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バイオレント・ピーク  作者: 夏人
第一章 餌食の本懐
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「くそ、くそう! くそおおおお!」

 ヒジカタは突如戻ってきた痛覚に悶えながら、トラバサミのスプリングロックを外そうと躍起になった。だが、左手の手の平にも穴が開いている状態で、細かな操作などできるはずが無かった。

 ふと周りを見渡すと、女の姿がない。どこに行った。ちくしょう。

 気がつくと、ヒジカタは叫んでいた。

「クロダあああ! 助けてくれクロダああ!」

 しかし、何の返事も返ってこなかった。

 なんでだよ。山の反対側でも、銃声は聞こえてたはずだろ。なんで来てくれねえんだよ。助けてくれよ。

 ヒジカタは逃れられない痛みと、いつ戻ってくるかわからない女への恐怖でパニックになった。狂った獣のようによだれをまき散らしながら、がちゃがちゃとトラバサミを引っ張る。しかし、より鋼鉄の歯が自分の肉に食い込むだけだった。

 ヒジカタはあまりの激痛に涙を流した。

「なんでだよ! 無抵抗の奴らを撃ち殺すだけの楽な仕事だったはずだろう! 楽しい的当てのはずだっただろ! なんでこんなことになってんだよ! ふざけんな! 話がちがうじゃねえか!」

 ヒジカタは誰に向かって言っているのか自分でもわからない悪態を叫び散らかし、そしてその声もやがて枯れた。


 ゆっくりと近づいてくる足音が聞こえた。下から登ってくる。

 彼女の手にはヒジカタの愛銃、ウィンチェスターM94が握られていた。

 ヒジカタの数メートル前で、神城あずさが立ち止まった。

 ヒジカタは震えながらあずさを睨み付けた。

 あずさはそんなヒジカタを意に介さず、ウィンチェスターの銃身をじっと見つめている。

 その様子を見て、ヒジカタは鼻で笑った。

 そうだろうな。この女がレバーアクションのやり方なんて知るわけねえ。

 ヒジカタは辛うじて動く左手で腰に差していたナイフを抜き取り、左手ごと背中に隠した。

 女は扱えない銃をあきらめるに違いない。銃を捨てて。折りたたみナイフでとどめを刺しに来るはずだ。その瞬間を返り討ちにしてやる。

 そう考えて歪んだ笑みを浮かんだヒジカタの顔は、あずさの次の一言で凍り付いた。

「懐かしいわね」

 ガチャリと、手慣れた動作であずさがレバーを操作した。薬莢が排出され、次弾が薬室に装填される。

 なんだよ。なんなんだよこいつ。

「・・・・・・やめてくれ。頼む」

 あずさはすっと銃口をヒジカタの眉間に向ける。

「頼む。頼むよ」

 死にたくねえ。死にたくないんだ。

 あずさは幼子に言い聞かせるように「大丈夫」と呟いた。

「私、弓道部の頃から、本番で的を外したことがないんです。ちゃんと、一発で終わらせます」

 的? 的だと? この女、俺のことを的だと言ったのか。

 的当てゲームだとでも思ってんのか。

 ヒジカタは怒鳴った。

「ふざけんな! 俺は的じゃねえ!」

 涙をまき散らせながら、枯れた喉で、ヒジカタは叫んだ。

「俺は人間だ! 人間なんだぞ! この野郎!」

 あずさは引き金を引いた。




 あずさがその男を見つけたとき、辺りはもう暗くなっていた。

 彼は林の中で木の幹にもたれてうなだれていた。

 恐らく、銃声を聞いて急いで岩場に駆けつける最中だったのだろうと思われた。

 足下にボルトアクションライフルが転がっている。手を伸ばせば届くだろうに、彼はあずさの存在に気がついても手を伸ばす気配も無かった。あずさは静かに近づくと、そのライフルを手に取り、男から離れた木に立てかけた。

