第七話 修学旅行のラヴトラ(Ⅲ)
修学旅行は今回までです。
#5 Day-4
「裕君、あんまり敵を作りすぎちゃだめだからね?」
「味方よりも敵の数を数えた方が多い人生を送ってきた俺に、あんたは今更何を言っている?」
沖縄で過ごす最後の夜が明け、いくらか顔色の良くなった天宮が、食堂の入り口で会った細川に言った台詞である。はったりが効きすぎたらしく、どうやら天宮にまで恩恵が及んで昨夜は絡まれることなく熟睡できたらしいのだが、感謝の次に飛び出したのは説教だった。
「あれくらいの脅しで引っ込むような奴が、俺の敵になれるものか。想像がつかんな」
「女の子のいじめは見えにくくて陰湿なんだよ。って、僕に言わせないでくれる?」
「……悪かった」
見えにくくて陰湿──つまりは情報工作だ。噂や偏見は、それだけでも相手に被害を与えることができる。社会動物は一人で生きられる存在ではない。言い換えれば、悪印象を持たれて困らない人間はいない。
それは細川も同様だが、
「誰が敵に回るかもわからない状況……遅すぎる懸念だが、今からそんな工作をされたところで、俺は困らないしな」
「でも裕君、その人を知らざればその友を見よ、なんて言葉もあるんだよ。君が困らなくても、君の行動次第で他の人が困るかもしれない」
「十人中十人に好かれることができるわけがないだろう。それはただ、あんたらを奴らの見る目がないだけだ」
「見る目のない人を無視して生きられるわけじゃないよ。それじゃあ社会が成り立たなくなる」
「分かった、悪かった。もう行くぞ、朝食を食い損ねることになる。水と炭水化物だけならどうにかなるが、砂糖水だけで生きるわけにもいかん」
「逆に砂糖水はどうにかなるんだ……」
歩き、料理を皿に載せながら細川は思う。自分と関わることで不利益を被るならば、なぜ自分から離れないのだろうか。それが合理的な判断というものではないだろうか。人としての自分の代わりなどいくらでもいるのだ、わざわざ固執して視野を狭めるものでもあるまいに……。
当初の予報とは打って変わって、国際通りを歩くこの日は、雲一つない快晴であった。前日までの雨で、雲を全て消費したらしい。バスのフロントガラスに反射する太陽光がまぶしいほどだ。昨晩の雨は一体何だったのか、噓のように澄み切った青空に、ようやく沖縄らしさを見た。
大型バスに揺られること二時間、国際通りに着くと、細川と天宮を残し、班別自由行動班の班員は、四人でどこかへ行ってしまった。二人は完全に取り残された形だ。一応指定された地点に指定された時刻までに全員で集合していなくてはならないのだが、逆に言えば、それまでは誰がどこにいるのか、把握されていないのである。
班別という部分は、実質あってないようなものだった。生徒たちにしてみれば、教師の目が届かない、至福の時間だともいえる。
とはいえ、こうして二人で取り残されるのは想定外であった。死にかけた恐怖から、木下あたりが他の班員を伴って細川の傍から逃げ出したのだろうか。逃げるなら一人で逃げればいいものを、なぜ三人も連れて行くのか、細川は理解に苦しむ。
天宮を残していったのは、彼女だけは話に乗らないと踏んだのか、それとも未だに邪推を止めてはいないのか、あるいはその両方か。
いずれにせよ、一人でないのならこれ幸いと適当に好き勝手歩き回るわけにはいかない。どうせいなくなるなら、天宮も連れて行ってくれればよかったのに、とさっきとは真逆のことを考える細川であった。
「みなみ、この後はどうする?」
と訊こうとして、細川は肩を叩く別の人物に振り返った。どうも屋外では、気配を察知できないので良くない。風や騒音や振動のせいで、気配の大半がかき消されてしまうのだ。
一体誰か。この手の感触には覚えがあるが。
「同類、見つけたり」
「立花、お前もか」
古典戯曲の台詞を切り返しに受けたのは、恋人を横に連れた立花だった。
洞察力や勘に優れているわけではない立花も、自分と同じ状況にある者ならば事態を看破できるらしい。要するに、彼等もまた、細川と同じく班員に置いて行かれたのだ。
「友達甲斐のない奴らだ、まさか他のクラスにも手を回して俺を裏切るとは。男の友情ほど堅いものはない、とか言ってたくせに、あっさりと消えやがって」
満更でもなさそうな声で憎まれ口をたたく彼である。静かに叫ぶ天宮といい、案外器用な人間は多いものらしい。
