第八話 転職(最終話)
最終話です。心の準備をしてお読みください。
あとがきも引くほど長いですが、最後だけでも読んでくれると喜びます。
#1 最後の仕事
夕刻、一人の少年と少女が校舎の陰で向かい合っている。期待する表情の少女に、少年が言う。
「ずっと前から好きだった。俺と付き合ってくれないか?」
ありきたりな台詞だが、常用されるということは、それだけ効果があるという証でもある。差し出された少年の右手に手を伸ばし、少女が想いに応えることで二人はめでたく結ばれる──寸前で、鉛筆がコンクリートに落下する、甲高い音が響いた。台無しである。
しかしそれも、仕方なしと言わざるを得ないだろう。転がった鉛筆を、柱の陰から現れた細川は、「しまったな」と呟いて拾い上げ、SFに登場するディスプレイの如く空中に浮かび上がった魔法陣に向かって声をかけた。
「黒だ。ハンドボール部員と聞いた時点で薄々察してはいたが、たった今、別の人物を口説いたところだ。確認できた限りでは、これで二人目だな」
転移の魔術を応用し、試験的に使用している通話用の魔法陣だ。感知した波形を特定の一点と交換することで、光や音などの情報をリアルタイムにやり取りできるようになる。通常の転移よりも消費する魔法力がはるかに少なく、盗聴されるリスクがほとんどないなどの利点がある。現在は試作段階だが、もう少し突き詰めれば、携帯電話のような使い方ができるようになるかもしれない。
現在この魔法陣は、卓球部の部室と接続されており、そこには今回の依頼人がいるはずであった。恋人の浮気調査、その報告である。
「依頼したのは昨日だったのに……」
「一人目は依頼の直後だった。可能な限り正確に調べ上げようと思って張り付いてみることにしたんだが、少々ミスがあって気付かれてしまった。すまん」
「いえ、ありがとうございました」
魔法陣が消えると、代わって平手打ちの音が響いた。同時に、少年のものと思われるスマートフォンが着信を告げる。メッセージでも届いたらしい。
「最低! 二度と話しかけないで」
恐らく同様の内容が着信したのだろう。昨日口説かれていた少女はこの少年をきっぱりと断っていたので、多分連絡は必要ないはずだ。女堕としに相当な自信があったらしく、それだけに、振られたときの顔は見ものだったが。
やがて浮気が露呈した原因に、浮気した少年が近付いてきた。
「お前、一体どういうつもりだ!」
シャツの襟元に掴みかかってくる少年の手を払い、細川は反対に、足を引っかけてやる。逆上して受け身も取れないようだ。
「どういうつもり、とは?」
「今更恍けるんじゃねえ、あと少しで里沙と付き合えたってのに、邪魔をしてきたのはどういうつもりだって訊いてるんだ!」
「話してやる道理はないな。依頼人の利益にもならんようだし、俺にも意味がない。破滅しろ」
先輩には敬語を使え、と余計なことを言い残して、細川はその場を去った。鉛筆はどこかの部活の忘れものだろう。職員室にでも届けた方がよさそうだ。
#2 最後の襲撃
買い物帰りの近道のため、路地に入った細川の背に、筒状の物質が押し当てられた。
通常ならば、このような状況を許す細川ではない。今回これが成立したのは、彼が考え事をしていたためと、それ以上に、彼に感知できる気配が一切なかったためだ。
「動かないでください」
声の主は零火である。故に、細川には彼女の使用した手段が瞬時に理解できた。
「境界を通ってきたな、零火? 悪くないやり方だ。いずれそうなるとは思っていたが、もう妖屋と繋がったか」
「ようやく、私の能力の正体が分かったっすよ。それで、境界を自由に出入りできるようになったみたいっす」
筒状の物体が、より強く押し当てられた。屋敷の危険物保管庫に格納されていた拳銃だろう。ラザムや幽灘は中に入ろうとしないので錠は必要ないと考えていたが、零火は違ったらしい。
危険物保管庫に入っているのは、実験を繰り返し、充分実用に足ると判断した完成品の武器である。数多の失敗作と違い、使用されれば細川とて無傷ではいられない。──抵抗を一切しなければ。
細川は、降伏するかのように両手を挙げると、魔術のつるで拳銃を覆った。しかし零火もまだ諦めない。
