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屍操令嬢と死者の軍団  作者: 杜来 リノ


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真実への道のり

 

 場に、じわじわと沈黙が広がっていく。


 スティエルネも言葉を探しているのか、それとも言葉自体が出てこないのか。黙り込んだまま、ただ微動だにせず立ち尽くしていた。


 そんな重い空気を破ったのは、エールリグの一言だった。


「……ヘクスさまが戻られましたよ。よかったですね。イエルンさまと、お話できるんじゃないですか?」


 彼の言葉どおり、屋敷の奥から現れた族長夫人がこちらに向かって手招きをしているのが見えた。左手の薬指にはまった耳飾りと同じ金色をした指輪が、光を反射してキラキラと光っている。


 できればもう少しエールリグと話していたかったが、まずは族長に会うのが先決だ。こちらの本来の目的を忘れてはいけない。


「行きましょう、スティエルネ。エールリグくん、またあとで、お話を聞かせていただけるかしら?」

「はい。いいですよ、別に」

「連絡するから宿に来てもらって……いえ、やっぱりこちらからうかがうことにするわ」


 エールリグはほんの一瞬だけ首を傾げたが、すぐ素直に頷いた。


「学校から屋敷までの道ってほぼ一本道なんで、どこかで待ち伏せでもしていてください。できれば、学校と屋敷ここの中間地点くらいがいいです」


 リュスティたちと話をしている姿を、あまり他の人狼に見られたくないのだろう。


「わかったわ、そうする」


 安心させるようエールリグに微笑みかけながら、リュスティは色々と考えを巡らせていた。


 まだ、この子を両親に会わせるのは早すぎる。


 イスカルドやウルヴ夫妻は用心のため、村の外での待機を継続してもらうつもりでいる。少なくとも、今はエールリグをあまり宿へ近づけさせたくはなかった。


「そうだ、お姉さん。宿って、もう決めたんですか?」

「え? いいえ、まだなの。今、別の仲間が探しに行ってくれているところなのよ」

「だったら、急いだほうがいいですよ。っていうか……もう、遅いかもしれませんけど」

「えっ? どういうこと?」


 エールリグは、どこか大人びた仕草で肩をすくめた。


「なんか、人間と協定を結ぼうって話、ありましたよね? あれは西、つまり俺たちの村が最後まで反対してたんですけど、ここにきて急に話がまとまったらしいんですよ。で、明後日には東南北の族長がここに集まる予定らしいです。今後のことを話し合うために、各村から偉い人が七、八人ずつ来るらしくて。それで、その人たちのためにイエルンさまがもう宿を押さえさせてたって聞きました」


「ふぅん、そうなのね……って、えぇっ!?」


 ──まとまった? あれだけ難航していた、西の人狼族との交渉が?


「ちょ、ちょっと待って! それっていつの話!?」

「え? だから、明後日……」

「そうじゃないの。協定よ! いつ、まとめられたの!?」


 その大役に任命されていたのは王太子イスクレム。だが今、彼が置かれている状況を考えるとあの大変な仕事をやり遂げたのは別の人物で間違いない。


「何日か前に、王宮からイエルンさまに手紙が届いたみたいですよ。その日からずっと部屋にこもって手紙を読み返してたらしくて。うちの父さんのこともあったし、人間と手を組んだ方がいいって思ったんじゃないですか? 次の日にはもう、村の中では“協定が成立した”って話になってましたから」


「そ、そう……」


 胸の奥がざわつく。


「じゃ、俺、そろそろ行きますね」


 エールリグは空になった如雨露を手に持ったまま、前庭の端にあるポンプ式の水道へと向かって歩き出した。


「お嬢さま? どうかなさいまして?」


 スティエルネの問いに、リュスティはかぶりを振った。


「あ……ううん、なんでもないわ。夫人をお待たせしているから、急ぎましょうか」


 脳裏に浮かぶのは、亜人種との協定を成立させるために必死で奔走していたイスクレムの姿。


 彼の悲願が叶ったというのに、リュスティの胸の内には、喜びきれない複雑な思いだけが静かに渦を巻いていた。


 ◇


 周囲が薄闇に包まれはじめた時刻。


 リュスティ一行は、確保した宿の一室に集まっていた。


「えー、族長には会えなかったの? なんでよ?」

「他の村からいらっしゃる族長さまたちのお迎え準備でお忙しいのだそうよ。でも、村の中を自由に歩く許可はいただけたわ」


 そのことを告げてきた族長夫人ヘクスは、傍から見てもわかりやすく機嫌を悪くしていた。


「でも族長夫人、お優しいのはエルスカーさんの息子さんにだけ、みたいでしたわね。なんだか印象がころころ変わる女性でしたわ」

「……えぇ、確かにそうね」


 違和感は他にもある。


 村の中では“犯罪者の息子”という立場にあるエールリグに対して、“エル”という親しみのこもった愛称で呼びかけていたことが、リュスティの心になんとなく引っかかっているのだ。