クラス替えが行われる際、恋人同士と思われる男女は極力同じクラスに入れない、という習慣があるとされるが、今回はそれを超越し、男子班から立花を放り出し、また別クラスの女子班から成瀬が放り出され、結果恋仲の二人が孤立して合流した、ということらしい。
ただし工作を行った彼らは、この二人をくっつけるまでは良かったものの、その後のことまでは頭が回っていなかったようだ。細川は基本的に、「最後まで考えずに計画を実行する馬鹿」の行動を想定していないが、立花もそれは同様だ。故に、今回は二組とも取り残されることになった。
四人でひとしきり愚痴を吐いた後、昼食代わりにサーターアンダギーを食べながら、立花が細川に言った。
「しかし、まさかお前に古典戯曲の知識があったとはな。嫌いとばかり思ってたから、正直驚いた」
「あたしも思ったよ。興味がないか、知らないと思ってた」
成瀬も同意して頷く。確かに細川が嗜むのは現代の小説ばかりだが、有名なものに関しては多少は知識もあるのだ。
「確かに興味はないが、俺だってジュリアス・シーザーの有名な台詞くらいは知っているさ。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲だったか」
「ジュリアス・シーザーって?」
天宮が疑問を呈する。作品名よりも台詞の方が名を馳せていて、あまり馴染みはないのかもしれない。とはいえ細川も、あまりよく知らないので説明を求められても困るのだが……。
「シェイクスピアの悲劇だよ」
代わりに説明を引き受けたのは成瀬だった。
「ブルータスとカシアスが、ローマ皇帝カサエルを暗殺するシーンから、アントニウスが二人を破るまでを描く物語。中心人物の性格描写に優れた作品として知られているよ」
「『ブルータス、お前もか』っていうあれ?」
「そう、それ。腹心に裏切られた、カサエルの台詞だね」
さらさらと答える成瀬に驚き、男二人が顔を見合わせる。
「助け船を出してくれたことには感謝するが、随分詳しいんだな」
「いや、俺もここまでとは知らなかったんだが……」
「一時、従姉が好きだったから。その影響であたしも、少しだけ」
それだけでここまで答えられるのか、と思いつつ、細川は三人とともに、モノレールの駅に歩く。集合場所は空港だが、国際通りから空港まではモノレールで移動するため、自然と他の生徒にも遭遇する。
例えば眞木などがそうであったが、彼女は細川の姿を見ると、慌ててどこかへ消えてしまった。何事か、と立花に訊かれても、細川は知らないと言って通した。
モノレールに揺られ、天宮と成瀬が恐ろしい早さで仲良くなっているのを不思議に思っていると、立花が細川に声をかけた。
「ところでお前、天宮とどういう関係? 付き合ってて取り残されたんだと思ったから同類って言ったけど、多分そうじゃないんだろう?」
邪推や誤解出なかったことに、ひとまず安堵する。
「ああ、恋人でも何でもない。少々訳ありな元依頼人といったところだ。取り残された理由に関しては本当に知らん、多分邪推か厄介払い、そのどちらかか両方だろうな」
「気になる言い方だな。だがお前、恋人が欲しいとか思わないのか?」
「微塵も思わんな。いたところで不幸にするだけだ。現世に余計なものを残していくわけにもいかないし」
「早死にする奴は大変だな」
細川は鼻を鳴らして首肯した。元より公言していたことでもあり、早死にすることを持ちネタの一つとでも思われているらしい。今回も彼なりの冗句として認識されたようだ。普通は自分の死期など到底知りようもないのだから、当然である。
「まあお前がどう生きようと俺は別にいいんだけどさ、気付いてるだろ」
「何が?」
「さあな。俺に言えるのは、気付いているならさっさと答えを出せってことと、気付いていないならさっさと気付いてやれってことだけだ。後はお前の甲斐性次第だな、一七九度くらいの頂点め」
「それはまた、随分開いた鈍角だな。少なくとも、お前の不完全文から抜け落ちた目的語が何なのかは分からなかったよ」
分かるように話す気がないことだけは伝わったが、と付け足して、細川は立花を睨んだ。話が邪推によるものではないと思っていたが、勘違いだっただろうか。
細川とて、「普通の高校生活」とやらを端から求めていなかったわけではない。だが魔力使用者になった時点でその生き方は現実味を失ったし、ルシャルカへの復讐を決意してからは完全に捨てた道である。
