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「うーん、確かに第二王子殿下ということは次期国王の弟というわけですから、重要情報は知っておくべきだったでしょうね。いくら亜人種間で起きた事件とはいえ、彼らは独立国家ではないのでしょう? ということは、国土で起きた事件だ。それに関して王族が詳細を把握していないというのはいかがなものでしょうか」
ノール・フォルシュニングの鋭い指摘に、イスカルドの肩がびくりと反応する。
「ちょっと! あんた少し無神経じゃない? 王子さま、傷ついてるっぽいよ? よくわからないけどなんか見た目も繊細そうだし、やめなよ。かわいそうじゃん」
「上に立つ者に、繊細さなど不要だよ」
ノールは溜め息をつきながら、片手で単眼鏡を押し上げた。
「なっ、その言い方は酷くない? いるでしょ、上の人にだって繊細さは!」
ポラーリスは腰に両手をあてながら、長身のノールを下から睨みあげる。
「わたしが間違っているとでも? ポラーリス・ベルくん」
冷ややかに見下ろすノールから、ポラーリスはそっと顔を逸らした。
「……別に、あんたが間違ってるって言いたいんじゃない。繊細な人って優しい人が多いじゃない。だから、そういう人が上にいると下の人間もあったかい気持ちになるっていうか、だからそういう人もいていいんじゃないかなって思っただけ」
ノールは一瞬両目を瞬かせたあと、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「やれやれ、きみはわたしよりもずいぶん後の時代に生まれているようだが、どれだけ呑気な人生を送っていたのだろうな。いいか? 繊細さは優しさじゃない。弱さだ」
「そ、そんなこと、ない、もん……! だって、フロストは……っ」
年下の少女に対しても容赦なく切り捨てるような物言いに、これまで強気な態度を崩さなかったポラーリスも、さすがに涙目になってしまった。
「待ってくれ。彼の言う通りだよ、俺が無責任だった」
そこへイスカルドが静かに割って入り、ポラーリスとノールは驚いたようにイスカルドを見ている。
「俺はもっと興味を示すべきだったんだ。報告を受けた時、詳細を調べていれば介入できた可能性は高い。少なくとも、彼の家族を巻き込むことだけは防げたかもしれないのに」
項垂れるイスカルドを見て急に気まずくなったのか、今の今まで言い争っていた二人は同時に顔をうつむけた。
それまで黙って見守っていたリュスティは、両手をぱん、と打ち鳴らし重苦しい空気をなかば強引に断ち切る。
「すでに起きたことを蒸し返しても仕方がないわ。皆さん、まずはそのボロボロの服をどうにかしましょう。ひとまずどこかに宿をとって、そこで洋服の寸法を測らせてもらう。夜が明けたら私が買い物に行ってくるわね。それから殿下、あなたは聖堂の棺桶の中にお戻りください。真犯人を見つけ出したら、必ずもう一度会いに来ますから」
「……嫌だ」
「ご理解いただけて良かっ……はい? 今、なんとおっしゃいました?」
「嫌だ、と言ったんだよ。俺も人狼の村に行く」
イスカルドはリュスティの返答を待たず、ガチャガチャと音を立てながら死出の旅路用にあつらえられた鎧を脱ぎ始める。
「ちょっと、いえ、駄目に決まっているじゃない! 私の話を聞いていた? 殿下が見つかったら我々が困るんです! それに、人狼族は王族の顔を知っているのよ?」
リュスティは懸命に抗議する。
「大丈夫だよ。鎧は棺桶の中に置いていく。葬儀まで俺は誰の目にも触れることはないから、棺桶の中が空だとばれることはまずない。人狼族の村では、そうだな、髪を隠して行動すればいいんじゃないかな。染めるという手もあるけど、場合によっては俺が同盟の交渉に携わっていたイスクレムのふりをすることもできるから染めないほうがいいと思うんだよね」
まったく話を聞こうとしない。リュスティは思わず頭を抱えた。
「いえ、本当にもう、そういうのはいいから」
「あ、ねぇ、人狼のエルスカーくん。ちょっと聖堂に忍び込んで、この鎧を棺桶に戻してきてくれない?」
うろたえるリュスティをよそに、イスカルドは脱ぎ捨てた肩あてや胸あて、足の部分を保護するプレートを指差した。
「王子殿下のご命令であれば、と言いたいところだが、今のオレはリュスティさまにより蘇った存在だからな。リュスティさまの命令以外には従えない」
腕組みをしたまま、ぷいっと顔を背けるエルスカーを妻のシェーリヘットが不安そうに見上げている。
「……忠実だなぁ。こんな頑固な者ばかりいるんじゃ、人狼族との交渉が難航するわけだ」
イスカルドはおどけたように肩を竦めている。リュスティはそんなイスカルドの前に立ちはだかり、この先は通さない、とばかりに両手を広げた。
「本当に申し訳ございませんが、殿下をお連れするわけにはまいりません。どうかわがままをおっしゃらないで」
「義姉上はなにを心配しているのかな。あぁ、イスクレムがいるのに俺と行動をともにするなんて、と思っているとか? 大丈夫だよ、イスクレムは不貞だなんて絶対に思わないから」
