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バイオレント・ピーク  作者: 夏人
第一章 餌食の本懐
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 2


「あれ? お客さん?」

 登山カードを手に固まっていたあずさは背後からの声かけに飛び上がった。高校生の頃まで飛んでいた意識が、くたびれた底辺OLの身体に瞬時に帰ってくる。

 振り返ると、30代近いぐらいの男性がタケル百貨店の入り口に立っていた。よれよれのTシャツに半ズボン。無精ひげが目立った。胡乱げな目つきであずさを見ている。

 その目があずさの持つ登山カードに向いたのを感じて、あずさは慌てて三島先輩のカードを箱に戻した。

「えっと、みんなどんな風に書いてるのかなって・・・・・・ 見本にしようと思って・・・・・・」

 聞かれもしないのに焦って言い訳した者だから、余計怪しくなってしまった気がする。

「ふうん」

 男はそう言うと黙ってじっとあずさを見る。

「えっと、何か・・・・・・」

「待ってるんだよ。早く書いちゃいなよ」

 ああ、あずさが自分の登山カードを書くのを待っているのか。とっさに見本に見ていたなんて言ったから。

「あ、ごめんなさい。ぼーとしちゃって」

 必要もないはずなのに、すっかり表情筋に型がついてしまった愛想笑いが勝手に顔に浮かぶのを感じた。

 下の段から未記入の用紙を取り、少しかすれたボールペンで氏名と住所を書く。登山計画のところで筆が止まった。衝動的にバスに飛び乗った自分に、計画なんてあるわけない。

「別に適当でいいよ。どうせ誰も見ないから」

「あ、はい」

 あずさは下の欄は全て空欄にして、箱の上の段、三島先輩のカードの上に自分のカードをのせた。

 パコリと箱の戸をあずさが閉めると、男は顎をしゃくった。

「じゃあ、いらっしゃい」

 そう言って店の中に消えていった。

 すぐには意味がわからなかったが、店に入れということらしいとあずさは悟った。待ってやったんだから入店して当然だということだろうか。勝手な理論だ。

 その自分理論で動こうとするところが、ちょっと三島先輩に似ている気がした。高校以来会ってもいないが、三島先輩も年齢的に今はあんな風体になっているかもしれない。

 どうしよう。入るべきだろうか。

 正直、店内は清潔な気がしないし、別に買いたいものもない。店員の態度も良いとは言えない。

 あずさは少しの間迷い、こういう時、いつもするようにズボンのポケットに右手を差し入れた。手の中で一枚のコインを転がす。

 表。

「早く来なよ」

「あ、はい」

 あずさは必要もないのに小走りになって、店に入った。

 店は外見とは裏腹にこざっぱりとしていた。小洒落ていると言ってもいい。小さな店内は手作りらしい木製の棚で囲まれていて、様々な商品が並べられていた。駄菓子、常温のペットボトルのような食料品もあれば、虫取り編みと言った山らしいアイテムもあり、棚によってはTシャツなどの衣類まであった。なるほど。百貨店とは随分大仰な名前だとは思ったが、多方面の品を揃えているという意味では間違いではないのだろう。

 多様な種類の品が混ざり合って陳列しているのが面白くて、あずさは棚をしげしげと眺めて歩いた。日焼け止めとカップ麺の間にご当地キャラのキーホルダーがぽんと置かれているのがなんともシュールだった。チラリと手書きの値札を見るとどう考えても相場より高い。誰が買うというのだろうか。

 その隣の本棚には少年誌がずらりと並べられていた。単行本ではなく、週刊のやつだ。毎週一冊ずつ仕入れているらしい。

「あ、それ買う?」

 木製のカウンターの中に入っていた男が声をかけてきた。

「時々買う人いるんだよね。山の中まで来て漫画を買う意味わかんないけど。あ、最新号はまだ俺が読んでないから売れないよ」

「いえ。大丈夫です」と返しながらしげしげと眺める。確かにところどころ抜き取られている箇所があった。これもどう見ても定価より高いのに。

 次の棚に目を移すと、工芸品が固まって置かれていた。竹とんぼやら木彫り人形が並べてある。丁寧にディスプレイされていたが、よく見るとどれも手作りであることがすぐにわかる申し訳ない出来だった。