 実の息子には、あんなにも冷淡だったのに。


「ともかく、明後日から村に外部の者が増えるのは良かったですわね。部外者であるわたくしどもの存在が目立たなくなるのは助かりますわ」

「……そうね。だけどこうなってみると、族長本人と話ができなかったのは痛いわ」


 そう呟きながら、リュスティは壁に傾いてかかっていた絵を直す。


「綺麗な絵なのだから丁寧に扱って欲しいわね。酔っ払いにそんな気遣いを求めるほうが間違っているのだろうけど」


 ──ここは正規の宿屋ではない。


 村にある宿は、実質二軒だけ。そしてエールリグが言っていたように、すでにそのどちらも満室だったという。そして彼らが目をつけたのは、村の酒場や食事処だった。


 ここは、そんな酒場の一軒なのだ。


「ありがとう、ノール、ポラーリス。あなたたちが機転をきかせてくれたおかげで助かったわ」


 ポラーリスは照れたように笑う。


「酒場って、酔いつぶれたお客さんを休ませるための部屋を持ってたりするのよ。食事処の場合は、密会用。男女のね。娼館も考えたけど、隣町まで行かないとないんだって」

「亜人種の中には情に脆い種族も多くおりますが、人狼に関して言えば、基本的に一途な性質を持つ者が多いですからね。娼館を設けるほどの需要がないのでしょう。いずれにせよ、ご令嬢をそんな場所に泊まらせずに済んで、本当によかったです」


 ノールはそう言って、胸元から取り出したハンカチで、丁寧に単眼鏡のレンズを拭いている。


「だけど一途ってさ、ちょっと間違ったらヤバい方向に行きがちだよね。たとえば、ほら、死んだ人狼の男。シェーリヘットさんに言い寄ってたって言ってたじゃん。あの人、なんかエルスカーさんの次にモテてたらしくて人狼にしては珍しい遊び人だったんだって。でもシェーリヘットさんに惚れてからは遊ばなくなったらしいよ」

「レキス・ガーヴェね」


 宿探しの合間、ポラーリスは律儀に情報を集めてくれていたらしい。


「でも、彼には恋人がいらしたのではありませんの?」


 確かに、エルスカーはそんなことを言っていた。


「恋人だと思ってたのは女のほうだけだったっぽいよ。それにしても、シェーリヘットさんって意外と罪な女なんだねぇ。村で一番人気のエルスカーさんと、二番目人気のレキス・ガーヴェまで虜にしちゃうんだもん」

「あら、エルスカーさんはやっぱり人気者でいらしたのね」


 それについては特に驚きはない。エルスカーは決して色男、というわけではないが精悍な顔立ちに確かな実力を持っている。そして、なによりも誠実な人柄。これで女性にモテないわけがない。


「ウルヴくんがいきなり人間の女性を連れてきて、おまけに結婚までした時には村中の若い独身女性が嘆いたそうですよ」


 リュスティはちら、と部屋の奥に視線を向けた。


 窓際には、エルスカーとシェーリヘット。二人はこちらで話している内容など気にすることもなく、寄り添い合いながら窓の外をひたすら見つめ続けている。


 イスカルドはリュスティの右側に立ち、夫妻に柔らかな視線を向けていた。


 ──本来、面の割れている三人を呼び寄せるつもりはなかった。だが宿泊場所は酒場の二階。ここでもノールとポラーリスが良き働きを見せてくれた。辺りが薄暗くなってきてから、酔っ払いたちに紛れてさりげなく顔を隠したウルヴ夫妻とイスカルドの三人を、素早く二階に連れてきてくれたのだ。


「エールリグ少年が無事でよかったですね、姫」


 イスカルドは心からの安堵の表情を浮かべている。


「……そうね」


 エルスカーとシェーリヘットにはすぐ、エールリグの無事と現在は族長イエルンの屋敷で暮らしていることは話しておいた。


 二人は手に手を取り合いひとしきり喜んだあと、ああしてずっと窓の外を眺めている。


「早く解決して、エールリグくんを会わせてあげないと」

「俺もそう思いますよ。で、次はどう動くおつもりですか?」

「次、ね……」


 リュスティはしばし考える。族長に会うのは当分は難しいだろう。夫人も客人の対応などで手が離せなくなるに違いない。


「そうだ、レキスの恋人に話を訊くのはどうかしら」


 レキスは恋人だと思っていなかったとしても、相手がそう思う程度には行動をともにしていたはずだ。


「はーい! あたし、それも訊いてきましたー」


 ポラーリスが張り切って手をあげる。


「すごいわ、そこまでしてくれたの? さすが大商会の娘だけはあるわね」


 感嘆の声が自然と口をついて出た。ポラーリスは機転もきくし、情報収集力も素晴らしい。姉のリューセンデに会わせたら、さぞ気に入られることだろう。


「レキスの遊び人ぶりはけっこうすごかったみたいでさ、なんか同族だけじゃなくて人狐の女性にも手を出したりしていたみたいだよ。ま、その恋人もどきの女は最終的に自分を選んでくれれば、って信じてたらしいけど」

