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屍操令嬢と死者の軍団  作者: 杜来 リノ


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18/33

 

「……すまない。申し訳なかった」


 しばらくして、落ち着きを取り戻したらしいエルスカーがおずおずと声をかけてきた。


「いいのよ。私こそ、気遣いが足らなかったわ。ごめんなさい」

「違う。リュスティさまは悪くない」


 リュスティは苦笑を浮かべながら、ゆっくりと首を左右に振る。


「……そうね。悪くはないかもしれないけど、良くもないわ。気にしないで、ちょっと落ち込んでしまったの。私は学習しない人間だなぁって」

「学習? どういう意味だ?」

「自分の感情を優先して、大切な人を傷つけてしまったことがあるのよ」

「謝ればいいのではないのか?」


 エルスカーは当然のような顔で言う。


 その様子を見て、リュスティはくすっと笑った。


「もう、取り返しがつかないの」

「いや、でも──」

「私のことはいいのよ」


 なおも言いつのろうとするエルスカーを片手で制しながら、きゅっと顔を引き締める。


「エルスカー、シェーリヘット。あなたたちには今から少々……いえ、かなりつらいことを訊くわ。でも、“人狼事件”を解決しないと息子さんの立場も危ういでしょうし、なによりも殿下の死の謎が解けないような気がするの」

「……」

「わたしは大丈夫です。なんでも訊いてください」


 唇を噛み下を向くエルスカーとは裏腹に、シェーリヘットは力強く頷いている。


「ありがとう。まずは処刑にいたるまでの状況を聞かせて欲しいの。その日、シェーリヘットはなにをしていたのか。そしてなぜ、亡くなった人狼の側にエルスカーがいたのか。そこに向かうことになった理由も覚えていたら教えて」

「……はい。では、まずわたしから」


 ──シェーリヘットが静かに語り始める。


「わたしは裁縫が趣味なんです。でも、村には生地屋がありません。ですから毎月第二木曜日に隣町まで行って、布や端切れ、飾りボタンをまとめ買いをするんです。でも、この前の……あ、事件が起きた第二木曜日ですね、この日、わたしは体調を崩してしまって。買い物は延期するつもりでしたが、夫が代わりに買い物に行ってくれるというのでお願いをしました。……あぁ、そうだわ。わたしが頼まなければ良かったのよね」


 ぽつりと呟くシェーリヘットの肩を、エルスカーがそっと抱いた。


「シェーリヘットは家で休んでいた。要は村の中にいたわけね。なにか表が騒がしいとか、いつもと違うことは特になかった?」


 シェーリヘットは少し考える素振りを見せていたが、すぐに首を横に振った。


「わかりません。夫が出ていったあとは、ずっと眠っていました。一度、玄関の外でノックの音が聞こえたような気がしましたけど気のせいだと思います」

「あら、それはどうして?」

「エルスカーは日中、畑に出たり若い人狼たちに広場で体術の訓練をしたりしています。そして第二木曜日はわたしが家にいないことは、村のみんなが知っていますから」


 リュスティは首を傾げる。


「家には誰もいないとわかっているから、ということ? でも、出かける途中でエルスカーがあなたの体調不良を誰かに話したのではなくて?」

「いいえ、それはありません。人狼族は他人に弱みを見せることを極端に嫌うので、怪我をした、とか調子が悪い、とか他人に話す習慣がないんです。なので、誰かに出会ったところでそもそもそういった話にはならないのではないかと。そうでしょう、エル?」


