屍操令嬢リュスティ
リュスティ・モルゲンレードは畏怖の視線を浴びながら、悠々と夜会の場を歩いていた。
身にまとうのは、深い青のドレス。首元と耳には、蒼玉で作られたネックレスとイヤリング。本当は黄金のドレスを着たいところだが、リュスティの髪は青みがかった濃い桃色、まるで薊の花のような色合いをしており瞳はアザミの葉のような深緑。
そこに黄金のドレスを着ると色合いがちぐはぐになってしまう。だから婚約者の目の色である青色を主に身につけるようにしている。
王妃主催のこの夜会には、伯爵家以上の貴族家に加え教会の司祭や商会の主なども招待されている。青一色とはいえ洗練されたデザインのドレスや大粒の宝石にあちこちから感嘆の声があがるものの、誰もリュスティには話しかけてこない。
“身分の低い者から身分の高い者へと話しかけてはいけない”という慣習ははるか昔に廃れているというのに。
「はぁ、いつものこととはいえ、慣れないわ、この雰囲気」
リュスティは溜息をつきながら、それでも周囲に愛想を振りまいていく。なんの見返りもないというのに、健気な自分が我ながらいじらしい。
笑みを崩さないまま、ひっそりと溜め息をつきながら忙しく動き回る給仕の手からグラスを受け取る。中に入っているのはお酒ではなく、紅玉色の紅茶。
冷たく冷やされた紅茶を飲みながら、ぼんやりと周囲を見渡した。遠くに姉の夫であるレヴがいるのが見えたが、声をかけるのは止めておいた。姉は現在妊娠中でこの夜会には出席していない。義兄は姉を心から愛し大切にしているから、側を離れるのは嫌だっただろう。
柔和な顔に珍しく不機嫌そうな表情を浮かべている義兄は、夜会の警備兵に細かく指示を出している。やがて、こちらをなにげなく振り返った義兄とばっちり目が合った。
『やぁ、リュスティ嬢。楽しんでる?』
『まぁまぁです。お義兄さま、お仕事がんばって』
『また一人?』
『えぇ、今夜はお兄さまの同行がお願いできなかったのです。でも、このあと殿下が来てくださるから大丈夫ですわ』
互いに声を出さず、口だけ動かして会話する。
『そう。じゃあ僕はそろそろ失礼するよ。あとは部下に任せて、早く家に帰りたいからね』
『お気をつけて。お姉さまによろしくお伝えください』
そこで誰かに呼ばれたのか、義兄は片手をあげ広間の反対側へ去って行く。
「あ、未来の義姉上、こんなところにいらしたんですね。本日も殿下に放っておかれているのですか? それに、こういう時いつも側にいる兄君もいないとは可哀そうに」
再び一人ぼっちになったリュスティに、まったく可哀そうとは思っていない声と態度で話しかけてきたのは、金髪に青い目の第二王子イスカルド。
現在二十歳の彼はリュスティの婚約者である王太子イスクレムと双子の兄弟だが、国の決まりで母体から先に取り上げられたほうが王太子となり、後のほうが第二王子となる。
一卵性の双子である彼らは当然まったく同じ顔をしており、互いに特徴的なほくろや傷痕などもない。
しいて言うなら耳飾りに使われている宝石の色が異なる、という違いはある。幼い頃は両親である国王夫妻ですら二人の区別に苦労したらしいが、今は雰囲気がまったく異なるせいで周囲が二人を見分けられない、といったことはほとんどない。
「……兄は仕事です。それに、放っておかれているわけではありません。王太子殿下はあなたと違ってお忙しいの。私を気の毒に思っている暇があったら、私が寂しい思いをする時間が少しでも減るようあなたが手伝って差しあげたら? 第二王子殿下」
「どう見ても放っておかれていると思うけどね。あいかわらず義姉上は一途だなぁ。おまけに聞きわけがいい。俺はそんなつまらない妃は嫌だけどね」
──婚約者すらいない分際でなにを言う。
そう言いたいのをぐっとこらえ、リュスティは口元だけで笑いながら“未来の義弟”を冷たく見あげる。
「うわ、怖い目。俺もね、兄上を手伝いたい気持ちは山のようにあるんだよ。でもほら、俺も暇じゃないんだよね。ご令嬢がたのお相手が忙しくて忙しくて」
イスカルドは肩を竦め、ヘラヘラと笑っている。
整った顔に浮かぶ軽薄な笑み。それから目を逸らしながら、リュスティは思い切り顔をしかめた。
二人の“異なる雰囲気”は正にこの部分にある。イスクレムは物静かで思慮深いのに、イスカルドはどこか崩れた退廃的な空気を醸し出しているのだ。
「……どうしていつもそうなのですか? あなたの能力があればもっと──」
「あー、待って待って。俺、そういうのは苦手……というか嫌いなんだよなぁ。じゃあ俺はここで失礼するよ、これ以上お小言をくらいたくないし。そうそう、兄上がもうすぐここに来るから笑顔の練習をしておいたほうがいいんじゃないかな? そんな怖い顔をしていたら兄上に嫌われるよー?」
「き、嫌われたりなんか……っ」
「嘘だよ、冗談冗談」
怒るリュスティを軽くいなしながら、イスカルドはひらひらと手を振りその場から去っていく。
「ちょっと待っ……あ、もう、行っちゃった」
歯噛みをするリュスティの目に、急ぎ足でこちらに向かってくる婚約者、王太子イスクレムの姿が映る。
「やだ、大変……! 思ったより早かったわ、クレムったら急いでくれたのね」
リュスティは広間の大鏡に駆け寄り、自らの格好を今一度しっかりと確認する。
背中まである薊色の髪は毛先がくるんと縦巻きに巻かれ、深緑の目が映えるよう目元には入念な化粧が施されている。
「うん、完璧だわ」
リュスティは自らが一番可愛らしく見える角度を探しながら、愛する婚約者の到着を待ちわびていた。