⑥
「だ、第二王子殿下……!?」
「いやー、すごいことになっているね」
そこにいたのは、死んだはずの第二王子イスカルド。
「久しぶり、未来の姉上」
イスカルドはリュスティのもとに歩み寄り、右肩にぽん、と左手を乗せる。
「……っ!? な、なぜ、どうして、どうしてあなたが!?」
リュスティは息が止まりそうな衝撃に襲われた。わけがわからない。一体どうして、彼が復活しているのだ。
「どうして、って、言われても。俺たち王族が死んだら葬儀までの間、遺体はまず聖堂に置かれるというのは義姉上も知っているでしょう?」
「し、知っているけど、私が言いたいのはそういうことではなくて」
「俺も驚いたよ。だって聖堂内部は四つの小部屋で王宮魔導士が“俺の遺体”を守るために結界を張っているはずだからね。まぁ結界は聖属性だし義姉上の闇属性がそれを上回った、それに加えて“死者蘇生”を使った範囲が思ったより広かったってことなんじゃないかな? いやー、棺桶から音を立てずに抜け出すのは大変だったよ」
呑気に笑うイスカルドは古来より続く王家の慣例に則り、白銀の鎧を身に着けている。これは“高貴な魂を狙う悪鬼”から身を守るためだ。
「え、なになに、王子さま? やだぁ、いい男じゃない」
復活したあと、真っ先に話しかけてきた美女が駆け寄ってくるなり無遠慮にイスカルドの腕に触れた。
「……やめなさい。無礼よ」
リュスティは不快を隠しもしない声で咎める。
「いいじゃない。死んだら庶民も王族も同じ人間に戻るだけなんだから」
美女はふん、と鼻を鳴らした。
「あら、意外とまともなことを言うのね。それならさっき、話をきちんと聞いてくれていたら良かったのに。まぁ、あなたも馬鹿な公爵令嬢と行動をともにしたくはないでしょう。ではさようなら。名前も知らないし、知りたくもない皆さん」
「え、どういうこと?」
きょとん、とした顔の美女を気にすることもなく、リュスティは右手を無造作に振った。
途端に美女と刺青男、そして白髪の老人と背広男がぴたりと動きを止めた。そのまま、四人は声をあげることもなくボロボロと崩れ落ちていく。
「うわっ! どしたの、こいつら。骨になっちゃったじゃん」
ポラーリスが驚愕に顔を歪める中、四人の肉体は完全に崩れ、ついには古びた衣服に絡まった白骨が四人分、積みあがっているだけになった。
「蘇らせた魂を肉体から抜いただけ。彼らは罪人墓地で眠っているのが相応しい人たちだったから。彼らはかなり昔の時代に生きていたみたいね。だから魔力で構築した肉体が崩れてしまった」
リュスティは肩を竦めた。
「お嬢さま、ではなぜ、わたくしたちは土に還されませんの?」
スティエルネの質問に、リュスティは答える。
「役にたってくれそうだし、なによりも不思議に思ったから、かしら」
「不思議に? なにを、ですか?」
「なぜ、あなたがたが罪人墓地に葬られているのか。そこに違和感を覚えただけ。皆さんの過去はまたゆっくり聞かせていただくとして、第二王子殿下」
イスカルドは左耳の耳飾りを弄りながら眉をひそめている。リュスティはまるで他人事のように呑気な振舞いを見せるイスカルドをきっと睨みつけた。
「うわ、怖いなぁ。なんでしょう? 未来の義姉上」
「その言いかたは止めてくださる? 実はね、私の能力について王家にも伝えていないことがいくつかあるの。それは“この世になんらかの未練がある者しか復活させられない”ということ。殿下、あなたにはどんな未練があったというの?」
イスカルドは一瞬目を見開き、やがて芝居がかった動きで肩を竦めた。
「王家に“死者蘇生”について申告していない部分があるなんて、問題発言ですね。それはともかく、未練がない人間のほうが少ないと思いますよ?」
リュスティは頷く。
「えぇ、それはそう。でも“まだ死にたくない”という思いと“もう一度生きてなにかを成し遂げたい”と思う気持ちは似て非なるものなの。それが良いことにしろ悪いことにしろ、ね」
