕もだよ、リーシャ」
どちらからともなく顔を近づけ、しっかりと唇を重ねた。唇を離したあと、イスクレムの頬が赤くなって見えるのは気のせいだろうか。
「馬車を降りたらもう、イスクレムじゃなくて私のスノーストルムになるのよ」
「仰せのままに。僕のすべてはリーシャのものだ」
「いい心がけね。そうだ、帰ったらみんなにクレムのことを話さなきゃ。誤解を解いておかないとね。あ、でもエルスカーは気づいていたみたい」
「え、本当? なんでわかったんだろう」
「クレムが話し合いのために村に行った時、エルスカーの近くを偶然通りかかったことがある、とかじゃない?」
「うわぁ、やっぱり人狼はすごいなぁ」
他愛ない会話を続けながら、リュスティは幸せを噛み締める。
『屍操令嬢』と呼ばれ忌み嫌われたこの力がなかったら、もう一度イスクレムに会うことは叶わずエルスカーの冤罪も晴らすことはできなかっただろう。
「私、はじめて自分を誇らしく思うわ」
また、新しい旅が始まる。それにもきっと、意味があるはず。
リュスティはこれからの旅路を思いながら、未来に対して期待にも似た確信を持っていた。




