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屍操令嬢と死者の軍団  作者: 杜来 リノ


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20/33

人狼の村へ

 

 宿を出て二日目。


 リュスティ一行は人狼のウルヴ夫妻がかつて暮らしていた“西の人狼族の村”を目指し、深い森へと分け入った。


 森には毒虫や魔獣が多く生息している。


 虫はノールが薬草から作り出したした虫よけで防ぎ、魔獣はエルスカーと聖女とは思えぬ戦闘力を持つスティエルネが次々と蹴散らしてくれた。


「いやぁ、本当に頼りになりますね、姫」

「ええ、そうね」


 リュスティは自然に相づちを返す。


 出発前、朝食の席についたリュスティにイスカルドはいつも通りの軽口で挨拶をしてきた。昨夜のことがあったにもかかわらず、まるで何事もなかったかのようだった。


 こっそりノールに尋ねてみたが、部屋に戻った後もほんの少し元気がない程度で、特に気を病んでいる様子はなかったという。


(……そんなはずないわ)


 王族である彼が、なにも感じていないとは思えない。ただ、本心を隠しているのだ。感情を表に出さぬよう育てられた者として、王族としての責務を果たしているだけ。


 それでも、無理に問いただすのをやめた。


 こちらからはなにも言わないし、なにも訊かない。


 ウルヴ夫妻の懸念を解消し、イスカルドが命を狙われた理由が明らかになれば、その時こそきっと本当の気持ちを話してくれるとリュスティは信じている。


 ◇


 真円の月がかかった夜。


 湧き水を沸かした湯で体を拭き、リュスティは長い髪を洗っていた。


 野営で髪を洗うのは骨が折れる。切ってしまおうかとも思ったが、イスカルドに止められてしまった。


『突然髪を切ったりしたら、王太子殿下も驚かれると思いますよー? 村には確か、旅人向けの宿もあったはずです。風呂もあるでしょうから、もう少し我慢を』


 そういえば、イスクレムはよくリュスティの薊色の髪を指に巻きつけていた。そんなことを思い出し、結局髪は切らずに湧き水のある場所や泉の側などで野営するようにしている。


「お嬢さま、風邪をひきますわ。焚き火のそばへどうぞ」

「ありがとう、スティエルネ」


 近くには乾いた布を差し出すスティエルネと、小鍋の中身をかき回すポラーリス、切り株に敷物をかけているシェーリヘット、と女性陣ばかりが集まっている。


 エルスカーとノールは、少し離れた場所でテントの設営中だ。姿は見えないが、おそらくイスカルドもその近くにいるはず。


「ねぇ、スティエルネ。今さらだけどエルスカーはともかく、どうして“聖女”であるあなたがそんなに強いの?」


 リュスティは隣に腰かけ、鉄球を磨いている彼女に訊ねた。


 聖女と聞いて戦闘職を思い浮かべる者はまずいない。だが“鉄球をともに墓に埋葬されていた思い出の品”として持っていた彼女が、実際にそれを振り回して戦う姿を見たときは、さすがに仰天したものだ。


「そうですわね、わたくし、子どもの頃からとっても怪力でしたの。よく家や物を壊してしまって」

「……家や、物を壊す?」

「はい。扉を開けようとして、扉ごと外してしまったり。加減ができなかったんですの。だから村では、“悪霊喰あくりょうじきの子”なんて呼ばれて、忌み嫌われておりましたわ。養父母が悪魔祓いを生業にしていたものですから」


 リュスティはわずかに眉をひそめる。


「……悪魔祓いは立派な仕事なのに」


 とはいえ、聖教会が祓師かれらを正式に認めたのは、つい五十年ほど前のことだ。


「ふふ、そう言ってくださるのは嬉しいですわ。でも、属性が“聖”と判明してからは急に“聖女”扱いですもの。それもまた、奇妙なものでした。人の評価なんて、良くも悪くも簡単に変わってしまうのですわね」

「本当に、そうね」


 リュスティ自身は、まさにその逆だ。


 筆頭公爵モルゲンレード家の次女として生まれ、姉が嫁いだ今では、社交界の頂点に立つ存在ともいえる。それでも、周囲はむしろ冷ややかだった。


 ──ただ一つ、“闇”の属性を持っているというだけで。


「……私にとっては、死者よりも生きている人間のほうがよほど恐ろしいわ」


 焚き火に小枝を投げ入れながら、リュスティは小さく呟いた。


 ◇


 朝靄が森に立ちこめる中、森の中を静かに進む。


 葉の生い茂る木々が空を覆っているものの、なぜか暗さは感じない。不思議な明るさと、湿った空気、鳥の声が心地よく響く。


「この先を左に曲がると、“眠りの小道”に入る。オレたちの村はその先にある」


 エルスカーが大きな荷を背負ったまま振り返り、そう告げてきた。


「“眠りの小道”……ずいぶん詩的な名前ね」


 そう感心していると、シェーリヘットがゆっくりとかぶりを振った。


「詩的なのは名前だけです。両脇に群生している花が強い睡眠作用を持っていて……今の時期はまだいいんですが、夏場は香りが周囲に充満するので、油断をすると眠ってしまいます。薬品に過敏な人の中には、そのまま目覚めない者もいるとか」

