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バイオレント・ピーク  作者: 夏人
第一章 餌食の本懐
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「あの二人、何してやがる」

 クロダは歯ぎしりをしながらハンドルを乱暴に切った。黒いバンのタイヤががぬかるんだ山道の水たまりを弾き飛ばした。

「荒れてるねえ」

 そんなクロダをヒジカタは愉快そうに助手席で眺めた。いつも嫌味なほど冷静沈着なクロダの焦った顔は物珍しい。

 ヒジカタのまるで他人事のような発言にクロダは眉間に皺を寄せたが、特に言い返したりはしなかった。クロダは合理的な男だ。この場に置いて味方同士が言い争うことのくだらなさを重々承知しているのだ。ヒジカタは長年の付き合いでそれを知っていた。

 ヒジカタとクロダはアフリカの紛争地帯でPMCの仕事仲間として出会った。アルファベット三文字なのでNPOやらNGOやらの立派な活動が連想できなくもないが、Private Military Companyの略称だ。民間軍事会社。なんてことはない。ただの傭兵だ。お互い会社自体は違ったものの、同じ陣営に雇われていたし、現地では珍しい日本人同士だったこともあり、その仕事が終わった後もお互いに声をかけて組むことが多くなった。いつ命のやりとりがあるかわからない外国の土地で、信頼できる相手は貴重だったのだ。

「銃、持ってきただろうな」

 クロダの問いにヒジカタは黙って助手席の脇に置いていたライフルの銀のボディを晒して見せた。ウィンチェスターM94。今や昔の西部劇でしか見かけないようなレバーアクション式のライフル。ヒジカタの愛銃だった。

「一応、リボルバーも持ってるぜ」

 そう言ってヒジカタは腰に差し込んだ拳銃をポンポンと叩いた。

「そんな不便なだけの銃を・・・・・・相変わらず、仕事に趣味を持ち込むやつだな」

「仕事は楽しくやらねえとな」

 クロダが鼻で笑う。しばらくの沈黙。ぼそりと、クロダは声のトーンを落として呟いた。

「・・・・・・どう思う。ヒジカタ」

 クロダは眉間に寄せた皺をそのままに呟いた。

「どう? とは?」

 わかっていながら、ヒジカタは素っ気なく返した。

「ヨシツネ、ベンケイ。どちらも全く無線に反応しない。GPSでは二人とも麓の小屋の寝室にいるのにも関わらずだ」

「寝てるんだろ」

 クロダは黙った。そう考えるしかないと自分を納得させようとしているのだろう。

 心配性が過ぎるんだよ。クロダは。

 確かに、あの二人は頼りないところもあるはある。ヨシツネたちは一方的に弱者から命を奪うという行為には手慣れていても、命の奪い合いは経験したことがない。これは紛争地帯を経験しているヒジカタやクロダとは埋めようのない意識の溝だ。一緒に仕事をしていても詰めの甘さに不安を感じることは多々あった。

 だが、だとしてもだ。今、逃げ回っているだろう女はそれこそ虫も殺したことがないような小娘だ。適当につけた兎と言う名がよく似合う。ぴょんぴょん跳び回って逃げ、震えながら隠れることしか出来ないはずだ。武装した男であるヨシツネとベンケイ相手になにかあるわけなどないのだ。あろうはずがないのだ。

 そのはずなのだ。

「もしかしたら、兎ではなかったのかもしれんなあ」

 いきなり背後から聞こえたしわがれ声にヒジカタとクロダはぎょっとして後ろを振り返った。

 八人乗りのバン。その最後尾の座席に、枯れ木のような老人がちょこんと座っている。カーキ色のポンチョ。傍らには重そうなリュック。肩にはウィンチェスター銃よりもさらに珍しい水平二連式散弾銃。