銃が使い物にならなくなると、即座に氷のドームを作って退路を塞ぎ、細川の足を氷漬けにした。彼も一瞬だけ、食い逃げを捕らえるためにやったことがあるが、思いの外動きが制限されるものらしい。
そしてこれらはすべて、細川が背後に振り返って一秒にも満たない時間で行われたことだ。
「腕を上げたな、零火。どこまで耐えられる?」
自由な右手にマナを集約し、魔術のつるとして射出する。今までであれば、零火はこのままミノムシのようになり、降参と叫んでいたはずだ。しかし彼女は、それを上に跳んで回避し、ドームの内壁に沿って再び細川の背後を取るように降り立つと、彼の首を氷で固めた。呼吸はできず、当然声も出せない。それなのに、そっと歩み寄った零火が耳元でささやく言葉は、非常に挑発的だ。
「どうします? このままだと死にますよ。降伏しますか?」
まったく、零火は細川が思うよりもはるかにその能力を高めていた。氷を操る速度も、その精密性も、なにより先刻の跳躍は、風を使ったものだろう。それは飛行魔術の原理に非常に酷似した技術だ。
最近は仕掛けてくることが減っていたし、受験生という身分を考えればそれも自然なことか、と納得していたのだが、いやはや。
「まさか、ここまでとはな」
すべての氷が粉砕されると同時、細川からこぼれたのは、そんな素直な讃辞だった。
ここまでして諦めないとは思わなかった零火は新たに氷塊を生成し、射出する。間に合わない。軌道を読んでいた細川が軽く避けた場所を氷が通過し、街道に飛び出し、建築物の上に落下する。人が気付く。
「やるじゃないか、零火。俺もあまり、悠長に構えてはいられなくなったな」
迫る足音から離れるように並走しながら、素直に褒めてやる。既に境界の中だ。一般人は追っては来られない。
「今先輩に言われても、嫌味にしか聞こえないっすよ!」
「そうか? かなり正直な称賛のつもりだったんだが」
「私が勝っている状況だったら、そう受け取れたんですけどね!」
ぼろぼろの家屋が並ぶ区域を抜けると、河川敷のような場所に出た。所々に石橋が突き出している川が流れており、境界の出入り口が多い。
そこで零火が腕を振るうと、大量の氷塊が、細川を押し潰さんと迫った。一度は諦めた、物量作戦。弾幕ゲームの上級者ですら顔面を蒼白にするような圧倒的な攻撃の大群を、しかし細川は怯むことなく、魔術のつるで正確無比に撃ち落とす。
そして撃ち落として思う。──弾幕の後ろにいたはずの零火自身は、一体どこへ行ったのか。
瞬間、細川の手に現れた氷剣が舞うと、突然背後から現れたもう一本の氷剣とぶつかり、弾幕が止んだ。つまり物量作戦は単なる目くらましにすぎず、本命はこの氷剣だったのだ。
いつかも細川がテロリスト相手に使った戦法だが、実際に使われてみると、なるほど確かに厄介だ。現に今、こうして細川ですら危うく重傷を負うところだったのだ。
「本当に、お前は強くなったな。この戦術を実践されるとは思わなかったぞ」
「私はただ、先輩がやりそうな戦い方を考えただけっすよ」
氷剣が離れ、再び打ち合う。氷が削れ、空気中で光を反射する。
「お前の成長速度には、いつも驚かされるよ。だが──」
砕けた氷剣が宙を舞い、落ちた。
「まだ俺には及ばないな」
#3 場を求め
夜十一時。幽灘が眠っているのを確認して、細川はいくつかの魔道具を懐に入れた改造コートを身にまとった。
普段ならば彼もそろそろ寝ようかという頃だが、これを寝間着として使うわけではない。これから外出するのだ。
ペンダントを外し、広間のテーブルに置く。ここから先、精霊たちも連れて行くことはできない。それはラザムも同様である。自分以外を連れてくことは、できないのだ。
「細川さん……?」
外出着で広間に現れた細川を、ラザムが不思議そうに見つめている。その不安そうな表情に何も思わないわけではないが、問答で時間を使うわけにはいかない。
「悪いが、少し、出かけてくるよ」
「もう遅い時間ですし、明日にしてはどうでしょうか? それとも、私もご一緒しましょうか?」
「いや、俺一人で充分だ。君には、ここで留守番をしていて欲しい」
「ですが……」
細川が、ぽんとラザムの頭に手を置いた。そのまま少し、優しく撫でてやる。
「俺がそこらの不審者ごときに後れを取るはずがないだろう? だから心配をするな、すぐに帰ってくるから」
