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バイオレント・ピーク  作者: 夏人
第一章 餌食の本懐
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 森の道はうっそうとしていた。

 林道は随分昔に作られたのだろう。地面には草木が芽生え始めていて、森の中に再び没していこうとしているようだった。

 まるで、植物が道を取り戻そうとしてるみたい。

 そんな無くなりかけている小道をあずさはてくてくと歩いた。木々の間から差し込む日光はきらきらしていて、なんだか自殺スポットを歩いているとは思えないぐらいだった。

 でも、三島先輩はここに来たんだ。

 遺書と言ってもいい登山カード。日付は一ヶ月前。

 どこかに、先輩が眠っているのかも知れない。

 あずさは四方の木々に目をやった。先輩の首つり死体なんて見たくない。でも、探さずにはいられなかった。

 しかし、すぐに思い直す。三島先輩がこんな森の浅い場所で死ぬとは思えなかった。あの人はもし死ぬのなら、もっと誰も来ないような森の奥を、もしくは山の中腹あたりを目指すだろう。

 あずさは視線を前に戻して、小道を黙々と進んだ。道を確認しようとスマホを取り出す。当然のように圏外だった。代わりに先ほどもらったポケットティッシュを出し、裏の地図を見つめる。随分大雑把な地図ではあるが、どの林道も最終的には霊山に繋がっているようだ。

 そこまで行こう。山の入り口まで。

 なんのために?

 ふと浮かんだ疑問に自分で戸惑う。本当に何をしているのだろう。私は。

 死にたいのだろうか。

 道具なんて何一つ持ってきていない。首を吊る縄一本ないのだ。これで自殺願望がどうなんて言っていたら世の自殺者の皆さんに笑われてしまうだろう。いや、もう、この世にはいないのか。

 歩を進める度に落ち葉が音を立てる。

 でも、生きたいとは思わないなあ。

 それも本心だった。

 ちらちら木々に目をやっていると自ずと気が付くことがある。まず、タケルが言っていた植物観察が盛んだったという話は本当らしい。小道沿いの木々には時折木製の看板が引っかけてあった。劣化で読み取れない物も多かったが、「コナラ」「ブナ」など、木々の名が付けられている。

 野鳥観察についても事実だったようで、木の上方の枝の上に野鳥用の巣箱と言うべきか、かわいい鳥小屋が設置されていた。それもかなりの数だ。注意して探してみると、林道の両脇の木々に数メートル間隔で設置されている。よっぽど林道に鳥を集めたかったらしい。その方が観察しやすいからだろうか。もしかしたら、野鳥ロードとでも銘打って観光地にしたかったのかもしれないなとあずさは予想した。残念ながらどれも鳥が利用している形跡はなかったが、きっと昔は野鳥愛好会のようなグループが頻繁に訪れていたに違いない。

 だが、いずれも朽ち果てる寸前だった。賑わっていたのはもう過去のことなのだろう。自殺スポットになったから人が訪れなくなったのか。寂れたからこそ死を願う者が引き寄せられるようになったのか。

 一時間も歩いただろうか。うっすらと額に汗が浮かんだところで、休憩することにした。

 そこは道が二手に分かれる分岐点だった。分かれ道の間には恐らくそれぞれの小道の行き着く先を示していたのだろう看板が置かれていたが、あまりに古いために折れて朽ちて、根元の柱しか残っていなかった。

 その脇にちょうど腰掛けられそうな手頃な岩があった。よいしょと座ってリュックを降ろす。リュックの中を開けると先ほど買ったポテトチップスがあった。どうせ味は感じないので今食べようとは思わなかった。むしろ今は喉が渇いている。脇に置いてリュックの底を探ると、試供品の水のペットボトルが出てきた。五百ミリリットルが四本。

 一本、取り出してラベルを見る。「富士の水」。富士山とは書いていないのがなんとも胡散臭い。事実、後ろに限りなく小さく記載されている生産地は富士山とは何の関係もなかった。キャップをひねり、開封すると、ごくごくと飲み下す。

 味はわからないが、以前飲んでみたときも別に美味しいとは感じなかった。そこらのスーパーでまとめ売りされている安価なミネラルウォーターとなんら変わりがない。水道水よりはまし。それぐらいの品だ。

 あずさの仕事はこれを売ることだった。何の人脈もなく、本当に飛び込み営業だ。地元のスーパーや個人商店に、この品を持って交渉するわけだ。この水、こちらで置いてくれませんかと。

 売れるわけないじゃん。こんなの。

 あずさ自身そう思ったし、飛び込んだ先の人も当然そう思った。別に美味しくもないし、かといって安くもないのだから。

 目につくお店には全てアタックし、その全てにけんもほろろで追い返された。それを上司に報告すると「売り方が悪い」とキレられた。「ちゃんと長所をアピールしてこい」と。じゃあ、この水の長所ってなんですか? 見本にちょっと売ってみてくださいと言い返す気概はあずさには無かった。

 あずさは別にミネラルウォーターのメーカーに就職したわけでは無い。入ったのは様々な商品の販売の代理を請け負う隙間産業の会社だ。だから、割と良い製品も扱ってはいる。例えば、値段のわりにかなり長持ちする手鍋だとか。伸縮性のブックスタンドだとか。それらをどのような形であれ売ることが出来れば歩合で収入が上がる。中には企業と大口契約をしている敏腕もいる。だが、どれだけ営業の才能があっても売りようがない商品の担当になったらどうしようも無い。たとえば「富士の水」だとか。