「あ、そこの棚のやつ、全部、ぼくが作ったんだ」

 男がにやりと笑った。

「店の奥が工房になっててね」

 そう言って肩越しに親指で背後を指し示す。見ると確かに大きな机と散らばっている木材や道具が見えた。

 正直、手放しで「すごい」と褒められるような出来の作品はなかったので、返しに困るが、ここ数年で培った愛想笑いがまた自動的に発動した。

「器用なんですね」

 まあ、ぎりぎりの返答ではあったが、男は気を良くしたようでペラペラとしゃべり始めた。

「もともとここ、親戚がやってた店なんだ。昔はこの道通って街に行くトラックも多くて今で言うコンビニみたいな役割で繁盛してたんだけど、高速道路が出来てからはこのざまだよ。とはいえ、完全に人通りがないわけでもないからさ。FIREしたぼくがただでもらって、道楽がてら開いてるってわけ」

「ファイア?」

「若いのに知らねえの? あれだよ、昔で言う脱サラだよ。REはリタイア・アーリーの略」

 そう言われれば聞いたことがある。若いうちにお金を貯めてしまい、仕事を離れ、あとは資産運用などをしながら悠々自適に生活することだったか。

 週6日労働をしながらも日々困窮しているあずさにとっては、異世界レベルで現実感のない話だった。

「へえ。すごいですね」

 返答にも心がまるで乗らない。

「やっぱ、自然の中の生活はいいよ。日が出ると同時に起きて、日が沈んだら眠る。やっぱこれが本来の人間のサイクルなんだなって実感する。勤め人の時は失われていた野生の心? 的な奴がよみがえってくるんだよね」

 なんか急に語り出した。

 まあつまり、こういうことか。この男は早々と金を貯めて企業勤めを辞め、早々とここで余生を過ごしているのだ。だから金を無理して稼ぐ必要もなく、こんな客通りも少ないところで自己満足な店を構えているのだ。ということはこの男が店長のタケルということだろう。

 あずさはまた「すごいですね」と機械的に呟きながら手作りの工作に目をやった。小学校の工作で作りそうな作品の中に、一際目立つ品があった。棚の横に立てかけて置いてある。弓だ。竹製で、たこ糸のような弦も張っている。側には先端を丸めた小ぶりな矢も添えてあった。

「あ、それ。最近作った弓矢」

 興味が引かれたあずさは弓を手に取った。

「ハワイとかの雑貨屋さんでさ、先住民の工芸品が置かれてるじゃん。そういうの目指して作ってみたんだよね。ちなみに盾も今、鋭意制作中。」

 適当に相づちを打ちながら、あずさは弓を眺めた。割った竹一枚で作られているのだろう。随分軽い。

「撃ってみなよ」

「え、危なくないですか?」

「大丈夫大丈夫。ほら、あの壁に向かって」

 タケルはあずさの向かいの壁を指さした。

 あずさは弓道部で「弓を引く際は安全に細心の注意を払わなければいけない」と習った。だから言われるがままに矢をつがえてからも逡巡してしまう。

「こわがらなくても大丈夫だって。ほらほら」

 小馬鹿にしたように言われ、あずさは少しカチンときた。しかし、それを態度で示すほどの勇気はあずさにはない。あずさは渋々足を肩幅に開き、壁に向かって弓を構えた。

 弦を引き分けた瞬間、あずさは「だめだこりゃ」と思った。竹の弓はほとんど抵抗も無く、ぐにゃりと曲がってしまった。所謂、弦を張る力、弓力がほとんどないのだ。弦から手を離すと間の抜けた音とともに、矢は一メートルも飛ばずに、地面に落下した。それも先端からではなく、腹ばいの形でカランと床に転がった。

「ね。大丈夫だったでしょ。何が原因なのかなあ。やっぱ糸が長すぎるのかなあ」

 何がおかしいのか愉快そうに笑うタケルを尻目に、あずさは小さく息を吐いて転がった矢を拾った。

 恐らく弓の材質の問題だろう。竹の弓は弓道でももちろん使われるが、あれは竹と木を何枚も組み合わせて作成されているはずだ。こんな子どもの思いつきのような構造の弓ではまともに機能しないのは当然である。