そう言って、細川はラザムを連れず、単身で屋敷を離れた。
容赦なく、置き去りにしたのだ。
目的地へは、二十分程度で到着した。揚水式水力発電と呼ばれる方式の発電を行うためだけに作られた、とある人造湖──その周辺に整備された遊歩道である。
防犯カメラに走って映り込み、それ以外の場所では地面に銃弾を撃ち込む。
二種類だ。一方は細川の拳銃で使用する特殊な形状の銃弾。そして片一方は、ベレッタM92のものである。
実銃である。こうして一般に流通している銃を扱うのは初めてだが、反動は自作の銃で慣れている。
空薬莢は、あえて回収しなかった。せいぜい後で、宝探しに勤しんでもらわねば困る。指紋は残っていては困るので、魔術のつるを変形し、手袋のように使う。初級の魔術というものは、いくらでも応用が利く。
やがて細川は、遊歩道から外れて雑木林に入った。ここまで、誰に会うこともない。遊歩道は十八時以降、一般人の立ち入りが制限されるためだ。
発電所の管理事務所に当直している職員に見つかることもなかった。見つかったらベレッタで射殺せねばならなかったところだ。危ないところであった。細川が瞬時に躊躇なく殺害できるのは、今のところは悪魔だけである。
細川は適当な木を見つけると、用意していた魔道具を作動させた。マナを使って魔術のつるを生み出せる道具だ。これを使い、ベレッタを木の幹に括り付けて固定する。その銃の先に、細川が立つ。
時計を見ると、現在時刻は十一時五十分のようだ。工作に三十分もかかってしまった。だが、間に合ったので良しとしよう。そう考え、細川はすぐ後ろにあった木に背を預けて座った。
ベレッタを括り付けているつるは、細川の左手に繋がっている。この日のために、実に多くの準備をした。
……真相を知ったら、ラザムは怒るだろう。というか、怒られるだけで済むだろうか。彼女は七年前、付き従っていた魔力使用者を事故で亡くしている。今こんなことをすれば、あの優しい少女のことだ、本気で怒り、悲しむだろう。使えるだけの魔力を使って仕置きが来そうだ、と想像して、苦笑が漏れる。
幽灘は泣くだろう。最近はあまり話す時間を取れていなかった。特に修学旅行の後からは、魔法や魔道具を開発するのに時間を使い過ぎていたかもしれない。今日使うもの以外は、後に回しても良かったはずだ。どうせ、今後はいくらでも時間を取れるのだから。
幽灘を泣かせたら、恐らく零火が本気で怒るだろう。今度こそ、無意識に押さえ込んでいる実力を全開放して襲い掛かってくるかもしれない。そうなったとき、細川は一体何分間、生き長らえることができるだろう。あるいは彼女もまた、悲しませることになるのだろうか。
零火を怒らせたり悲しませたりしたら、彼女の親友の千夏にも説教を受けそうだ。まったく、いい友人を持ったものである。その場合、ゆずなも泣かせることになりそうだ。千夏やゆずなが真相を知らされることはないと思うが。
「まあそこは、姉様次第だな」
綾香ならば、最善と信じるようにやってくれるだろう。十四年分の、それが信頼であった。ただし、次に会ったら本気で怒られることは間違いない。それが細川は、今は何よりも怖い。やれやれ、堕天使すら倒した魔法能力者が、なんというざまだ。つい先日の彼女の誕生日、表面上はいつも通りに思えたが、内心ではどう思っていたやら。
──考えることは無限にあるが、時間というものは有限だ。十一時五九分。あと一分もないこの時間で、今考えることが、他にないだろうか。この時間に、今何を考えればいいのか。
一つ確かなのは、
「ラザム──君の宣言を裏切ることになって、ごめん」
秒針が時計の頂上を指す。細川の身体から全ての力が抜け、魔術のつるが引かれ、ベレッタの引き金が引かれ、一発の銃弾が細川の心臓を正確に撃ち抜く。彼の身体が、それによって痛みを訴えることはない。
細川裕の身体は、既に生命あるものではなくなっている。
#4 走馬灯
走馬灯というものがある。パノラマ記憶とも呼ばれ、人が死の直前に蘇るとされる、過去の記憶のことだ。一説には自分の死を確信した者が過去から助かる術を探そうとして起こる可能性があるとされている。