 翁。

 いつの間に乗り込んでいやがった。

「・・・・・・あんたも、来るのか」

 クロダが前に視線を戻して、絞り出すように言った。

「山頂にいても暇だからのお。あのタケルとかいう小猿ちゃんとは話も合わんし」

 俺たちとだって合わねえよ。

 そう吐き捨てたい気持ちをヒジカタは飲み込んだ。この男にははそういった軽口を許さない雰囲気があった。

「ヒバカリという蛇を知っとるか」

 老人は緊張する二人の心情などまるで無視するように楽しげに言った。

「・・・・・・いや。知らない」

 クロダの返答に老人は「そうか。そうか」と相好を崩した。

「昔は毒蛇だと言われておってなあ。噛まれたらその者の命はその日ばかり。だからヒバカリという名になった」

 翁は機嫌良く言葉を続けた。その表情だけ見ると孫と話す気のいい老人のそれだった。

「だが、最近では無毒であるようじゃとされておる。ただの可愛いらしい蛇じゃ」

 蛇を可愛いと言う感覚がヒジカタにはわからなかったが、そうしなければいけない空気があり、ヒジカタは曖昧に頷いて見せた。

「よく似た蛇でヤマカガシというのがおる。この蛇も大変大人しい。身体をつかんでもすぐには抵抗しないぐらいじゃ。そのおとなしさ故に、長らく、無毒の蛇だと考えられておった。儂の子どもの頃は尻尾を持ってぶんぶん振り回して遊んだものよ」

 そこまで言って翁はくっくっくと何がおかしいのか笑いをもらした。

「ところがどっこい、これが驚きでな。ヒバカリとは全く逆で、ヤマカガシは実は猛毒を持っておった。やつは噛まなかっただけなのだよ。戦わなかっただけじゃ。やつが戦おうと覚悟を決め、噛みつかれ時、人はようやくそのことに気づくのじゃ」

 クロダはしばらくの沈黙のあと、低い声でぼそりと言った。

「あの女も、毒蛇だと?」 

 翁はそれには答えず。にやつきを大きくしただけだった。


 山小屋にバンが着くやいなや、クロダは運転席のドアを開け放って小屋全体に向かって叫んだ。

「ベンケイ! ヨシツネ!」

 反応がない。

「どうせ熟睡してるんだろ」

 ヒジカタはやれやれと玄関に向かった。

「ヒジカタ! 待て! 一応外側から確認してから・・・・・・」

 クロダがそう言いながら追いすがってきたが、ヒジカタはうんざりして無視した。どうせ二人して大きないびきをかきながらねんねしているに決まっている。それに加え、翁のなんとも言えない話で思いの外、気分が下がり、若干ムキになっていたところもある。俺は蛇が嫌いなんだよ。

 玄関の戸のノブを掴む。鍵がかかっていない。ほら。やっぱり中にいるんだ。

 ヒジカタは鼻で笑いながらドアノブを捻り、扉を引いた。

 開きかけた扉の隙間から、茶色く細長いものが見えた。一瞬、蛇かと思って肝が冷える。

 いや、違う。ただの紐だ。なんでこんな・・・・・・

「馬鹿野郎!」

 クロダが叫びながらヒジカタを突き飛ばした。そのクロダの左肩にクロスボウの矢が深く突き刺さるのを、ヒジカタは玄関のタイル床に転がりながら目視した。

 ヨシツネの矢? あいつ裏切ったのか。

 ヒジカタは肩から床に倒れ込む勢いをそのまま利用してごろりとタイルの上を一回転し、瞬時に膝立ちになる。手にはすでにウィンチェスターライフルを構えていた。

「おおおおお!」

 レバーアクションとは思えない早撃ちで三発もの銃弾を二秒足らずで廊下の奥に撃ち込む。だがすぐに無駄であることを悟った。テーブルに固定されたクロスボウが見えたからだ。

 トラップか。

 ヒジカタは歯ぎしりした。こんな単純な仕掛けに。平和ぼけしていたのは俺の方らしい。

 しゃがみ込んだクロダの方を一瞥もせずに、ヒジカタはライフルを構えたまま廊下を進んだ。テーブルを蹴り飛ばしてリビングに入る。頬を銃床に押しつけ、銃の照準は視線の先から一切ずらさない。目に入る動く物はなんであれ全て撃つつもりだった。

 だが、見つけたのはもう動かなくなったベンケイの変わり果てた姿だった。

 床に大の字で倒れる彼に息が無いことを目視で確認すると、「ベンケイ、ダウン!」と正面玄関にいるクロダに届くように叫んだ。次に台所を確認する。誰もいない。トイレ、いない。シャワールーム、いない。