「……そう。彼女に関しては、お気の毒としか言いようがないわ」


 見た目も悪くなく、完全獣化できるほどの能力の高さ。女癖は悪かったというが、いいように考えれば魅力的な人物だったともとれる。


「お嬢さま、レキスさんはひょっとして、女性関係の揉めごとに巻きこまれてしまったのではありませんの? 弄ばれた女性のどなたかが、仕返しをなさったとか」

「いえ、その可能性は低いのではないかしら。だってエルスカーの右手の爪には血がついていたのよ? だから彼が疑われることになったわけだし、犯人が女性だとしたらわざわざエルスカーに罪をかぶせるかしら」


 それに、レキスにつけられた傷は一つだけ。いくら亜人種とはいえ、男性よりは筋力に劣る女性がレキスほどの男を一撃で仕留められるとは思えない。


「では、よろしくないお薬をご使用になったとか? 錯乱してエルスカーさんに襲いかかったあげくに返り討ちにあった……」

「それもない。亜人種は身体の制御が利かなくなる可能性がある違法薬物の使用を嫌う。それに、仮にそうだとしたらウルヴくんがそのように証言するだろう」

「えぇ、私もそう思う」


 その意見にリュスティも賛成する。


「あ、そうだ。これはどうでもいい情報なんだけど、レキスって結構な頭痛持ちだったんだって。で、痛み止めをしょっちゅう飲んでたらしいよ」

「痛み止め……?」

「うん。あんまり頻繁に飲むものだから、彼女、途中でこっそり薬を変えたみたい。なんていうか優しめ? のやつに」


 ノールは単眼鏡をいじりながら、何事かを考えているかのように眉をきゅっとしかめた。


「どうしたの、ノール。なにか思い当たることでも?」

「……あ、いえ。薬と聞いて、わたしの罪をふと思い出しただけです」


 ──彼の罪は、禁忌の麻薬製造。


「……“狂った羊”を作り出したことね。とはいえ、あの時代には貴重な医師をあっさりと処刑するなんて信じられないわ」


 ノール・フォルシュニングの裁判記録は残されていない。それは、彼がまったく言い分を聞いてもらえることなく処刑されたことを意味している。


 おそらくだがポラーリスとスティエルネの記録も残っていない、というか、最初から裁判など行われていないに違いない。


「はい。でもそれは表面的な罪に過ぎません。“狂った羊”は、新薬製造の過程で偶然生まれたものでした。わたしはそれを自分の頭の中にとどめておくべきだった。ですが、ついその製法を書き記してしまったんです。それはただの書きつけでしたが、なぜか役人にばれてしまいました。ひょっとしたら、診察記録の間にでも挟まっていたのかもしれません」


 リュスティは思わず溜め息をついた。


「……どんなものであれ完成させたら製造方法を記録したくなる。それは研究者のさがとでもいうものかもしれないわね」


 ノールは苦笑を浮かべた。


「さぁ、どうでしょう。たとえ麻薬とはいえ、それまで存在しなかった薬物を作り出したことに高揚していたような気もします。“狂った羊”は本当にごくわずかの量で恐ろしい効果をもたらした。今思えば、わたしに与えられた罰は正当なものだったのではないでしょうか」


 処刑直前のノール・フォルシュニング()()の証言記録によると。


 実験用の魔獣が床にごく少量こぼれた薬を“ほんの少し吸い込んだだけ”であっという間に狂乱状態に陥ってしまった、とある。現在の違法薬物は多幸感を得ることに特化しているため、“狂った羊”とはまったく別物といえる。


「完全な製法は残されていない。だからあなたの書きつけがすべて流出したわけではないわ。罰が正当なものだったなんて、そんなことは──」


 リュスティはそこで口を噤んだ。


 ──ない、とも言い切れない。今、世の中に流通している違法薬物は、流出してしまった中途半端な製法を土台に作られたものがほとんどだからだ。


「まぁ、それはともかくこうなったら取るべき手段は一つね。というか、最初からそうしていれば良かったんだわ」


 きょとん、とした死者たちを前に、リュスティは両手を目の前に持ち上げた。死者たちの間に、理解の色が広がる。


「明日、直接訊くしかないわ。……レキス本人に」



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