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屍操令嬢と死者の軍団  作者: 杜来 リノ


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もう一つの真相

 

 翌朝、リュスティは屋敷の前で馬車が来るのを待っていた。


 ヴェルシグネルセ王国では基本的に、王族と軍人以外は王宮内に魔導車で侵入してはならない。したがって、夜会などの時は王宮前が馬車で大渋滞をする。


「馬車に乗るのは久しぶりだわ」


 イスクレムに会いに行く時は、次期王太子妃として車での登城が認められていたからだ。


「殿下。殿下は私の話が終わるまで、馬車の中で待っていてくださいね」

「……義姉上。本当にいいのですか?」

「いいとは、なにがですか?」

「真実の繭、ですよ。あなたになにかあったら、イスクレムが悲しむ」


 イスカルドはリュスティと目を合わせないまま、左耳を弄っている。


「悲しむ必要はないわ。私は嘘をつきに行くわけではないもの」

「なにか考えがあるのなら、俺に教えてくれてもいいじゃないですか。だいたい、俺のことなのに」


 リュスティはドレスの裾をつかんでひらひらと揺らす。今日は深い青のドレスを身に着けている。これはイスクレムの瞳色。リュスティのお気に入りのドレスだ。


「陛下に報告するより前に、話すわけにはいきませんので」

「……城に行ったら、イスクレムに会うんですか?」


 少し考え、すぐに首を振る。彼はほとんど表に出られる状態ではないと聞いているし、仮に姿を見かけたところで話をさせてもらえる可能性は低い。


「彼は、私に会いたいと思っていないと思うわ。これからは、モーネさまのことを大切にされるのでしょうね」

「……貴女は、それでいいんですか? イスクレムを愛していなかったんですか?」


 地を這うような、低い声。


 これまで彼の口からことのない声音にも怯むことなく、リュスティは微笑む。


「愛しているに決まっているじゃない。それも、あなたが思っている以上にね」

「……」


 胸を張って堂々と言い切るリュスティになにも言えなくなったのか、イスカルドは不機嫌そうに腕組みをしながら、黙りこんでしまった。


「お嬢さま、馬車が来ましたわ」


 スティエルネの声とともに、磨き上げられた鋼鉄製の馬車が屋敷の裏手から現れた。馬車の側面には、モルゲンレード家の家紋『雷光と水晶』が朝日を浴びて光り輝く。


 御者台には、シェーリヘットが乗っている。馬車を操るのは得意だったそうで、自ら名乗りをあげてくれた。ちなみに張り切って御者に立候補したエルスカーは人狼の気配を察した馬たちに拒否され、泣く泣く留守番組に加わることになった。


「では、いってまいります」


 並んで立っていた両親が、リュスティに近づいてくる。


「いってらしゃい、リュスティ」

「はい、お母さま」


 額にそっと口づけてくれて、優しく微笑む母にリュスティも笑みを返す。


「料理長がお前の好きな牛肉のパイを仕込んでいると言っていた。だから楽しみに帰っておいで」

「わぁ、嬉しい! ……ですが、それはちょっと困りましたね。陛下とお話をしている間、そのことばかり考えそうだわ」


 父は珍しく声を上げて笑い、手を伸ばして頬を優しく撫でてくれた。


「みんな、私が戻るまで自由に過ごしていてね。書庫も裏の温室も中庭の薬草園も、屋敷内はどこでも自由に動いていいから。……エルスカーはじっとしているのが辛いかしら? 敷地内であれば、狼の姿になってお散歩するのも楽しいかもしれないわよ」


 死者たちの行動についてはすでに両親から許可をとり、使用人たちにも周知させている。


「いってらっしゃいませ、ご令嬢」

「リュスティさま、シェリーを頼む」

「あたし、続き読んで待ってるね」

「お嬢さま、彼らの面倒はわたくしにお任せくださいですわ」


 ノールはうやうやしく頭を下げ、エルスカーは妻から目を離さないままリュスティに声をかける。ポラーリスは昨日から抱えたままであったと思しき小説をぎゅっと抱き締め、スティエルネはそんな三人を見つめながら、穏やかな笑みを浮かべていた。


 リュスティは彼らに軽く手を振り、両親にもう一度深くお辞儀をしてから、エスコートするイスカルドとともに馬車へと乗り込んだ。


 ──扉が閉まると同時に、外のざわめきが遮断され、馬車内には静けさが満ちる。


 磨き込まれた革張りの椅子は柔らかく、車輪の中心に揺れを和らげる魔導機構が組み込まれているせいか、馬が走り出してもほとんど振動は伝わらない。


「馬がとっても落ち着いているわ。シェーリヘットは本当に操馬が上手ね」


 感心しつつ、窓から少し顔を出してみる。屋敷の方角を振り返れば、家族や仲間たちが小さくなる姿が見えた。母のドレスの裾が風に揺れ、父の軍服の肩章が陽光にきらめいている。支えられている、という思いに胸の奥がじんと熱くなり、リュスティはこみ上げる気持ちを抑えるように薊色の髪を指先で整えた。