 あずさは入社直後にこの水の担当になった。右も左もわかっていない新人が捌ける品では無いのは明白だった。だが、逆に言えば経験がある営業マンでもどうしようもない品だ。じゃあ、新人に押しつけるのが合理的だと考えられたのだろう。本当は朱美さんという女の先輩とペアで動くはずだったのだが、その朱美先輩は「役割分担ね」と言ってあずさに水を押しつけ、自分はあずさのために用意されていただろう楽そうな商品を横取りしていった。その横暴とも言える行動は、朱美が上司の課長に気に入られていることで黙認された。おかげで、半年間、あずさは大量の水の在庫を抱えて日々担当区画をさまよっている。

 成田課長は四十代ぐらいの男性だった。彼の指示はこうだ。

「あずさちゃんは若いんだからさ、上目遣いでお願いしたら1店舗ぐらい置いてくれるって。その1店舗が見つかるまで、どんどんチャレンジしていこう」

 その指示通りにあずさは足を棒にしながら区画の全ての店を回り終わった。そしてその全てに断られたあずさに、課長は面倒臭そうに言った。

「じゃあ、二週目行きなよ。根気の勝負だよ」

 二週目、そしてその後に待っていた三週目は本当にキツかった。初めは丁寧に対応してくれていた商店の人たちも目に見えて対応が荒くなる。当然だ。彼らだって仕事中で忙しいのだ。同情の目を向けてくれる人もいるが、彼らも商売だ。メリットの無い品を店に置けるわけがない。

 同情してくれていた人たちでも何度も仕事を邪魔されるとバケツの水でもかけたくなってくる。実際、二度ほどかけられた。水のペットボトルを大事そうに持って水浸しで帰ってくるあずさはさぞ滑稽だっただろう。オフィスに戻ったときの、ペアの朱美先輩の笑い声が忘れられない。


 岩の上に一人座るあずさは急に怒りがこみ上げて、ペットボトルを振り上げた。林の奥に放り投げてやろう。そう思った。が、頭上に振りかぶったペットボトルからこぼれた水が頭にかかり、「ひゃっ」と声を上げて肩をすくませてしまった。自分の情けなさに笑ってしまう。

 だめだ。水に罪は無い。いや、あるのか? 

 何にせよ、林にゴミを投げ込むのは良くなかろう。プラスチックは自然に還らないって聞いたし。

 あずさはペットボトルの蓋を閉めると、リュックから保冷バッグを取り出した。中にはアルミホイルで包んだおにぎりが二個入っている。空腹は感じなかったが、きっと食べておいたほうが良いだろう。

 ちょっと大きかったかな。

 アルミホイルを剥いて、一口囓る。塩を多めにふったはずだが、やはり何の味もしない。まるで味のなくなったガムのようだ。ただひたする機械的に顎をうごかし、咀嚼し、嚥下する。

 食べることは生きること。

 じゃあ、逆に言えばだ。もしこのまま死ぬんだったら、こんな味の無いおにぎりを無理して食べなくて良いんじゃないか。

 そう思いながらもあずさは無表情でかぶりつく。

 なんだろう。折角、にぎったんだ。

 これを食べないと、吐きそうになりながらも仕事に行こうと決意しておにぎりを握った、今朝の自分がかわいそうだ。そう思った。

 無理矢理三口目を頬張ったところで、急激な吐き気に襲われた。胃がぎゅっと締め付けられたようだった。身体を丸め、なんとか腔内の味のしない米の固まりを嚥下する。すかさず、富士の水を呷り、押し流すように飲み下す。

 涙目で空を見上げる形になった。青空は徐々に曇天に覆われようとしていた。

 その空を背景に一匹の鳥が旋回していることにあずさは気が付いた。大きい鳥だ。鷲だろうか。逆光でシルエットしか見えない。

 食べかけのおにぎりとペットボトルを手に、ぼおっと眺める。鳥は延々とあずさの頭上をくるくる回っていた。

 もしかして、おにぎりを狙っているのかしら。

 あずさは岩から立ち上がると、食べかけのおにぎりをアルミホイルから取り出し、岩の上に置いた。二個目のおにぎりも同様に剥き、並べる。

 きっと鳥においしく食べてもらった方が、おにぎりも喜ぶ。

 都会でこんなことをすれば「餌付けするな」と怒られるだろうが、森の中だ。これぐらいなら構うまい。

 そう思って、少し自嘲的に微笑んでいると、つまんでいたアルミホイルがポロリと地面に落ちた。

 いかんいかん。これは環境破壊だ。

 アルミホイルを拾って保冷バッグに放り込む。その時、地面に何かが落ちているのに気が付いた。

 赤い・・・・・・口紅?

 そう思って拾い上げた単三電池より少し太いそれは、思ったより軽かった。中は空洞の筒だ。押せばぺこりと歪むほど柔らかい。プラスチックだろうか。

 しげしげと長め、あずさは「ああ」と声を上げた。久しく見ていなかったから一瞬何かわからなかった。わかってしまえばなんてこともない。

 薬莢だ。散弾銃の。



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