そこで、ちらりとうず高く積もった“悪の土塊”に目を向ける。
「彼らは特殊な人たちね。おぞましい目的を達成できなかったことを、心から後悔をしていた。ああいう人間を理解するのは難しいわ。……でも、あなたは違う」
死者たちはみな、興味深そうにイスカルドとリュスティを見つめている。ただ、エルスカーだけはどこか妙な顔つきで首をかしげていた。
「それはそうだろう。自分が死んだ理由もわからないんだから、未練を残すなというほうがおかしい」
「……待って、死んだ理由がわからない? 殿下、貴方はその、ご自身が亡くなった時のことを覚えていらっしゃらないの?」
「うん、まったく」
「では自殺ではないということになる。でも、犯人の顔は見ていない?」
「見ていないね」
「殿下は、普段行かない場所にお散歩に行かれたとか。それはなぜですか?」
「さぁ、どうだったかな。というより、前後の記憶が曖昧でね」
こめかみを人差し指でとん、と突きながら、へらへらと笑うイスカルドを前にリュスティは額を押さえた。
「どうしよう、そこが肝心なところだったのに……!」
イスカルドが犯人を見ていれば、その人物の名前か見た目を聞き出すだけで良かった。真犯人はあっという間に見つかっただっただろうし、意図的に彼を復活させたわけではないことを上手く王家に報告することもできた。
それなのに、死んだ理由もわからず犯人も見ていないのであれば、自分は王家の命令をただ破っただけの大罪人になる。
「……次は、私がここに墓石を並べる番かしら」
「どういうことです? そんなことより、義姉上。なぜ貴女がこんな場所にいるのか教えてもらっても?」
リュスティはふーっと深い溜め息をついた。
「……私に、第二王子殿下殺しの容疑がかけられたからです」
「へぇー……えぇっ!? 殺しの容疑!? キミに!?」
イスカルドはひどく驚いている。
「殿下のご遺体の側に、クレムが贈ってくれた懐中時計が落ちていたそうなの」
「か、懐中時計……?」
「えぇ。正確には受け取らなかった。だからどうして現場に落ちていたのかわからない。でも私がクレムに時計を突き返した場面は誰も見ていなかったし、殿下が亡くなられた時間に私が屋敷にいた、という明確な証明ができなかった。それで疑いを晴らすために真犯人を探すように命令されたの」
イスカルドは片手で顔を覆い、がっくりと肩を落とした。
「なんでそんなことに……。それは、本当に申し訳ない……」
「いいえ、お気になさらず。陛下からはモルゲンレード家の力を借りず一人でどうにかするよう求められましたので、こうして役に立ちそうな護衛を手に入れるために墓地へ来たの」
「それなら俺が陛下に言おう。少なくとも、貴女に殺されたわけではないと。それであれば貴女の疑いはすぐに晴れる」
イスカルドは顔をあげ、王宮に向かって歩き出した。リュスティは落ち着いて手を伸ばし、イスカルドの右肘をつかむ。
「それは駄目。私は陛下から第二王子殿下の魂を冒涜するなと言われているの。殿下を復活させてしまったのは予想外の偶然だけど、ただでさえ疑われている私が信じてもらえるとは思えません。それに、命令に背いたことがばれたら私を取り巻く“すべて”が責を負わされる」
「しかし、では、これからどうするつもりなんだ?」
リュスティはそれには答えず、ウルヴ夫妻に身体を向けた。
「ウルヴご夫妻。いえ、これからは名前で呼ばせていただくわ。あなたたちにも私を名前で呼ぶことを許可します。エルスカー、息子さんが生きているというのは確かなの?」
「あぁ、妻がそのように言っていた」
リュスティは妻シェーリヘットに視線を移す。シェーリヘットは夫にしがみついたまま、小さく頷いた。
