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バイオレント・ピーク  作者: 夏人
第一章 餌食の本懐
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 4


 山の入り口にたどりついた時には、空は雲に完全に覆われていた。

 雨が降ったらいやだな。折りたたみ傘は持ってるけど。

 木々の間に覗く曇天に、さっきの大きな鳥がまた頭上で回っていた。ついてきたのだろうか。

 あずさは上を見上げて叫んだ。

「もう! おにぎりは! ないよー!」

 鳥はすっと軌道を変え、視界から消えた。

 言葉が通じたのだろうか。あずさは苦笑しながら空から目を離し、登り口看板に目をやった。

『蛇神山』

 今にも腐り落ちそうな看板にそう書いてあるのが辛うじて読み取れる。流石は霊山といった名前だ。蛇の神様でもいるのかしら。

 あずさは周りを見渡した。見渡す限り、木と葉ばかりだ。結局、三島先輩の形跡を感じるようなものはここまで見当たらなかった。

 さあ、どうする。引き返すか。

 腕時計を見る。十四時になろうかという所だった。今、来た道を戻れば、きっと帰りのバスには間に合う。

 帰るのか。日常に。

 きっとバスに乗ってしばらくすれば、スマホのアンテナが立つだろう。そしたら、激怒した課長の電話がまた鳴り響く。

 わかってる。あんな仕事、辞めればいいんだ。でも、そしたら蓄えのないあずさは途端に困窮する。永遠に続く就活で今の会社にすら辛うじて入れたあずさが、入社半年で辞めて次の職がそう簡単に見つかるとは思えない。実家への仕送りや奨学金返済もある。

 何より、あずさには会社に辞表を持って行く勇気がなかった。結局、最終的な問題は自分にあるのだ。

 あずさは登山道に足を踏み出した。

 目的なんて無かった。ただ、街には戻りたくなかった。

 山道に入った瞬間、空気が変わった気がした。昨日の大雨の影響がまだ残っているのだろうか。山中は少し霧がかかってひんやりとしていた。霊山だと聞いているので、その先入観もあってか神聖な雰囲気を感じる。

 登山道も落ち葉が散乱していたが、全く誰も通っていないというわけではないらしい。所々人が踏んだ跡がある。さっき見つけた薬莢を思い出した。きっと猟師が時折訪れるのだろう。そういえば、もう猟のシーズンだ。獣と間違えられないようにしなければ。変に茂みなんかに入ってごそごそすると鹿だと思って撃たれるかも知れない。登山道を通っていれば滅多に起こることではないだろうが。

 くねくねと山肌を蛇行しながら徐々に勾配がキツくなる山道を、あずさはゆっくりと登った。途中で気が付いて、リュックの中から虫除けスプレーを取り出した。スーツの上にまんべんなく振りかける。ここまで虫に刺されてはいないが、日が傾くにつれヤブ蚊は増えることをあずさは幼少期の経験から知っていた。虫除けスプレーはリュックの外付けのサイドポケットに適当に差し込む。

 ふっと勾配を見上げる。木々が生い茂っており、さらに湿気で霞がかかっていて終わりが見えない。何時間あれば登れる規模の山なのだろうか。足下に視線を戻し、また登山道を上り始める。

 山なんて久しぶりだ。子どもの頃は祖母とよく登った。とはいえ、十年以上前の話だ。体力が無限大の子どもの頃とちがい、今はくたびれたOLだ。すぐバテてしまうだろう。そう思っていたが、息が少しあがったものの、あずさは難なく一つ目の勾配を登り終えた。伊達にこの半年、販売エリアを毎日のように駆けずり回っていないということだろう。

 勾配の上はささやかな広場のようになっており、これまた腐りかけた木製のベンチがあった。

 ちょっと休憩しよう。座れるだろうか。そう思って近づいた時、落ち葉の裏側が湿っていたのか、踏み出した足の裏がズルリと滑った。とっさに側の木に掴まる。その反動で幹に紐で括り付けられていた木札がポロリと落ちた。紐は劣化が激しく、辛うじて引っかかっていたのだろう。

