言葉のモノリス
本棚劇場はイイぞ
一時間以上の間、武蔵野線に私は揺られている。揺籠ほど心地は良くないが、車窓の外を左から右へと流れていく景色は、簡素な住宅が不規則に現れては視界から消え、郊外の絶妙な緑色が街を装飾し、艶と明暗のよく書かれた三次元的な紙芝居の様だった。
私は東所沢に向かっていた。いい歳した大人になって上京した私は、つい最近その地に読書家としては垂涎ものの施設があると風の噂で聞いたのだ。
その場所の名は、角川武蔵野ミュージアム。図書館、美術館、博物館が融合した全く新しいコンセプトの文化複合施設で、ところざわサクラタウンのランドマーク的存在だ。アート、文学、博物などのジャンルを超えてあらゆる知を再編成した、世界で他に類を見ないミュージアムと聞いている。
そして何より私にとって重要なのは、そのミュージアムにライトノベルや漫画も含めて約8.2万冊もの書籍が所蔵及び展示されているという点にある。私はデジタル上のみで活動する創作家で、最近は主に小説の執筆に熱心だった。そんな創作に身をおもねる者ならば誰もが通る事象がある。そう、アイデアやネタが尽きてきたのだ。そこで私はこれ幸いと、このミュージアムで何か斬新なアイデアのきっかけでもいいから探り当てようと息巻いていた。暖房の効いた車内に座って、まだ昼の10時前後だというのに雑な眠気が瞼と意識を床へ引っ張っている。
だが、睡魔は一足遅かった。電車が東所沢駅に到着したのである。私は電車を降りて階段を上がった。通路の壁には、アニメ調のポップなイラストが28mもの区間を埋め尽くしていた。流石はポップカルチャーの街である。改札を通り振り返れば、駅舎前面は本棚の様な白を基調としたシックなデザインが施されていた。カルチャーの発信地であることと観光地であることをデザイン的に押し出していて、むしろ快い。
私は駅のデザインに関心を示した後、北へと歩道を歩いていった。カルチャーの街と言うからもっと秋葉原に近い風景だと思っていたが、実際は何ら変哲のない市街地だった。それはそうだ。元々は普通の街だったのだ。そこをいきなりポップカルチャーに改造しては、住民の理解を得られるとは思い難い。
だが、所々にその片鱗は見えていた。例えばマンホール。ライトノベルのキャラクターがデザインされており、細やかなところで街がカルチャーを主張していた。マンホールを踏めば魔法にかかったのか、私の目には東所沢は唯の市街地には見えなくなっていた。きっとそれは錯覚に他ならないのだろうが、私はその錯覚とやらから目を覚ます気は更々なかった。
マップによれば、西松屋を左に曲がれば辿り着くらしい。私は地図通りに左に曲がると、所沢さくらタウンへと続くように存在する公園が見えた。森のような鬱蒼としたものではないが、少し肌寒い風が吹き抜けながらも子供達の声が絶えなかった。雪駄がアスファルトをざらざらと擦る音を響かせながら公園の中心を通過する。長方形ながら公園は意外と短くて、長さを自覚する間もなく横断歩道に差し掛かった。二人の誘導員が絶妙に通る車と我々歩行者を誘導する。
渡ってすぐの階段を登る前から、私が求めていた建物は姿を見せてきていた。地上5階建ての予想よりも大きな前衛的建築物だ。ここ武蔵野台地は世界でも類を見ない、4枚の地殻プレートの衝突によって隆起したと聞いたことがある。その隆起した大地の中から、未知の文明が残した巨大なモノリスのように聳え立つそれに、私は感覚的に圧倒されていた。外壁に黒と白の斑が入り混じる、70㎜もの厚みの花崗岩を2万枚も用いられており、花崗岩は表面を割れ肌仕上げとし、隣り合う石のジョイントには通常行われるような凹凸を揃える加工はせず、割れてできた凹凸のまま段差を残すことで、大地の力強さと1枚の石がそれぞれ独立して浮遊するような軽快さが表現されていた。まさに文化の巨石と言える建築だ。すぐ側を水盤が囲むように敷かれ、微妙に揺らぐ反転世界が限定的な第二世界を顕現させていた。
そんなミュージアムの向かい。巨石を磐座とし、石の荒々しさとの調和を図った、製造・オフィス棟の、粗いアルミエキスパンドメタルのフェンスで囲われた境内をもつ武蔵野坐令和神社は、流造りと妻入りが共存し、女性の神を示す内削ぎと男性の神を示す外削ぎが併置されていた。月並みな言葉だが、鳥居がなければ神社だなんて認識ができないくらいに現代的な神座だった。
自動ドアを通りミュージアムの中に入れば、現代アートのようなハイ・カルチャーとアニメのようなロー・カルチャー、モノとコトが撹拌され、従来の二項対立を超越した未来的迷宮のようなデザインが空間を包んでいた。私から見て左奥に受付が見えたが、事前に電子入場チケットは購入してあったので通り過ぎ、先に一階へと下ることにした。事前に調べなければ混乱するだろうが、この施設は2階に出入り口とエントランスが存在する。このようなややこしさがあるのは、一階となる特別展フロアやマンガ・ラノベ図書館が地下ではなく地上にあるからだ。私も最初に知った時は、少し頭が混線した記憶がある。