リュスティは深い溜め息をついた。
「そんなこと、気にしてなどいないわ」
「あ、じゃあ、あれかな? 聖堂内の狼藉者に対する結界については気にしなくていいよ。亜人種の魔力は弾く対象に入っていないからね。だからむしろ、この中ではエルスカーくんが最適」
エルスカーは困ったような顔でリュスティの指示を待っている。リュスティは深く溜め息をついた。もう、彼の説得は諦めるしかない。これ以上、ここで押し問答を続けて時間を無駄にするわけにはいかない。
「仕方がないわね。エルスカー、お願いできる?」
「わかった。任せてくれ」
返事と同時に、エルスカーは大きく深呼吸をした。
バキバキ、という音とともに筋肉が隆起し指先は鋭い爪に変わり、顔の骨格が変わり始める。銀灰色の毛が全身を覆い、耳は三角形に立ち上がり、目は鋭く光る金色に輝いていた。背骨も伸びて肩幅が広がり、足も狼のようにしなやかに太くなっていく。
あっという間に、エルスカーは二足歩行する巨体の人狼へと変身する。
それは威圧的でありながらも、どこか優雅さを感じさせる姿だった。
「まぁ、人狼族が変身するところを生まれてはじめて見ましたわ」
「私も。すごく幻想的で美しいのね」
リュスティとスティエルネは思わず感嘆の声をあげる。
「そうか? 通常の人間族には見苦しいものだと思っていたが。では、直ちに任務を遂行してくる。シェリー、すぐ戻るから、ここで待っていてくれ」
「えぇ。いってらっしゃい、エル」
妻に優しい笑みを向けたあと、エルスカーはイスカルドが無造作に放った鎧をすべて抱えあげる。そして大地を蹴り、疾風のごとくあっという間にその場から消えた。
「……あんなに素直で誠実で愛情深い人が、仲間を殺めたりするはずがないわ」
リュスティはぽつりと呟く。
もしかしたら、人狼の若者を殺しエルスカーを罠にかけて罪を着せ、さらにイスカルドをも手にかけた犯人は同一人物かもしれない。
それなら、なおさら人狼族の村に行くことには意味がある。
「真犯人は、人狼族の誰かなのかしら……?」
リュスティの独り言に、イスカルドが反応した。
「それを判断するのは時期尚早じゃないかな。ひとまずはウルヴ夫妻の息子を救出に行こう。それからエルスカーくんの冤罪も晴らさないとね。そうすれば義姉上の冤罪も晴らす方法が、きっと見つかるはずだから」
そう言うと、イスカルドは鎧の下に着ていた上質なシャツのボタンを一つ一つ手で千切りはじめた。
「……あなたは本当に、それでいいの?」
「いいよ。というか、そうしたい。亜人種たちと同盟を結びたければ、相手の出方をうかがうだけではなくもっと積極的に介入すべきだったんだ。俺はその責任を取りたいと思う。はい、義姉上。これも路銀の足しにして」
イスカルドはすっと左手を差し出した。大きな手のひらには、瑠璃石で作られたボタンが六つほど転がっている。
星屑のような銀の煌めきを見せる深い青の石はかなり値の張る上質な石だ。売ればかなりの額になるだろう。
ここまでの決意を見せられたら、これ以上反対するわけにはいかない。それに、彼の気持ちもよくわかる。
「わかりました。ありがとうございます、殿下。ただし、今後はなにがあっても私の指示には従っていただきます。よろしいですね?」
「もちろん。俺が義姉上の忠実な番犬になりますよ。シルヴェル殿のグルドには及ばないでしょうけど」
「あら、グルドと比較すること自体がおこがましいですわ」
半目で睨みつけながら言うと、イスカルドはお腹を抱えて笑った。リュスティはなんともいえない気持ちでその様子を見つめる。
「……私は、これまであなたのなにを見ていたのかしら」
「ん? なにか言った?」
「いいえ、なんでも。じゃあ、エルスカーが戻ってきたらすぐ移動しましょう」
そう告げた直後、リュスティの深緑の瞳が聖堂の方向からこちらに向かって駆けてくる黒い影を捉えた。
「もう終わったの? 人狼族の身体能力の高さは尋常ではないわね。では皆さん、そろそろ行きましょうか」
エルスカーが合流したところで、リュスティは出発の号令をかける。と、そこで聖女スティエルネが片手をあげた。
「お嬢さま、ちょっとよろしいですか?」
「なぁに? どうかした?」
「はい、わたくしの棺桶からともに埋葬されている荷物をとってきてもよろしいですか? 司祭さまからいただいた、思い出の鉄球なんですの」
──“思い出の鉄球”という言葉をはじめて聞いた。
そう思いながら、リュスティは顔色一つ変えず許可を出す。
「素敵な思い出ね。いいわ、とってきて」
「感謝いたしますわ」
スティエルネは微笑んだあと、己が這い出してきた墓穴にひょいと飛びこんでいった。死者たちは聖女の墓穴の縁に立ち、興味深そうに中を覗いている。
リュスティは一人、その光景を遠巻きに見つめていた。
人は人生の中でなにかを失い、なにかを得る。
自分は一体なにを失い、そしてなにを得たというのだろう。
己が復活させた“死者の軍団”を前に、リュスティはこの日はじめて“運命が持つ重さ”というものを身をもって知った。




