②
レキスの墓は、村の外れにある小高い丘のふもとにひっそりとあった。
「……彼は被害者なのに、どうして共同墓地から離れたところにお墓があるのかしら」
最初、リュスティは仕込みの準備をしている酒場の従業員に訊き、共同墓地へ向かった。けれどそこにはレキスの名が刻まれた墓標はなく、再び他の人狼に話を訊いたところ、この場所を説明されたのだ。
「人狼は“異物”を嫌うからね。人間からすると結束が固そうに見えるけど、差別主義者の数は少なくない」
わずかな軽蔑を含め、イスカルドが言う。
スティエルネと二人で行く、と言ったのに「フードは外さないからついていく」と言ってきかなかったのだ。
イスカルドの言葉を肯定するように、墓標も粗末なものだった。そこらへんにあったのであろう巨石に名前を彫り込んだだけの、なんともいえない侘しさを感じさせる墓。
「……これは、あまりにもお気の毒すぎますわ。お嬢さま。どうかわたくしに祈りを捧げさせてくださいまし」
スティエルネの願いに頷きながら、リュスティは言葉もなく立ち尽くす。
──レキスは被害者だ。それにもかかわらず、まるで咎人のような扱いをされている。
レキスの生前の振る舞いが理由なのかもしれないが、これはあまりにもひどい。ろくに調べもしないで処刑したウルヴ夫妻の亡骸を、王都とはいえ村の外の罪人墓地前に放りだしていったり、人狼族のある意味異常ともいえる潔癖さには思わず背筋が寒くなる。
「こんな考えかたをする種族と、協定を結ぶ意味なんてあるのかしら」
「こんな考えかたをする種族だからこそ、協定を結んである程度動向を把握しておく意味があるんだよ」
言いたいことはわかっているが、納得はできそうもない。
「……では、レキスを復活させます。殿下、少し離れていてください」
亡くなってからもこの扱い。生きている時も、彼に対する周囲の目は厳しかったのではないだろうか。それであれば、この世に未練がある可能性は十二分にある。
「姫、俺は護衛に来たのだから離れてしまっては意味がない」
「相手は人狼の死者よ? 簡単にかなう相手ではないわ」
じっと見つめると、イスカルドは不貞腐れたような顔をしながら渋々、と言った様子で後ろに下がっていく。それでも、その青い両目は真っ直ぐにレキスの墓石へと向けられていた。
イスカルドは長いローブの内側に下げている剣に手を触れたまま、大人しく後ろに下がっていく。代わりに、スティエルネが前に一歩踏み出した。人目を引かないために鉄球は所持していないが、腕力でリュスティを守ってくれるつもりらしい。
リュスティはふぅっと息を吐き、両手をレキスの墓標に向けた。
「さぁ、起きなさい。レキス・ガーヴェ」
リュスティの両手から黒い靄が湧き上がり、墓石と周辺一帯を覆う。やがて靄は、地面の中に吸い込まれていった。
「……?」
だが待てども暮らせども、墓石の前の地面が内側から掘り返されてくる形跡はない。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、それが……」
──レキスが、復活してこない。
「ど、どうして?」
リュスティは己の両手を見つめる。確かに、魔力の奔流はあったはず。それなのに死者が復活してこないということは。
「……まさか、レキスには未練がなかったということ? そんなはず──」
いや、そうとは言い切れない。そもそもリュスティは彼のことをほとんど知らない。
「レキスはかなり浮ついた性格をしていたみたいだけど、突然の死に対してもそう未練を持つ性格ではなかった、ということなのかしら。殿下はどう思われます?」
「いや、俺にはよくわからないな」
イスカルドはじっと、レキスの墓を見つめている。
「……ううん、違う」
「違うって、なにがです?」
レキスは正面から攻撃をされている。犯人の顔は見たはずだ。だが、反撃はしていない。犯人の遺体はなかったし、傷を負った人狼も村には存在しなかった。考えるまでもないが、エルスカーにもそんな傷はついていない。
「彼はおそらく、死の間際に未練を持つことができなかったのだと思うの」
「お嬢さま、未練を持つことができなかった、とはどういう意味ですの? あ、即死なさったとか?」
リュスティは静かに首を振る。