「……銀の矢が降り注ぐ中、夫は私と息子に覆いかぶさり自身が息絶えるその時までずっと守ってくれました。ですからそのあとに起きたことを知っているのは私だけになります。夫が動かなくなった直後、誰かの叫び声が聞こえ私の下から息子のエールリグが引き出されたのがわかりました」
「なるほど、わかったわ」
どちらにしても、イスカルドが蘇り動いている姿を誰かに見られるわけにはいかない。
今は一刻も早く身を隠さなくてはならないし、ここはエルスカーの願いを叶えるついでに人狼の村で潜伏するのが最善策だろう。
イスカルドの遺体が、エルスカーたちの処刑される原因になった『人狼事件』の現場とも近いのも気になるところでもある。エルスカーの冤罪を晴らすために人狼事件を調べることで、真犯人に繋がるなにかを得られるかもしれない。
「では、準備を済ませたらすぐに人狼族の村に向かいましょう。あなたたちは確か、西の人狼族よね」
「いいのか!? 感謝する、リュスティ嬢!」
エルスカーは大地に膝をつき、リュスティに頭を下げた。リュスティは少し驚く。誇り高い人狼族が人間に頭を下げるなど滅多にないことだ。
「ちょ、ちょっと待って、義姉上。話がまったく見えないんですが? どうして人狼族の村に行く話になるのかな。今はどうにかして義姉上の疑惑を晴らすべきでは?」
イスカルドは困惑と焦りの混じった眼差しをリュスティに向けてくる。
「私の疑惑は第二王子殿下殺害犯を見つけるまで晴れることはありません。それに私の勘なのだけど、人狼族の村になにか手がかりがありそうな気がするの。ご心配なさらないで、殿下。あなたはひとまず聖堂へお戻りくださいな」
「え、ど、どうして俺だけ聖堂に?」
リュスティは右手を差し出した。
「殿下を元のご遺体にお戻しいたします。復活がばれるとまずいので殿下を連れ回すわけには参りませんが、人狼族の村へ行くにしても殿下のお顔は人狼族にばれている。御身になにかあっては困りますので、聖堂でゆっくりお休みいただければと思います」
イスカルド殺害が人狼事件とどうかかわってくるのか皆目見当がつかないし、どちらにしても広く面の割れているイスカルドを連れて歩く利点はなにもない。
「だから待ってくれよ、義姉上! まだ俺の質問に答えてくれていないだろう。なぜ、人狼族の村へ行く必要がある?」
「それはこれからご説明いたします。殿下は“人狼事件”についてはご存じですよね?」
「あ、うん、生前のことだからね」
「その犯人とされた人狼は家族ごと処刑されました。処刑の場にはまだ十一歳の息子さんも引きずり出された。その息子さんが生きているかもしれないとなれば、行かないわけにはいきません。もちろん、それだけではないわ。殿下のご遺体はその人狼事件の近くにあった。なにか関連があるかもしれません」
「えっ!?」
激しく驚くイスカルドに内心で首を傾げつつ、リュスティは話を続ける。
「父は処刑の場に子供がいることまでは話してくれませんでしたが、今思えば私にショックを与えないためにあえてその情報を伏せていたのだと思います。……人狼族は同族殺しに厳しいとは聞いていましたけど、まさかここまでとは思わなかったわ」
「ちょ、ちょっと待って、くれ。子供も、処刑されるところだったのか……? じゅ、十一歳の子供が……?」
イスカルドは口元を押さえ、うずくまってしまった。白銀の鎧に包まれた身体は、ガタガタと震えている。
「……まさか、ご存じなかったのですか?」
「聞いていない。そんなことは聞いていない……!」
リュスティは手を伸ばし、震えながら頭を振るイスカルドの肩にそっと触れた。
「人狼族の内部で起きた出来事ですから、王族がそこまで詳しい情報を知る必要はありません。殿下がお気に病まれる必要はないと思いますよ」
「違う。……俺は、知らないといけなかった」
こういう時、なんと声をかけるべきなのだろう。リュスティはたまらず、救いを求める視線を周囲で佇む死者たちに向けた。