 対面に座るイスカルドは、黙ったまま腕組みをし目を閉じている。けれど、指先が小刻みに動いているのを見れば彼が心穏やかではないことは明らかだった。


「殿下……いえ、なんでもありません」


 イスカルドは一瞬、目を開けたがすぐまた元通りに閉じてしまった。まるで心を閉ざされているようで寂しい気持ちになるが、彼としてはリュスティの行動に納得がいっていないのだ。そんな態度になるのも仕方がないと思う。


 ──馬車は石畳を叩く軽快なひづめの音とともに進んでいく。


 仕事に向かうのだろう、革の鞄を持ち足早に歩く背広姿の男性。武器を持ち見回りをする憲兵。学校に行く子供たちの集団。犬を散歩させている婦人。窓の外を流れるのは、見慣れたいつもの光景だ。


 やがて市街を抜け、馬車は大通りに出た。その先には、王族が住まう王城がある。灰色の岩で作られた巨大な尖塔と幾重にも連なる城壁。ところどころにある金色の装飾が、キラキラと光を反射している。


 城前の広場には、すでに二台ほど馬車が停まっていた。個人所有の馬車ではなく、王国から特別な許可を得た乗り合い馬車だ。王城で働く侍女や役人のうち、自分で馬車を持っておらず自宅が遠方にある者たちが登城のために乗ってくる。


 このような仕組みがあるのはヴェルシグネルセだけだ。そもそも他国では、侍女や侍従は王城や皇宮に住み込みで働いていることが多い。


「市場街方面、本日の帰宅便は十五時と十七時になりまーす!」

「時計塔方面は十四時のみですー、遠方のかたは乗り継ぎでお願いします!」


 御者たちが声を張り上げて帰りの時間を告げる様子が、なんだかひどく懐かしい。置かれる立場が変わっただけで、遥か昔のことのように思えてしまうのが不思議だ。


 リュスティは御者台後ろの小窓を開け、シェーリヘットに声をかけた。


「シェーリヘット、少し先にある青いリボンを結んだ樹の前で停めてくれる? そのリボンから向こうが、各家の所有馬車が停車する場所なの」

「はい、わかりました」


 シェーリヘットは馬車を巧みに操作し、行き交う人々にぶつかることなく所定の位置についた。


「ありがとう、ここでいいわ。申し訳ないけど、私が戻るまでここで待っていてね」

「はい、わかりました」

「よく考えたら、エルスカーを連れてきてもよかったわね。退屈させてしまうかも」

「いえ、平気です。エルったらずーっとべったりなんですもの。それに御者台から景色を見ているだけでじゅうぶん楽しいです」


 シェーリヘットは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、軽く肩をすくめた。


「エルスカーが聞いたら泣くわよ」

「ふふ、彼が甘えん坊を卒業するいい機会です。お気をつけて、リュスティさま」

「えぇ、行ってくるわ。殿下をよろしく」


 小窓を閉めたリュスティは、向かい側に座る緊張した面持ちの“今は亡き王子”にぎこちない動きで片目をつむってみせた。


「……そういう真似は似合わないですよ、義姉上」

「殿下、まだご機嫌は直りませんか?」

「別に、怒ってはいない。ただ、俺が貴女にここまで愛されていたとは思っていなかったからね。戸惑っているだけですよ」


 リュスティは小首をかしげる。


「あら、私が第二王子殿下を? なぜそう思われるの?」

「それは、わかりますよ。俺の事件を解決しようと、貴女はずっと一生懸命だからね」

「……それは、違うわ」


 言いながら、青い目をじっと見つめる。宝石のように、美しい青。


「私が第二王子殿下のことを男性として見ているなんてありえないし、愛したこともないわ。勘違いさせたのならごめんなさい」


 絶句するその顔にもう一度片目をつむってみせたあと、リュスティは扉を開け放ち澄ました顔で馬車から降りた。


「さぁ、気を引き締めていかなくちゃ」


 ──いよいよ、国王夫妻との謁見が待っている。


 怖がることはなにもない。ただ()()を口にすればいいだけなのだから。


 ◇


 王城の謁見の間。


 高い天井から垂れ下がる緋色の垂れ幕と、細かな文様が刻まれた大理石の巨大な柱。広々とした謁見の間は荘厳で美しいが、氷の刃で肌を切り裂くような冷たい緊張感に満ちている。