「いいえ。彼は即死ではないわ。エルスカーが言っていたじゃない、まだ息があったって」
戦闘力の高かったレキス。そんな彼が反撃もできないまま一方的に致命傷を与えられた。さぞ、プライドが傷つき悔しかったことだろう。いや、悔しいと思うことができたはず、というべきだろうか。
──彼が本来の、状態であったなら。
「レキスは正気を失っていたのではないかしら。そう、たとえば薬物の影響下にあった、とか」
そう考えるのが、一番しっくりくる。
「ですがお嬢さま、薬物の可能性はエルスカーさんがご否定なさっていたではありませんか」
「そうね。確かに、彼は薬物を自ら摂取したわけではないと思うわ」
スティエルネの顔が、驚愕に歪む。
「で、では、まさか……」
「えぇ。誰かに盛られた、と考えるべきだと思う」
「そんな、誰が、なんのためにレキスさんへ薬物を……?」
「それはわからないわ。もっというと、仮にこの説が正しかったとしてもレキスに薬を盛った動機、どうやって摂取させたのか、そこもわからないのよね」
リュスティは深い溜め息をつく。どちらにしても、本人を復活させられないのではこれ以上ここにいる意味はない。
「一度、部屋に戻りましょうか」
「それがよろしいですわ。お嬢さま、少しお休みになられてはいかがですの?」
スティエルネは心配そうに、リュスティの顔を覗き込んできた。
「ううん、大丈夫。ここでゆっくりしている時間はないの。殿下、次に出かける時はノールと交代していただきますからね」
「……どうして?」
「薬が関わっている可能性があるなら、情報収集に専門家の同行は必須でしょう。あなたの出番はございませんわ、スノーストルム」
静かに言うと、イスカルドは押し黙ってしまった。『殿下』と『スノーストルム』を使い分けて話している意味に、やっと気づいてくれたのだろう。
「承知いたしました。……姫」
「ご理解いただけてよかったです。では、戻りましょうか」
リュスティはくるりと踵を返し、その場から歩き出す。
(また一つ、この事件を解決しなければならない目的が増えたわ)
──イスカルドの死の真相を明かし、ウルヴ夫妻の冤罪を晴らす。そして、未練を感じることすらできなかった気の毒なレキスのためにも、この事件の真相を必ず明らかにしてみせる。
◇
リュスティは部屋に戻ってすぐ、己の仮説をノールに話して聞かせた。
「レキス・ガーヴェが急性の薬物中毒に陥っていた、ですか。実はわたしも、その可能性について考えていました」
「本当? どのあたりでそう思ったの?」
「……薬、と聞いてわたしの罪を思い出した、と申し上げましたでしょう? あの時です」
「ん? どういうこと?」
ノールはふぅ、と息を吐き、単眼鏡をそっと外した。
「わたしが開発していた新薬。記録には“抗精神薬”と書きましたが、本当は個人依頼による“媚薬”の開発だったんです」
「え、媚薬? どうして?」
“媚薬”と名付けられるほど艶めいた効果はなかったようだが、植物や動物の分泌液から抽出された興奮剤のようなものは、遥か古代から存在していたはずだ。
「薬師免許を持っている以上、医師であっても薬の開発はできるけど個人依頼ってどういうこと? それに、いったい誰の依頼だったの?」
「……元老院の一人からです。褒められたことではありませんが当時、研究費用を稼ぐために医師の仕事の合間に薬作りの個人依頼を時々受けていたのですよ。さすがに、毒薬の開発はのらりくらりとかわしていましたが」
今は“褒められたことではない”どころか、個人向けに薬を開発することは許されていない。れっきとした犯罪になる。
「我々の時代の媚薬は使用したあとに激しい頭痛が起きたり身体の節々が傷んだり、という強い副作用がありました。その部分の解消と、ただ単に興奮状態にするだけではない効果も欲しい、という要求でしたね」
「どんな効果?」
副作用の解消を求めるのはわからないでもないが、それ以上の効果付与を求める意味がわからない。媚薬は、単にそんな気分ではない時に気持ちを盛り上げるために使用するものではないのか。それ以上、なにが必要だというのだろう。
「男性機能の強化ですね。加齢とともに、そういった機能も衰えてくるものですから」
「……あ、そう」
──室内に、気まずい空気が流れる。