 廊下に戻る。この際、ヒジカタはまず片手のみ廊下側に突き出して、ひらひらと手を振ってから廊下に身体全体を出した。味方から撃たれるのを防ぐためだ。案の定、正面玄関には、肩から矢を生やしたまま自分のライフルをこちらに向けて構えているクロダの姿があった。

 ヒジカタは最後に寝室のドアを蹴破った。敵の攻撃備え、小刻みに角度を広げながら室内を確認する。

 誰もいない。

 寝室の二つのベッドの上には、銀の発信機が一つずつ置かれていた。放られたように無造作だった。

「・・・・・・クリア!」

 そこでようやくヒジカタはクロダに駆け寄った。

 左肩の外側に刺さった矢は背中側に貫通こそしていなかったものの、かなり深く突き刺さっているようだった。

 くそ。矢傷の治療なんてやったことねえ。

「矢を抜くんじゃないぞ」

 背後からしわがれ声が響いた。

「大きい血管が傷ついとるかもしれん。この場で無理に抜いたら大出血。あっという間にお陀仏じゃ」

「わかってる!」

 翁はどこからともなく短い軍刀を引き抜いた。昔の歩兵銃の先に取り付けるような形状の物だ。その先端が一瞬ぶれたかと思うと、クロダに突き刺さっているカーボン製の矢が、矢じりの後ろ数センチを残して切断された。カランと切り落とされた矢の後ろの部分がタイルの床に転がる。翁は軍刀をヒジカタの足下に放った。

「使え」

 ヒジカタはその軍刀をひっつかむと、トラップに使われていた床にたれ落ちた紐を切り、クロダの矢の刺さっている部位の上部を強く結んだ。急場の止血だった。

「・・・・・・Bitch!・・・・・・くそが。まだ、近くに、いるかもしれない」

 クロダが歯を食いしばりながら唸るように言った。ヒジカタはハンカチで矢を避けるようにしながら傷口を縛りながら答えた。

「いや。いねえよ。いるならさっきのタイミングですぐさま追撃してきたはずだ。絶好のタイミングだったろうからな」

 クロダの右肩を担いで外に出ると翁は何をするでもなく、玄関先に立っていた。日光浴でもしているかのようだった。ヒジカタが無言で差し出した軍刀をにやつきながら受け取る。上機嫌だった。