下から順に楽しみたいのが私のやり方だ。特別展には興味がなかった私は、そのままマンガ・ラノベ図書館へと向かった。ここでは入場でチケットを見せて入るのではなく、各フロア又は部屋に入る度にチケットの提示が必要となるのだ。
男性のスタッフにスマホの画面を見せて中に入る。先に見えたのは壁の本棚に並んだ漫画だった。私はこの時既に漫画から小説に趣味がシフトしていた時期で、漫画などは決まったものしか買わなくなっていた。それでも興味深いことには変わりなく、むしろ懐かしいが読んだことのない漫画までもが読み放題だった。読んだことのないアニメの原作などは、特に私を惹きつけた。
30分ほどだろうか。あらかた軽く興味あるものを読み終えた私は本を返却ボックスに入れると二階へと続く階段を登った。登り切った瞬間から、吹き抜けの手すり部分を除いた全ての壁が文庫や単行本で埋め尽くされていた。ここはどうやらライトノベルが展示されているらしい。本当なら時間の限り読みたいところだが、私の体力と時間は有限だ。そこで私は、ライトノベルのミステリーを重点的に読むことにした。その理由は、私も似たような執筆活動をしていたからだ。当時アンフェールという推理小説をWebで連載していた私は、他作家がどのような書き方や表現、言葉を使うのか知りたいと思っていた。だが、ライトノベルとは中々偏ったジャンルがひしめき合っており、その大半が青春や恋愛、ファンタジーであったと、正確に数えたわけではないが体感で私はそう感じた。
それでもやはり所蔵数の中には確かにミステリーは存在していて、私の創作活動の最初の足がかりにはぴったりだった。私が書く小説は、頭のおかしい探偵による推理×バイオレンス×メタといった、奇妙極まりない小説だ。だが昨今の独創的かつ自由なキャラクターはかなり減っている。私の小説の主人公に並べる器の持ち主は、デッドプールかデンジくらいしかいないのではなかろうか。だから私は敢えて尖った小説を書いたのである。そのためには、まともな主人公など何の力にもなりはしないのだ。とにかく尖った個性が必要不可欠なのである。正直、先人の中にそのような小説を書いていた人間がいるかは期待していなかったが、ミステリーとしての書き方は学ばせてもらった。このように学んで初めて、ミュージアムとしての責務が果たせたと言えるだろう。
図書館を出た私は、3階を飛ばして4階までエレベーターで上った。3階は私が買った普通のチケットでは入れないため、このミュージアムの大目玉とも言える4〜5階を拝ませてもらった。扉が開いてすぐ、そこには構造用合板による霞棚のような本棚が、脳の構造のように縦横無尽に展開し、さまざまなジャンルの書籍やオブジェを立体的に繋ぐL字の空間があった。まるで書院造の違い棚である。理路整然とされていないからこそ、世界に溢れる言葉や知識が表現されていると、私には少なくともそう感じられた。
―――これだ。この雑踏が街を街たらしめているのだ。―――
9つに分類された図書街の歩道を歩いていく。まず目に留まったのは、存在は知っているが一度も読んだことのない「海底2万マイル」だった。東京ディズニーシーで飽きるほど乗ったことのあるアトラクションの原作に出会ったからには読まなければならない。そんな使命感に似た感情が私に本を手に取らせた。
怪物を探しに行く主人公たち、ノーチラス号とネモ船長、深海の怪物やヒューマンドラマ・・・。私がアトラクションで体感したこととはかなり違うものであったことは覚えている。あのディズニーの創作物は、童話のように子供向けにアレンジされたものであったことをこの時知ったのであった。
本を回収棚に置き、再び歩き始める。二手に分かれる道があった。右は童話の特集、左はさっきと変わらずメインストリートだ。私は左に行くことを選んだ。左の壁には、ロシアの共産主義や近代ドイツの本が見えたので、世界の歴史や文化に関する本棚なのだろう。右を見れば哲学・宗教・数学・科学の本が芸術的な乱雑さを見せていた。ふと見えたサルトルの本を取り、椅子に座って読み耽る。私も同じような実存主義に関する本は持っているが、自らの思想をこうして文字として再認識すると、なんだか己の中の鎧が強固になるような錯覚を覚えるのだ。
読み終えた本を戻し、歩き出す。場所は丁度左に曲がるL字の突き当たりで、そこには日本に特化した宗教・三島・神話などの風土的な書物で構成されていた。その時私は「アマテラスの暗号」という日本版ダ・ヴィンチ・コードのような小説に夢中になっていた。だから私は、躊躇なく日本神話や伝説が書かれた本を読んだ。特に日本神話のロマン溢れる点は、全くの架空ではないことにある。全ての人物や出来事に、何らかのモデルが存在するのだ。だから私は、現代においてそういった伝説や神話の真相を追うというロマンの詰まった小説に引き寄せられるのである。できれば、帰りにこの本を書店で買っていきたいとすら思った。