 シェーリヘットはエルスカーに顔を向けた。エルスカーは小さく頷いている。


「わたしは逆に風邪をひいた時なんて、玄関扉に薬草のリースを飾ってみんなに知らせるようにしていたんですけど」

「えっ、なんで?」


 これまで黙って話を聞いていたポラーリスが、不思議そうな声をあげた。


「わたしは村で唯一の人間です。ですから、病気になった時はとっても気をつかうんです。人間には大した症状がでない場合でも、亜人種には致命的な病気ものもありますから」

「……なるほど。その気遣いは素晴らしいわ、シェーリヘット」


 世界には様々な亜人種が存在するが、物語とは異なり異種族間での恋愛、結婚は非常に数が少ない。それにははっきりとした理由がある。


 ゆえに、リュスティも異種族婚をした夫婦を目の当たりにしたのはウルヴ夫妻がはじめてだった。


「へぇ、そういうものなんだねぇ。知らなかった」

「こういった知識は医療従事者以外だと、貴族学院でしか習わないからな」


 いつの間にか扉が開き、部屋から出て行ったはずのノールとイスカルドが立っていた。


「言いつけに従わず申し訳ございません、ご令嬢。またウルヴくんが暴れてはいけないと思い、部屋の外で待機していました」

「……オレは暴れてなどいない」


 ムッとした顔でノールに向かい足を踏み出すエルスカーを、シェーリヘットが慌ててなだめている。


「大騒ぎをしていたじゃないか。人狼族は感情が乱れると不完全な獣化をすることがあるだろう。制御しきれないキミのご立派な爪が、ご令嬢の御身に触れることにでもなったらどうするつもりだった?」

「そ、それは……」


 言い返すかと思いきや、エルスカーは気まずそうにうつむいた。ひょっとしたら、不完全獣化の経験があるのかもしれない。


「で、先ほどの補足だが。亜人種と人間の違いは文化や生活習慣、そして寿命、というのが一般的な認識になる。だが一番の違いは『耐性菌』が大きく異なるということだ」

「たいせい、きん……?」


 そう。実はこれこそが、異種族間の婚姻を妨げる一番の要因。


「ウルヴ夫人が言うとおり、人間には多少喉が痛くなる程度の軽い風邪でも、亜人種が罹ったら重病、しかも後遺症が残ることもある。ほら、冬場になると必ず流行る風邪があるだろう。アレなどは亜人種が罹った場合、九割近い致死率になるはずだ」

「九割!? ほぼ死ぬじゃん!」


 ポラーリスは両目を見開き驚いている。


「さすが先生、お詳しい。そう、人狼族との話し合いが難航したのもまさにその部分なんだよ。彼らは人間族と交流を深めることにより自分たちの強靭な身体や鋭い爪や牙、という武器が通用しない相手、すなわち“病気”という敵と関わるのをできるだけ避けたいと考えているからね」


 リュスティは横目でシェーリヘットの様子をうかがった。おそらく彼女は、きっと村で苦労していたに違いない。それでもエルスカーはしっかりと妻を守っていたのだ。


 この前までは。


「……話がそれたわ。続けて、シェーリヘット」

「は、はい。お昼すぎには体調が良くなったので、学校から帰ってくる息子のエールリグのために台所でケーキを焼いていました。そうしたら村の警備係がいきなり家の中に押しかけてきて、あっという間に縛り上げられ居間に連れていかれたんです。そこにはすでに、エルスカーと息子のエールリグも縛られて転がされていました。それから──」

「待って。ありがとう、もういいわ」


 続く言葉を、素早く遮る。その先は聞く必要もないし、説明させるつもりもない。


「ではエルスカー。次はあなたの番。いい?」

「……わかった」


 妻の話を聞きながら、ようやく覚悟が決まったのだろうか。エルスカーはゆっくりと話し始める。


「オレは午前中に村を出て、まっすぐ隣町に向かった。シェリーから買い物メモを渡されていたから、買い物自体はすぐに終わった。帰りも寄り道をしなかったから、村に繋がる森に到着したのは夕方になる少し前だったと思う。歩いているとなにかうめき声のようなものが聞こえた。声の聞こえるほうに向かって歩いて行ったら、茂みの中に人狼の男が倒れているのが見えた。かろうじて生きていたが頬は紅潮し舌はだらりと垂れ下がり、一目でなにかあったのだとすぐにわかった」

「彼は人狼化していたの?」

「あぁ、それも半端な形でな」


 半端な形。と、いうことは。


「その人狼に、感情が制御できないなにかが起きたということね」

「……左肩から右の脇腹に到達するくらいの大きな刀傷があった。かすかな息づかいが聞こえたから、まだ生きているのだとわかった。助けようか迷ったが、やはり放っておくわけにはいかない。介抱しようとしたら、なぜか急激な眠気に襲われた。次に目が覚めた時にはもう、なにがなんだかわからない状況になっていたよ」