 なんか悪いことしたな。そう思って木札を拾い上げたあずさは「おっ」と声を上げた。

『ミズメ/カバノキ科/【別名】梓の木』

 あずさはさっき自分が掴まった木を見上げた。これがあずさの木か。実物を意識して見るのは初めてかもしれない。立派な木だった。幹はあずさの胴体ほどの太さがあった。樹皮は灰色で横しわがあり、桜の木に似ていた。上方にはあずさの腕ほどもある太い枝が何本も伸びている。

 ふと、祖母の言葉が記憶の中から現れた。

『梓の木はね、粘り強いんだよ。折ろうとしてもなかなか折れない。そんな木だ。お前もそんな人間になりな』

 祖母はそう言ってしわだらけの手でがしがしとあずさの頭を乱暴に撫でたものだ。

 あずさは木の幹に額を押しつけた。ひんやりと冷たかった。

私、なにしてるんだろ。

 いろんな人に馬鹿にされて、さげすまれて、見下されて、それでも言い返すことすら出来ずに、こんな所まで逃げてきて。

 両の手の平を樹皮に添える。気のせいかも知れないが、わずかに震動を感じた気がした。木が、根から水を吸い上げて、懸命に生きているのが手の平を通して伝わってきたようだった。

 どれくらいの間、そうしていただろうか。ふと、背後からざくざくと落ち葉を踏みしめる音が聞こえてきた。

 振り返ってみると、山肌の上の方から、二人の男性が降りてくる。

 一人は痩せ型で、もう一人は筋肉質で大柄だった。

 自分以外にも登山客がいたのか。山頂から降りてきたのだろうか。そういえば、タケルが山頂には神社があるとかないとか言っていたな。

 あずさは木に背中を預け、ぼーっと二人が近づいてくるのを見つめていた。二人は蛇行する山道をゆっくりと下ってくる。

 そこで気が付いた。大柄な方の男性が、手に棒状のものを持っている。

 何だろうと目をこらすが、木々が邪魔してよく見えない。わかったのは、二人が広場のすぐ近くまで降りてきた段階だった。

 散弾銃だ。上下二連式。久しぶりに見た。

 なんだ。猟師さんか。

 あずさは納得して、一歩前に出て、「こんにちは」と挨拶した。

 しかし、二人は答えなかった。じっとあずさを見ている。

 そこで、あずさは二点の違和感を覚えた。

 まず、一点目。大柄な男は黒いフード付きのレインコートを着ていた。痩せ型の男は迷彩服風の上着を着ていた。猟師は普通、自身を目立たせるためにオレンジのベストを着ることが多いのに。

 もう一点。痩せ型の男が見慣れない銃を持っていた。銃の黒い砲身に弓を寝かしたようなものがついている。

 ボウガン? クロスボウ?

 矢を使った狩りは、法律で禁じられているのではなかったか。

 大柄な男がおもむろに散弾銃を腰だめに構え、銃口をあずさに向けた。

「え?」

 あずさは戸惑った。獣だと勘違いされた? バカな。

 あずさは混乱しながら、反射的に愛想笑いを浮かべた。

「あのー。私、人間なんですけど・・・・・・」

 大柄の革ジャン男は、あずさに銃を向けたまま、細身の男と顔を見合わせた。そして無言のままあずさに視線を戻す。

「お前さ」

 大柄な男はおもむろに口を開いた。

「はい?」

「バカだろ。何笑ってんの」

 二の句が継げないあずさに、男は言い放った。

「銃、見えてんだろ。逃げろよ」

 次の瞬間、轟音とともにあずさの身体は後方に吹き飛んだ。




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― 新着の感想 ―
[一言] 夏人先生の小説の中ではこれまでで一番重たい設定でした 冒頭の、殺戮者から逃げる人物の一人称が「俺」だったことから色々と察するところではあります 牝鹿かと思ったかね?馬鹿め、そいつは虎だ!
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