「そんな植物、聞いたこともないわ」


 リュスティは驚き、右隣を歩いていたイスカルドを見つめる。イスカルドの顔にも、驚きが浮かんでいた。


「これは、色々と問題ごとが片づいたら国に報告しないといけないわ。命を落とす危険性があるわけだし、眠っただけ、とは言っても夏に森の中で意識を失ったら毒虫にたかられてしまうもの。群生地の範囲をしっかり確認して、すべて焼き払ってもらわないと」


 だが、エルスカーは渋い顔をしている。


「ちょっと待ってくれ。あれはオレたち人狼には影響がない。あの花を見ると、“ああ、村に帰ってきた”って実感が湧くんだよ。焼き払われるのは、ちょっと困る」

「でも、あなたたち人狼族だけの道じゃないのよ?」


 頻繁ではないだろうが、立地的に冒険者や商隊なども通るはずだ。


「それはわかっているが、そもそもこの道が使われる機会はそう多くないだろう? 夏場には通らないようにするとか、人間側そっちが気をつければいいだけじゃないのか」

「そういう問題じゃないのよ。万が一のことがあったらどうしてくれるの?」


 すると、軽く言い争うリュスティとエルスカーの間に割って入るように長い腕が伸ばされた。


「まあまあ、姫。その話は、あとにしませんか?」


 リュスティはイスカルドを見上げた。イスカルドは静かに見下ろしてくる。


「……確かに、今は先にやらなければいけないことがあるわ。この件はいったん保留にします」

「うんうん、そうしましょう。ほら、“眠りの小道”に入りましたよ」


 視線を上げると、道の両側には白く百合に似た美しい花が咲いていた。花弁には薄紫の縦縞が走り、見たこともない幻想的な光景が広がっている。


「危険だなんて思えないくらい、可愛らしい花ね。いくつか摘んで帰りたいくらいだわ」

「それはやめておいたほうがいいでしょうね。あ、エルスカーがこちらを見ていますよ」


 前方で先導していたエルスカーが立ち止まり、振り返っていた。


「リュスティさま。これ以上先に進むと誰かに見られる可能性がある。オレやシェリーが一緒だと、まずいのではないのか」

「……そうね。殿下の顔も知られている可能性が高いし、あなたたち三人は村の外でしばらく姿を隠していて」


 リュスティはウルヴ夫妻、そしてイスカルドに指示を出す。


「では、わたしたちはここから少し戻ったところにいますね」

「お願いね。あ、スティエルネの鉄球も預かっていてくれる?」

「わかった」


 エルスカーは左手に鉄球、右手でシェーリヘットの手を握り、夫婦は“眠りの小道”を戻り始める。


「……姫のご命令とあらば、しかたがないね」


 イスカルドは肩をすくめながら、ウルヴ夫妻のあとに続いた。


「では、ここからは二組にわかれましょう。私とスティエルネ。それからノールとポラーリス。いい?」


 残った三人は同時に頷く。


「もちろんですわ」

「あたしはノールと組むのはちょっと嫌だけど、ここは我慢しなきゃなんない感じよね。……いいよ、まかせて」

「わたしはご令嬢のご命令とあれば、否やを唱えるつもりはありません」


 閉鎖的な人狼の中で情報を集めるには、できるだけ効率よく動く必要がある。リュスティは歩きながら指示を出していく。


「まず、スティエルネの存在を全面に押し出すの。罪人が出た土地に聖者や聖女が訪れて祈りを捧げることがあるでしょう? それを利用します。私とポラーリスは聖女さまのお世話係。ノールは主治医。これで村の中をうろうろしていても怪しまれないと思うの。ただ、滞在はせいぜい一週間、といったところね」

「承知いたしましたわ」


 スティエルネは聖属性を持つ本物の聖女であり、いかなる地でもその存在は重みを持つ。聖女スティエルネがいるおかげで、歓迎はされずとも邪険にはされないはずだ。


「私とスティエルネは到着後、族長の家へ挨拶に行くわ。ノールたちは宿をとっておいて。できれば一階の端がいいわ。部屋を取り終わったら、私たちを探す、という名目で外に出て、なんでもいいから人狼たちから話を聞いておいて」