その走馬灯にも似た現象を、細川は体験していた。これは恐らく走馬灯ではないだろう、と細川は思うのだが、そもそも今、なぜ自分に意識があるのか、彼はよく分かってはいない。近年の研究では、心臓が停止した後も脳は動いている、という報告もあるというが、それとは違う話だと思うのだが。
「……なるほど、さすがは大天使の持つ魔法陣だ。《魔王の間》まで直通とは、早くて助かる」
細川は、《禁忌の魔王》の居室に、単身生身で降り立っていた。周囲の天使たちがどよめく。これまで、この場に自らの意思で現れた魔力使用者はほとんどいなかったに違いない。
まあそれもそうだろう、と思う。細川とて、よほどの要件がなければこんなところに来るつもりはない。
「魔王様!」
真っ先に我に返ったのは、《禁忌》の傍にいた天使──多分、髪と目の色がラザムと同じなので、大天使だろう。彼女は手元に何かの魔法陣を組み上げると、細川を睨んで続ける。
「この男、一人でこの場に現れました。やはり魔力使用者にするのは危険だったのでは……」
細川がラザムを拘束し、情報を奪ったとでも思ったらしい。まあ情報を勝手に使ったことは間違いないのだが、別に拘束したわけではない。なのだが、どうもこの大天使は、そこには思い至らなかったようだ。
「あなた、ラザムをどうしたんです?」
「どうもしていない、ただ寝ているだけだ」
言い終わってから、語弊があったかもしれない、と反省する。これは相手によっては、充分な挑発になりかねない。
「言葉というものは、なかなか難しいものだな……」
大天使が、魔法陣から強烈な光を放つ。指向性のある光線ではない。広範囲に広がり、視界を潰すような白光だ。肉眼には耐えがたい光に包まれ、細川が左腕で目を覆う。そこに、炎がまとわりつく。
常人なら焼け死ぬ炎だが、光が収まると、細川は何事もなかったかのように立っていた。大天使は驚いて目を見張るが──、
「リーファ、それくらいにしておけ」
相変わらず中性的で尊大な声が《禁忌》から発せられると、大天使は魔法陣を消した。
「ですが魔王様」
「ラザムは別に、この男に危害を加えられてはいない。リーファ、お前の攻撃は不要だ。ラザムはただ寝ているだけだ」
細川は内心で胸をなでおろした。リーファの今の攻撃は魔術のつるを変形させることで何とかしのいだが、《禁忌》が他の天使たちにまで細川を殺せと命じたら、さすがに生き残れるかは分からない。
細川も、右手で引き抜きかけたマナ・リボルバーを元に戻した。
「それで細川裕、お前は何をしにこの場に現れたのだ?」
「ああ、一つ、あんたに確認したいことがあってな」
「なんだ」
細川は、軽く腕を組んで話す。
「ルシャルカのことだ。一応始末のために動いてはいるんだが、俺が生きている間に決着がつくか、少々怪しんでいる」
「なぜそうなる」
「どうも俺は、人より寿命が短いらしいんだ。しかも魔力使用者になって以降、この身体にかかる負担が増している。正直なところ、五年以内に俺は死ぬんじゃないか、とすら思っているくらいだ」
「ならば、お前の次の魔力使用者にルシャルカの始末を引き継ぐのか?」
ならばそれに耐えうるだけの素質を持つ者を今から探しておかねばならないが、と《禁忌》は呟く。だが、細川が言いたいことはそうではない。
「いや、こいつは俺が決着を着けたいと思っている。私情だけでなく、合理的な理由からもだ。俺が始末した方が確実だろうからな。ただ、この身体がいつまで生きていられるか、という懸念が残る」
「確かに、見たところお前の身体は虚弱なようだな。魔力使用者に選ぶ際にも考えたが、今の状態ではこれでは長くもたないだろう。余命を引き延ばすのであれば、その身の契約の九割を解くのが最も早いと考えられるが」
「それは論外だな。それで解くことになる契約は、大部分が精霊とのものになる。戦力を削ぐ選択はない」
「ではどうするつもりだ?」
「わざと一度死ぬ」
正気とは思えない発言が、細川から出た。死期を遅らせるために、先に死ぬというのだ。これで正気を疑わない方がどうかしている。長生きするためならば死んでもいい、という言葉があるが、言っていることはそれとほぼ同義の矛盾なのだ。
だが、《禁忌》は何かに気付いたようだった。
「それはつまり、一度身体ごと消える死に方をしたうえで、転生者として再起するということか」