本を戻し左を見れば、ジェンダー関連や、詩歌・SF・芸術などのクリエイティブにまつわる本のゾーンが並んでいた。私は本棚を見ながら進んでいく中で、ある一つの大きい単行本に目が止まった。「ドレの神曲」だ。ダンテというイタリアの詩人が書いた名作を、ギュスターヴ・ドレという画家が挿絵をふんだんに描いた本だ。私はこの本にアイデアを見た。それを広げ、物語を理解していく。地獄の情景、罪人への刑罰、ダンテたちの道のり。それらを読み解いていく中で、私の天啓が降りた。「この文学になぞらえた殺人事件を書いてみよう」そうして生まれたのが、インフェルノ連続殺人事件だ。私は天国編を書き終えるまで、この本を手元から離すことはなかった。それほどまでに、この本は魅力に溢れていたのである。
名残惜しくも神曲と別れた私は、4階最後の場所に辿り着いた。本棚劇場という、高さ8メートルの本棚に四方を囲まれた空間だ。その棚には数え切れないほどの本が置かれており、何か神秘的なものを孕んでいた。私は壁にある小説たちを吟味しながら読み進めていくのに夢中で、突然暗転したことに肩を飛び跳ねた。他の観光客たちがある一面の棚を注視しており、これから何か始まるのは明白だった。
待っていると、本棚に白い明朝体の文字が浮かんできた。どうやらプロジェクションマッピング用のようだ。そこからは美しいものだった。本棚が燃え、過去に出版された古今東西を問わない本のタイトルが火の中に浮かび上がり、上から流れ落ちる水が火を消し、また新たな本のタイトルを浮かび上がらせた。黒焦げになった本で棚は濡羽色に変わってしまったが、そこに一条の光が差し込んだ。急に本を照らす細い光が現れたと思えば、下から瑞々しい一本の木が生えてきた。木は葉を生やし、花が色彩を加える。まるで、再生を表現しているようだった。そうして見惚れていたら、何万冊もの本が上から落ちてきて、また元通りの本棚に戻った。これで、暗転した劇場は幕を閉じたのであった。私は他の客と一緒に拍手をした。思えば、こうして映像作品を間近で見ることなんて、ここ数年なかった経験だったのだ。この興奮の対価として、ミュージアムショップで何か買っていこう。そう私は固く誓った。
歩き疲れ、本も満足以上に読めた私は、今日はもう帰ろうとエレベーターに乗って二階へと降りた。ミュージアムショップに寄り、今日の記念品を持ち帰ろうと商品棚を見て回る。私は、こういった土産物を買う時に、消耗品はあまり好まない。旅の思い出を消耗するなんて、私には理解できなかった。であれば、私は一冊だけ本を買うことにした。そこで私が選んだのは、アニメとコラボした装丁の「黒死館殺人事件」という小栗虫太郎の文庫だ。私の家にはドグラ・マグラという日本三大奇書の一つがあるが、これもその一つとして名高い小説だ。読書家としては、奇書くらい持って読まなければと思っていた私は、読んでもいないのにコレクションが増えた気がして少し嬉しかった。
本をリュックに入れてミュージアムを、ひいては所沢さくらタウンを後にした。日が地上に降りていって日没まで後少しとなっていた。地上は私が来た時よりも気温も風も寒がっていて、素足はすっかり冷たくなっていた。だが、この暗さと寒さが私にはとても風情のあるものとしか感じられなかった。故郷の新潟を思い起こさせるような、身を突く寒さと乾燥した空気だったのだ。
駅への道を歩いていれば、左側に書店が見えた。来る時には気付かなかったが、これ幸いと私は店内に入っていった。私は迷わず国内小説のコーナーに赴き、中身を読むことなく、表紙とタイトル、あらすじだけを見て回る。当時、短編や純文学を書いておらずミステリーのみを手掛けていた私の目には、せっかくの純文学も映ることはなかった。なんて勿体無いことをしていたのだろうと、これを書いている今は思う。
中公文庫の棚の前に来た時、何か電流というか、啓示というか、それに近い何かが私の脳と心をよぎった。「ため息に溺れる」という石川智健の小説が、私の目を釘付けにしたのだ。私はその本の裏に書いてあるあらすじを読んだ。ネタバレを避けるために記述はしないが、私はこのあらすじから一つの事件を思いついた。今はまだ溜まったネタを消化し切れていないため日の目を浴びていないが、いつか必ず書きたいと思う。
その本を買って外に出て、今度こそ私は東所沢駅に戻ってきた。少し暗さで明度が落ちた駅舎の外装が、また違う味を醸し出していた。改札を抜けて新松戸方面行きのプラットホームで待ち惚ける。相も変わらず風は吹いていて、私の和装の振袖や袴をはためかせた。あのミュージアムは実に良かった。また小説のネタに困ったときにでも寄らせてもらおう。上京してからの新たなお気に入りができたことに喜びを感じていた私は、熱い吐息を一つ吐いて太陽からやってきた武蔵野線の電車を見ていた。
デートで行きたいと思うのは俺だけ?