 エルスカーは肩を落とし、苦く笑っている。


「……オレは縛られていて、隣には先ほどまで確かに生きていたはずの同胞の亡骸が横たわっていた。もがいていたら、オレの右手がなぜか血に染まっているのが見えて混乱した。オレを取り囲み、罵声を浴びせてくる仲間たちに状況を説明したくても、舌が痺れてうまく喋れない。そのまま村に連れて帰られ、なにもできないまま“銀星雨ぎんせいうの刑”に処された」


 ここまで聞いた中で気になるのは『急激な眠気に襲われた』という言葉だ。可能性としては“眠り”の魔法をかけられたと考えるのが普通だが、人狼族は魔法を使えない。


「……ばちが、あたったのかもしれない」

「罰? どういうこと?」


 突然、なにを言うのだろう。


「……さっきオレは“助けようか迷った”と言っただろう。倒れていたのはレキス・ガーヴェ。こいつは恋人がいるにもかかわらず、シェリーにずっと言い寄っていた最低な人狼ヤツだ。だからオレは、あの時、見捨ててやろうかと、思って」


 段々と小さくなっていく声。一瞬でも同胞を助けるのをためらったことを、恥じているのだろう。


「そんなわけないでしょう。あなたはちゃんと助けようとした。罰なんてあたるわけがないわ。やめなさい、そんな風に考えるのは」

「……わかった」


 素直に頷くエルスカーを見て、リュスティはこっそり安堵の息を吐いた。これ以上、彼が無駄に心をすり減らす必要はない。


「困ったわね。状況はわかったけれど、なにが起きたのか、という肝心な部分がまったくわからないわ。ねぇ、殿下。あなたのご意見は?」


 リュスティはノールの横に立つイスカルドに目を向けた。


「俺は“スノーストルム”ですよ? 姫」

「そういうの今はいいですから。それで、どう思います?」


 イスカルドはおどけたように肩を竦めた。


「どう、と言われてもね。そうだな、その処刑命令を出したのは誰なのかな。人狼族は基本的に族長の一言ですべてが決まる。西の族長は、話も聞かずに処刑命令を出すような短絡的な男ではなかったはずだけど」


 確かに、族長ともあろう者が冤罪の可能性を微塵も考えていなかった、というのはおかしい。


「エルスカー。それについてはどう思うの?」

「……族長は、イエルンはオレの親友だった。王子の言うように、イエルンならオレの話を聞いてくれただろう。だがその日、イエルンは村にいなかったんだ。北の森にある人狐の里へ、会合のためにでかけていたから。オレの、いやオレたち家族の処刑命令を出したのは、族長代理のラックスだと思う」

「はぁ、族長代理、か」


 渋い顔で溜め息をつくイスカルドの考えていることが、リュスティにもわかる


 ──基本的に“代理”や“補佐”とつく役職は、自らが脚光を浴びる機会は少ない。だからふとした弾みで強権を手にした時、たがが外れてしまうことがままある。


「シェーリヘット、確か、誰かの叫び声が聞こえたあとで息子さんが助け出された気がする、と言っていたわよね? その声に聞き覚えはあった?」

「いいえ。聞き覚えがある、ない以前に、“声が聞こえた”としか……」

「……いえ、いいの。ありがとう」


 おそらく、シェーリヘットは命が尽きる寸前だったのだろう。ひょっとしたら、息子を案じるがあまりの幻聴だった可能性もある。


「大丈夫。大丈夫よ。息子さんは、エールリグくんは絶対に生きているわ」


 リュスティはそう自らに言い聞かせるように呟いた。それを聞いたシェーリヘットは、泣き笑いのような表情を浮べながらそっと腹部をさすっている。その手に、エルスカーの大きな手が重ねられた。


「オレは、妻と()を守れなかった。だから息子は絶対に守ってやりたい」

「……そうね。わたしたちの()()()()()()()()エールリグだけだものね」

「……え?」


 夫妻の言葉に、リュスティは殴られたような衝撃を受けた。


 ──そうだ。先ほど、シェーリヘットはなんと言っていた?


『風邪をひいた時なんて、薬草のリースを玄関に飾ってみんなに知らせていた』


 けれど、あの日はリースを飾っていなかった。それは、病気で体調不良だったわけではなかったからだ。


「嘘でしょ……なんてことなの……」


 リュスティはめまいをこらえるように、片手で額を押さえた。


 ウルヴ夫妻は自分たちの命だけではなく、生まれるはずだった子供の命まで失っていたのだ。


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