 これで、どちらかの組にはエールリグ少年の情報も入るだろう。


「いい? くれぐれも“設定”から逸脱した行動はとらないようにね」


 ──村の中は人狼族の世界。どんな危険があるか、わかったものではない。


(……クレム、私に勇気をちょうだい)


 リュスティは緊張に震える手を強く握りながら、村に向かって歩を進めた。


 ◇


 村は深い森の中にあるとは思えぬほど整然としていた。道はきちんと整備され、通り道には平たい石が敷き詰められている。一般の住居の他に八百屋や肉屋も立ち並ぶ、まるで城下町のような活気に満ち溢れていた。


「……意外な雰囲気ね」

「わたくし、もっと排他的で暗い雰囲気だと思っていましたわ」

「私も。クレムから村に行ったことは聞いていても、雰囲気までは聞いていなかったから」


 人狼たちはこちらをちらちらと見ているが、その視線に尖ったものは感じられない。


「ご令嬢、我々は宿を探してきます」

「えぇ、お願い」


 ノールとポラーリスがここで離れていく。リュスティは八百屋の店先でお喋りをしていた人狼の女性に話しかけた。


「お話し中、失礼いたします。こちらは聖女スティエルネ。この地で“罪人の穢れ”が起きたと聞き、清めるため村に立ち寄らせていただきました。族長さまにご挨拶をさせていただきたいのですが、どちらにいらっしゃるのでしょうか」


 赤い髪の女性は、通りの向こうを指差した。


「それはご苦労さまなことだね。族長の家はこの先にあるよ。村で一番大きな家だからすぐにわかる」

「ありがとうございます」


 リュスティが控えめに頭を下げると、女性は興味を失くしたように再びお喋りに興じはじめる。


「人狼は他者に関心が薄いのね。これが人間だったら色々と根掘り葉掘り訊いてくるでしょうに」

「エルスカーさんも結局、奥さま以外に関心がない感じですものね」


 小声で話しながら族長の家を目指していると、横道から革の鞄を背負った一人の少年が現れた。


「あら、子供ですわ。学校帰りでしょうか」

「まだお昼前だけど、もう終わったのかしら」


 何気なく目を向けた瞬間、リュスティの胸がどくりと鳴った。


 ──緩やかに波打つ灰銀の髪。痩せた体に、不釣り合いなほど背が高い。可愛らしい顔立ちだが表情には覇気がなく、年相応のあどけなさは見られない。


「……彼、エールリグくんだわ」

「え、あの子がですの?」

「えぇ、多分。二人の面影があるもの」


 じっと見つめる視線に気づいたのか、少年が顔を上げる。正面から見ると、側頭部に一房だけ淡い茶色の髪が混じっていた。


「シェーリヘットの髪色だわ。間違いないと思う。はぁ、無事でよかった」

「でも、少し顔色が悪いようですわね。体調が優れないのでしょうか」

「かもしれない。声をかけてみるわ」


 リュスティが一歩前へ出ようとした、その時。


「……っ、お嬢さま!」


 スティエルネがいきなり腕を強く引いた。


「え、なに……?」


 リュスティのすぐ横を、黒いなにかが猛スピードで飛んでいく。次の瞬間、物陰から赤い髪の少年が飛び出し、黒い塊を次々にエールリグへと投げつけた。


「ちょっと、やめなさい! なにをしているの!?」

「いけませんわ、あの子供、エールリグさんに石を投げていますわ」

「石!? どうしてそんなことを……!」


 エールリグは身じろぎもせず、飛んでくる石を次々とかわしていく。


「……!」


 だが、そのうちの一つが額に当たった。


 少年はわずかに眉をひそめただけで、ハンカチを取り出し流れる血を淡々とぬぐっている。


「いい加減に出てけよ! 人殺しの息子!」


 エールリグはかすかに眉を寄せながら、額を押さえたままその場から立ち去っていく。そのどこか寂しげな背中に、リュスティの全身が怒りでカッと熱くなった。


「あなたこそ、いい加減にしなさい! スティエルネ!」

「承知いたしました、お嬢さま」


 スティエルネは静かに背後へと回りこみ、赤髪の少年の襟首を片手でひょいと持ち上げた。


「な、なにすんだよ、おばさん!」


 少年は憎らしげな顔で悪態をつく。


「……お嬢さま、今すぐこのおガキを、八つ裂きにしてやりたい気分ですわ」

「だめよ、少し待って。ねぇ、あなた。お名前は?」


「うるせぇな、ババァ! ……でもねぇか。放っとけよ、おねーさん!」


「あら、素直。私はリュスティ・モルゲンレード。首をへし折られたくなかったら、今すぐ名前を教えていただける?」


 少年はなにかを言いかけたが、すぐに口をつぐんだ。人狼族ならではの鋭い勘で察したのだろう。


 ──リュスティが、“本気”であることを。



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