「そ、それで、どうしてそのことでレキスの薬物中毒を疑ったの?」
「では順を追って説明させていただきます。まず、依頼どおりの媚薬はほどなくして完成いたしました。我ながら良い出来でしたよ。製法も渡す約束でしたので、現代でもまだ使用されているのではないでしょうか」
「う、うーん、そのあたりのことは私にはわからないのだけど……」
リュスティにはそういった薬に触れる機会もないし、おそらく今後もないだろう。
「そして“狂った羊”が生まれた経緯ですが、依頼主に納品する前、この媚薬が魔獣にも効くのか実験してみたのですよ。上手く作用すれば、駆除のさいに狩人の危険を軽減させることができるかも、と考えました。そして羊型の魔獣に投与したのですが、この魔獣がいきなり暴れ出したかと思うと、あっという間にこと切れてしまいました」
「え、媚薬が体質に合わなかった、ということ?」
亜人種が違法薬物を嫌う理由は、身体の制御がきかなくなるからだと言っていた。魔獣は亜人種ではないが、本能的に身体が薬を拒絶したのかもしれない。
「そう思って、また別の日に同じ種族の魔獣へ同じ量だけ投与してみました。ですが、多少落ち着きがなくなるくらいで命を落とすことはありませんでした。それで実験を繰り返したところ、同じように死んでしまう魔獣が現れました。解剖した結果、死んだ魔獣は必ずスムルトロンの実を食べていたことがわかったんです」
──スムルトロンの実。
姫林檎ほどの大きさをした、甘酸っぱい木の実。食べられるが生食はできない。果実をジャムにしたり砂糖漬けにして保存食に加工する、というのが一般的な食べかたになる。
「皮は干すといい香りのお茶になるのよね。種の中身はさらさらの白い粉だから、化粧品の素や薬の材料にもなる余すところのない完璧な木の実なんだよ」
「ずいぶん詳しいんですのね」
「お茶はウチの商会で扱っていたからね」
ポラーリスは得意そうに胸をそらした。
「まさか、実と媚薬がなにかしらの反応を起こした、というの?」
「はい。ただ媚薬と潰したスムルトロンの実を混ぜてみましたが、その時は特に毒素は検出されませんでした」
「え? では、なにが原因だったの?」
ノールは己のみぞおち付近を指でとん、と突いた。
「胃酸です」
「いさん?」
「はい。媚薬を服用した状態でスムルトロンの実を食べる。実が胃酸に触れると体内で恐ろしい禁忌麻薬“狂った羊”に変化することがわかりました」
「まさか、そんなことが……」
リュスティは目を閉じ、額を押さえた。
偶然生まれた麻薬“狂った羊”。スムルトロンの実。正気を失くしたレキス。なんだろう。なにかが繋がりそうな気がするが、頭の中がうまく整理できていない。
「お嬢さま? どうかなさいましたか?」
「……なにか、色々な情報が頭の中をぐるぐる回っている感じなの。でも、それをどう整理すればいいのかよくわからなくて」
まだ、もう少し情報を集める必要がある。
「これからレキスが亡くなった場所に行ってみるわ。そこにスムルトロンの樹があるかどうか確かめてみなきゃ。ノール、一緒に来てくれる?」
「はい、もちろんです」
「それから明日、もう一度エールリグくんに話を聞かせてもらう」
その時、イスカルドがおずおずとリュスティの右肩に触れた。
「……姫、少し働きすぎでは? 調査ならフォルシュニング先生に頼めばいいし、エールリグ少年に話を訊くのは聖女どのにお任せすればいいじゃないですか」
肩に触れた大きな手。その手は決して温かくはないが、彼がリュスティを心から案じてくれていることだけは伝わってくる。
「いいえ、これは私が任されたことだから。それにむしろ、動いているほうが気が楽になるわ。だから心配しないで、殿下」
イスカルドはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑みを浮かべて手を引いた。
「わかった。ただ、あまり心配をかけないで欲しい。……その、イスクレムに」
「もちろんです。大丈夫、クレムは私のことを信じてくれているもの」
リュスティはイスカルドに向かって微笑んでみせた。
──死者たちはリュスティの力で動く。
だがリュスティは違う。イスクレムへの愛だけが、今のリュスティの原動力になっている。