「ずいぶんと早い戻りだったな。リュスティ・モルゲンレード」


 王座に並ぶ国王夫妻の顔は厳しく、凍てつく視線がまっすぐにリュスティへ注がれる。


 国王クラフトの手には、白銀の錫杖が握られている。先端に羽毛をまとった蝶のような、不思議な生物の彫刻が飾られた錫杖それは、“真実の繭”を生み出す魔道具だ。


 リュスティはそっと視線を国王夫妻の横に走らせた。てっきり国王夫妻だけだと思っていたのに、少し離れた場所には二人の男女が立っている。


 ──金色の髪に青い目。右耳に耳飾りをつけた、王太子イスクレム。その隣に立っているのは、新しく婚約者に決まったモーネ・シルシャン。


 王太子は強張った顔で唇を固く結んでいる。その顔色は、今にも倒れそうなほど病的に悪い。モーネはそんな王太子を支えるようにぴったりと寄り添い、ときおり心配そうに顔を見上げていた。


 これからの彼らを、いや、彼のことを思うと心臓が小さく痛む。だが、もうお互いあとには引けない。


 リュスティは静かに深呼吸をし、ドレスの裾を広げて淑女の礼をした。


「陛下、王妃陛下。リュスティ・モルゲンレード、このたびの件につきましてご報告させていただきたく、参上いたしました」

「……顔をあげよ」


 国王にうながされ、リュスティは顔をあげた。


「報告の場にはイスクレムも同席させた。異論はないな?」

「ございません」


 予想外ではあったが、動揺は一切ない。むしろ出てきてくれたのなら良かった、と思う。


「陛下。王太子殿下に、お祝いの言葉を述べさせていただいてもよろしいでしょうか」


 申し出が意外だったのか、国王クラフトも王妃スミラも一瞬困惑の表情を浮かべた。だが、すぐに冷たく無機質な表情に戻る。


「……許す」

「ありがとう存じます」


 リュスティは王太子とその婚約者のほうに身体を傾け、再び一礼をする。


「王太子殿下。そして未来の王太子妃殿下。このたびは誠におめでとうございます。このリュスティ・モルゲンレード、臣下として心より喜ばしく思っております。お二人に永久とわの祝福を」

「……あ、ありが、とう」


 蒼白な顔でたどたどしく応える息子が痛ましいのか、国王夫妻は複雑そうな表情を隠しもしない。


「リュスティ。貴女の前に姿を現したことでイスクレムの誠意は伝わったと思います。もう、よろしいわね?」

「はい。王妃陛下」


 祝いの言葉は述べられた。これでもう、思い残すことはない。退出するであろう二人を見送ろうとしたその時、静かな声が聞こえた。


「いいえ、母上。私も報告を聞きたいと思います」


 王妃は戸惑いの表情を見せている。


「無理をしないでいいのよ、イスクレム」

「……無理などしていません。私は、すべてを受け止める覚悟があります」


 きっぱりと言い切るその様子は、先ほどとは別人のように見える。


(ようやく覚悟を、お決めになったのね)


 リュスティは小さく笑みを浮かべ、きっちりと姿勢を正した。


「……では報告を受ける前に、そなたの姉リューセンデ・スクムリングから進言のあった“真実の繭”を展開させてもらう。よいな?」

「はい。もちろんです」


 頷くと同時に、国王が白銀の錫杖しゃくじょうを二度ほど振った。


 ──鈴などついていないのに、空気そのものが清浄になっていくような澄んだ鈴の音が謁見の間に広がる。音が鳴り響く中、錫杖の飾りから透明な光の糸が溢れ出し、ふわりふわりと舞いながらリュスティの周囲に集まってゆく。


 淡く輝く光の糸は次第に繭の形を成し、リュスティを優しく包み込んでいく。冷たさも重さもない。ただ、不思議な温もりが全身を満たしていく。


 十数秒ののち、リュスティは完全に光の繭に包まれた。それなのに、目を凝らせば外の光景がはっきりと見える。


(これが、真実の繭……)


 いつの間にか、謁見の間はしんと静まり返っていた。


 その静寂を破るように、かすかな苛立ちを含んだ国王の声が聞こえる。


「ではリュスティ・モルゲンレード。我が息子イスカルドの非業の死について、そなたがつかんだ事実を話すがいい」

「はい、陛下」


 リュスティは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


 そして、口にする。


 イスカルド事件の、まごうことなき“真実”を。


「……第二王子殿下は、誰かに殺害されたわけではありません。したがって、殿下殺害の犯人などどこにもいないのです」



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