「そうだ。転生の条件と、転生体の性質については既に調べた。条件には合致するし、性質は都合がいい」
「だがそれはつまり、今の生活を手放すことになるぞ」
「ああ、まあそれは構わんだろう。そもそも人付き合いもなければ、拘りもないし。生活のことは、共和国で魔道具でも作るさ」
「そうか。では早期に転生体を作っておくとしよう。転生体が出来上るまでに約四月かかる。それまでに今の生活を畳む用意をしておくがいい」
そうして結ばれた特異な契約を、細川と《禁忌》は、『第百』と呼んでいる。
「それで、あんたは本当は何をしに夏祭りなんかに来たの?」
「それはさっき言った通りだろう。保護者の役目を果たしているだけだ、と」
なぜか神社の夏祭りに現れるお化け屋敷の前で、細川と綾香が話していた。野球部の大会でどことぶつかるのか、という話の後、何かに気付いたらしい綾香が、一度途切れた会話を再開したのだ。
「保護者の役目を果たすために来たというなら、どうしてあの子たちから離れていたわけ?」
「……まあ、姉様にはいずればれることか」
細川は、軽くため息をついて話し始めた。
「姉様には伝えておくよ。──俺は、恐らく高校を出ることなく行方を晦ますことになる」
「……え?」
「だが行方不明は自体を処理しやすくするための衣に過ぎない。行方不明になったとき、俺は既に死んでいる。死亡診断書を提出できない死に方をする。だから、行方不明という手に頼るしかない。七年後に失踪宣告を使えば、法律上も死んだことにできる」
細川は淡々と話を進める。
「今のところ、俺の死期は未定だ。だが、とっくに覚悟はできている。他人にそれを伝えないのは、できるだけ混乱を起こしたくないからな」
「あんたは……それでいいの?」
「まあ、思うところが何もない、といえば嘘になるが」
軽く目を閉じて、思案する。もともとこの話は、人に伝える気はなかった。そのため、事情を話すシミュレーションを一切していなかったのだ。
《禁忌》と話したときは相手がある程度の情報を持っていたので、いくらか話を省くことができたのだが、綾香はルシャルカの件やそもそも《禁忌》のことも知らないので、何を話すか、少し考える必要がある。
「元々、長い命でないことは魔法に触れる前から分かっていたんだ。この体は丈夫にはできていない。労るでもなく魔法を酷使していれば、すぐに壊れる。だから、俺はそれを選んだ。この極端なまでの早死は、俺の意思と判断によるものだ。その目的は、死そのものではない」
「……つまり、どういうこと?」
「ただでは死なん。目的は、死んだ後に蘇ることで得られる結果だ。長生きするために死ぬ。まあ、この先は確実性がないから明かすことは出来んが」
「そう……」
「ラザムにも伝えていない。あの子は七年前に、前の主を亡くしている。急な訃報はあまり良くないかもしれないが、伝えれば間違いなく反対される」
もっとも、先日のルシャルカとの決戦でも、同じようなことを言われた。今更である。
「まあでも、死んだらあまりこっちには戻って来られなくなるだろうなあ。零火はともかく、ゆずなに何も告げずに忽然と姿を消すのは悪いと思っている。だから一度は、姉様に情報共有するために帰るよ。ゆずなたちに何を話し、何を隠すかは、日本に残る姉様に任せる。多分その方が、いい結果になるだろうからね」
「一つだけ、約束して」
「うん?」
わずかに物言いが柔らかくなった細川に、逆に声が硬くなった綾香が言う。細川の位置からは、髪に隠れてその表情は見えない。
「こっちにいる間は、計画の進み具合をあたしにも話して。いつ決行するんだとか、そういうことを」
「ああ、それくらいのことなら伝えておこう」
それから細川は、
「綾香」
と短く呼んだ。もうすっかり、「姉様」と呼ばれることに慣れてしまっていたので、彼女は驚いて振り返る。彼女が見た細川の表情は、最近では考えられないほど穏やかなものだった。
「ゆずなや零火たちのこと、貴女に頼んだよ」
#5 死後to転生
十一月一日、午前十時三十分。揚水式水力発電所の職員による通報で、警視庁刑事部の捜査官が、遊歩道沿いの雑木林に立っていた。所属部署は捜査一課強行犯係、現場の状況から、殺人があった可能性が高いと思われたのだ。