人付き合いが薄れ、恋愛感情を忘れ、暗い世界に浸った今、血に濡れた手で足を洗って、今更ただの高校生には戻れないだろう。それはすでに諦めた道であり、捨てた生き方だ。
何よりそれを、百の契約が許さない。
飛行機を降りたら流れ解散、とされていたが、細川は天宮に連れられて、羽田空港の屋上デッキに来ていた。風に揺れる髪を押さえ、天宮が細川の前を歩く。
表情は見えないが、声は届いた。
「文化祭の日のこと、覚えてる?」
「零火の策略で、俺をまんまと謀ったあのことか?」
「そう、あの日。あの日君は、僕が陥っている状況を一瞬で見抜き、救ってくれた。」
細川にとってはただの依頼の一件に過ぎない。彼女との付き合いがこれだけ続くとは思わなかったが、彼にしてみれば、それだけのことだった。
依頼の延長線。それだけに過ぎない。
「もう一ヶ月も前のことなんだよ。たったそれだけ。でも、それだけの時間が過ぎた。」
旅客機が着陸し、細川の束ねられた髪が靡く。
着陸した旅客機は速度をそのままに、滑走路を駆けていく。時の流れのように、すぐに視界から消えていく。
「ねえ、裕君」
天宮が細川に振り向き、真っ直ぐに見つめる。
「君には迷惑かもしれないし、僕も伝えるのが怖い。でも言いたいんだ。人伝の依頼じゃない、僕の想いとして、君に伝えたい」
直感的に、これは周囲に聞こえてはいけない話だと判断した細川は、瞬時に風の防音幕を張って音を遮断した。空港は風があるのですぐにでも吹き散らされそうだが、話が終わるまではもつだろう。
立花に言われた言葉が思い出される。まったく、これを自然に察知できるとしたら、世の人々はどれだけ勘が鋭いのか。
かくして、決定的な一言が放たれる。
「僕と、付き合ってくれませんか?」
今度こそ罠ではないことは、細川にも分かった。そして、それに対する彼の答えは、たかだか五時間では覆らない。
「みなみ、悪いが、それはできない」
いくら誠実な言葉であっても、いくら強い想いであっても、事実を変えることはできなかった。天宮を、暗い世界に引きずり込むことはできない。
天宮は、知っていたように笑った。
「そっか。もしかして、他に好きな人でもいる?」
「いいや、いない。そもそも俺は、誰に対しても恋愛感情を持つことができないんだ。そんなものはとっくに捨ててしまった。忘れてしまった。それに、俺は人を不幸にすることしかできないんだ」
「そんな君がいい、と言ったら?」
「それでもできない。今更動かせない事情がある。これある限り、一般人を深く関わらせることはできない。何より俺は──貴女を、こちら側に連れて来たくないよ」
自己客観視ではない。細川の本音だった。零火は既に、『白兎』の協力者として影の一端に触れてしまった。だが、天宮はそうではない。これ以上細川と深く関われば、嫌でも陰に触れざるを得ない。不利益だから、ではない。細川が、それを拒みたいのだ。
「みなみ、分かってくれとは言わない。到底そんなことが言える事情ではない。だが、一般人を巻き込まない選択を、受け入れてほしい」
「うん、君がそういうなら、僕は受け入れるよ」
天宮は、細川に向けていた身体を半回転させ、滑走路に視線を投げた。風に吹かれ、内巻きボブカットの髪が表情を隠す。少し歩いたため、防音幕から外れたのだ。細川はこれ以上は不要だと考え、防音幕を解除する。
周囲の喧騒が戻ると、天宮の作ったような明るい声が聞こえてきた。
「楽しかったよね、修学旅行」
旅客機が現れ、離陸していく。今、天宮は何を思っているのか。
「君と一緒でよかった。本当に、そう思うよ」
それに対し、細川は何を返せば良いのか。黙っていると、「裕君」と短く呼ばれた。半身だけ振り返った天宮が、決壊しそうな表情で細川を見つめている。そして、
「ありがとう」
そう言って、彼女は屋上デッキを去っていった。同じ道を進む気にはなれず、細川は仮想空間から帰ることにした。
天宮は作者的にも報われて欲しい一人だった。書いてて結構つらかったっすわ……
次回、最終話……になると思います。分からん、もしかしたら長くなってまた分割するかもしれん。でもこれだけは先に言っておきます。
"ハッピーエンドではない"です。
これまでに張ってきた大量の伏線を回収します。




