第二王子イスカルドの死
眠っていたリュスティは、扉を激しく叩く音で目を覚ました。
「ん……なに?」
眠い目をこすりながらベッド脇の置時計を見ると、時の針は五時を少しすぎた時間を指している。
「お嬢さま! 早朝に申し訳ございません、緊急事態でございます!」
「え、緊急事態!?」
切羽詰まったようなメイド長フェリの声に、まだぼんやりとしていたリュスティの頭がたちどころに目覚めた。
「いいわ、入って!」
言いながら、ベッドから急ぎ飛び出す。
その直後、部屋の扉が開きフェリが駆けこんできた。
「ちょっと、どうしたの!? なにがあったの? もしかして、お父さまとお兄さまになにか!?」
父と兄は軍人だ。なにが起きてもおかしくはない。
「いいえ、いいえお嬢さま! 第二王子殿下、イスカルド第二王子殿下のご遺体が森の中で見つかったと……!」
「え……?」
──遺体? 森の中? 第二王子殿下の?
「ちょっと待ってよ、どういうこと?」
「その、先ほど旦那さまと坊ちゃまがお話しされている内容から察しますと、第二王子殿下は昨日の早朝、森へ散歩へ行かれたそうなんです。ですが昼食、夕食のお時間になってもお戻りになられなかったために捜索に向かったところ、今朝がたになって変わり果てた殿下を発見したと……!」
「そ、そんな……」
リュスティの脳裏に飄々としたイスカルドの姿が過る。王妃主催の夜会が、彼と話をした最後になってしまった。
「私、王宮へ行くわ。急いで黒のドレスを準備して」
「は、はい、かしこまりました。ただちにご用意いたします」
リュスティが黒のドレスに袖を通し、王宮へ向かおうと準備をしていると、父と兄が揃って部屋に入ってきた。二人の表情は固く、緊迫感が漂っている。
「リュスティ、大事な話がある。落ち着いて聞いて欲しい」
いつもは快活な父の声が、今はひどく重苦しく聞こえる。兄はそんな父の横で目を伏せ、両の拳を握り締めていた。見たこともない二人の様子に、次第に得も言われぬ不安が湧きあがってくる。
「お父さま、大事な話とはなんでしょうか.。第二王子殿下の訃報でしたら、たった今フェリから聞いたところです」
父オスカは、ゆっくりと首を横に振った。
「……そこではない。第二王子殿下の死にお前が関わっているのではないかという話になっているんだ。もちろん、我々はそんなことを信じてはいない」
リュスティは予想外の内容に仰天した。
なぜ、自分にイスカルド殺害容疑がかけられたのか、まったくわからない。
「な、なぜ、どう、どうして」
動揺のあまり、言葉が上手く出てこない。
「第二王子殿下の遺体の側に、懐中時計が落ちていた。金の鎖にサファイアがあしらわれ、蓋の裏には王太子殿下の紋章とお前の名前が刻まれていた。この懐中時計の存在が、状況を複雑にしている」
苦悩の表情を浮かべる父。リュスティは眩暈を起こしそうになっていた。
「待ってください、お父さま! その懐中時計は確かに昨日、王太子殿下が私に贈ってくださったものです。でも私は愚かなわがままで殿下に時計を突き返してしまったの。ですから、時計を受け取ってはいません!」
「あぁ、それならフェリから聞いている。おそらく、王太子殿下の手元から時計を盗み出した何者かがお前に罪を着せるため意図的にそこへ置いたのだろう。だがこれはすべて推測にすぎない。疑いを晴らすために、国王陛下の前で今一度その時の状況を説明する必要がある。できるな? リュスティ」
「もちろんです。お父さま」
リュスティは力強く頷いた。
父と兄の顔色を見る限り、説明する、というよりは向こうの尋問に答える感じになるのだろう。リュスティを召喚するのに役人ではなく家族を寄越したことで“容疑者扱いしているわけではない”と言いたいのかもしれないが、国王夫妻の心情的には複雑なものがあるに違いない。
だが、焦る気持ちはまったく起こらなかった。
自分が懐中時計を受け取らなかった現場にはフェリ以外にイスクレムの護衛官も数人いたし、彼らが見たことをそのまま証言してくれれば、疑いはすぐ晴れることだろう。
「贈り物をその場で返すなんて最低の行いだったけど、こうなってみると不幸中の幸い、としか言いようがないわね」
溜め息をつくリュスティは、ふと視線を感じて顔をあげた。
使用人たちへ忙しく指示を出す父の後ろで、兄が蒼白な顔のままリュスティをじっと見つめている。
「お兄さま? 大丈夫ですか?」
リュスティが声をかけると、兄はびくりと身体を震わせた。
「お兄さま?」
「……リュスティ。お前はなにがあっても絶対に俺たちが守る。すでに姉上にも報告の使いを出しておいた。いいか? なにがあっても、絶対に心を折るな。家族を信じろ」
「はい、それはもう、わかっております、が……」
どうしたのだろう。珍しく兄の歯切れが悪い。
と、困惑するリュスティの肩がいきなり兄に抱き寄せられた。
「王太子殿下の口添えは期待するな。殿下はご遺体を最初に発見された。そのショックで口を利くこともできず、今は自室に閉じこもっていらっしゃる。王妃陛下ですら、お会いになれる状態ではないんだ」
「え、クレムが第一発見者なのですか!?」
「あぁ。戻らない第二王子殿下を心配して自ら手勢を率いて捜索に向かわれた。それで」
「そんな……」
見た目がそっくりな二人は、性格や色々と反対な部分はあるがとても仲の良い兄弟だった。
忙しい仲、自分で探しに行くくらい己の半身を大切に思っていたイスクレム。もう二度と言葉を交わすことのない、無残な兄弟の姿を見て優しい彼はどんなに傷ついているだろう。
「いいか、リュスティ。なにを言われても、お前はただ潔白だけを口にし続けろ。わかったな」
「はい、わかりました」
もちろん、そのつもりでいる。だが、兄の顔色は悪いままだ。
「お兄さま?」
「クソッ! なんでこんなことに……! リュスティ、少し前に人狼の若者が同族に殺された事件があっただろう? 第二王子殿下のご遺体がみつかったのは、ちょうどその人狼が発見された場所にかなり近いところだった。普段、第二王子殿下はそんなところに行くことはない。だから発見が遅れた」
兄の懸念が、ぼんやりとだが見えてきた。それに伴い、指先が冷たく冷えていく。
「……陸軍総督の娘なら人狼事件の詳細を、事件現場を知っていても不思議じゃない。そして王太子の婚約者なら、第二王子を呼び出して害することなど簡単。特に私は、死者を操ることができるから」
「あぁ、そうだ。正直なところ今、お前が置かれている立場はかなり悪い」
リュスティは口元を押さえた。
兄の言う通りだ。ただでさえリュスティは属性とその能力のせいで国王夫妻からの印象は良くない。それなのに、唯一味方でいてくれるイスクレムがいないのではよほど気を引き締めておかなければ、なし崩し的に犯人にされる可能性もある。
「肝に銘じておきます。どちらにしても、明日には王宮に行くつもりでしたからちょうど良かったわ」
イスクレムの様子も気になる。
とにかく、一刻も早く疑惑を晴らして彼に会いに行かなければならない。
リュスティは自分にかけられた第二王子殺害疑惑よりも、愛する婚約者のことがただひたすら心配だった。