肝心の死体はなかったが、臨場した刑事たちは、音速で飛散したと思われる大量の血痕と、複数発の弾丸などの遺留物を発見していた。金井刑事が発見したのは、南京錠のような形をした、軽い金属片であった。
「篠崎、これは一体何だと思う?」
金井は、同期の篠崎刑事を呼んだ。後で科捜研に送ることになるだろうが、現時点での彼の見解を訊いておきたかったのである。しかし、結果としては、彼もまた首を傾げるしかないのであった。
「それよりも、おれはこの現場の方が気になるな。遺留物はいくつかあるのに、人間がいた痕跡自体があまりにも少ない。歪すぎる」
「それもそうだな。この出血量では、被害者はまず動けないはず。それなのに、被害者はどこへ消えたんだ? 犯人はどこからきてどこへ消えた? 足跡痕も一種類しかない上に、どこかへ歩いて行った跡がない。人が二人以上いたはずなのに、二人いたように考えられない」
一方、田嶋警部補は、落ちていた黒い拳銃を拾い上げると、そこに違和感を覚えた。腰に取り付けたホルスターから、自分の拳銃を取り出す。拳銃が同時に発見されたために持ち出してきたものだ。
自動拳銃と回転拳銃という違いはあるが、基本的な特徴には共通点も多い。隅々まで観察すると、違和感の正体が判明した。
「この銃、番号がどこにも入っていない……幽霊銃だわ」
横で見ていた佐藤警部が、若い大島刑事を呼ぶ。彼は趣味でサバイバル・ゲームを嗜んでおり、銃の種類には詳しい。
「大島、この銃の名称は分かるか」
「ええ、ベレッタM92ですね。有名な拳銃ですよ」
「ベレッタの幽霊銃か。……まさか、これはそういうことなのか?」
「警部、どうかなさいましたか?」
田嶋の問いかけに、佐藤は苦々しく答えた。
「七月上旬に、拳銃所持者が連続で逮捕された事件を覚えているか?」
大島と田島が、顔を見合わせた。ヨーロッパ出身の女、シャルロット・ルッカという武器商人に融通されたという、一連の事件だろう。連続逮捕の甲斐あってか、やがて波は落ち着いたようだが、佐藤はある情報を耳に挟んでいた。
「妙な噂を聞いた。その後、公安の連中が残りの拳銃所持者たちの居場所を掴み、一斉に逮捕した。味方同士で撃ち合ったらしく、全員血を流していたらしい。だが一人だけ、銃を所持していなかった者がいるというんだ」
「待ってください、警部。確か、その事件で逮捕された彼らが持っていた銃も、ベレッタの幽霊銃だったはず。ということは、この銃は……」
「一斉逮捕直前の仲間割れに乗じて、奪われた?」
「可能性がある、という話だ。だが仮にそうだとすると、犯人は公安に取られるかもしれんな」
公安警察の秘密主義は、職務上必要なことであり、今に始まったことでもない。しかし、捜査機関の足並みの不一致は、捜査を大きく遅れさせることになる。そしてそれは、時として遅れだけで済まないこともあるのだ。
「ああ、そんなこともあったな」
短い走馬灯から意識が戻り、細川は何もない空間で呟いた。重力があるのかないのか分からない、上も下も分からない空間だ。淡色で色調定まらないもやが、どこまでも続いている。
この場所には覚えがあった。一年以上前、魔力使用者になる際に連れてこられた空間だ。『第百』の件で《魔王の間》には何度か足を運んでいたが、いつも直通だったため、ここに来るのは本当に久しぶりだ。
つまり、予定された死は無事に迎えられたということだろう。そして、日本からは細川の亡骸は消えているということだろう。
それが、彼がこの空間にいて得られた情報だった。今の彼は、失ったはずの身体でここにいる。否、これこそが、転生体というものなのだろう。
ということは、もうこれは細川裕ではない。共和国で生活するうえで、新たな名前を使わなくてはならない。
「いくつか候補は考えていたが、やはりあれが一番良いか」
妖屋で名乗った名を、自身の新たな名として適用する。彼らと繋がったときには、もう既に転生のことが決まっていたのだ。今この場で決めようとしたら、一週間ほどはこの空間を漂って考え込むことになっただろう。それでは間に合わない。
すべてを捨てたかのような自分が名前ごときに拘るとは滑稽だが、思っていた以上に、自分は日本での人間関係が気に入っていたらしい。