 とはいえ、それをタケルに教えようとは思わなかった。こういうタケルのようなタイプの男性は女性から正しい知識を与えられると不機嫌になることが多い。あずさはそれを経験上、嫌というほど知っていた。あずさは「なんででしょうね」と小声で返し、弓矢を元の場所に直した。

「さあ、何買う? カウンターに並べてるのがおすすめだけど」

 どうやら何も買わないという選択肢はないらしい。やれやれと思いながらあずさはカウンターを見た。お茶のペットボトルが並べられた隣におにぎり数個と菓子パンが一つ。やはり日持ちしない品は多くは入荷しないらしい。

「山、入るんでしょ。お腹すくよ。喉も渇くし」

 正論だが、あずさのリュックには自分で作ったおにぎりがアルミホイルに包まれて入っている。水も間に合っていた。それに、菓子パン辺りを買ったところで、嗅覚も味覚も失われているあずさにとってはなんのありがたみもない。

 しばらく悩んだあげく、あずさは古びた虫除けスプレーと、適当に目についたポテトチップスの袋をレジに持って行った。

「ほんとにおにぎりとかパンとかいらないの?」

 随分勧めてくる。まあ、当然か。お客が滅多に来ないのだから日持ちしない品はチャンスがあれば売ってしまいたいのだろう。きっと買われなければそのままタケルが食べることになるにちがいない。

「手持ちがあるので」

「そっか。街でもう買ってきちゃったんだね」

 タケルは勝手に納得すると、電卓を弾いて会計を出した。やはり相場よりいくらも高い。車は通れるから入荷に手間はかからないだろうに。

「ところで、なんでそんなスーツ姿で山に入るの?」

 財布から小銭を取り出そうとしていたあずさの指が止まった。どう答えよう。

「野鳥観察? 植物観察? 以前はどっちもよく来てたらしいし」

 見当違いの予想にあずさはちらりとタケルの顔を見た。タケルはにこにこしていた。

「わかった。古墳調査でしょ。なんか山の麓にいくつかあるらしいんだよね。昔、大学の人たちがよく調査に来てたって聞くし。ああ。歴史系の卒業論文のための調査的な?」

「あ、はい。まあ・・・・・・」

「あ、もしかして、山頂の神社の調査? それなら車で行った方が良いよ、山頂まで細いけど車道がぎりぎり通ってるから。ああ、でも、今は神社自体が立ち入り禁止なんだっけなあ」

 勝手な予想をペラペラとしゃべるタケルに、あずさは気味が悪くなってきた。歴史の調査に来るとしても、山の中なのだから登山用の服装で挑むだろう。それぐらいのことはあずさにだってわかる。

 ここが自殺の名所だということを、タケルが知らないはずがない。きっと、意図的にその話題を避けているのだ。

 そう思うと、タケルの笑顔が無理矢理顔に貼り付けたもののように見えてきた。まるであずさの愛想笑いのように。

 あずさは黙って、料金をカウンターに置いた。タケルは笑顔で「まいどー」と言ってそれを受け取る。

「あ、これサービスね」

 釣り銭と一緒にポケットティッシュが差し出される。ティッシュの裏には森と山の大まかな地図が記されていた。

「それこそ野鳥観察がはやってた頃に作られた地図だけど、まあ、ないよりましでしょ」

「あ、でも。地図アプリがあるので・・・・・・」

「何言ってるの。もうここら辺はとっくに圏外だよ」

 そう言われてスマホを確認すると、確かに電波表示のアンテナは一本も立っていなかった。

「ね?」

 あずさは黙ってティッシュを受け取った。買った品をリュックに放り込み、ティッシュをポケットに入れるとぺこりと一礼し、そそくさと出口に向かった。なんだかもう、タケルの顔を見ていたくなかった。

 肩越しにタケルの声が薄暗い店内に響いた。

「いってらっしゃい」



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