「あなたが、クロダね」

 男は顔を上げた。「Hey.」と力なく笑う。

 肌が土気色だ。熱もあるようだ。呼吸が苦しそうだった。

「・・・・・・血が止まらない時点で、気がつくべきだったよ」

 クロダはぺらりと上着を捲った。包帯の上から滲んだ血が胸を伝っている。

 止まらない出血。激しい痛みと腫れ。発熱。悪寒。めまい。吐き気。筋肉痛。呼吸困難。

「・・・・・・なんの毒だ」

 あずさは簡潔に答えた。

「マムシよ」

 あの古墳の中で、あずさが殺して食べた蛇。切り落とした頭部の毒腺から抽出した毒を、ボウガンの矢じりに塗りたくった。それこそ蛇一匹分を惜しみなく滴るほどに。

 通常、マムシの毒はそこまで畏れるようなものではない。その日のうちに病院で血清を打ってもらえばすむ話である。これほど短時間で症状が悪化することなど稀だ。

 だが、蛇一匹分の毒を血管に直接流し込まれ、さらにそこから激しい運動を重ねれば話は別だった、のかもしれない。

 それに蛇の毒には個体差もある。同種の蛇であっても生活環境や地理的分布によって毒の強さは変わり得る。あの隠されたご神木に住む蛇の毒は特別強かったということは考えられるのだろうか。ここ、蛇神山だしね。

 何がおかしいのか、クロダは「そうか。蛇か」と乾いた声で笑った。

「本当に、毒蛇だったとはな」

 あずさは、クロダの顔を無感情に見つめた。

「一つ、気になってたんだけど」

 クロダは「なんだ」と吐息のような声を漏らす。

「ヨシツネ、ベンケイは言わずもがなだけど。ヒジカタは、多分、幕末の人よね。タケルはヤマト王朝の人だろうとは思う。でも、クロダは? 誰のこと」

 男は疲れた笑みを浮かべた。

「官兵衛だよ」

「ああ。軍師の。じゃあ、あなたが司令官だったのね」

 男はふっと笑った。 

「そんないいもんじゃない。俺はそうだな。さしずめ、雇われの撮影監督ぐらいのものだ。上のいいなりに動く、ただの下働きさ」

 クロダはおもむろに空を見上げた。

「脚本家は別にいる。もっと上の方にな」

 あずさはしばらく黙ってクロダを見つめた。クロダは目線をあずさに向けた。視線が絡む。

「・・・・・・翁からの伝言だ。山頂の神社で待っている。だそうだ」

 あずさは「そう」と呟いた。

「あいつは俺たちとは違う。俺たちのように殺しを生業にする輩を見張るために、上が直接派遣してきた化け物だ」

 あずさは「強いの?」と小首を傾げた。

「ああ。半端ない。急所を決して外さない。あいつに狙われたやつは例外なく心臓を撃ち抜かれてる。そんな奴が山頂で待ってるんだ」

 クロダは目を閉じて呟いた。

「Violent peak」

 残虐な山頂。

 クロダはおもむろに目を開いた。あずさを濁った目で見つめる。

「行く気か?」

 あずさは「ええ」と頷いた。

「そうしないと、終わらないもの」

 クロダは言った。

「死ぬぞ」

 あずさは答えた。

「かもね」

 あずさは「それよりも」とクロダに問うた。

「いいの? 敵に情報を渡して」

 クロダは笑った。掠れた声で。

「仕事はしてたが、別に好きだったわけでも愛社心があったわけでもない。この期に及んで義理を立てるような気はおきないさ。労働環境がいいとは言えなかったしな。いや。むしろ最悪か。」

「ブラックだったんだ」

 クロダはあずさの相づちに吹き出し、ひとしきり笑うと、「そうだな」と虚空を見つめた。

「敵であるお前を応援することは、俺にとって辞表を叩き付けてやるみたいなイメージかな」

 あずさはふっと笑った。

「気分いい?」

 クロダもにやりと笑った。

「悪くはない」

 クロダはおもむろにマントのように羽織っていたレインコートを脱ぎ、あずさに差し出した。

「お前、半袖じゃねえか。やるよ」

 あずさは「どうも」と受け取った。背中のリュックを降ろし、その場で羽織る。クロダ同様に胸元を留めてみる。小柄なあずさが着ると余計にマントのようになった。

 クロダはふうっと息を吐き、木の幹にもたれた。

「じゃあ、そろそろ頼むよ。Finish off.」

 聞き取れず、怪訝な顔をしたあずさに、クロダはまた笑った。そして、言い直した。

「介錯を、頼むよ」


 ほの暗い山の中。一発の銃声が響きわたった。それはまるで夜の訪れを告げるようだった。




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