「ボクの名前は冬雪夏生、コードネームは……そうだな、『呪風』にしよう」
新たな名のもとに、新たな生き方を始めよう。
まずは精霊との再契約だ。一度事実上の死を迎えた以上、全ての契約が破棄され無効になっている。それらを取り戻さねばならない。
次は共和国の『幻想郷』だ。そこで改めて取引を行い、身分を確定させなければならない。
その後は仮想空間を片付け、屋敷を移動し、住処を確保せねばならない。それから少し、日本に滞在することにもなるだろう。会わなければならない相手と、話さなければならないことがいくつもある。
気付けば、彼は赤い森に立っていた。右手に二つ、左手に一つ、指輪を付けた状態で。いつもの黒い改造コートは心地よく馴染んだ重さだ。森を歩くにはあまりにも異質な格好だが、探検家でも研究者でもないので問題はないだろう。
「アルレーヌ大森林……この場所だと、ホルーン水源湖が近い。どうやら上手くいってくれたようだな」
独り言をこぼしていると、正面で地面が蠢いた。否、そう見えるのは周囲と同化する赤い毛並みのせいだ。現れたのは小柄な犬のような動物の群れ──炎犬である。
アルレーヌ近辺で確認されている魔獣の中で、一、二を争う危険性を持つ種のひとつだ。基本的に温厚な性格の持ち主が多い魔獣類に珍しく凶暴性は群を抜いており、出会えば四肢は諦めろとさえ言われている。その危険さ故、魔王の失敗作と揶揄されることもしばしばだ。
笑えない状況だが、彼は別に、悲観した風でもなかった。懐から一丁の回転拳銃を引き出す。よく手に馴染むそれを握り、正面の一頭に狙いを定めると、彼は引き金に指をかけた。左右色違いの瞳は、既に勝利を確信していた。
始まりのための終わりを超え、引き金はゆっくりと引かれる。
長いですが最後だけでも読んで!
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。いろいろ謎な情報を残したまま終わってしまった感があると思いますが、これには意味がありますので少しだけそのお話をさせてください。
今回のサブタイトル、転職となっております。退職ではなく転職です。つまりまだ先の話があるんです。なんですが、それを書こうとすると、気まぐれ魔法店というタイトルは(今まで以上に)内容に不似合いになってしまうんです。そこで私は考えました。
「魔法店は終わらせて、続きは別の物語として書けばいいのでは?」
とんでもない強硬策です。それは分かっています。しかもこれ、実際に構成を考えてみたら、気まぐれ魔法店の数倍の長さになりそうなんですよ。どんなに短くても二倍は余裕で超える。
これむしろ、気まぐれ魔法店は外伝扱いになるのでは? そんなことを考えたのですが、それはさておき気まぐれ魔法店は私が初めて書いたファンタジー小説。思い入れは人一倍。嫌だ、これはこれで一つの本編なんだ。
まあいずれにせよ、内容的にはタイトルを変えなければならないんです。というわけで気まぐれ魔法店は、店主の細川の死をもって完結となります。その続きはいつ出るんだ? という疑問をお持ちの皆様、少々お待ちください。歴史修正が必要なので。
まず次回作を始める前に、こちらの気まぐれ魔法店、読みやすく小分けにして全編改稿します。そしてそれを、「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトで投稿します。改稿前のこちらの連載は消えません。改稿版を新たに公開するよ、という形です。
さあこれが大変だ、なにしろ元は思い付きで始めた息抜き用の物語、三年前の自分の文章と設定を諸々書き直すわけですから、むしろ一から始めるよりも難しいかもしれない。そんなわけでこちらの改稿作業、少々お時間をいただくことになるかと思われます。それでも七月中には出し終えたい。新タイトルはその後からスタートすることになりますのでお好みのサイトで作者をフォローしてお待ちください。Twitterをフォローしておくと、進捗状況が分かりやすいかも。
あとがきが長くなりました。ここまでお読みいただきました皆様に感謝申し上げます。最後に次回作タイトルのキーワードを公開して切り上げましょう。
【魔道具屋】
では、また。




