表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バイオレント・ピーク  作者: 夏人
第一章 餌食の本懐
46/47

30


 30


 三島香織と6年ぶりに再会したのは、高校生の時に何度も足を運んだ、あのチェーンのファミリーレストランだった。

 流石に所々内装が変更されているが、おおよそは昔と変わらない店内に驚く。

 二人だったので、テーブル席かと思いきや、香織が妊婦であったためだろう。ボックス席に通された。

「久しぶりね。あずさちゃん」

「はい。お久しぶりです」

 香織の顔は高校生のころの面影を残してはいたが、記憶よりも頬がこけていた。妊娠。借金。夫の失踪。気疲れなんて生やさしいものではないはずだ。

 それでも、香織はあずさに笑顔を向けた。

 強い人だ。そう思った。


 あずさは全てを話した。森でのこと。山でのこと。三島のこと。

 到底信じられる話ではなかったに違いない。でも、香織は静かに聞いていた。時折、大きいお腹をさすりながら。

 全てを話し終えたあずさは、三島のスマートフォンと結婚指輪をテーブルに置いた。

 それを見て、香織はふっと笑った。全てに疲れた、そんな笑いだった。

「あの人、理屈っぽいくせに、根がバカだから」

 香織は結婚指輪を手に取りながら呟いた。

「ここぞと言うときに情に流されて、見事、詐欺師にだまされちゃったの。私に相談してくれれば、こうまではならなかったはずなのにね。妊娠してるから、心配させたくなかったのかしら」

 香織は指輪を握りしめ、声を震わせた。

「失踪したときも、そう。離婚届だけ勝手に置いていって、全部自分一人で背負おうとして。全部自分で決めちゃってほんとに、ほんとに」

「バカなんだから」と香織は下唇を噛みしめ、肩を震わせた。

 あずさは、「一つ、謝らせてください」と切り出した。

 テーブルに置かれた、三島のスマホを手に取る。

「香織先輩の連絡先を知るために、スマホ、充電して覗かせてもらったんです。勝手に見てごめんなさい」

「暗証番号、単純すぎてすぐ開きましたよ」と付け加えると、香織はくすりと笑った。

「それで、香織先輩とのラインのトーク画面、開かせてもらったんです」

「ああ」と香織は声を漏らす。そして自嘲するように笑った。

「みっともなく、私がメッセージ送りまくってるでしょ。全部既読無視されちゃった」

 事実、トーク画面には香織の長文のメッセージがいくつも連なっていた。

『あなたがいないと意味が無い』

『いっしょに頑張ろう。なんとかなるから』

『パパ。帰ってきて』

 そんな言葉をちりばめて。

 その、トーク画面の最後。

 あずさはトーク画面を開き、香織に差し出した。スマホを受け取り、疲れた目でそれを見た香織が息を飲む。

 一通。最後に一通。三島からのメッセージが表示されていた。

「送信失敗」のマークが出ていた。だから、香織のスマホには表示されなかっただろう。でも、そうなることはわかっていただろうが、それでも、三島が送った、送ろうとした言葉がそこには表示されていた。

 言葉自体は短い、たったの二文。

『ごめん。ほんとごめん』

 三島の顔が浮かぶ。笑った顔も、むっとした顔も、おちこむ顔も、ばつ悪そうに笑う顔も。

『今、帰るから』

 香織の両目からボロボロと涙が、堰を切ったようにこぼれ落ちた。

「三島先輩は、香織先輩のところに、帰ろうとしてたんです」

 それは最後の最後だったかも知れないけれど。

 それは、もう、どうしようもないほど間違った後だったかも知れないけれど。

 それでも彼は帰ろうとしたのだ。

 あの暗い石室で、痛みと、寒さと、孤独と、恐怖に震えながら、それでもスマホをその手に握り締めて。

 彼は帰ろうとしていたんだ。

 香織は泣いた。「バカだなあ」そう呟きながら、その汚れたスマートフォンを両手に握りしめ、胸に押しつけて、香織は泣きじゃくった。

 そして、彼は帰ってきた。

 一ヶ月もかかってしまったけれど。

 妻と子どものもとに、三島明は、帰ってきたのだ。


 


 古びたリュックごと差し出した現金の山を、香織は受け取らなかった。

「それは、あずさちゃんが勝ち取ったものでしょう」

 あずさは首を振った。

「いいえ。三島先輩がいなければ、私は確実に死んでいました。これは先輩のおかげで得たものです。だから、受け取ってください」

 香織はしばらく黙って、そして、泣きはらした顔でにやりと笑った。

「彼なら、どうすると思う?」


 異様な光景だったと思う。

 駅前のファミリーレストランのボックス席で、お腹の大きい妊婦と、怪我だらけの女が、机にあふれんばかりの札束をならべ、きっちり二等分していく。

 間違いなくこの店史上、最大の割り勘が行われた。


 現金の山のきっちり半分を、あずさはリュックに戻し、香織はもう半分を手持ちのエコバックにパンパンに詰め込んだ。

「このお金は、この子のために使わせてもらうわ。お金があればいいってものじゃないだろうけど」

 香織はそう言って立ち上がった。

「でも、私はこの子を幸せにしてみせる」

「負けるものですか」とそう香織は言った。その相手が誰かはわからない。何かなのかもしれない。彼女の人生だろうか。それともこの社会だろうか。いずれにせよ、一人の母親の戦いが始まる。

「重いですよ。駅まで持ちます」というあずさの申し出を、香織はやんわりと、でもきっぱりと断った。

「あずさちゃん。元気でね」

 そう言った彼女の顔は、あの、あずさが知る、かっこいい香織先輩のものだった。

「はい。先輩も」

 香織は立ち去りかけて、ふと振り返って言った。

「そういえば今日よね」

 きょとんとするあずさに、香織は微笑んだ。

「あずさちゃん。誕生日、おめでとう」




 一人になったあずさは、しばらくの間、じっとテーブルを見つめていた。

 そしておもむろに、卓上の呼び出しボタンを押す。しばらくして来た店員に注文した。

「マルゲリータピザと、カリカリポテト。あと、塩とオリーブオイルください」


 熱々のピザにポテトを乗せる。上からオリーブオイルと塩をこれでもかとふりかけ、半分に折る。

 ガブリとかぶりついた。

 チーズのコクとポテトの甘みとトマトの酸味が口に広がる。オリーブオイルの香りが鼻を通り抜ける。

 もう一口。もう一口。

 あずさはピザを頬張った。上気した頬を雫が伝う。次から次へと。それでも、あずさは口を動かすことをやめなかった。食べることは生きることだから。

 しょっぱいなあ。

 口いっぱいにピザを頬張りながら、あずさはそう思った。









 二十三歳


 さあ。ここからだ。












評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