「血のにおいがするのお」

「当たり前だろうが」

「そいつのではないわい」

 そう言うと、老人はやおら歩き出した。


 数分後、三人は林の中、一体の死体の前に立っていた。

「こやつは刺さった矢を考えなしに抜いたようだな。愚かなやつじゃ」

 ヨシツネは自らの左腕に刺さっていたであろう矢を右手に握りしめ、絶命していた。辺りは血の

水たまりが出来ていた。

 ヒジカタは自分が見ているものが信じられなかった。自然と声が漏れた。

「なんなんだ。何者なんだよ。あの女」

 何をどうやったら、丸腰の女がたった一人で、ここまでのことが出来るんだ。

 兎? とんでもない。

 毒蛇どころでもねえ。オオカミだ。肉食獣だ。

 クロダが怒りのうなり声を上げると、トランシーバーを取り出し、それに向かって叫んだ。

「Hey! 神城あずさ!」

 林に、沈黙が降りる。クロダは続けて叫んだ。

「聞こえてるんだろ! 聞いてるんだろ!  俺たちの仲間のトランシーバーを奪い取って、聞き耳立ててるんだろうが!」

 トランシーバーは沈黙する。クロダも大声を出し、幾分か冷静になったのか、そこで、いつもの落ち着いた声を出した。

「・・・・・・玄関のトラップ、やるじゃないか」

クロダは自嘲気味に笑った。

「見事に突き刺さったよ。大したもんだ」

 また沈黙が降りてくる。クロダは発信ボタンから指を離し、トランシーバーを見つめる。「無駄だ。やめとけ」そうヒジカタが言おうとした時だった。

『・・・・・・あなたが、クロダさん?』

 トランシーバ―から細い、しかし、芯がやけにはっきりした声が響いた。背筋がぞわりとした。クロダがごくりと生唾を飲み込んだのが聞こえた。

「ああ。俺が、クロダだ」

『そう』と女は答え、『聞き覚えがある声ね』と続けた。

『思い出した。こうしてあなたとトランシーバー越しに話すの、二回目だわ』

 そこで黙る。クロダの返答を待っているのだろう。

「ああ。初日に少し話したな。覚えてるよ」

 しばらくの静寂。唐突に、女が話題を変えた。

『腕、大丈夫? 痛いでしょ』

「大丈夫に見えるか」

 そう答えながらクロダが目配せする。ヒジカタは瞬時にウィンチェスターを構え、辺りを睨め付けた。女は「腕」と言った。クロダは矢がどこに刺さったかは言っていないのに。

 近くで、見ているのか。どこにいる。

 だが、日を遮った薄暗い林の中にはなにも見つけられない。

「神城あずさ。交渉をしよう」

 クロダはそう言い、女の反応を待った。無反応。沈黙を女は返した。

「・・・・・・正直、こちらは被害を出し過ぎた。これ以上やりあっても意味が無い。終わりにしよう」

 静寂。

「終戦だ。俺たちはこれから山頂に戻る。お前は好きなコースを通って山を下れ。俺たちは追わない」

 クロダの言葉は真っ赤な嘘だ。そんなことをするわけがない。上だって許さないだろう。女も冷静に考えれば黙って逃がしてもらえることなんてないとすぐにわかるはずだ。

 だが、極限状態の人間は不意に差し出された甘い選択肢にはすこぶる弱い。半信半疑であっても、用心をしながらであってもいい。どう行動するかわからない女の意識を「脱出」に向けることさえ出来ればいいのだ。コースを指定しないのも上手い。女は思案しながら脱出コースを選ぶだろうが、どうせまともなコースは数えるほどもない。女は自分で選んでいるように錯覚しながら無意識のうちに行動の幅を制限されるのだ。

 クロダは黙って、女の返答を待った。こういう心理戦は焦ってはいけない。クロダはそれをよく知っている。

『魅力的な提案ですけど』

 女ははっきりと言った。

『お断りします』

 ヒジカタは舌打ちをした。やはり信用できないか。

『たとえ本当に逃がしてくれたとしても。あなたたち、私の名前も住所も知っていますし』

 ああ? 何言ってんだこいつ。

 ヒジカタは脈絡のない女の言葉に首を捻った。だから何だと・・・・・・

 クロダの顔色が変わった。ヒジカタも同時に気づく。

 個人情報を知られた。つまり、この女は、ただ単に脱出するだけでは、後日にまた自分の住所を襲われると考えている。だから。だから、この女は、憂いなくこの地を去るために。

 全滅させるつもりなのだ。

 こいつは端から脱出なんか考えていない。

 俺たちを全員殺すつもりなのだ。一人残らず。

 狂ってやがる。ヒジカタは笑い出しそうになった。普通、逃げだそうとすることで頭がいっぱいになるだろうに。どうやったらそんな思考回路になるんだ。

 クロダが声色を変えた。低い、猛獣が唸るような声。

「お前、本気で、たった一人で俺たち全員に勝てるとでも思ってるのか」

 女は答えない。

「ここまでお前が残酷に殺した二人とは訳が違うぞ。もう不意打ちは通じない。お前に勝ち目は、ないんだ」

 無音。

 クロダは苛立ちと怒りをついに抑えきれなくなったようにまくし立てた。

「いいか。俺たちは絶対にお前を殺す。何があっても殺す。お前がいざどれだけ逃げても絶対に追い詰める。どこに隠れても必ず見つけ出す。そしてお前がどれだけ命乞いをしようと、どれだけ泣き叫ぼうと、許すことはない」

クロダは怒鳴った。

「お前は死ぬ。残酷に! 無残に! せいぜい楽しみにしてろ!」

 怒鳴り終わったクロダがぜいぜいと息を吐く。

 トランシーバーはその息遣いも聞くかのように、しばらくの間、押し黙った。数秒の静寂。

 ただ、ぽつんと。一言だけ。

『グッドラック』

 そして無線機は完全に沈黙した。



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